26.焦燥
日が傾いていく。
領主の軍隊も、王宮の私兵を用いてまでも、消えた娘の手がかりを掴めずにいた。
あせりばかりが大きくなって、エシュタンドはため息を隠せなかった。
「殿下、どうか少しお休みください。姫君はきっとご無事です」
「そうですよ、兄上。ご心配はわかりますが、あまり気を詰められては兄上のお体にさわります」
そばで気遣ってくれる二人の言葉も、エシュタンドの内心を苛立たせる。
――無事だなどとどうして言えるのか。
ソラの行方が知れぬというのに、この私がゆっくりと休んでいられるか。
そんな言葉が喉まで出かけるが、理性がそれを抑えていた。
それと同時に、今までの自分では考えられないほどの感情の高ぶりに、エシュタンドは驚き、苛立っていた。
「ああ、わかった。悪いが、二人とも外してくれないか」
一人になりたいというよりも、これ以上二人に気遣われるのを避けたいためだった。
多くを言わずとも、短い返事で二人とも退室してくれた。
扉が閉まるのを確認して、大きく息を吐いたエシュタンドは、寝台に腰掛けた。
コルトス領主の心遣いのわかる、最上級の布の感触も、今の彼には心地よく思えなかった。
毎朝起きてから文句を言われることになろうと、寝入った娘の隣で味わう快適な眠りは、何にも代えがたい癒しとなっていたのだと、改めて感じる。
日中ずっと捜し回ったというのに、どこかに忽然と隠されてしまったかのように、空の行方はわからなかった。
人一人を誰にも目撃されずに連れ去り、どこにも立ち寄らず、このコルトス全域をふさいだにもかかわらず捕まらないというからには、やはり人の力によるものではない。
王子が直接出向くなど、というクガルやエカルドの反対も押し切って、馬を駆った自分にすら、力の痕跡さえ感じさせない、謎の存在。
――魔の力ではない。魔のモノ、ではなかった。
あれは一体何だったんだ。
空を連れ去ったことからして、目的は彼女の命ではなかったはずだと、エシュタンドは直感していた。
空を消したいのなら、その場で誰にも気づかせずそうできたぐらいの力の持ち主だ。
何か我々の目を欺いて、あの娘を連れ去りたい理由があったはずなんだ。
命は無事なはずだと、そう信じたい気持ちにまかせて、エシュタンドは唇を噛んだ。
人の姿だったが、人ではあり得ない力だった。
――私すら知り得ぬ、人外の存在によるものだという可能性は?
人外の――。
そこまで考えてから、一瞬何かがエシュタンドの頭を掠める。
――何だ?
何かが、思い当たる何かがある気がしたのに――。
意識の奥底を探ろうとするエシュタンドの思いは、深く、深く眠りに沈んでいった。
『強くなりたいんだ』
目の前にそびえる木々に向かって、彼はそう言っていた。
傷だらけの腕を伸ばして、痛みが走るのもかまわずに、叫んでいた。
『誰にも負けないくらい、強く――!』
王宮では流したことのない涙が頬をつたう。
『そして見返してやる。母上のことも僕のことも、もう二度と馬鹿になんかさせない。
皆を僕の前でひざまずかせてやるんだ!』
悲痛、とも言えるほどの怒りが込められた叫びだった。
肩を上下させ、涙を拭う。
――いけない、泣いては。泣いたら負けだ。
涙を拭い終えた藍色の瞳は、もう既に、いつもの氷のような表情を取り戻していた。
『見事な光ね』
突如、背後から響いた声に驚いて振り返る。
古い大木に、寄りかかるように女が立っていた。
長く、腰の辺りまでを覆う、薄緑色の巻き髪。同じ色の瞳を細めて、微笑んでいる。
濃い緑色の長い衣装を揺らしながら、こちらへ近づいてきた。
『な、何者!』
精一杯の威厳を込めて発した彼の言葉にも、女は笑みを崩さなかった。
『本当に綺麗な白金の光。想いの強さなのかしら』
自分の体をどこか通り越したところを見つめて、吟味するようにつぶやく女。
気味が悪くなるが、逃げるわけにはいかないと、まっすぐに視線を返す。
そんな彼を見て、気づいたように女は言った。
『ああ、そうね。泉の瞳を持ってるのね。懐かしい同胞の残したモノ。
それだけの想いと力があれば、真の王者にもなり得る』
独り言のように紡がれる女の言葉は、ほとんどが理解不能だったが、最後の単語にだけ反応できた。
『王者? 僕は王になれるのか?』
必死の思いで女の瞳を覗き込むと、女はようやく自分の世界から帰ってきたかのように視線を返した。
『なりたいの?』
『……ああ、なりたい! いや、なってみせる、必ず!』
女は少なくとも自分を子供扱いしていない。それに、瞳に侮蔑の色はなかった。
真剣に心の奥から発せられた彼の叫びを受け止めて、女は笑った。
『なら、なれるわ、きっと』
その女の答えに、珍しく笑顔を作ろうとした頬の動きが、次の一言で止まった。
『でもこのままじゃだめ。貴方の心には、足りないものがあるもの』
『た、足りないもの? それは何だ!』
あせりと共に滑り出る言葉。
女は一瞬意味ありげに微笑んでから、胸元から何かを取り出した。
それを手渡して、女は告げた。
『これを持っていなさい。そうすれば、いつか――』
目を開けると、既に部屋の中は真っ暗闇だった。
飛び起きたエシュタンドは、一目散に扉を開け、廊下に出る。
その足取りはどこか確信を持った、しっかりとしたものだった。
隣室に控えていたクガルに何事かを告げ、領主の屋敷を出る。
外に繋がれていた白い馬にまたがり、あわてて飛び出してくる兵や部下を振り切って、夜の闇の中へ駆け出して行った。
その背を月の光だけが照らしていた。
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