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ある朝、タンスの向こうに
作:文樹妃



14.夜明け


 暗い、暗い中を走っていた。
 必死に繰り出す足は、どんどん鉛のように重たくなって、前に進めなくなっていく。
 それでも息を切らして、まるで自分の体じゃないような鈍い感触を振り払うように、手足を動かそうと力を入れて、あまりの重さに息苦しくなっていく。
『……待って』
 声にならない声をあげて、前を行く背中を引きとめようとする。
 バスケ部のみんな、お母さん、お父さん、親友。
 さっきまでそうだったはずが、振り向いた顔は薄暗い闇のようで、誰かもわからなくなっていく。
『待って、お願い……置いてかないで!』
 叫んだ自分の声は、くぐもって、ただ頭の中に響いた。
 懸命に伸ばした手を、暖かい感触が包んだ。
 途端に、暗い世界から遠ざかっていくのがわかった。

「ソラ」
 近くで響いたのは、低く、深みのある優しい声。
 冷えた空の手を、誰かの暖かい手が握っている。
 目を開けると、まず薄闇の中で、自分がどこにいるのか一瞬思い出せないでいた時、もう一度名前を呼ばれた。

「ソラ」
 先ほどより少し大きくなったその声が、心配しているように聞こえて頭をめぐらせると、目の前で自分を見つめる双眸と目が合った。
「悪い夢でも見たのか」
 そう聞かれるや否や、一気に覚醒していく意識は、自分がエシュタンドの部屋の広いベッドに寝ているということを呑み込ませて、
それと同時に自分が頭を乗せていたのが彼の腕だとはっきりとわからせてくれた。
 目と鼻の先には、エシュタンドの整った顔が空を見つめ返している。
 その状況で叫ばずにはいられないと大きく開けた口は、あわてたエシュタンドの手に止められた。
「皆に怪しまれる。寝所に人を呼びたいのか」
だって、と返したつもりの言葉はエシュタンドの掌の下でくぐもって正確な音にはならなかった。
「あれから泣き疲れて眠ったお前の隣で寝ただけだ。心配しなくても何もしていない」
 その言葉で自分を見て、昨日着替えたワンピースみたいな部屋着のままであるのがわかった。
 それで少し落ち着いた空を見て、掌を離したエシュタンドがたちまち皮肉げな笑みを浮かべる。

「ご期待とあれば今からでも何かしてやってもいいがな」
 腕枕の状態から引き寄せられ、あっという間に腕の中におさめられて、あわてた空は素早くその腕から抜け出すと、ベッドから起き上がって、急いで言葉を返した。
「け、結構です!」
「一応言っておいてやるが、お前が来た最初の夜も一緒に寝たんだぞ」
「な、う、嘘っ!」
 真っ赤になる空のほうをにやにやと見て、エシュタンドはゆっくりと身を起こした。
「嘘ではない。内密にお前を王宮へ連れてきたから、他の部屋を用意させるわけにいかなかったからな」
「なんで言ってくれなかったのよ!」

 言われても嫌だったとは思うが、知ってしまった今はもっと困る。
 今更ながら、寝乱れた金の髪とか、けだるげな表情とか、少しはだけた夜着からのぞく素肌とかが目に付いて、変にドキドキしてしまう自分がもっと嫌だった。
 あわてて背を向けてベッドから離れて、脈打つ心臓を抑えようとする空に後ろから笑い声が追いかけてきた。
「私の胸に擦り寄って気持ちよさそうに寝ておきながら、今さら照れてるのか」
「や、やめてよ、もうっ!」
 知らずにそんな醜態をさらしていたなんて、と耐えられずに耳をふさぐと、空は窓辺に逃げ込んだ。
 そして薄闇が広がっていた部屋の中に、少しずつ夜明けの光が差し込んでくるのを見た。

「うわぁ……」
 先ほどまでのやりとりも忘れて、無意識に感嘆の声が出る。
 黄白色の優しい太陽が雲の隙間から顔を出し、ゆっくりと世界を照らしていく。
 静まり返った大地と空気を朝の色に染め替えていく。
 薄闇が段々と冴えて、王宮の白い色を一層輝かせて見せていた。
 緑の庭とのコントラストが美しくて、鮮やかだった。

「白は、朝の色だ。闇ばかりだった夜から、全てを明るく染め上げる。澄んだけがれのない世界を表す。
だから王宮、ひいては王族の血を象徴し、王族のみが白をまとうことを許されている。それは、同時に責任と義務とを示す色だ。この王国を導いていく者としての」
 いつのまにか後ろに立っていたエシュタンドが、先ほどの態度が嘘のように真剣な眼差しで朝日を見ていた。
 その言葉を受けて、再び朝日に視線を戻して、空は不思議な気持ちになっていた。
 
 ――こんなに違う世界でも、同じように日は昇って、沈むんだ。
 似たような物を食べて、色々な違いはあっても、人々の暮らしがあって、真剣に生きている。
 この太陽はあっちの世界とつながっているんだろうか。
 それとも別の太陽なんだろうか。
 それでも、同じものだと思いたい。
 だって、こんなに綺麗だから。
 同じように心を打つから――
 複雑な思いで空が朝日を見つめている間に、すっかりと部屋の空気は朝のものに変わっていた。

「エシュタンド……」
 思わず呼んでから、後ろを向く。
 藍色の綺麗な瞳が空を見返した。
「あたし、決めた」
 瞳だけで答えを促した相手に、決意をもって告げる。
「見つけてみる……自分で」
 いぶかしげな視線に、微笑んだ。
「元の世界に帰る方法、自分で探してみる!」
「……ソラ?」

 ――泣いてたってしょうがない。落ち込んでも答えは出ない。
 でもあきらめるわけにはいかない。
 だったら、自分で動くしかないよね。
 こっちに来てから、流されてばかりで、戸惑ってばかりで、
 エシュタンドを頼りにしてばかりで、何もせずにいた自分。
 そんな自分を夜の闇に置いて、朝のこの世界に進んでみよう、そう思えた。

「あなたが協力してくれないなら、自分ひとりでやってみる。
どうしたらいいかはわかんないけど……それでも決めたの!」
 言い終えてから、自分でも吹っ切れた気がした。
 見上げると、エシュタンドがまぶしそうに空の笑顔を見つめていた。
















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