ある朝、タンスの向こうに(38/75)PDFで表示縦書き表示RDF


新年最初の「ある朝―」の更新です。
お待たせしました。
今年もこの連載をどうぞ見守ってやってくださいませ。
ある朝、タンスの向こうに
作:文樹妃



38.再会


 聖殿前で待ち受ける馬車に、思わず身構えた空は、見知った顔を見つけて、ほっとしたように駆け寄った。
「クガルさん!」
「姫君! よくぞご無事で――」
 たちまち顔を輝かせて振り向いたのは、エシュタンド付き私兵隊長、クガルだった。
 栗色の優しい瞳で空を見つめる童顔の彼が、そんな立場にある人物だったことは、つい先ほどエシュタンドに聞くまで思いもよらなかったことだった。
 それでもどこか一緒にいてほっとする彼がこの場にいてくれたことで、空の顔は明るくなっていた。
「ごめんなさい、心配させてしまって」
「いえ、そんな――姫君がご無事で何よりでした、本当に……」
 心からそう言ってくれているのがわかる。きっと彼にも捜索の苦労をかけさせてしまったんだろうと、申し訳なく思いつつも、何を言えばいいのかわからなかった。黙った空の背後から現れた人物に、クガルの顔が輝いた。
「殿下……!」
 その一言だけでどれほど彼を心配していたかが伝わってくる。その呼びかけに頷いたエシュタンドは、ねぎらうようにクガルの背に手をやった。
「すまなかったな、心配をかけた」
 簡単な謝罪の言葉の中にも、エシュタンドなりの心がこもっているのが、空にもわかった。
 そしてそれだけで事足りるほど、信頼している間柄なのだと。
 クガルは少し潤んだ瞳を隠すように俯いて、首を振った。
「とんでもございません、殿下。殿下がご無事であれば、それだけで――」
 あわてたように答えてから、クガルは表情を硬くした。それに気づいたエシュタンドが、自然な形で空を聖殿へ向かわせる。
 どうやら持ってこられたらしい着替えを持った巫女が、空を迎えてくれた。
 そういえば、ずっと着替える暇もなかったブラウスと乗馬ズボンは、すっかりとくたびれている。
 いくら動きやすい格好が好きだと言っても、あまりにみすぼらしい服とつりあわない王宮の派手な馬車を見比べて、空はなぜかみじめな気持ちになった。
 かといって、渡された美しいドレスを着る資格が果たして自分にあるのかもわからない。
 奇妙な疲れを感じながら、空は何かを語り合うクガルとエシュタンドを背に、聖殿へと入っていった。

 着替えに用意されたのは、入り口近くの小さな部屋だった。
 水桶で濡らした布で顔や体を拭き、髪をとかして、鏡に向かう。
 いつの間にか、ひどくやつれたような顔をしている自分に驚いた。
 薄い緑色のドレス――なんでこんな時によりにもよってこの色なのか、誰の選択なのかを恨みたくなりつつも、空はわざと乱暴に袖を通す。
 そうしながらも、感じるのは、恐怖にも近い、不安だった。
 どうしたらいいのか、自分はどうしたいのか、それすらもわからなくなっている。
 王宮で待ち構えているであろう王や王妃、それに様々な問題。今までのようにただエシュタンドに頼って、守ってもらうわけにはいかない。
 彼の言葉を思い出して、まだどこか痛みを覚えることに苦笑した。
 自由にしていいと、すまなかったとまで言ってくれたことに喜ぶよりも、傷ついているかのような、卑しい心。
 突き放されたような気がしたのか、今までのように強引にでも、どこかへ導いてほしかったのだろうか、自分は――。
 押し付けられて恐ろしかったはずの運命が、自分で決めるのはもっと恐ろしいことだと気づいてしまったから?
 ――なんてずるいんだろう……あたしは。
 鏡の中で睨む黒い瞳を、空はただ凝視していた。

