第16章 小さな冒険
暗闇の中、誰かが遠くで私の名前を呼んでいる。それに身体がゆらゆら揺れている。
一体、何なのだろう。まだ眠っていたいのに。
「ミユっ!」
突然の大声にはっとし、一気に目を開けた。視界いっぱいにラウドの顔が広がる。
朝一番でこんな状況に置かれるなんて。物凄い目覚ましだ。
「そんな所で寝てたら風邪引くよ?!」
私の気持ちを知る筈もなく、彼は目を少しだけ吊り上げて私を見詰め続ける。
何故、怒っているのだろう。それに、そんな所とは何処なのだろう。
起き上がろうと思い、両手を突いてみる。いつもと感覚が違う。手に触れた物は固く、冷たい。
周りを確認して、何故、彼が怒っているのかようやく理解出来た。窓のすぐ傍で、身体に何も掛けずに床の上で眠っていたのだ。
昨日の夜、星空を眺めているうちに眠ってしまったらしい。身体を動かす度に、あちこちが悲鳴を上げる。
「身体、痛い」
「当たり前だよ! ……大丈夫?」
そっと手が差し延べられる。ほんの少し戸惑ったけれど、素直にその手を掴んだ。彼はそんな私の肩を抱いて立ち上がらせてくれた。
温かな視線を感じ、そちらを見上げてみる。そこには、いつもと同じラウドの笑顔があった。
昨日も一昨日もあんな事があったのに、こんなに優しく笑えるなんて。
感情が複雑に混ざり合い、まともに顔を見る事が出来なかった。
「ごめんね。私のせいで……」
ラウドを落ち込ませてしまったのは私だ。呪いさえ無ければ良かったのだから。
水の塔でどんな事を言われたのか、気にはなった。それでも、とてもじゃないけれど聞く気にはなれなかった。悲しむ顔なんて見たくないから。
「ううん、ミユのせいじゃないよ。……あっ。その、指輪……」
彼の視線の先には、私の胸元で輝くカノンの結婚指輪がある。
これをくれた本人に見つかると、何だか恥ずかしい。
「えへへ……」
下手に誤魔化すよりは良いだろう。と笑ってみたものの、変な笑い方になってしまった。
きっと、ラウドにも笑われてしまう。そう思ったのだけれど、全く予想もしない反応をされてしまうのだ。
段々と顔を歪ませ、瞳には涙が溜まっていく。
急に身体が近付いたと思ったら、彼の体温が私を包み込んだ。
「ひゃっ! 急に……どうしたの?」
悲鳴を上げてしまう程の腕の力だ。少し苦しいくらいである。
「今だけ……このままでいさせて……」
この格好では顔は見えないけれど、震えている声だけで感情が伝わってくる。
そんな風に言われては抵抗する事なんて出来ない。
ただされるがまま、お互いに話す事も無くて静かな時間が流れる。
しかし、それもいつまでもは続かない。
「……ごめん。じゃ、行こっか」
ゆっくりと腕の力が緩み、それと共に穏やかな彼の顔が目に映った。
「うん……」
いつもならラウドの方から手を握ってくれる。それでも、今だけは私から手を握らなくては。何故か、そう思った。
彼の左手を両手でギュッと包む。
一瞬、彼は驚いた顔をしたけれど、すぐに優しく微笑んでくれた。
会議室までの長い廊下を歩く。私の横には、いつもと同じ穏やかな表情のラウドが居る。そんな彼に一つだけ、いつもと違う所があったのだ。
朝から気になってはいたけれど、あの状況では聞くに聞けなかった。
今なら。と意を決して話し掛けてみる。
「ねえ。頬、どうしたの?」
彼の頬はほんのりと赤くなり、腫れていたのだ。それも片方だけではなく、両頬とも。おたふく風邪にでもかかったかのようだ。
