8 貴族様「オレにはやはり剣が似合う」
昼まで、レイベルはジレッツェンヘイト家の執事から、礼儀作法を習っていた。
レイベルはフォー家の次期当主の座に就いている為、弟のアルとは違って、ハッキリと貴族だと言い切れる人間である。
しかし、礼儀作法については全く学んだ事が無かったので、この習い事については正直頭を痛めていた。
と言うのも、レイベルは辺境では最強と目される程の剣士なのだ。
まだ23歳と若いが、13の頃には初陣を果たし、15になると部隊を任せられ、隊長となった。
数年前、正式に次期当主に就任した際に、将軍になった。隊長達数人を束ねる、戦場の最高指揮官だ。
そんなだからか、礼儀作法を学ぶよりも先に戦力として責務を果たさなければならず、貴族としての教養が疎かになっていた。
アルはレイベルと違ってそれ程戦力にはならなかったからか、貴族としての教養をそれなりに身につけており、むしろレイベルよりも貴族めいた所があった。
「よろしいでしょう、今日はここまでと致します」
目上との話し方、接し方を教授していた執事が、ようやくそう宣言した。
レイベルより10ほど年上の執事で、執事としては若く、ジレッツェンヘイト家では下位の執事だ。
名前はブライアン・スターというらしい。
何でそんな人間に礼儀作法を習わなければならないのか。
内心で憤慨するレイベルだが、それ以上に勉強の疲れを感じ、近くにある椅子に身を投げ出した。
背をスッカリ預け、天井を仰ぎ見る。
「お疲れの様ですので、何かお飲み物をお持ちします。
何がよろしいでしょうか」
そんなブライアンだが、この執事は帝都でのお目付役でもあった。
アルがそうした方が良い、と屋敷の当主である近衛騎士レイドルフに助言したらしく、そのせいでブライアンはレイベルの側を離れる事が少なかった。
その分、召使いの様な事もしてくれるので、レイベルとしても助かる箇所はあったが。
「ソーダを頼む」
「――ソーダ、ですか?」
「そうだ、ソーダだ」
レイベルは復唱したが、それでもブライアンは怪訝に眉をひそめ、首を傾げた。
「ソーダ水の事だ、炭酸水だよ。
砂糖で味を調えた、シュワシュワしてて、喉にツンと来る、甘い飲み物の……」
「申し訳ありませんが、当家はその様なお飲み物は用意しておりません」
「無いのか、ソーダが?」
ブライアンから返ってきた答えに、レイベルは吃驚した。
喋り通しで疲れた喉に、グッと効き、爽やかな甘みのソーダが飲みたかったのだが。
確かにソーダは、辺境での飲み物というイメージがある。
ただしそれは、炭酸水に適した清流があるというだけで、製造工程自体は大して辺境に限ったモノではないのだ。
なのに無いと言うのは、正直レイベルは想像していなかった。
「果汁ジュースならありますが」
「じゃあレモネードを頼む」
「承知しました」
頭を下げ、ブライアンは1度退室して行った。
流石にレモネードはある様だったが、レイベルは釈然としなかった。
ソーダは辺境ではよく飲まれている代物であり、レイベルも愛飲している代物なのだ。
無かったら無かったで、どうにも何かが抜け落ちている様な感覚に襲われる。
しばらくして、ブライアンがレモネードを持って戻ってきた。
受け取り、レイベルは軽くすする。
「レイベル様、飲み物をその様にすするのは……」
言われ、レイベルはばつが悪そうに顔をしかめた。
確かにそれはアルにも指摘されていたが、休憩時間である今になっても指摘されるのは、心外だった。
レイベルはレモネードを一気に呷った。
それについても、ブライアンは何か言おうとしたが、それを遮り、レイベルは声を上げた。
「ソーダを探しに行く。文化祭期間中なんだから、出店も出ていて、それを売っている店もある筈だ」
「ご所望でしたら、我が家のメイドが……」
「間違ったモノを買われてきては適わないからな。
オレ自身の目と舌とで確かめる」
言ってレイベルは立ち上がり、脇に置いてあった愛剣、エルドフリームニルを手に取った。
黒色の刀身を持つその剣は、ドワーフの打った折れず曲がらず切れ味の良い、宝剣と呼ばれる類の剣だ。
これを使い、レイベルは辺境で戦い続けてきたのだから、当然帝都でも手放す事はなかった。
剣を腰に差そうとすると、ブライアンが慌てて声を上げた。
「エルドフリームニルは、置いていった方が良いのでは」
「何故だ」
「帝都は治安の良い場所ではありません、物盗りが横行していますから。
その様に大層な剣を持ち歩かれては、まともに店を回る事はできません」
「嘗めるな、物盗り如きに遅れは取らん」
「念には念を入れるべきです。
奇策を持たず罠の中に入れば、如何に強靱な英雄と言えど、ただではすみません」
「その罠の中に、総大将が向かうのに、付いてこない腹心がいるか?
