27.想緑珠
アルネンスが空に差し出したものは、深緑を埋め込んだような濃い緑色の石だった。
日の光で様々な光沢を見せるその石は、掌に載せられた途端、温かいような、心地いいような、不思議な感覚をもたらした。
「それは、想緑珠、といいます。我々森の精に伝わる宝玉であり――」
アルネンスの穏やかなままの声音に聞き入りそうになりながら、一瞬胸に引っ掛かる単語を思い出した。
「ちょ、ちょっと待って! 今、明けの姫君って……」
こちらの世界へ来てから何度も聞いた言葉とどこか似ている。
それは一体どういうことなのか、と問い詰めようとする空より前に、ルーカが二つに結わえた髪を揺らして、ため息をついた。
「全く、落ち着きのない……アルネンス、本当にこの子がアメの愛し子なの?」
なんだか疑いたくなってくるわ、としかめ面で青年のそばを浮遊しだした少女に、アルネンスは苦い顔を向ける。
「ルーカ、言葉が過ぎますよ。人間であり、異世界から来たこの姫君にとっては、とても難しい話なのですから、我々の基準で理解を急がせてはいけません」
諭すように告げられて、ルーカは渋々といった表情で黙り、そばの高い木の枝まで浮かび上がり、腰掛けた。どうやら話に入らないことを承知したらしい。
「あ、あの……明けの姫君とか、アメの愛し子とか、って一体……」
聞き覚えのある言葉がたくさん出てきて、空は動揺を隠せなかった。
今まで全くわからなかったことが、突然目の前に迫ってきたのである。
ここで聞き流すわけにはいかなかった。
空のそんな表情を読んだように、アルネンスは優しく微笑んだ。
「そうですね、順にご説明いたしましょう」
アルネンスの言葉に思わず空が緊張した瞬間、鳥が羽ばたき、森の葉を揺らした。
「エスタリアに危機迫る時、我が愛し子を差し出そう。暗黒を救う夜明けの姫を送ろう。その娘現れし時、世界は喜びに震えん」
まるで詩を読むかのように優雅な口調で言ってから、アルネンスは謎かけのように笑みを浮かべる。
「それは――?」
先をうながす空の言葉にアルネンスが頷く。
「アメ神の言葉です。遥か昔、まだ精霊も神も人々も同じ大地に暮らしていた頃のこと」
「は、遥か昔……?」
想像を超える話の広がりに、なんだか眩暈がする。
なんとか聞き漏らすまいとアルネンスを見つめる空に向かって、薄緑の瞳が優しく瞬いた。
「そう、遥か昔、エス神の嘆きの時代に耐えかねたアメ神が、エスタリアの大地にそう約束をしたのです。精霊たちはそれを語り継ぎ、人々は神話を作った。
長い長い年月が過ぎ、人心は神や精霊から離れ、自分たちの文化を築き上げていくことに心を捕らわれ、地位や名声に溺れ始めた。魔のモノは繁殖し、そんな心の退廃の影で徐々に世界の侵食を始めている。そういう今、ついにアメ神の約束は果たされることとなった」
そう言って、どこか遠くを見るようだったアルネンスの憂いを帯びた瞳が、空を捉えた。
「え……」
「そう、暁の世界と我々が呼ぶ異世界からやってきた姫君、あなたです」
穏やかな表情の中で強く光る瞳、それは紛れもない真実を告げようとしている瞳だった。
「あ、あたし……?」
しばらく声も出せずにいた空がようやく言葉を返すと、アルネンスはしっかりと頷いた。
その顔にはもう笑みが戻っている。
「あなたがこの地へと降り立った時、森が震えました。静かに時を刻んでいくばかりだったこの森が、いやミディスの森全体が微かな希望と喜びの感情を伝えてきたのです。
それであなたが王宮を離れてこの地へとやってくるのを待っていました。
明けの姫君が来たら、これを渡すようにと託されていたからです」
どこか嬉しそうな表情で言い終えたアルネンスは、空がずっと握ったままだった緑の石――想緑珠を指した。
何かを言おうとしても、言葉が思い浮かばない。
――あたしが明けの姫君? アメの愛し子?
自分がこの地へやってきたのは偶然じゃないというのだろうか。
――でも、そんな……。
混乱と驚愕と、何もかもが複雑に入り混じった空の表情をじっと見ていたアルネンスは、安心させるように微笑む。
「いきなり理解しろというのも無理な話ですね。今すぐあなたに何かしろというのではありません。あまり思い悩まずに……」
「アルネンス! 甘やかすにも程があるわよ! ゆっくりしている暇なんてない。この子が暁の娘なのは確かなんだから、はっきりと自覚してもらわないと。そうじゃないと、あたしたちは……ルーラ姉様はどうなるの?」
ついに耐え切れず、といった顔で割り込んできたルーカの勢いに空は圧倒される。
幼い顔を怒りと悲しみの色に染めて、叫ぶように言われたルーカの言葉が、空の頭に浸透していく。
――あたしが、暁の娘……。
ゆっくりしている暇が、ない?
「ルーラ、姉様?」
最後の言葉だけをようやく繰り返した空に、ルーカが苛ついたように何かを言おうと口を開きかけた、その時だった。
ルーカをそっと手で制したアルネンスが、静かな声で告げる。
「ご到着のようですよ」
その言葉に反応したのはその場にいた者だけではなかった。
木々の緑を染め上げるように深く、濃い緑色の光が、空が手にする想緑珠から突如放たれたのだった。
|