囚われの獣人
東北地方の小さな村で,冥興団による捕虜救出作戦が始まった。
旅人に扮し蛮族「エゾ」の村に潜入したたデズイールとジェルマは、ウスデム率いるメドツ組の奇襲のドサクサに紛れ、捕虜である獣人フッタチが幽閉されているという屋敷に潜り込むことに成功した。
「こいつだ。隠し扉」
事前に入手しておいた図面を見ながらデズイールが床に飛び出した取っ手を指差した。
「だがそうスンナリとは…」
引っ張ってみるがガッチリと鍵が掛かっている。
「やっぱりな」
「おう、待たせたな」
そこへやってきたのはウィドルとセジル。身を隠していた彼らもメドツ組が起こす騒ぎに紛れて潜入に成功していた。
「こいつの出番だ」
大きな道具袋から小さな爆薬と金盥のような器具を取り出したウィドル。
「ほら、ちゃんと持ってきたぜ」
「ようし」
盥の中は柔らかい素材で幾重にも仕切られた構造。ジェルマが得意げに言う。
「私が開発したこの器具を爆弾の上に被せれてあれば、破片の飛散を防ぐことが出来るだけでなく、生じる圧力を吸収し減弱させることで爆発音を限りなく小さく…」
「学問の講義は要らねえからさっさとやろうぜ」
「そ、そうだな…」
隠し扉の取っ手の上に置かれた爆弾が、消音盥の中で「ブシュッ」っとくぐもった音を立てて破裂した。
そっと盥を外すと扉は破れ、地下へ伸びる階段が露わになった。
「成功っ。外の様子はどうだ、気付かれてないだろうな?」
「大丈夫だ。遠くでメドツの連中とエゾが数名、派手にやり合ってるがな。こっちには誰ひとり興味ないって感じだぜ」
「ようし、計画通りだ。さあ行くぞ、デズイールは引き続きここで見張りを頼む」
「了解した」
道具袋から取り出した小型の照明器具を手に、ジェルマとウィドル、セジルの三人は地下室へと階段を下りていった。
「いた、いたぞ」
階段の先、地下室の奥から聞こえる呻き声。明かりをかざすと、そこにフッタチはいた。
「助けに来たぞ」
「ぐ…う…」
小柄な身体のあちこちが金色の毛で覆われた獣人妖怪フッタチ。両手両脚と首根っこを太い鎖に繋がれて固定され、轡を嵌められていた。
垂れ流された排泄物が、目に染みるような強烈な匂いを放っている。
「チッ」
ウィドルは、満身創痍で懇願するような目で呻き続けるフッタチを見て、忌々しそうに声を上げた。
「ずいぶん拷問してくれたな…ひでえ甚振られようだ。これがニンゲンってやつのすることかいっ」
深く刻まれた傷の幾つかは腐食が始まり、蛆虫が巣食っている。
「痛かっただろ、苦しかっただろ…ちくしょう、俺が仇を討ってやる。ニンゲン皆殺しだっ」
鼻息を荒くするウィドルをジェルマが諌める。
「気持ちは俺も同じだ。だが今は落ち着け、今回の任務はとにかく救出。下手に動いて事を大きくするな、と親方さまに釘を刺されてるんだ」
「はあ? もう十分に事は大きくなってるんだよ。ヤツらをなぶり殺しにしねえと気が済まねえ」
「冷静になれウィドル。暴れるのはいつでも出来る。親方さまの命に背いてはいかん」
「親方もえらく弱気じゃねえか。ニンゲンどもに一体何が出来るっていうんだ。あんなカスに…」
ジェルマが必死にウィドルを説得する。
「ああニンゲンどもはカスだ、だが背後に幻怪がいる。下手にあいつらを刺激するのは得策じゃ無い。来るべき日のため、我ら冥興団は隠密裏に計画を進めなければ…」
「う、うう…」
憤懣やるかたなしといった様子のウィドルだったが、大きく数度深呼吸して自らを落ち着かせた。
「親方がいつも言う『力を溜めて、相手を油断させて、機が熟したら』ってやつか」
「その通りだ」
「カギが見当たらねえ」
地下室の隅々までをまさぐるセジルが苛立ちながら叫んだ。
「どうにも外れねえぞ、この鎖」
強引に外そうとガチャガチャやってみるが、鋼鉄製の極太な鎖はビクともしない。
「ふふ、そういう時のために」
ウィドルが再び道具袋に手を突っ込んだ。取り出したのは大きな斧。
「任せとけ。ジェルマ特製、冥鉱石で出来てるんだ。現世の金属なんて容易いもんよ」
ぐいっと柄を握って振り上げた。
「さあ、助けてやるぜ」
「うぐ…ふぐ…ぐう」
フッタチは目を真っ赤にして声にならない声で叫んでいる。
「ああ、待ってろ。すぐに自由になれるぞ」
「ぶぐあ…ぐうあ…がうがあ…」
顔を青ざめさせながら一層激しく叫ぼうとするフッタチは四肢をガタガタと震わせはじめた。
「ん?」
ジェルマはウィドルの手を止めた。
「何か様子がおかしい…」
しばし目を閉じ、何度も首をひねる。
「こいつ、何か妙におびえてる。それに幾らなんでも敵が手薄すぎる…なあセジル、俺たちが見たエゾの男たちは二人、それ以外に集落に誰か見かけたか?」
