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ある朝、タンスの向こうに
作:文樹妃



15.原書


 朝食を部屋で済ませた後、出かけていたエシュタンドが戻るなり、勝ち誇ったように報告してくれた。
 昨日のエシュタンドの言葉で、王の結論は、とりあえず保留というものだったらしい。
 空が暁の娘であるのか確かめようがまだない現在、早急に結論も出せず、求愛の儀を行った二人を認めるか否かもそれによって左右される。
 ゆえに何らかの手立てを考えるまで、空の王宮への滞在は許され、エシュタンドの婚約者としての立場も維持される、ということだそうだ。

 空としては別に婚約者のくだりはどうでもよかったが、王宮を今追い出されても他に行くあてもないのだから、この扱いは感謝するべきものなのかもしれなかった。
 結局しばらくの滞在が許されている間に、急いで帰る方法を探さなくては、というのが空の結論だった。
 そして今空がいるところは――。

 古めかしい、おびただしい数の本が並ぶ、薄暗い部屋。
 かびくさいような、埃っぽい空気に思わず咳き込む空の向かいには、ふてくされたような表情のエシュタンドがいる。
「別についてきてなんて頼んでないけど?」
 少し意地悪くそう言ってみた空に、もっと意地悪い答えが返ってきた。
「お前一人で本が読めるのか? しかもこの部屋は王族以外立ち入り禁止だ。
そこをわざわざ私が特別に許可させたんだぞ」
「はいはい。そうでした」
 空がふざけて舌を出すと、エシュタンドの眉間の皺が増えた。
「それが王子に対する態度か」
 なんだかエシュタンドがすねた子供のようで、思わず笑みがこぼれる。
「ごめんなさい。だって、嬉しくて……」
 素直に謝ってみたら、エシュタンドは照れたようにそっぽを向いた。
 朝の会話を思い出してのことらしい。

 自分で帰り方を探してみる、そう決意を口にした空をしばらく無言で見つめていたエシュタンドが意外な言葉を返したのだった。
『……わかった。探すだけは探してやろう』
 仕方ない、と嫌そうに言った後、早口で付け加えるのも忘れなかったが。
『ただし、探すだけだ。お前を帰す気はないからな』
 嫌だ、断る、と冷たくつっぱねた最初の態度がどうしてここまで軟化したのか、不思議に思ったものの、なぜかすごく嬉しかった。
 いつも余裕でからかってくるエシュタンドが、こうやって照れたりすることもあるのだと、急に身近に感じられたからだ。
「これだ、古き伝承の原書は」
 並んだ背表紙の複雑な文字を指でたどって、エシュタンドが棚から抜き出したのは、青い表紙の本だった。
「ミディス伝記−伝承録、そう書かれている。ミディス王国設立以来の伝承の類がまとめて記録されたものだ。中に、予言の章というものがある。
暁の娘についてはそこに書いてある。私も原書のほうは昔一度見せてもらったきりだ」
 見たこともない不思議な文字が書き連ねられているのを覗き込みながら、空の頭に今更ながら疑問が浮かぶ。

「ねえ、こうして書いてある文字はわからないのに、どうして話してる言葉はわかるんだろう?」
 言ってから、その奇妙さを改めて不思議に思った。
 こちらに来てから、言葉がわかることに最初違和感があったものの、次から次にいろんなことが起きて、その疑問も忘れてしまっていた。
「そうか、異世界から来たのだから、話す言葉も違うのか」
 空に言われてから気づいたように、エシュタンドは顔を上げた。
「まさかここの人たちが日本語で話してるわけもないし、かといって、あたしがここの言葉を話してるってのも変だよね。……そうだ、
このエスタリア大陸では同じ言葉が使われてるの? それともこのミディスの言葉があるの?」
「各王国独特の言い回しや単語などの多少の違いはあるが、言葉は一つのものだ。
お前の世界ではそれぞれに違う言葉を使うのか? それならばなんと不便なことだ」
 驚いたように返してくるエシュタンドの瞳は、それでも興味深そうな光を浮かべていた。
 このままでは段々話が脱線しそうだと、空があわてて話を元に戻す。
「こうして文字も違うんだから、もちろん話す言葉もお互い理解できるはずないのにね」
 空がつぶやいても、エシュタンドは、無言のまま本に目を落としていた。
 答えが返ってこないことに少し不満を感じながら、エシュタンドの作業を見守る。
 長く、白い指先がゆっくりとページをめくっていた。
 そうして表情もなくたたずんでいる姿だけ見ると、エシュタンドは本当に綺麗な青年だった。
 金の短髪は淡く光を放ち、白い肌は滑らかで、まつげをふせた藍色の瞳は、深い海のような不思議な色彩が美しく、整った美貌に長身の立ち姿。
 ――王子様、か……。
 いつのまにか目を奪われながら、考える。
 一緒にいるのに慣れてはきたものの、本当ならば出会うはずもなかった相手なのだ。
 仮にも一国の王子である彼とこんな風に一緒にいていいのだろうか。
 身分の差どころか、住む世界が文字通り違うのだから。
 そう思った途端、なぜか暗くなりかけて、空はあわてて頭を振る。
 ――何暗くなってんのよ、あたしは! 元の世界に帰る方法を探してる最中だっていうのに。
 自分で自分を落ち着けている空に、エシュタンドが一息ついて言った。
「一応目を通したが、特に変わった記述はなかったな」
「え、うそっ! 何か手がかりになるようなことは載ってないの?」
「部屋にある抜粋本と同じ内容しか載っていない」
「そんなぁ、何かあるはず…っ」

 いきなり期待を裏切られて、思わず本を覗き込もうとした空の体は、本棚へ戻そうと後ろへ下がったエシュタンドのほうへ、バランスを崩した 。
 あわてた空の手が何かをつかむのと、受け止めきれないエシュタンドごと二人で倒れるのとが同時だった。
 舞い上がった埃の中で咳き込みながら、エシュタンドが身を起こし、驚いたように息を呑む。そしてその手には原書。視線の先の空の手には、数枚の紙の束。
「あーっ!」
 血相を変えた空の持つ紙の束を目にして、エシュタンドは眉を寄せ、空の手から奪う。
「ご、ごめんなさい……あの、エシュタンド?」
 破ってしまったと身を縮める空に、エシュタンドが素早く一言。
「いや、破れてはいない。表紙の裏に隠されていたようだ」
 そう言ってから紙の文字に目を走らせるエシュタンドの表情は、ゆっくりと鋭さを増していった。

















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