「やっぱり……分かる?」
嫌そうに頬を擦る彼に大きく頷いた。こんな風になっていれば、気付かない方がおかしい。
彼は目を細めて遠くの方を見詰める。そして、小さく口を開く。
「……昨日、アレクに殴られた」
「えっ?!」
アレクも昨日、ラウドを黙らせたとは言っていたけれど、まさか殴っていたなんて。一体、二人で何を話していたのだろう。
「ずっと水で冷やしてたのに。相当だよね……」
彼は虚ろに溜め息を吐く。痛いとは一言も言っていないけれど、黙って見てなんていられない。
「痛そう……」
赤くなっている頬にそっと手を伸ばした。触れた瞬間、彼は私の方を向いてにっこりと微笑む。
「大丈夫だよ」
そう言って、逆に私の頭を撫でてくれる。そんな事をするから、いつものように頬が熱を持ってしまった。
会議室の扉まで辿り着くと、数歩手前でラウドの足が止まった。片手で頭を抱えて溜め息を吐いている。
「ミユ、開けて?」
言いながら振り返り、扉を指差す。
「うん。良いけど……」
何か開けたくない理由でもあるのだろうか。そう思い、首を傾げてみた。
彼は今まで扉を差していた指を自分の頬に向ける。
「これじゃ、アレクにバカにされる……」
何だか子供がするような仕草だ。男の人には失礼だけれど、見ていて可愛らしい。
ついつい見惚れてしまったけれど、何とか頭を切り換える。
いくらアレクでも、自分で殴っておいて馬鹿にはしないと思うのだけれど。と単純に考え、いつも通り扉を開けた。
でも、やはりアレクだ。そんな予想は見事に裏切られた。
「何だ? オマエのその顔。タコみたいだぞ?」
これがアレクの第一声だった。しかも、私の後ろに隠れているラウドに向かって指を差している。とは言っても、私よりもラウドの方がかなり背は高いから、頭は飛び出しているのだけれど。
また、喧嘩になるのではないだろうか。そんな思いが頭を過ぎる。
それは、すぐに現実になってしまう。
「普通、そういう事言う?! アレクのせいじゃん!」
「何ー!? オマエが変な事言うからだろっ!」
「変な事なんか言ってないし! 真面目な事言っただけだよ!」
「オマエなぁ……! また殴られたいか?!」
二人とも、今にも飛び掛かっていきそうな勢いだ。
これ以上、殴らせる訳にはいかない。何とかしなくては。
私の後ろで両手を握り締めて拳を作っているラウドに必死でしがみついた。
「もう止めてよ〜!」
これで喧嘩が収まるのかは疑問だったけれど、ラウドの動きはピタッと止まった。
同じようにアレクの方でも怒鳴り声が上がる。
「アレクもバカね! こんな事してたら一日潰れちゃうわ!」
何とかフレアが止めたらしい。アレクが小さく謝る声が聞こえてきた。
でも、いつまた喧嘩が始まるか分からない。これから大体、丸一日だけで情報を集めて来なくてはいけないのに。
そんな事を考えているうちに良い事を閃いた。
「私、もう帰るよ? 自分の事だし、ちゃんと情報集めて来なくちゃ」
そう。誰かが帰ってしまえば良いのだ。そうすれば、きっと自然に解散する筈だ。
魔法を使おうと目を閉じた時、アレクが焦ったように口を開く。
「おい、待て! 明日の夕方までには戻って来いよ! 時間決めねーと、コイツ、うるさいからなー!」
最後は意地悪そうにラウドへと笑みを浮かべた。
負けじと彼もすぐに口を開く。
「俺は悪くないよ! 皆が遅いだけじゃん! アレク、遅刻しないでよ?! ミユも、今度は怒るからね?」