「あら、よく似合っているわね」
 明るい声が、突然その場に乱入した。後ろを振り返ると、いつの間にか開いた扉の向こうから、既に親しげな微笑を浮かべる、薄紫の瞳が覗いていた。
「ディーラ……さん、あ、じゃなくて、ディーラ様」
 なんとなく巫女たちがするように倣ったほうがいい気がして、あわてて言い換える空に、ディーラはふふ、と楽しげに笑った。
「いいのよ、別に、好きなように呼んでちょうだい」
 そう言って、ディーラが空のドレスの紐を少し結びなおしてくれた。どうも背中にあるから、結びにくかったものだ。
「さっきまで着ていたような服装も似合うけど、こういうドレスも似合うのね。中性的に見えたと思ったけど、ドレスを着ると途端に女性らしくて可愛いわ」
 率直に褒められて、空は頬を染めた。まさか自分が、ディーラのような美しい女性に褒められるなんて思ってもいなかったのだ。
「あなたのそんな不思議な魅力に惹かれたのかしらね、王子は」
 自然に顔を綻ばせながら言う相手に、空は少しためらって、首を振った。
「そんな……あたしは……魅力なんてないんです。本当に、ただの、どこにでもいる女の子で――」
 自分の外見は別に褒められるほどのものではない。そんなことは鏡を見ればわかることだし、現に今まで恋人と呼べるような男性もできなかったし、むしろ奥手なほうなのかもしれない。化粧や服装にこだわる友人に、珍しいと言われるような、十六にもなって着飾ることにも興味がなかったような、部活にのめりこんだ平凡な女子高生でしかないんだから。
 そんな空の正直な答えに、ディーラは面白そうに目を見張った。
「まあ、何を言うの。あなたは十分に魅力的だと思うわよ」
 否定しようとした空は、ディーラの瞳に全くのお世辞や嘘がないことに気づいた。心からそう言ってくれているように見える。
 黙ってしまった空に、ディーラは白い髪をかきあげて笑った。
「もちろん、あなたの外見や笑顔も素敵だけど――何よりも、美しさというのは、内面からにじみ出るものなのよ。
 どれほど着飾ったり、取り繕っても、態度や言葉の端々に、その人の本当の姿が見える。心まで飾ることはできないから」
「心、まで――?」
 そういうものだろうか、とディーラを見つめ返しながらも、空はまだ納得が行かない気持ちでいた。
 眉をひそめている空を見てわかるのか、ディーラが言葉を続けた。
「聖殿という場所にいるとね、逆に人々の穢れがよく見えるの。どんなに綺麗にきらびやかに飾り立てようと、その人の心が醜ければ、私には決して美しくは見えないわ。それにあなたは――」
 そこで少し考えてから、ディーラは微笑む。
「今のあなたに言っていいのかわからないけれど、とても綺麗な光をまとっているのよ。聖獣と契約を交わした巫女には、彼らのような聖なる存在が目にすることができるものが見えるの。エシュタンドもかなり強くて美しい白金の光をまとっているけど、あなたのは……」
 その言葉に息を呑む空の少し後ろを眺めながら、ディーラは薄紫の瞳を細めて、迷ってから口を開いた。
「どう表現したらいいのかしらね、暖かな闇のような、優しい夜明けのような、不思議な色をしてる。それもあって、私はあなたを暁の娘だと確信したのよ。
 暁の世界というのは、夜明け前の世界といわれているから。私には、あなたが癒しと安らぎを王子に与えているのがわかる。彼がどれほどあなたに惚れ込んでいるのかもね」

 頭が麻痺するかのようだ――ディーラの語る内容は不思議すぎて、空は聞いているのが精一杯だった。
 ――あたしが、エシュタンドに癒しと安らぎを与えている? そんな、まさか……。
 信じられない思いで、空は光沢のあるドレスの布地を握り締める。
 そこでようやくディーラがいたずらっぽい微笑を浮かべていることに気づいた。
「昔の彼から考えると、あまりに『生きた』表情をしていて驚いたわ。初めて出会った子供の頃は、まるで死んだように、冷たい、悲しい瞳をしてたもの。
 あのラウレカの愛息子が、これほどまでに辛い思いをしてきたのかと、私までもが胸を痛めたものよ。
 もちろん大人になるに連れて、彼は仮面を被るようになっていったけれど――快活で、自信家の若き跡継ぎ、そんな仮面をね。
 時々会うことしかない私にも目に見えて変わっていったものよ。けれどかえってその中に秘めた氷は、冷えていく一方だったのがわかったわ。
 でもそれを変えたのが……あなただったみたいね」
 そう言うと、ディーラは鏡の中の空に微笑んでみせた。対する空の表情は複雑だった。
 空とエシュタンドの関係を全て知った上で言っているのか、ディーラの本心はわからなかったが、嬉しそうな言葉には、まるで家族の変化を喜ぶような暖かさがあった。
「あらあら、また私、あなたを混乱させてしまったようね。いいの、ごめんなさい。ラウレカのことは大好きだったから、彼女の忘れ形見である彼は、私にとっても大切でね。思わずしゃしゃり出てしまったわ。余計な老婆心ね」
 ディーラの言葉に、空は何と答えていいかわからないままに、首を振った。その動作と共に、空のドレスが揺れる。
 小さな窓から差し込む陽光に、淡くきらめく薄緑色のドレスは、今は素直に美しいと思えた。
 幾重にも連なる裾の飾りまでも整えてくれたディーラは、そうだ、と子供のように手を叩いた。
「何か――?」
「ちょっとついていらっしゃい。あなたにいいものをあげる。大丈夫、今度は重荷になるようなものじゃないから……」
 白く美しく流れる髪を無造作にはらって、ディーラはためらう空の手を引いた。