大体にして、この家の中も絶対に安全だという訳でもないだろう。
オレという強者であり主人の手元にある方が、余程安全だ」
言い捨て、レイベルは剣を腰に差した。
しかし、忠告はありがたく受け取っておいた。いつもより念入りに、腰に縛り付ける。
鎖まで使っているから、スリや強盗程度では盗む事は不可能だ。
それを見て、ブライアンも安心したのか、部屋にある質素な上着と帽子を取り、身につけた。
レイベルが帝都では、スーツ姿でいるので、付き従う執事は地味な装いの方が良いのである。
そうして、2人は屋敷を出発した。
もうすぐ祝賀パレードが終了するという頃合いだ。祝賀パレードは、王城前広場で終了する。
ジレッツェンヘイト家別宅がある高級住宅街はその王城前広場に近いから、結構な人だかりでごった返していた。
その人だかりを押しのけ、2人はメインストリートの方へと抜ける。
「剣は大丈夫ですか?」
「心配するな、左手で押さえてある」
人だかりを抜けると、ブライアンが念の為に訊いてきたが、腰にはシッカリと剣があった。
そもそもベルトとベルト通しに鎖で繋いでいる為、ベルトを切られ、ベルト通しをも千切られなければ、取られる事は無い。
問題は鞘から剣を抜き取られる事だが、それも柄に手を掛ける事で解決できる話だった。
満足げに頷き、ブライアンが道を先導する。
「出店が最も多いのはこのメインストリートです。
同時に、食料品を扱う出店の、凡そ8割が集中しています。
ご所望の品があるとすれば、この辺りではないでしょうか」
「だったら、瓶を並べてる店をよく探した方が良い。
バレル単位で扱ってるヤツは店に卸すし、そうでないなら、瓶詰めにして売ってる事が多いからな」
「承知しました」
そう言って探し始めたが、拍子抜けな事に、ソーダを売る店はすぐに見つかってしまった。
文化祭という事もあって、各地から観光客が集まるから、そういったモノを売る店は多く出ているのだ。
中には味付けされたモノもあったし、ガロン(3.5〜4.5リットル程度)単位で売られている店を見つけ、レイベルはそこでソーダを味見し購入した。
「レイベル様は、あの様なモノをお飲みになるのですね……」
「辺境では誰もが飲むモノだ。将軍から、子供までな」
同じく味見をしたブライアンは、どうやら不服そうだったが、レイベルは満足げに笑っていた。
そのソーダはブライアンに持たせ、レイベルは相変わらず左手で剣の柄を押さえ、歩く。
メインストリートから少し脇に入った通りを、2人は歩いていた。
祝賀パレードが終わり、いよいよ人があふれ出すので、一旦脇道にそれた方が良い、とレイベルが提案したからだった。
「――れぇーッ」
そんな時だった。
突如、通りに怒号が響いた。すぐに慌ただしい足音も、レイベルは聞き取った。
怪訝に眉をひそめるブライアンを手で制し、レイベルは剣の柄を押さえていた手を、左から右へ持ち替えた。
「待ちやがれーッ!」
今度はハッキリと、その言葉が聞こえた。
足音も明瞭になってくる。10人程の足音だ。方角は、数m先の横道の方からだ。
常人よりもそういった音を聞く力と経験に秀でているレイベルには、それがよくわかった。
同時に、金属音が混ざっている事もわかった。
1つや2つではない。それがわかると、すぐにレイベルは剣を抜きはなっていた。
ガツンッ
鉄が石畳の床にぶつかる音と共に、横道から最初の1人が姿を現した。
意外な事に、それは武装した女だった。
鉄製の籠手を両手にはめ、皮鎧を身に纏い、鉄製のブーツを履いて、手には長さ3m程の槍を持っている女である。
活発そうな大きくつり上がった瞳と、ポニーテールにしている髪は同じ黒色。
体格は小柄で、150cm前後しか無いが、体つきはシッカリとしており、むしろ筋肉質と言って良かった。
歳の頃は、20前後。大体レイベルと同じぐらいだった。
その女は後ろを見ながら、レイベルの方に曲がってきた。
そこでようやくレイベルに気が付き、慌てて立ち止まる。
「あら、もしかして貴族さん?」
「そうだが、一体何の騒ぎだ」
レイベルは問い返したが、その時には、横道から2人目が来ていた。
すぐに5人程がそれに追いつき、声を荒げる。
「追ぉいついたぞぉ、この雌ネズミがぁッ!