もしかして、二回目に此処に集まった時の事をまだ気にしているのだろうか。
忘れてくれても良いのに。と思いながら、彼に向かって頷いた。
一方、アレクは明らかに不服そうな表情へと変わっていく。
「オレは遅刻してねーよ!」
「……いっつも遅刻してるじゃん」
「何ー!?」
何故、こんなに喧嘩が出来るのだろう。収まるのを待っていては、本当に帰れない。
「もう、帰るからね?! じゃ、明日ね〜!」
これだけ喧嘩が続くとイライラしてきてしまう。
今度こそ。と目を閉じる。
誰にも止められないうちに、何とか魔法を使い切る事が出来た。
瞼を開ければ、見慣れた景色がそこにはあった。しかし此処はエメラルドの自分の部屋で、ダイヤではない。
場所を確認するように自然と足が窓の方へといく。
レースカーテンを一気に開けると、眼下には沢山の赤い屋根が広がった。この風景は久し振りだ。
それにしても、全く人の気配がしない。アリアは何処へ行ったのだろう。
居ないのであれば今のうちだ。決めるべきものを決めておかなくては。
窓の傍に置いてあった椅子に腰掛け、頬杖をついた。
「カノン、今は話し掛けてこないでね? 考え事したいから」
“は〜い”
呪いの事を何と切り出せば良いのだろう。口にしてしまえば、また涙が溢れてきそうだ。
情報収集の事だってそうだ。アリアに任せっ放しにしてしまうのだけは絶対に嫌だ。かと言って、自分で探す事を許してくれるだろうか。
出口の無い迷路のように、答えは出てきてはくれない。それでも、生き抜くと決めたのだから絶対に見つけ出さなくては。
「ふぅ……」と溜め息を吐き、一度思考を止めた。カノンのリングをギュッと握り締める。
このリングを付けた時に覚悟は決めた筈だ。それならやるしかない。
そう決心した時、ドアが開く音が聞こえてきた。
「ミユ様! お帰りなさいませ!」
「アリア〜っ! ただいま〜!」
私の使い魔がドアの前に佇んでいる。久し振りのアリアの笑顔を見ると、それまで悩んでいた事なんて忘れてしまった。
椅子から立ち上がり、アリアに飛び付く。そんな私をアリアも抱き返してくれる。
「久し振りだね〜!」
身体を離しながら、そう言ってみる。でも、アリアは不思議そうな顔をするばかりだ。
「そうですか? そんな事も無いと思いますけど……」
これでは折角の再会も台無しだ。溜め息を吐いてみたけれど、きっとアリアは分かっていないのだろう。
でも、嬉しい事には変わりは無い。すぐにアリアに笑顔を向けた。
それも束の間、アリアの一言で現実に引き戻される事になる。
「ミユ様。カノン様の記憶だけではなく、呪いまでも引き継いでしまったのですね」
「あっ……」
アリアは悲しそうに私の胸の痣を見詰める。それに対して、何も答える事が出来なかった。
痣を見られるのが嫌で、左手で胸を押さえ付ける。こんな事をしても逃れられる筈が無いのに。
目を背けて顔をしかめる私に、何故かアリアは優しく微笑みかけた。
「今日お戻りになられたのも、それを解く方法を探すため、ですよね? 大丈夫です。私が見つけ出しますから」
アリアは得意気に胸を張る。
私が見つけ出す。という事は、やはり私には探させてはくれないのだろう。
そんなのは嫌だ。じっとなんてしていられない。
「私にも探させて! 街に行くっ!」
「いけません! あまり出掛けてはいけない事はご存知ですよね?」
拳を握り締めて必死に訴えてみたけれど、アリアに即答されてしまった。当たり前ですよ。とでも言いたそうな表情までしている。
