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ある朝、タンスの向こうに
作:文樹妃



16.伝承


 小さな窓から差し込む薄暗い光の中で、一心に読んでいたエシュタンドが目を上げたのを見計らって、空は近づいた。
「何、なんて書いてあったの?」
 待ちきれない空を制して、エシュタンドは落ち着いた調子で読み上げ始める。
「ここに記すのは、遥か昔、王国が存在する以前から伝わる伝承である。
大陸に国の区別もなかったその頃から、ある時は歌として、ある時は詩として、ある時は御伽噺として語り継がれた物語があった」
「な、何それ?」
「神話を元とした民間の伝承のようだ。誰かがここにはさんだのか、隠したのかわからんが。私も初めて目にする内容だ」
「それで、何て?」
 あせる空に頷いて、エシュタンドが続きを読む。

「太古の昔、若く、力にあふれる雄々しき神、エス神によって豊かな大陸が生み出された。
それがエスタリア大陸と呼ばれるこの大地である。
そしてエス神の妹である美しき女神、アメ神はもう一つの世界を作られた。
その世界はアメ神の名をとって、アメーリア大陸と名づけられた。
エス神とアメ神はたいそう仲のよい兄妹で、二つの世界は均衡を保たれ、
平和に人々は暮らしていたが、ある時、エス神の過ぎた愛情は、アメ神を妹以上に欲しはじめる。倫理を説き、拒否するアメ神の抵抗を聞き入れず、無理やりに手に入れようとするエス神に、天の神がお怒りになり、アメ神をアメーリア大陸ごと、夜の世界に隠されてしまった。それからは、エス神は悲しみに明け暮れ、大陸の人々のことも忘れ、泣き暮らしたために、世界が荒れてしまった。
そのことを悲しんだアメ神が、夜明け前の夢の世界だけで兄に自分の夢を見せてやったという。
それからは、アメ神の世界は暁の世界と呼ばれるようになった。
永久に結ばれることのない兄の愛情を哀れに思ったアメ神は、エスタリアに危機迫る時、自らの世界から一人の娘を真なる王者のもとへ届けようと約束した。
その娘には不思議な力が宿り、エスタリアを助けることとなるであろうと」

 低く、静かな声で全てを読み終えて、エシュタンドがその紙の束ごと本を胸に抱えた。
 付け加えるように言い添える。
「王国の設立以来、いつの間にか暁の娘の伝説だけが語り継がれたようだな。
エスタリアを作ったエス神の神話は知っているが、アメ神という女神の話は習いもしなかった。エス神の不名誉になるから隠されたのかもしらん」
「悲しい話……」
 ただの神話だとは思っても、実らない兄の愛情が切なくて、空はため息を抑えられなかった。
 ――夢でしか会えないなんて、悲しすぎるよ……。
 そんな空の感傷には興味がないとばかりに、エシュタンドは続けた。
「ともかくこれは父上にも報告してみよう。それから、これが事実ならば」
 そう言って振り向いて、空の顎に手をかける。
 「な、なに……」
 あせる空の瞳を覗き込んで、エシュタンドはいつもの笑みを浮かべた。
「お前には不思議な力が宿っていることになる。言葉を通じ合わせているのも、その力によるといえば、説明がつくな」
 近くで鮮やかに微笑まれて、空は思わずエシュタンドの手から逃げるように、顔をそむけた。
「やめてよ、あたしにはそんな力ないよ。あたしは暁の娘なんかじゃ……」
「じゃあ、どう説明する。なぜ言葉が通じるのか、なぜお前が」
 そこまで言って力強い手が空の顔をもう一度正面に戻した。
 間近にせまった深い色の瞳に捕らわれる。
「この世界へやってきたのか」

 その強い力よりも、強い眼差しに、言葉が出ない。
 そんな空を深く射止めるように見つめながら、エシュタンドは笑った。
「ただの偶然で片付けられるか? お前は確かに異世界から、このエスタリアへとただ一人でやってきた。そして私と出逢った。他のどこでも、誰でもない。
このミディス王国の王宮の、この私の元へとたどりついた。
それこそがお前が暁の娘であり、私が真なる王者であることの説明ではないのか」
 あふれる自信に裏づけされたその言葉は、まさに王者であること、いや、王者になるのだというエシュタンドの強い意志をそのまま伝えていた。
 そしてその魅力的な微笑みは、まるでその場に釘付けにするように、空を動けなくする。
 逃げなければ、そう抗う心とは裏腹に、引き寄せられるような不思議な感覚。
「帰るなどと言うな。このまま、私のそばにいろ」
 少しの沈黙の後、エシュタンドに告げられて、空の胸が鳴った。
「お前をもっと知りたい、放したくないんだ」
 抱きしめられて、わずかな抵抗も強い腕に封じ込められて立ち尽くす。
「……ソラ」
 熱っぽく、耳元で囁かれた声に眩暈がした。

 ――怖い。
 そう思った。
 ――早く、早く帰る方法を探さなきゃ。
 この人に捕らわれてしまう前に。
 この瞳に魅せられてしまう前に――
 心の奥で鳴り響く警鐘に後を押され、空が必死の思いで腕から抜け出ようとした、その瞬間だった。
「殿下、殿下−−!」
 外の廊下から必死に呼ぶ声が聞こえてきた。
 顔色を変えたエシュタンドが扉を開けると、そこには青い炎があった。
 床を、天井を、這うように広がっていく炎は、大きなうねりとなって、まるで生き物のように迫ってくるのだった。














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