41.対面
「以上が、今回の件の顛末です」
エシュタンドが静かに語り終えたところで、空は伏せていた顔を少しだけ上げた。
まさに水を打ったような沈黙がその場に広がっている。
夜も更けた王族の間には、事情を考慮してか、少数の守護兵のみを残して、王族の者だけが集められていた。
豪華な広い空間では、その静けさが余計に際立っているように感じられ、空は緊張で冷たい手を握り締める。
皆の反応を待つ空の隣で、同じように膝をついて、エシュタンドが判断を仰ぐかのように、王を見上げた。
数段高くなった台上の金の椅子で、王は身じろぎもせずに座っていた。
ただその灰褐色の瞳は、隠しようもない驚愕と困惑を垣間見せている。
濃い金色の王冠からこぼれた王の髪は、少し色あせたような金色をしていた。
エシュタンドとの色の違いを無意識に見比べていた空は、いつの間にか王の瞳に自分が映されていることに気づき、あわてて瞳を伏せた。
「その者が、暁の娘、だと――? 森の精霊に呼ばれた、そう言うのだな?」
細い糸が張られたような静かな緊張を破ったのは、そう問いかける王の声だった。
エシュタンドは、深く頷いて、肯定の意を示す。
「はい。ソラを捜して、私も彼らと対面いたしました」
もう一度確認するかのように、エシュタンドが答えた。
王は少し震える口元をごまかすかのように、引き結んでから、もう一度藍色の瞳を見据える。
「そして、このミディスの森が、滅びかけている、彼らがそう言ったと――」
「そうです、父上。彼らは森を救ってほしいと、我らがミディスの偉大なる王に森の行く末を託したいと……そう話しておりました。
賢王と名高い父上ならば、必ずや良い方向へ導いてくれるだろうと、そう信じて私に言伝を頼んだのです」
エシュタンドの語る内容は、真実とは微妙に違っているが、それを知る由もない王は、髭を撫でながら、考え込むように深く息を吐いた。
――王は一体どう思うのだろうか。
気になるのは空だけではないようで、王の表情を見守るエシュタンドの顔も、硬く引き締められていた。
空を守る――そう言ってくれた彼は、言葉通り、精霊に託された想緑珠のことも、聖殿の腕輪のことも、全く口にせず、ただ精霊が王に訴えたものとして、説明してくれた。それでも、空を暁の娘だと明かすことだけは避けられず、語られることとなったのだが――王はしばらく黙り込んでエシュタンドと空を交互に見つめていた。その瞳の厳しさに、まだ誰も言葉を発することはなかったが、王の隣で王妃がどんな顔をしているのか、恐ろしくて空は見ることもできなかった。
「エシュタンド、お前の話が真実であるなら――精霊に認められた暁の娘を、王として歓迎しないわけにはいかないことになるな」
沈黙を破って発された王の第一声に、わずかなざわめきが広がった。
壁際に並べられた王族の椅子で見守っていたエシュタンドの兄、姉たちの戸惑いや驚きの声である。
無表情を守って広間の扉付近に佇んでいる守護兵たちも、背筋を伸ばして、空たちの方を見ている。
「父上――」
エシュタンドが何か言おうとした、その時、耐え切れなくなったように、高い声がざわめきの中に上がる。
「お待ちください、陛下――」
「どうした、王妃よ」
やきもきしていたのであろう、王妃は問いかけられると同時に隣に並んだ王を責めるような瞳で見た。
「王子の語る話が、真実であるという証拠はどこにあるというのです! 精霊だなどと、そのようなもの、いまや御伽噺の中にしか存在しない、夢物語ですわ。
そんなものが突然このような娘を呼び、はたまた王子に言伝を頼んだ、ですって? そんな言葉を信じろというほうが無理な話です。
大体、王陛下に話したいことがあるというのなら、それも、森が滅ぶだなどと、大それた話なのならば、王宮へやってきて、自分の口から陛下に訴えればいいではありませんか! 姿も見せずに陛下に訴えようなどと、虫の良い、そんな勝手な話がありますの?」
興奮と憤りを示すように、王妃の頬はひきつり、水色の瞳はきつく、ゆがんだ光を浮かべていた。
王が何か口を挟もうとするのを待たずに、王妃は白い手袋の両手を大げさに広げて、王を見た。
「そもそも、森が滅ぶだなんて、そんなことをどうやって信じられますか! これだけ豊かで恵み深い森のどこに、そんな危機がひそんでいると言うのです?