 ディーラや巫女に挨拶を終えて出てきた空の前で、エシュタンドとクガルはまだ何事かを話し合っているようだった。
 深刻そうな顔つきに声をかけるのをためらったその時、気がついたクガルが顔を上げた。
「姫君……これはまた、大変よくお似合いで」
 ドレス姿の空に、クガルは純粋な感嘆の瞳を向けた。隣のエシュタンドがどんな目で自分を見ているのか、なぜか怖くて、見られない。
「ありがとう」
 クガルにだけそう言うと、空が持っている布包みを目にして、クガルが不思議そうな顔をした。
「それは――?」
「あ、ううん。何でもないの。ディーラさんに持たされた着替えよ」
 空がそう言うと、クガルが納得が行ったのかよくわからない顔をして、そして微笑んだ。
「姫君にかかると、あの月の巫女殿も、ただの親しい友人に見えてくるのですから、不思議ですね」
「え、あ、ごめんなさい。ついそんな呼び方をしてしまって……」
 またしても敬称をつけずに呼んでしまったことを恥じるような空の言葉に、クガルはあわてて手を振った。
「いえ、そういう意味では……巫女殿も姫君と親しくなれたとしたら、喜んでおられると思いますよ」
「そ、そうかな?」
 意外そうに訊ねた空に、クガルは深く頷く。
「我々も含め、なかなかあの巫女殿と普通の会話ができるような者はおりませんから」
 クガルの言葉に、今度は空が驚く番だった。
「え、でもとっても気さくな人だったけど……」
 初対面こそ少し威厳に押されるような気がしたものの、彼女は空やエシュタンドだけでなく、巫女たち一人一人にも特に変わった態度は取っていなかった。
 それほど、遠い人物にも思えなかったのに、と空が言いたかった言葉を汲んだように、クガルは笑った。
「ええ、それはもちろんそうなのですが――何せ、現在のミディスにおいて最高位の巫女殿ですし……」
 何と説明したものかと困ったようなクガルに口添えしたのは、今まで黙っていたエシュタンドだった。
「彼女はああ見えて、我々よりずっと年上だぞ。私の母が生きていたなら、同じくらいの年頃のはずだ」
 冷静な低い声に、空は驚くというだけではすまないほどの間抜けな顔を向けてしまった。
「え、ええっ? でも、……だって、せいぜいエシュタンドより少し年上くらいにしか見えないのに」
 頭に浮かぶ綺麗な顔はどう多めに見てもそれくらいだと、空はやっとのことでそう答える。
「聖殿の巫女は、長となり、聖獣と契約を交わすと、彼らの力を少し譲り受けると共に、寿命が延びるのですよ」
 クガルの優しい説明が徐々に空の頭に浸透していく。
 ――そうか、そうなんだ……そういわれてみたら、エシュタンドのお母さんを知ってたんだし、そんなに若いはずはないんだ。
 あまりに色々なことが起こって、頭が正常に働ききれていなかったようだ。
 そう言われてみると、ようやく彼女のエシュタンドに対する態度も、空を包み込むような温かさも、納得がいくような気がした。

 考え込んでいた空の前で、エシュタンドが口を開いた。
「さあ、あまりゆっくりしている時間はないぞ」
 先ほどの会話で少しだけ和んだように思えたその場の空気が、一気に引き締まる。
 そう、もはや迎えの馬車は準備を終えている。気がつけば馬の世話や、水や食料の補給を終えた護衛兵たちも、出発を待つように並んでいた。
 空が自然と自分を見上げたことに気づいたエシュタンドが、辺りを見回して、御者たちに指で合図をした。
「とにかく、出発といこう。クガル、ソラのこと――頼んだぞ」
 クガルの肩に手を置いて、そのまま歩き出そうとするエシュタンドに、空は驚く。
「あ、あの――」
 思わず呼びかけた空に振り返ると、エシュタンドは感情の見えない瞳で空を見た。
「私は別の馬車で帰る。お前はクガルと共に来い。王宮へ着いたら……」
 言葉を区切って、エシュタンドは低く続けた。
「もう一度話をしよう。その時までに……考えておいてくれないか」
 その言葉に、クガルが少し気になったような顔をしたが、そのまま立ち去っていくエシュタンドを見送り、立ち尽くしていた空のために、馬車の扉を開けた。
「さあ、姫君」
 差し出された手をとって、馬車の中へ乗り込む。自分の動作がまるで自分のものじゃないような、そんな錯覚に空は陥っていた。
 空の沈んだ顔を少し心配そうに見つめていたクガルも、準備ができた馬車を走らせるように、御者へと合図した。
 片方だけ開かれた窓から、聖殿の前で見送ってくれているディーラの姿が見える。
 手にした包みを握りなおして、空はなんとか笑顔を向けた。
 それでも心の中では笑うなどとはほど遠い、暗く立ち込める暗雲が、段々と重く圧し掛かってくるのだった――。


 


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