25.森
――頭が痛い。
深い眠りの奥でも感じていた緑の匂い。
それが今では濃く辺りに立ち込めて、空の体を重く沈めているようだった。
かすかに鳥の鳴き声が聴こえてくる。
済んだ空気は少し湿ったような温もりを帯びている。
――ここは……。
眉をしかめてうっすらと開けた瞼の間から、見える景色に目をこらす。
たくさんの木々が見えた。
頭痛に耐えながら体を起こすと、自分がたくさん敷き詰められた草の上に寝かされていたのがわかった。
辺りは一面の森で、高い木が連なり、木々の合間から降り注ぐ日差しは、地面にゆらゆらと揺れる影を作っている。
重かった体が、澄んだ空気に癒されていくように軽く感じてくる。
「あたし……?」
口にした声は、かすれて森の空気に溶け込んでいくように思えた。
「あ、起きた」
唐突に空の頭の上から明るい声が降ってきた。
目をむいて振り仰ぐと、緑の巻き髪を二つに結わえた少女が笑っていた。
頭上で、まるであぐらをかくような体勢で浮かんでいるその少女に、空は声もなく後ずさった。
ぼんやりとした頭が一気に冴える。
「なっ、なっ……」
「ああ、そっか」
空の反応に気づいたように、宙に浮かんでいた少女が、くるん、と回転して空のもとへ降りてきた。
「気分はどう? 無理に空間移動したから、負担かけちゃったかなぁ」
いたずらっぽく微笑んで、薄い唇を舐める。
妙に大人びた仕草をしておいて、その外見は小学生ぐらいの子供にしか見えない。
「あなた、一体何なの? あたしをどうしたの? ここはどこなのよ!」
圧倒されていたのが悔しくて、少女を見下ろすように立ち上がる。
精一杯強い声を出したつもりだったが、全く堪えた様子もなく、少女は困ったように肩をすくめてみせた。
「そんなに一度に聞かれても答えられないじゃない。聞くときには順序ってものがあるでしょう?」
幼子に諭すようなその口ぶりに、ますます怒りを感じた空が口を開こうとする一歩前に、涼しげな声が響いた。
「ルーカ、いけませんよ。きちんと説明してさしあげないと、姫君が混乱なさるでしょう」
突然背後から気配もなく聞こえた声に空があわてて振り向くと、背の高い青年が立っていた。
ルーカと呼ばれた少女と同じ、薄緑色の髪と瞳。
長いまっすぐな髪は背中まで流れ、濃い緑色のゆったりとした衣装をまとっている。
「アルネンス、あたしはただこの子に会話の礼儀ってものを教えてあげようと……」
口をとがらして反論するルーカの頭に手を置いて、アルネンスという名らしき青年は優しく微笑んだ。
「わかっていますよ。説明は私がしましょう。ルーカはお座りなさい」
おだやかながらも有無を言わせないような口調で、アルネンスは告げる。
あきらめたように木の根の上に腰を下ろしたルーカを見て、青年は空にも微笑を向けた。
「どうぞ、姫君もお座りください。突然連れて来たことへのお詫びと、我々の話を少し、聞いていただきたいのです」
丁寧なその態度と言葉に、空も大きく息を吐いて、先ほどの草の上へ腰掛けた。
「先ほどの姫君のご質問にお答えするところから参りましょうか。
まず、我々はミディスの森に住まう、森の一族、森の精、などと呼ばれる存在です。
といっても昔はそう呼ばれていた、とでも申しましょうか。現在では一部の人々を除いては、忘れ去られ行く一族です」
「も、森の精?」
いきなり予想外の言葉を言われて、驚きを隠せない空を見透かすように、アルネンスは微笑んだ。
「そう、少し人には使えない力を使えて、人より寿命が長いというだけですが」
――す、少しって……。
あきらかに謙遜であろう青年の言葉に、空はとりあえず頷いた。
一体何が目的なのかもわからない目の前の二人を刺激することはよくないように思えたのだ。
「その森の力を使って、あなたをちょっとお借りしてきたというわけです」
――お借りって、物じゃないんだから!
頭の中だけで突っ込む空だったが、アルネンスの静かな微笑は変わらない。
「それで……ここは一体どこなの?」
意識を失う直前に見えたエシュタンドの姿が頭に浮かんで、空の口をついた言葉。
自分がいなくなって、心配しているに違いない。
藍色の瞳を思い浮かべて、少し胸が痛んだ。
「ここはコルトスの外れに位置する森の奥。ただし、人の入れる森とは少し入り口をずらしてあります。我々の住まいを脅かされては困りますので」
「そうそう、昔はこんな風に気を遣わなくてもよかったんだけどね。人間たちがすっかり図々しくなっちゃって」
「ルーカ」
我慢しきれず口を挟む少女を、アルネンスが優しく制する。
何気ない会話の中に、彼らの不思議な力と世界を感じさせられて、空はただ、黙って聞いているのが精一杯だった。
今までに思っていたよりも更に、今いる世界の異質さを思い知らされる。
魔の力、魔のモノだなんていうのだけでも驚いていたのに、今度は森の精だなんて。
「そ、それで、その森の精があたしに何の用なの?」
沈黙ばかり続けるわけにはいかないと、なんとか声を出す。
そんな空にアルネンスは薄緑色の瞳を細めて、微笑んだ。
「あなたにどうしても渡したい物があるのですよ、明けの姫君」
涼やかな声がそう言った途端、濃い緑の匂いが風に乗って一段と強く香った。
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