精霊に会った、だなんて、それすら本当なのか疑わしいところですわ」
息を荒げて、そこまで言い切った王妃の瞳が、エシュタンドを射抜くように見下ろした。
反論があるのなら言ってみろ、とでもいうような挑戦的な表情だった。
王妃の言う何もかもが、やはり、と思う反応で、空は心臓が嫌な鼓動を始めるのを感じた。
彼女のいうことは正論でもある。空だって、精霊など目にしなければ、現実に信じることなど難しかったかもしれないのだから。
突然ふってわいたような自分の存在も許せない王妃からすれば、全てを疑いたくなるのが当然の反応だと理解できた。
エシュタンドは、どうするんだろう――空が不安な胸を押さえながら仰ぎ見ると、予想はしていたのか、エシュタンドは一切の動揺も見せずに視線を上げた。そのまま感情の浮かばぬ瞳で王妃を捉える。
それを待っていたかのように王妃は続けた。
「それとも、何か証拠でもおありなのかしら。私たちに精霊の実在を示すことのできるような、決定的な証拠でも……?」
研いだ刃物のような嫌な光をたたえた水色の瞳が、ゆっくりと細められる。
王妃の剣幕に少し口をつぐんでいた王も、その場の空気を落ち着かせるように、咳払いをする。
「リダネア、お前の言わんとすることはわかる」
灰褐色の瞳が、静かに王妃のほうを向いた。リダネア、そう呼ばれて王妃は少し勢いをそがれたようだった。
初めて知った彼女の名前に、あたりまえなのに彼女も一人の女性なのだ、と空は奇妙な感覚にとらわれていた。
王の静かな威厳にいさめられたように、王妃は浮かせかけていた腰を下ろした。
それを見届けてから、王が正面に向き直り、口を開いた。
「先ほど私が言ったのは、エシュタンドの言うことが真実であれば、という前提での話だ。もしも真実その娘が暁の娘であったならば、これほど喜ばしいことはない。
正式にエシュタンドとの婚約を進めなくてはなるまい。そして森の話についても、早急に調査し、対策を練らねばならんだろう――しかし、王妃も言ったように、簡単にうのみにするには突然で、突拍子がなさすぎる話だ」
あくまで冷静に告げて、王は皆をゆっくりと見回した。王の言葉を受けて、どこか騒然としていた広間の雰囲気も、静かになった。
「エシュタンド、王としては、いくらお前の言うことであっても、国をゆるがす問題である限り、証拠もなしに信じるわけにはいかぬ」
しっかりと言い切って、王がエシュタンドを見つめた。
「エシュタンド、どうなのだ――証拠とでも呼べるものは、何かあるのか?」
瞳を伏せたままのエシュタンドに、王が問いかける。
不安げに見守る空の前で、エシュタンドはしばらく目を閉じてから、唇を噛み締める。
「エシュタンド……」
小さく、呼びかけた空の声に、エシュタンドは迷いを吹っ切ったように、顔を上げて、王を見た。
「証拠は、ありません」
その言葉に息を呑んだのは、空だけではなかった。
嬉しそうに、まさに打って変わって喜びにあふれた声で、王妃が叫んだのだ。
「ほら、ご覧なさい! 証拠がなくては、話にならないわ。陛下、どうなさるおつもりです。万が一精霊に呼ばれたなどという話がでっちあげであったなら、王子が裏で何をしているのかなどと、わかったものではないのですわ。我々をも謀ろうとする心があるのやもしれません。自分の立場を考えもせず姿を消したりなどと、第三王子としての責任問題に問うべきです!」
激しい王妃の声は、王族の間に響き渡った。その場にいる全員に訴えかけるように。
「こんなことだから、卑しい血の生まれでは、王位継承者などとは言えないのですわ」
氷のような無表情で王妃を見上げるエシュタンドに、吐き捨てるように言われた言葉。
口を開こうとした王よりも先に立ち上がったのは、空だった。
「やめて!」
たまらずに叫んだ空の声に、王妃は驚いたように目を見開いた。
「やめて……ください、これ以上、エシュタンドを侮辱しないで!」
最後は搾り出すように発された空の叫びは、王さえも圧倒したかのように、強く響いた。
両手を握り締めて、王妃を睨む。
空の視線に、ようやく我に返ったように王妃が瞬きをした。あまりの驚きに固まっていた王妃の顔が、たちまち怒りの色に染まっていく。
それを目にしながらも、空はもう言葉を抑えられなかった。
「エシュタンドは……ラウレカさんは、卑しくなんかない! 聖なる力にあふれた、素晴らしい人だったんだから!」
聖殿で目にしたあの肖像画を思い出しながら、ディーラが語ったエシュタンドの母を想いながら、空は叫んだ。
「何、ですって……?」
王妃が震える声で呟く。その瞳は、空一人に向かって燃えている。
恐ろしいくらいに青ざめた王妃の顔に、空は徐々に忘れかけていた恐怖が蘇るのを感じつつも、後にはひけずに睨み返す。
王妃の言葉に対する怒りが、恐怖より大きかったのだ。
「彼女は、命をかけてエシュタンドを生んだ……大切な、愛しい王子を。その王子を侮辱することは、彼女の愛も、命も、侮辱することです!」
王族の間が静まり返る。空の言葉の余韻だけが、その場に漂っていた。
「――ソラ……」