大人しくしろやァッ!」
「あーもうッ、追いつかれた!
アンタのせいだからねッ!}
「何の騒ぎだって訊いてるんだがな……」
女の物言いに、軽く頭を抱えながら、レイベルは1歩前に進み出た。
女は槍を構えていたが、剣でそれを押しのけながら、レイベルは追ってきた男達に近寄る。
女の槍は、サリッサと呼ばれる槍だ。穂先に加え、その反対側の先端にも石突きがあるモノだ。
対し、男達が持っているのはカトラスという剣だ。幅広の刀身を持ち、無骨な装いの剣である。
どちらもレイベルの持つ剣とは違い、量産されている市販品だ。脅威に感じる事は無かった。
「何だァ、テメェは!?」
「貴様等こそ何だ。ここは皇帝陛下のお膝元、帝都だろう。
その帝都の町中でそんな物騒なモノを振り回して、何をするつもりだ」
「皇帝だぁ? ンなモンがいるせいで、オレ達国民が食い物にされてんじゃねぇかぁ!
帝都だかお膝元だか知らねぇが、黙ってその女をよこしな、優男がッ!」
「オレが優男扱いか……」
これでもレイベルは屈強な体つきをしているのだが、どうやらスーツがそれを覆い隠しているらしい。
また、それなりに整った見目からもそういった印象を受ける様だ。
最大は、この状況で女に助太刀するかの様な態度を取っている事だろうが。
1歩後ろにいた女が、レイベルの横に並び立つ。
「貴族さん悪い所に来ちゃったわね。
アイツ等は、反皇帝派の武装集団なのよ。
祭に乗じて暴動を起こそうって考えてたみたい」
「お前は、国の密偵か何かか?」
「ま、そんなトコ。ただし口の利き方には気を付けた方が良いけどね」
その物言いに、レイベルは顔をしかめたが、今は目の前の男達の方が先決だった。
事情を把握すると、レイベルはツカツカと男達に歩み寄る。
「ちょ、多勢に無勢でしょーが!?」
「カッコつけんな貴族風情がァッ!」
女が驚きの声を上げると同時、男達はレイベルに襲いかかっていた。
慌てて女が前に出て、レイベルに助太刀しようとするが、レイベル自身が男達に近付いている事もあって、それは遙かに遅い助太刀だった。
先程から声を荒げていた男が、1番にレイベルに斬りかかる。
一閃。レイベルはその男を斬り捨てた。
男の左脇から首を切り飛ばし、遠心力を付けた一撃を、後ろにいた男に振り下ろした。
それから、ようやくレイベルは踏み込んだ。左、右と素早く切り抜け、横道の前まで来る。
横道には更に4人ばかしの男がいたが、驚愕の表情でレイベルを出迎えていた。
「死にたくないヤツは逃げるなよ」
「ひ、退けェッ!」
言ったが、その時には一際体格の良い大男が声を張り上げ、退却を指示していた。
なので仕方なく、レイベルはまた踏み込んだ。恐ろしい踏み込みの速さだ。1歩で数mの距離を一瞬で縮めてくる。
その一瞬よりも速く、更に剣を振り抜く。それで1人確実に死ぬのだから、恐ろしい剣腕だった。
1人、2人と斬り捨て、大男に追いついた。
大男はかろうじて、振り向き際に一撃を放つ。
それはレイベルの胸を狙った刺突の一撃で、螺旋を描いたその一撃は、剣術を修めたモノが放つモノだった。
故にレイベルは不意を突かれ、かろうじて躱したが、強かに壁に体を打ち付けた。
姿勢を崩し、レイベルに明らかな隙が生まれる。
――シュドッ
そのレイベルの顔の横を、サリッサの穂先が通り過ぎた。
穂先は剣を突き出していた大男の脇に突き刺さり、抉った。
「あ、がッ!」
大男が呻く。
拙い、とレイベルは思って、後ろを振り向いた。
女がサリッサを突き出していたが、それは3m程の長さをフルに使っての刺突だった。
それ以上突き刺さる事は無く、穂先は軽く脇を抉っただけである。
ホッ、とレイベルは胸をなで下ろした。大男の様なリーダー格は、生け捕りにするべきだ、と思っていたのだ。
脇は人体急所の1つであり、肺、心臓などの重要な内蔵がほど近く、深く刺されば絶命も十分にあり得る場所だった。
「単独で多勢に切り込むなんて、無茶するわねぇー……」
「戦場じゃ珍しくない事なんでな。
だが、助太刀は感謝しよう」
