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ブラックコーヒーは大人(なみだ)味

作者:雪野ソラ
こちらの作品はNokkoさんとのコラボ作品となっております。※現在自サイトでも公開しています
 ブラックコーヒーは苦くて苦手なんです。
 それはまだ自分が子どもだという証のようで。
 喫茶店で働くっていうのに、あんたコーヒーも飲めないのかね。
 毎日コーヒーをいれる度に、アルバイト面接の時、店長に言われた言葉が思い出された。


「ブラック一つ」

 わかりました、と私がカウンターの奥へと向かうと、彼はまた手元の本に目線を落とした。
 毎週土曜日の午後一時。決まってブラックコーヒーを注文する男性は、この喫茶店に来ては一時間ほど読書をして帰っていく。
 私はコーヒーの注文を受けていれる。彼はそのコーヒーを飲む。いつもただそれだけだった。

「お待たせいたしました」

 私がカウンターに座っていた彼にコーヒーを出すと、ありがとうとだけ言って、また目線を本に戻した。表情ひとつ変えることなく、無愛想なままで。
 高校生になり、知り合いの小さな喫茶店でアルバイトを始めた私。そんな私が初めて顔を覚えたお客さんがこの男性だった。スーツ姿にメガネという、明らかにサラリーマンに見える彼がなぜこんな時間にこんなところにいるのか……。そのミステリアスな大人の雰囲気は子どもの私を惹き付けるには十分だった。
 ただし、私は従業員で彼はお客さん。
 私から声をかけるなんてことはできず、結局そのまま一年が過ぎてしまった。
 その一年、私たちはただ同じことを繰り返し続けた。
 もしかしたら、毎週こんな時間に来るのだから彼女はいないのかもしれない。
 そんな、期待と膨らみ続けた想いが私を動かすきっかけとなった。

「いつものですね」

 ある土曜日の昼下がり。私は思い切って、彼が注文する前にそうたずねてみた。
 すると、いつも表情を変えなかった彼が驚いた顔をした。
 それは、私が見た彼の初めての――仏頂面なのを除いた――表情だった。

「覚えてくださっていたんですか?」

 彼の声はいつもの表情から想像するよりも明るく、爽やかだった。

「えぇ、まぁ。毎週こられていますよね」

 そう言うと、彼は恥ずかしそうに笑った。
 あぁ、そんな顔で笑うんだ。
 胸のときめきが彼にバレないように、私も小さく笑った。

「じゃあ、いつものいれますね」
「お願いします」

 私がカウンターの奥へと逃げるように引っ込むと、店長のおばさんが近づいてくる。そして、顔を寄せるとお客さんに聞こえないよう小さな声で話しかけてきた。

「顔、にやけてるわよ」
「や、店長。見ないでくださいっ」
「バカね、声が大きいわよ」
「あ、すいません……」
「いいわねぇ、青春って感じで。若いって羨ましいわぁ」
「そんなんじゃありません」
「いやでも、こんなおばさん一人で営業するよりも、やっぱりあんたみたいな可愛い娘がいると、お店の雰囲気も明るくなるわね」
「て、店長……」

 私はこれ以上からかわれては堪らないと、コーヒーをいれますからと店長から離れた。

「いつか言おうと思っていたんだけどね。いつも、おいしいコーヒーをありがとう」

 私と店長のやりとりを知らない彼は、私がコーヒーを出すと、いつもとは違い笑顔でそう言った。
 また胸が跳ねる。
 と、急に元の無愛想な顔に戻った。

「すいません、気を抜くとすぐに笑顔になってしまうもので。友人にも顔が緩んでるってよく怒られるんで、気をつけてはいるんですけど……」

 仏頂面のまま彼が呟く。
 私は思わず吹き出しそうになってしまったのを、必死でこらえた。
 可愛いと思ってしまったことも。

「でも、あんた。怖い顔だと女の一人もよってこないよ」

 と、通りすがりに店長が言うと、彼は苦笑した。

「はい、気をつけます」

 ここの店長はどこまで遠慮のない人なんだ、とも思ったが、この喫茶店へくる常連さんのほとんどが店長のこの性格を気に入ってだというから、何も言えない。
 実際、私も店長さんが知り合いだからここで働いているわけで。
 でも、彼女はいないんだ。
 彼の言葉を聞きながら私は少し安心していた。
 それが、どういう意味かも考えずに。