小さく、かすれたような声が耳に届いて振り向くと、エシュタンドが膝を突いたまま、空を見つめていた。
その藍色の瞳は、湖のように澄んで、彼の心にひしめく様々な想いを映し出しているようだった。
空はたちまち自分の行動が恥ずかしくなった。せっかく我慢してくれていたエシュタンドの好意を無駄にしてしまったのだから。
これで、見事に王妃から敵対心を持たれただろう。瞳を伏せても、射すような彼女の視線を感じた。
それでも、口に出した言葉に、後悔はなかった。
王妃の視線によりも、エシュタンドの深い瞳から逃れるように、空は再びひざまずいた。
「……娘よ」
黙っていた王に突然呼ばれて、空は弾かれたように面を上げる。
空の黒い瞳を、くいいるように王は見つめた。
「お前は、エシュタンドの話が確かだと言うのだな?」
静かな問いかけに、空は恐れをはらった瞳で、しっかりと頷いた。
「はい。このミディスの神に誓って……お疑いであれば、東の聖殿のディーラ、様にお確かめください。彼女は私たちを通して精霊の力を感じたと言っていました。
私たちが信じられなくても、このミディス最高位の巫女の方が言われる言葉なら、信じられるのではないですか?」
自分でも不思議なほど、空は落ち着いていた。それは冷静な心からではなく、王妃に対する怒りからくる――湧き上がるような沈着さだった。
エシュタンドの痛みが、そのまま空の心に根付いていて、王妃に踏みつけられたその根が悲鳴をあげてくるようだった。
「――なるほど、そう言われては、一方的に疑うわけにもいかぬな」
王の声は、予想に反して、少し嬉しそうに聞こえた。
思わず訝しげに見上げた空に、王は微笑んだ。口角をほんの少し上げただけの、それでも確かな笑顔だった。
「――陛下……!」
悲痛なまでにうろたえたような王妃の声が上がる。王は、今まで浮かんでいた笑みをたちまち消して、王妃に視線を向けた。
「リダネア、そなたの言うことを無視するのではない。ただ、信じられるか、機会を与えてみようではないか」
一瞬だけ見せた夫としての顔で、王妃を説得する王は、どこか楽しげだった。
そんな王に何も言えなくなったように、王妃は口をつぐむ。だが、その両手は震えていた。
次の瞬間、空を見た灰褐色の瞳は、既に威厳ある王のものだった。
「もうすぐ来る収穫祭で、巫女に代わって、お前に白水晶の滝を切ってもらう。ハルトの聖剣で、儀式を行ってみよ。
本当の暁の娘であれば、聖なる巫女と同等の存在であるはず。滝の精の怒りを買わずに無事成し遂げることができたなら、お前が真に暁の娘であると認めよう」
当然のように、空にそう告げて、王は続けた。
「そしてその時は、エシュタンドの言葉が真実であることも認めようではないか。精霊の存在も、森の危機も、王として対処することを誓おう」
文句はないだろう、といわんばかりの王の表情に、空は今更ながらに固まっていた。
自分が放った言葉が、そういう意味になるのだと――エシュタンドを信じてほしいと訴えることは、自分が暁の娘であることも認めさせることで……結果としては、このままこの世界に残ることを意味するのだと、ようやく思い知って、空の頭から怒りが抜け落ちていく。代わりに生まれる不安と恐怖が、冷たい汗として背中に流れた。
「どうだ、娘よ」
王が静かに問いかける。
「ソラ――!」
小声で、引き止めるように呼ぶ、エシュタンドの声が、逆に背中を押すようだった。
「……はい」
空の返事に、エシュタンドが息を呑むのがわかった。
震える手を、ドレスを握ることでごまかして、空は顔を上げた。
「本当に、約束してくださいますね――? その時は、エシュタンドの言葉を信じてくださると……森を救うために、力を尽くしてくださると?」
おそるおそる訊ねた空に、口元の皺を深くして、王が頷いた。
空の瞳は、そのまま蒼白な顔をしている隣の王妃へと向けられた。
「私が、無事に儀式を成し遂げたら……約束してください」
この上何を――水色の瞳にくすぶっていた怒りが新たに燃え上がるのがわかる。それでも、言わずにはいられなかった。
「エシュタンドを――彼の母親を、もう二度と侮辱したりしないと」
その言葉に王妃の眉がつりあがる。ぶるぶると震える両手は、ドレスの布に隠された。
答えを促すような、王の瞳は、意外なほどに強く王妃を見据えていた。短いような、長いような瞬間の後――王妃は、無理やりに頭を動かしたように、ぎこちなく、頷いてみせた。
そしてそれが精一杯であったかのように、席を立ち、退出してしまったのだった。
苦笑した王が、衣装の裾をはらいのけて、立ち上がる。
「もう夜も遅い。今日は皆、休むがよい。また明日――話すべき問題がまだ残っているからな」
少し疲れたようにそう言って、王はエシュタンドを呼んだ。空の視線の中、エシュタンドは我に返ったように台座の王の元へ向かった。
彼にだけ囁かれた何かに、エシュタンドが、硬い顔で頷いて、一礼する。
そして、空の全身を緊張させていた王との謁見は、終了したのだった。
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