「おぉ、殊勝な心がけ。口の利き方は直ってない様だけど」
そう言葉を交わした後に、レイベルは這って逃げようとする大男の首もとに、剣先を突きつけた。
その横に女が並び立ち、大男を捕縛した。
「ま、何はともあれご協力は感謝しますよ。
素人がここまで首を突っ込むのは、少し感心しないけどね」
「誰が素人だ。これでも辺境では一軍を預かる身だぞ」
「へーえ、でも私はこの帝都で一組織を預かる身なんだから」
勝ち気に言い返す女に、流石にレイベルは頭に来た。
ブライアンが通りの方で声を上げていたが、気にせず突っかかった。
懐からフォー家の紋章が施されたドワーフ製のナイフを、女に見せつける。
「オレはレイベル。レイベル・F・フォーだ。
ウェノタール辺境伯の嫡男で、次期当主にも決まっている」
「あー、一昨日の舞踏会で料理を食べて足をもつれさせたっていう、あの、ね」
言われて、レイベルは最早何も言う気力は無くなった。
こんな裏通りまで来て、あの事を持ち出されるとは。
もう帝都ではダメなのかも知れない、とレイベルはうなだれてしまった。
「ご、ゴメンゴメン。まさかそこまで思い悩んでるなんて、思ってなかったのよ。
ちゃんとアンタが凄い剣士だっていうのは知ってるんだから、ね?」
「だがその名声も、舞踏会での汚名に紛れるんだろう。
オレが辺境でどれだけの名声を得ても、たかだか舞踏会の失敗1つでマイナス修正だ。
やってられん、とっとと辺境に帰る事にするよ、オレは」
レイベルは踵を返し、ナイフを懐にしまった。
辺りは血の海であり、臭いも凄まじかったが、戦場の何とも言えない血生臭さに比べれば、大した事ではない。
剣に付いた血を、背広で拭おうとするも、アルの事を思い出して踏みとどまった。
ポケットからハンカチを取り出し、それで拭った。
「負け犬のまま帰るつもり?」
剣を鞘に直そうとした時、挑発的に女が声を掛けてきた。
フンッ、とレイベルは鼻で笑う。
「戦略的撤退と言ってもらおうか。
これから先、オレの様な人間は帝都では恥をさらすだけだろうからな。
地に落ちた愚か者よりも、辺境の負け犬の方がまだ救いはある」
「なーんでそれを克服したいと思わないかなぁ。
軍人の人って、自分の領分以外では勝負したがらないわよね。
その場に留まり続ければ、起死回生の策があるのかも知れないのに」
知った口を。思い、レイベルは女を睨み付ける。
女は片目を閉じ、腰に手を当てて、レイベルを見やっていた。
通りが騒がしくなってきた。
どうやら、騒ぎを聞きつけた騎士団が駆けつけてきた様だ。
メインストリートを少し脇に入った通りなので、1番近くにいた騎士は、藤南爺と一緒に出店を回っていた騎士、クラネとサラシャだった。
「――団長殿ッ」
クリーム色の髪をした騎士クラネが、女にそう声を掛けた。
それを聞いたレイベルは、やはり、とは思っても、まさか、とは既に思っていなかった。
疾風の様に顔の横を突き抜けた槍が、女の腕の程を示していた。同時にそれは、これほどの槍の名手は、女では1人しかいない筈だ、とレイベルに確信させた。
セシアネーヌ・T・F・イーファニア。イーファン帝国第二皇女にして、愛猫騎士団団長である事を。
「口の利き方を改めなかったオレ如きに、その様な奇策を授けていただけるのですか、殿下」
「うわー、敬語似合わなーい。私も人の事言えないけどさ。
でも、その肝っ玉と剣腕は何物にも代え難いモノだと思うわよ」
クラネに大男を連行するよう指示を出しつつ、セシアネーヌは懐からしまっていたマントを取り出した。
騎士団団長のソレは、ファー付き、純白の生地に黄金色の刺繍を施した、特製のマントである。
身につけ、セシアネーヌはレイベルを見やった。
「貴方がイーファン帝国皇室に忠誠心があって、同時に誇りを持つ戦士なら。
私に付いてきなさい。悪い様にはしないから」
「――臣下の者は、いつでも皇室に命と身を捧げる覚悟を決めております」
「なら良し。付いてきなさい」
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