「ウスデムたちが陽動作戦を始めた時に四、五人のエゾが出て行ったのが見えたけど」
「ううむ、屋敷の数や調度品から察するに集落は百人規模だ。は人の気配が無さ過ぎるように思うが…」
セジルは笑いながら言う。
「船で漁にでも出かけたんでしょ。この辺りの海は旨い魚が多いって云いますしね」
納得のいかないジェルマ。
「もし、こいつが既に口を割っていたとしたら…」
「どっちにしろ」
ウィドルが斧を振り上げた。
「もう後戻りは出来ねえだろ。やることをやるぜ、俺は」
「ま、待て…」
「いいから、どいてな」
「もしも、これが罠なら…」
「ええいっ」
高々と掲げ上げられた斧は激しく振り下ろされた。ガチン、という金属音を伴って斧の刃が鎖に叩きつけられた。
「うああっ」
「ぐああっ」
「ぎああっ」
眩しい光が地下室を照らし、すぐに轟音と爆風が渦巻いた。
「まさか…」
鎖を断ち切れば、仕込んであった爆弾の起爆装置が作動するように仕掛けられていたようだ。
「おい、何処行った? あいつは、何処に…」
爆弾を背負わされていたフッタチの身体は粉々になって欠片を地下室のじゅうにバラ撒いた。
「痛え、痛えよう。俺の、俺の足…」
吹き飛んだ鎖がセジルの膝に絡みついて突き刺さっている。あらぬ方向に足先が向いてしまっている。
「折れた、折れてるよ。痛えよお」
「ちくしょうっ」
ウィドルは唇を噛んだ。土埃を払い落としながら睨むジェルマ。
「だから慌てるな、と…まあいい、言い争っても何の解決にもならん。まずはここを逃げ…」
手負いのセジルを抱えながら地下室の入り口へと振り返って、言葉を失った。
「閉じ込められた」
起爆と同時に大きな岩が落下して階段を塞ぐように仕掛けられていたようだ。
「バカやろうっ」
痛む足をさすりながら、顔面を蒼白にさせたセジルが怒鳴る。
「ウィドル、てめえのせいだ。てめえが勝手に…」
「うるせえっ。ここに来た時点で遅かれ早かれこうなったはずだ。いちいち俺に噛み付くなっ」
「ああ? 調べもせずに鎖を切ったお前のせいに決まってる。俺が鎖の近くにいたってのに…クソっ」
折れ曲がった膝からは骨が飛び出し、ドクドクと脈打つように血が流れ出している。
「こんな目に俺を遭わせやがって…許さねえ」
「おう、やれるもんならやってみろ」
睨みあう二人。
ジェルマが落ち着いた口調で制した。
「喧嘩なら後でも出来る。まずは逃げることを考えようじゃねえか」
「どうやって? こんな地下に埋められちまって…」
セジルが泣きながら言う。
「もうずっとこのままかも…ああ、痛いよう」
「何を弱気になってやがるっ」
ウィドルは目一杯の力で地下室の壁を蹴り飛ばしてみる。だがもちろん微動だにしない。
持参した照明器具の燃料も切れ、真っ暗闇に。
「くっそ…エゾの野郎め」
ジェルマは首を振る。
「いや、こんな凝った真似はエゾが思いつくはずがない。たかが山賊ふぜいに出来る芸当じゃねえ」
「ん、どういうこった?」
「幻怪の生き残りが背後にいるに違いない。ヤツらは現世の災厄を全てモノノケの仕業だと吹聴し、ニンゲンたちを手下にして俺たちへの憎悪を煽ってる」
「つまり…幻怪たちがニンゲンたちを操って俺たちを罠に嵌めた、と?」
「ああ。おそらくフッタチが捕えられた時点からもう始まってる。女に目がないフッタチを誘惑して捕え、殺さずにエサとして罠を仕掛ける」
ウィドルが歯軋りをする。
「まんまと引っ掛かっちまった、ってわけだ」
涙の止まらないセジル。
「うっ、うっ…罠に嵌められて、俺たち殺されちゃうのかよ。ううっ」
「いいや」
ジェルマは言う。
「すぐには殺してもらえねえぞ、それがヤツらの手口だ。今度は俺たちが人質になり、散々拷問されて痛めつけられて、その情報が流される。そして助けにやって来た冥興団の連中がまた捕まる」
「芋づる式、か」
ふと、上から声が聞こえてきた。
「ご名答だ」
岩で出来た天窓がガラリと開き、カンテラの灯りが地下室に幽閉された冥興団の三人の顔を照らした。
「判ってるじゃねえか、お前ら」
眩しさに目をしかめながら見上げると、金髪の男。ニヤニヤ笑いながら地下室を覗きこんでいる。
「あらら、サル野郎は粉々か…可哀相に、ひひひ。そして三人のアホ面が残った、か」
見上げるジェルマが呟いた。
「お前…幻怪軍の。たしか赤光隊にいた」
頷く金髪の男。
「ああ、赤光隊一番刀。ヒジュリー少佐とは俺のこと…まあ、それは昔の名前で、今はヒジュリー改め『聖』だ」
「名前を変えた?」
「そう、現世用に名前を変えたのさ。ニンゲンたちにゃその方がウケる」
「ニンゲンを手下にしたのか」
「悪いか?」
勝ち誇ったように見下ろす幻怪戦士・聖。ジェルマは唇を噛みながらその顔を睨み上げた。
つづく