でも、これで諦める訳にはいかない。
「自分の事くらい、自分でやらせてよ!」
「駄目です! お気持ちは分かりますけれど……。情報収集なら、私がちゃんとやりますから」
アリアも全く引く気は無いらしい。真っ直ぐに私の目を見詰めてくる。恐らく、私が納得するまで話をするつもりだろう。
勿論、私だってアリアを睨み付けている。それでも駄目らしい。
こうなっては仕方が無い。最後の手段に賭けてみよう。
「……分かった。アリアに任せる。でも、何か分かったら絶対教えてね?」
諦めたと見せかけるために、何とか笑顔を作ってみせる。もしかしたら、少しだけ引きつっているかもしれない。
それでもそんな私に、アリアは大きく頷いた。
「勿論ですよ! それでは、早速行って参りますね」
どうやら騙し通せたらしい。アリアは私に向かい、にっこりと微笑む。そのまま疑う事も無く、スタスタと部屋から出て行ってしまった。
ごめんね。
アリアの後ろ姿に向かって、心の中で謝った。
窓から街を見下ろせば、この国の人たちがどのような格好をしているかくらいすぐに分かる。誰もが皆、アリアが着ているような服を身に着けている。
ただ、服は魔法で出せたとしても、魔導石はどうする事も出来ない。
何か隠せる物はないだろうか。と周りを見回してみたけれど、何も見当たらなかった。
やはり自分ではどうする事も出来ないのだろうか。そう諦めかけて俯いた時、自分の足が目に入った。
怪我をした時にラウドに巻いて貰った包帯、これなら魔導石も隠せる。
こんな事に使ったと知られたら、きっと怒られてしまうだろう。でも、知られなければ良いのだ。
半ば開き直ってスルスルと包帯を外すと、鏡を見ながら額に巻き付けた。何だか、頭に大怪我を負っているみたいだ。
取り敢えず、魔導石は目立っていないのだから仕方無いだろう。
こんな事をすれば、アリアに怒られてしまうであろう事くらい分かっている。きっと、すぐに気付かれてしまうだろう。だとしても、こうせずにはいられなかった。
自分の力で絶対に見つけ出す。
自分の気持ちを確かめるようにリングを握り締める。決意が揺らぐ前に、そっと瞼を閉じた。
カノンの記憶を使ってワープした先は、どうやら城壁の近くの森の中らしい。街の中にワープして街の人を驚かせる訳にはいかなかったから、こうするしか無かったのだ。
ただ、一つだけ問題があった。城門をくぐらなくてはいけないのだ。もし身分のチェックをされてしまえば、お城に逆戻りさせられてしまう。
ビクビクと怯えながら城門に近付いていく。そこには衛兵が二人佇んでいた。
私を見つけると、衛兵たちはにっこりと微笑む。門をくぐりぬける時に会釈もされたけれど、幸いにも呼び止められる事は無かった。
こんなに不用心で良いのだろうか。一国の王も此処に住んでいるというのに。きっと平和な世界なのだろう。
と、私には時間が無いのだから、いつまでもこんなに呑気にはしていられない。
しかし、またしてもやる気を削がれてしまう。
街自体がとても可愛らしいのだ。
お城の中からは見えなかったけれど、家々の壁が、白、淡い黄色、薄いピンク色──とパステルカラーに塗られている。しかも、お店には木彫りの看板まで掲げられているのだ。外国にでもきてしまったかのようだ。とは言っても、元々日本でもないのだけれど。
すっかり観光気分に浸ってしまった。
“実結っ! 情報収集は、お店に入るのが一番だよ!”