 そんな会話をしてからひと月ほど経ったころ。
 私の恋は突然終わりを告げられた。

「いつもの彼から、コーヒー一つ」

 その日、たまたま忙しかった私は、彼が来ていたのに気づかずカウンターの奥で洗い物をしていた。
 店長の計らいもとい、からかいのおかげで彼のコーヒーをいれるのは私の仕事になっており、そのおかげで、コーヒーをいれるのは店長よりもうまい自信がある。
 私はそのまま、彼の様子を伺うことなくいつものようにコーヒーをいれ、彼の前に出した。

「あ、今日は僕じゃなくて、彼女の方に」

 ふと隣を見ると、見知らぬ女性が座っていた。同性から見ても美人だと言える女性は私を見ると、ありがとう、と言ってコーヒーを飲んだ。
 その間、私はその場で固まっていた。
 状況が理解できない、いいや、理解したくない。私の脳は自分のいいように停止しようとしたが、従業員であるということがそれをどうにかさせなかった。

「おいしい」

 女性の笑顔とは裏腹に私の心は曇る。

「あの……その方は」

 私が動揺をどうにか営業スマイルで隠しながらたずねる。すると、彼はいつしかよく見せるようになった照れ笑いをしながら説明してくれた。私の聞きたくなかった言葉を使って。

「僕の恋人です。実はいつも、ここで彼女の仕事が終わるのを待っていたんですよ。僕の方は、土曜日は仕事が午前中だけあるものですから」

 思考が追いつかなかった。『恋人』という言葉だけがやけに耳に残った。
でも、心のどこかでやっぱりと思っている自分もいた。こんな人に彼女がいないわけがなかったんだと、 そう諦めた自分が。

「ここのコーヒーがおいしいんだって、いつも彼が言うものだからいつか来てみたいと思っていてね。実際来てみたら、おいしいし、いれてくれる子は可愛いし」

 恋人と紹介された女性が、笑いながら言った。私には真似できない、柔らかな大人の笑顔だった。
 褒められているのはわかったが、今の私はそれを素直に受け取れるほど大人じゃなかった。

「ありがとうございます。また来てくださいね」

 コーヒーをいれるフリをして、後ろ向きで吐いたセリフ。接客としてしてはいけないことだとはわかっていた。それでも、私にはこうすることしかできなかった。

「こちらこそ、おいしいコーヒーをごちそうさま」

 そんな私の気持ちに彼らは気づいていたのだろうか。もしかしたら、大人の二人にはバレていたのかもしれない。
 まだ、まだ私は子どもだな。
 カランカラン、と鈴の音がお店のドアが開けられたことを告げた。

「またのお越しを」

 私が反射で振り返ると、お店を出て行く二人の姿が見えた。
 それは自然な出来事のように、口からこぼれでた。

「好きです」

 彼女と寄り添いながら出て行く彼の後ろ姿に、私は小さく呟く。
 とどめることのできなかった、溢れ出した想いは、彼に届くことなくただ宙へと消えた。

 彼がいつも決まった時間にここへ来ていたのは、仕事帰りの彼女を待つため。読書はただの暇つぶし。別に、私のコーヒーを飲みに来てくれていたわけじゃない。
 少しでも期待してしまっていた自分が恥ずかしかった。
 なんだ、ラブラブの彼女がいたんじゃないか。
 私に向けられた、照れたような笑顔も、きっと彼女の前では当たり前で、きっともっと素敵な笑顔を彼女に向けているのだろう。

「今日は飲まなかったな、ブラックコーヒー……」

 その日、私は初めて自分のためにコーヒーをいれてみた。

「苦い……」

 初めて味わった大人味のコーヒーに、私は瞳から流れた液体をその苦味のせいにした。

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