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ある朝、タンスの向こうに
作:文樹妃



3.事件


 ぺらり、と何の前触れもなく捲られたTシャツ。
 あらわになった胸。
 目の前で見開かれた男の瞳。
 深い藍色の瞳に映る驚きの色。
 それらがまるでスローモーションのように見えてから、現状を把握した空は、
 ようやく大絶叫を上げて、男をひっぱたいたのだった。

「なっ、なっ、何すんのよ! このスケベ男っ!」
 あまりの動揺に涙目になりながらTシャツをおさえて、叫ぶ空に、今度は男が一瞬かたまる番だった。
「何なのっ、ここは一体どこなのよ! どうなってんの! あんたは一体誰なのよ?」
 やっとの思いで搾り出した疑問の数々に、数秒かたまっていた男がようやく我を取り戻したようだった。
「……なんなんだ、お前は。男じゃないのか? どうなってるかとは私の台詞だ」
 心から不思議に思っているようなその問いに、空の真っ赤になった頬が一層染まる。
「なんであたしが男なのよ! みっ、見たらわか……」
 わかるでしょ、と言いかけた自分の言葉でさっきの光景を思い出し、自分で自分を埋めたい、と空は思った。
 ――ああ、人生最大の不覚。一生の恥。
 こんな見知らぬ人に胸を見られるなんて。
 寝る時には下着は普通つけないものだけど、そんな自分まで腹立たしい。
 どうせなら着替えた後でタンスに落ちるんだった。
 とわけのわからない後悔をしていた空を見ていた男が、ふ、と笑った。
「そうだな。確かにじっくり見せてもらったから女には間違いない」
「なっ……!」
 ――なんだとー?
 ぬけぬけと開き直ってそういう発言?
 この変態コスプレ痴漢野郎、許せない!

 ついに食って掛かろうかと上を向いた空の耳に、鳥の鳴き声のようなものが遠くで聞こえた気がした。
 次の瞬間、男の表情が変わる。
「ザギリの化け鳥か。結界を張った王宮近くに現れるとは、思ったより事態は深刻らしいな」
 空には理解できない内容を憎々しげに口にして、男は空に向き直る。
「おい、女、離れていろ。危険だ」
 短く告げられて、何、と思う暇もなく、男の見上げた方角を見やると、信じられないものが上空を飛んでいた。
 赤い、大きな鳥かと思った。
 上空で旋回して、ピィィーと嫌な声で一鳴き。
 次の瞬間にはまっすぐ降下してきた。
 そして視界に見えたのは、人面。
 まるでニヤニヤと笑う男の顔のようなものが鳥の頭である部分に張り付いていて、
 その首から下は赤い羽毛に覆われた鳥のもの。長い尾には毒々しい棘がびっしりと生えている。
「ひっ……」
 見たこともない恐ろしい鳥の姿に思わず出かかった悲鳴は、苛立たしげに振り返った男の声で止められた。
「離れてろと言ったろう!」
 皮肉なことに、その男の怒声に反応するように化け鳥は二人の近くまで降下してくる。
 ただそのぎりぎりのところで引き返し、また降下、を何度も繰り返し、化け鳥はキィーと楽しそうな声を上げる。人面の口はつり上がって、気持ちの悪い笑顔を形作る。

「くそっ、結界が弱まってるのか」
 男は舌打ちをしつつ、空を自分の背中に隠すように立って、言った。
「女! 私から離れるなよ!」
 ――そんなこと言われなくても離れないよ!
 目の前の信じられない光景にまるで金縛りのように空の体は硬直していた。
 ――なっ、何、何が一体どうなってんの?
 この鳥は何なの? ここは一体どういう……。
 疑問に頭をめぐらす暇もなく、化け鳥の執拗な接近は続き、どんどん近づいてくるのがわかった。長い尾が、もう空たちの頭をかすめそうに見える。
 ついに風を感じるほど近くまで化け鳥が飛んできても、男は黙ったまま上を見上げ、何かに集中するように息を詰めていた。

 化け鳥は何度か繰り返したその往復をやめ、ニヤニヤした人面の表情が急に無表情になった。
 尾を何かの合図のようにくるりと巻き上げた後、化け鳥が今までのスピードが嘘のように加速して、こちらへ降下してきた。
「きゃああああ!」
 思わず男の背にすがりついて悲鳴を上げた空を男は一瞬ニヤリと振り返ってから、涼しげな一言。
「この私が化け鳥ふぜいに負けると思ってるのか?」
 絶対絶命に思っていたのはどうやら空だけであったらしい。
 冷静に何かを待っていたように、男は化け鳥に向き直ると、両手をかざした。
 その両の手から、まぶしいほどの光が放たれた。
 白い圧倒的な光と同時に巻き起こるのは激しい風。
 ぎゅっと目を閉じた空の耳に、ギャァァァと遠く断末魔の声が届く。
 そして一瞬嵐のように吹き狂った風が嘘のように静まり、おそるおそる空が目を開けた時には、化け鳥の姿はどこにもなかった。












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