「……えっ? お店?」
カノンの一言が無ければ、きっと情報収集の事は忘れてしまっていただろう。
本来の目的をようやく思い出した私は、適度に人で混雑している道を進んでいった。
お店と言われても、一体、どのお店に入れば良いのだろう。そんな事を考えながら、キョロキョロと前も見ずに歩いていく。
すると。
「きゃっ!」
急に襲ってきた衝撃に耐え切れず、尻餅をついてしまった。どうやら何かにぶつかってしまったらしい。
その何かを確かめるために顔を上げてみる。
私たちの中で一番背の高いアレクよりも、更に背の高い男の人が心配そうに私を見下ろしていた。
「……大丈夫?」
低くて太い、思わず聞き惚れてしまう程の美声だ。
それに、色白で整った顔立ちだ。吊り目で鼻筋も通っている。それなのに、襟足だけ長い髪と瞳は夜の闇のように黒い。
ラウドやアレクとは全く違うタイプの人だ。
「君、大丈夫?」
二度目の声で、はっと我に返った。思わず見惚れてしまっていて、返事をする事も忘れていたのだ。
「あっ。大丈夫です! ホントにごめんなさいっ!」
条件反射で熱くなる頬を気にしながら、慌てて立ち上がった。スカートに付いてしまった埃を払う。
そういえば、頭の包帯はずれてしまっていないだろうか。転んだ時、頭もぶつかった筈だ。
確認のために、頭に手を当ててみた。包帯は何とか無事なようだ。
魔導師だと気付かれてしまう前に、この人から離れよう。
「じゃ、私はこれで……」
ずっと視線を感じながらも、ペコリと頭を下げて足早にその場から去った。
距離は開いていく筈なのに、何故かその視線がいつまでも離れない。不思議に思って後ろを振り返ってみると、やはり、先程の男の人が無表情でこちらを見詰めていた。
「あの……何ですか? ぶつかった事なら謝りますけど……」
声を掛けると、その人はまた私の正面に回り込む。そして、衝撃的な一言を言い放ったのだ。
「君、普通の人じゃないよね?」
「……えっ?!」
もしかして、魔導師であるという事を気付かれてしまったのだろうか。
しかし魔導石を見られてもいなければ、魔法を使ってもいない。いつバレてしまったのだろう。
困惑する私を気にも留めず、男の人はまた口を開く。
「取り敢えず、家でゆっくり話さない?」
「へっ?!」
なんと、私が叫ぶのと同時に私の右腕を掴んで引っ張り始めたのだ。
こんな事、日本では立派な誘拐だ。なんて呑気に考えている場合ではない。
叫びたくても、助けを呼びたくても声が出てくれない。
私の気持ちも知らずに、右腕を掴んでいるその人は鼻歌を歌いながら道をひたすら歩き続けた。
「どうぞ」
男の人が手を翳す先には、木製のシンプルな椅子とテーブルが並んでいる。今更断る訳にもいかず、黙ってそれに従った。
結局腕を引っ張られたまま、家の中まで連れて来られてしまったのだ。これで情報収集なんて出来るのだろうか。それどころか、無事にお城に帰れるのかすら危うい。
手や背中にはじんわりと嫌な汗を掻いてしまった。
私の気持ちも知らず、この家の主は台所に立っている。お茶でも入れているようだ。そんな物を飲んでいられる状況ではないのに。
そして、
「お待たせ。これ、君の分」
目の前に差し出されたカップには思った通り、お茶がなみなみと注がれている。
「ありがとうございます」
一応お礼を言ってみたものの、本当に大丈夫なのだろうか。毒なんて入っていなければ良いけれど。
まじまじとお茶を見詰める私に、その人は笑いかけてくる。
「大丈夫。毒なんて入ってないからさ」
この人は他人の心を読めるのだろうか。そんな事を言われては飲まない訳にもいかない。
恐る恐るカップに口を付けてみる。すると、口の中いっぱいにハーブの香りが広がった。自然と笑みが漏れる。
その様子に満足したように、男の人も嬉しそうににっこりと微笑んだ。
「あっ。名前、まだ言ってなかったね。僕はルイス。君は?」
愛嬌いっぱいに男の人──ルイスが尋ねてきた。
よく分からないけれど、簡単に本名を名乗ってしまって良いのだろうか。魔導師の名前が一般の人に広まっているという事も考えられる。もしかすると、この人にはもう隠す必要も無いのかもしれないのだけれど。
「私は……カノンです」
咄嗟に、思い付いた名前を口にしていた。
カノンには後で謝っておこう。
「ふーん。カノンか……」
一瞬、ルイスの目が鋭くなったような気がしたけれど、瞬きをしている間に、さっきと同じ笑顔に戻っていた。
ただの気のせいだろうか。
それよりも、私の正体がバレていないか確認しなくては。場合によっては大変な事になってしまう。
「何で、私が普通の人じゃないって思ったんですか?」
動揺している事が分からないように、出来るだけ冷静な振りをして聞いてみた。
そんな私に、ルイスはわざとらしく人差し指と親指を顎に当ててみせる。
「……勘!」
一瞬、思考が止まった。
普通、勘だけで家まで連れて来るだろうか。とんでもない人だ。
それなのに、ルイスは唖然とする私を気にも留めていないらしい。
「今、呆れてたでしょ? 僕の勘、当たるんだから」
驚き過ぎて、苦笑いをする事しか出来なかった。
実際、ルイスの勘は当たっている。それにしても凄い自信だ。得意気に胸まで張っている。
そして、更に口を開く。
「で、何か困ってるでしょ?」
「えっ?! 分かるんですか?!」
思わず身を乗り出してしまった。それでもルイスの表情は変わらない。
「勘! でも、当たったでしょ?」
不覚にも大きく頷いてしまった。
たとえ勘であったとしても、此処までくるとある種の才能だ。
私がルイスを見詰め続ける一方、その人はというと、腕を組んで真剣な眼差しを返してくる。
「で、何に困ってるの?」
優しい表情をしているけれど、言え。と目が訴えかけてくる。
本当に、この人に言ってしまって良いのだろうか。でも、これから他の人に聞きに行く時間は無いだろう。こうなっては仕方が無い。
「実は……」
襟を掴み、少しだけ服で隠れた胸の痣を見せる。
「これを消す方法を探してるんです。何か……知りませんか?」
ルイスが知っているとは思えない。だから期待はしない。
予想通り、ルイスは目を丸くしている。それに、頭まで掻いている。
その様子に溜め息を吐きたくなったけれど、好意で聞いてくれたのだから。と必死に我慢した。
それからルイスは予想外の言動を始めたのだった。
「それって、何かの呪いだよね?」
眉間に皺を寄せながら痣を見詰め、真剣に何かを考えている。何だか自分を見詰められているようだ。
近付く綺麗な顔に戸惑ってしまい、顔が勝手に熱くなる。まるで時が止まってしまったかのようだ。
それもルイスによって打ち砕かれる。
「そうだ! あの人なら……」
ふと顔を上げてみると、目の前には輝く瞳があった。
何か知っているとでもいうのだろうか。
信じられない。という顔で首を傾げてみせる。それでもルイスの表情は変わらない。
「多分、だけどね。エメラルド王国から北へ丸三日歩いた所に、クレスタっていう村があるんだ。そこに住んでるお爺さんなら、その呪いの事も知ってるかもしれない」
今、何か変な事を聞いた気がする。
開いた口が塞がらない。とは、こういう事を言うのだろう。
確かに、呪いを解く方法は知りたかった。でも、まさかこの人の口から出てくるなんて。
嘘を吐いているのでは。疑いたくはないけれど、どうしても疑いたくなってしまう。
「……ホントにですか?」
これでは、本当に疑っています。とでも言っているような口調だ。
それでもルイスはとても嬉しそうに大きく頷いてみせる。
「行ってみると良いよ」
柔らかな声だ。こんな声で嘘を吐けるだろうか。
段々と喜びが込み上げてきて、目が潤んでしまった。視界がぼやけている。
実は、その喜びも消え去ってしまう程の状況に置かれていたのだ。それを呑気な顔のルイスが教えてくれた。
「あっ。もう帰った方が良いんじゃないかな? 日が暮れるよ?」
「えっ?!」
ルイスが指差す先には、オレンジ色に染まる空を映し出している窓がある。
いつの間に、こんなに時間が経ってしまったのだろう。日が暮れてしまえば、もっとアリアに怒られてしまう。早く帰らなくては。
お礼も言わずに椅子から立ち上がり、早く、早く。とそれ一心で出口へと向かっていた。
「カノンさん!」
突然呼び止められ、自然と足が止まる。
一瞬、誰の事を言っているのか分からなかった。
『カノン』とは私の事だ。自分で名乗ったのに忘れるなんて。
振り返ってみると、真顔のルイスがこちらを向いていた。先程の笑顔のかけらもない。
「君は、何者?」
冷たい瞳が私を見詰める。こちらを威圧でもしているようだ。別人にでもなってしまったのだろうか。
怖い。
「……秘密です」
笑顔を崩さないようにするので必死だ。
でも、私をそうさせた本人は謝る訳でもなく、またにっこりと微笑む。
「別に良いか。仲間によろしくね」
さっきの表情は、一体何だったのだろう。見間違えなんかではない筈だ。
早くこの家から離れたい。と一気にドアを開けた。
最後に言われた言葉をきちんと聞きもせずに。
家を飛び出したのは良いけれど、帰り道が分からない。あの状況で道を覚えていられる人が居るのなら見てみたい。
しかも、大分中心の方に来てしまっているようだ。ただ歩き回っても迷子になってしまう。
仕方が無く、人の居ない路地裏へと逃げ込んだ。此処なら、きっと魔法を使っても誰にも気付かれる事は無いだろう。
誰も来ませんように。と祈るような気持ちで魔法を使った。
何とか夕暮れ前にお城へ戻ってくる事が出来た。アリアはまだ帰ってきていないらしい。
ほっとしたと同時に、急に疲れが押し寄せてきた。寝るのにはまだ早い時間帯だけれど、身体がだるくて仕方が無い。それに、頭もぼんやりとする。
重たい身体を引き摺りながら、ベッドに寝転がろうとした。とその時、物凄い勢いでドアが開いたのだ。
振り返ってみると、そこには険しい表情をしたアリアが居た。息まで切らしている。
「ミユ様っ! あれ程街へ行ってはいけないと言ったのに、何故ですか?! もし誰かに知られたらどうするんです?!」
顔を真っ赤に染めて拳を震わせている。怒りを全身で表現していた。
でも、私には真剣に話を聞ける程の元気は無い。
「ごめんなさい……」
と、小さく謝る事すら辛い状態だ。
それでもアリアは不満をぶつけ続ける。
「ミユ様に何かあってからでは遅いんですよ?! これからは、絶対になさらないで下さいね!」
「うん……」
段々と頭痛までしてきた。それに視界が歪んでいる。
ただの疲れで、こんなに体調が悪くなるものだろうか。
「ちゃんと聞いてますか?!」
出来ないでいるだけで、私も返事くらいはきちんとしたいのだ。
うん。と頷こうとした時、立っていられない程の目眩が襲ってきた。
そして、
「ミユ様っ?!」
アリアの叫び声と共に、私の身体は床へと叩き付けられた。
身体中が痛い。痣でも出来たのではないだろうか。それに息苦しい。
起き上がれずにいると、すぐにぼやけたアリアの足がこちらへと近付いてきた。
冷たいものが額に触れる。
「凄い熱じゃないですか! すぐにベッドにお連れしますから!」
そんな声が聞こえたかと思うと、周りが淡く光り出した。それと同時に、身体がフワフワとした感覚に包まれる。
気付いた時には、私はベッドの中に居たのだ。
アリアが魔法でも使ったのだろうか。
フカフカの布団が身体を覆う。心配そうな瞳が私の顔を覗き込む。
「無理し過ぎですよ! 明日までしっかり休んで下さい。情報収集なら、明日も私が責任を持ってやりますから」
言いながら、アリアは大袈裟に溜め息を吐く。それでも最後には優しく微笑んでくれた。
それからも、アリアはずっと傍に居てくれた。頭の上に乗せられた、水で冷やしたタオルを交換してくれたり、夕食を準備してくれたりしていたのだ。
本当は食欲が無く、夕食はいらなかったのだ。それなのに、食べないと元気になりませんよ。と言いいながら、アリアに無理やり食べさせられてしまった。
自分では、まだ大丈夫だと思っていた。でもこうなってしまったら、無理をしていたと認めるしかないだろう。もしかすると、今朝まで床に寝ていたせいかもしれないけれど。
明日の夕方までに熱が退いてくれるだろうか。それでなくては、遅刻だ。とラウドに怒られてしまう。その前に心配させてしまうだろうか。
すぐに熱が退きますように。そう祈りながら眠りへと就いた。
この高熱が魔法のせいだとも知らずに──
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