第68話「千島、笑顔で振り返る」
2017年7月3日
午前7時51分
「ち……千島!?」
声を上げ潤が後部座席のドアを開けて外に出ると、「チー!?」
琴乃も反対側のドアを開け身を乗り出した。
しかし千島の様子は変わらない、依然として鋭い視線を一足先に車外に出た奥宮に向けている。
奥宮もただ睨まれているだけでは無い、千島に歩み寄っていく。
「千島!」
「奥宮!」
同時に静止の声を上げる潤と琴乃。
しかし、2人は正面から向かい合う。
身長180cmはあろうかという黒いスーツの奥宮を身長150cmそこそこの千島が見上げる。
「奥宮は元陸上自衛隊員なの……」
小声で琴乃が呟く。
そういえば弓永家は旧軍時代から現在まで自衛隊には顔が利く一族だ。
奥宮のような経歴を持つ人間を雇い入れる事は容易なのだろう。
「……陸上自衛隊員」
息を呑む潤に、
「ええ……格闘技にも精通してるの、でもむやみやたらにチーみたいな女の子には……」
琴乃は頷く。
考えなくてもそれは当たり前だ、普通に考えれば180cmを越える奥宮の様な男が千島に暴力を振るう事態は異常であり、ここでそれが起きるとは想像しづらいのであるが……
『対応によってはわからないな……』
潤は瞳を細めた。
「君は千島ちゃんだね? 少しそこをどいてもらえるかい?! ここの道は狭いんだよ……危ない」
奥宮が口を開く。
乱暴な口調ではないが、その声は低い。
それに対して千島は、
「別に琴乃ちゃんの家の車が通るのは構いませんし、邪魔するつもりもありません、でも……潤君は連れていかないでくれますか? 私のクラスメート少ないんですから……遅刻でもされたら寂しいですから」
と、奥宮を睨み付けながら答える。
「お嬢様が彼に急な用事があってね、それで……」
「こんな朝に人気の無い資材置場に連れ出す程の用事? あんまり感心は出来ませんね……まるで怖い呼び出しですよ、奥宮さん……どうしてもって言うなら私にも是非とも聞かせてもらえますか?」
奥宮の言葉を遮る鋭い瞳の千島。
『千島の奴……挑発しているみたいじゃないか!』
明らかに奥宮への敵愾心を崩さない千島の態度に潤は背筋が寒くなる。
車を挟んで反対側にいる琴乃は明らかに千島の態度に驚きの表情だ、おそらく琴乃の知っている千島には今まで無かった顔なのだろう。
潤も冷静でいる訳では無いが、千島が強い態度で奥宮に対する可能性は車の前に出て来た時の殺気立つ表情から察していた。
「千島さん、あなたこそ早く学校に行ったらどうですか? これは貴女には全く関係が無い」
「じゃあ、潤君は私が連れていきますね……潤君の学園生活にあなたは全く関係が無い」
奥宮の低く威圧を隠さない台詞に千島も低い声で即座に返答した。
……数秒の沈黙
少女と男。
2人の間の鋭い緊張感が舗装もされていない狭い砂利道を満たし始めるのを素人の潤も感じた時、
「奥宮! もういいわ! 止めなさいっ! ……チーもっ!」
たまらない、と言った感じで琴乃が叫ぶ。
「……お嬢様!?」
奥宮にとって琴乃がどういう存在なのかは潤には分からない、だが琴乃の言葉が奥宮がほんの数分の一秒単位で隙を作ってしまったのだ。
瞬間、千島の右足がまるで鞭の様にしなり、綺麗な線を描いた鋭いハイキックが奥宮の左頬に触れるか触れないかの寸前で止められる。
「……ぐっ!」
寸前で止められている為にダメージは無いが、千島がそのつもりなら顎にクリーンヒットだろう、思わず声を漏らす奥宮に千島はセーラー服でのハイキックの体勢をキッチリ維持したままで舌を出して言った。
「……琴乃ちゃんの言葉一つで隙が出来ましたね、潤君は返してもらいます、早く学校にいかないと行けないから」
「チー……何で!?」
琴乃は予想だにしない千島の動きに息を呑んでいる、潤も確かに驚きはしたが千島の何かの格闘技に通じているであろう動きを見るのは初めてではない。
それどころか数時間前には自身が投げられて味わってもいる。
「……さてと」
千島は奥宮に上げた脚をスッと降ろし、
「潤君……学校行こう」
と、潤の方を見ながら微笑みを浮かべた。
「チー! なら……このまま車で行きましょう、私は別に潤君を……」
琴乃が少し上擦った声で千島に話しかけるが、千島は琴乃を睨み付け、
「いい」
と、だけ答えて、琴乃から冷たく目線を切り、潤に駆け寄ってくる。
「……千島」
助けられたと思っていいのだろうが、潤はどんな態度をとっていいのか返答に困ってしまう。
奥宮のような男に何か尋問されるのはもちろん御免だが、琴乃もいるのだ、あからさまに喜んで千島に礼を言うつもりにはならなかった。
「潤君……行こう」
そう言いながら潤の横を通り過ぎる千島。
「わかった……」
潤は頷いて踵を返すが、「琴乃先輩も一緒に歩いていきませんか? 車は奥宮さんに任せて」
と、俯いた琴乃に声をかける。
「……潤君!?」
琴乃は潤に振り返り声を上げ、千島は早足に歩いていていた脚を止めた。
「行きましょうよ、先輩と千島と3人で行くのは随分久しぶりの感じだし」
潤が微笑むと、琴乃は後ろ姿の千島を見て、
「凄く嬉しいけど……私、チーを怒らせちゃったみたいだし、それに潤君にも……」
と、曇った笑顔を見せてくる。
もちろん潤もここまで強制的に連れて来られた事はどういう意味を持つか気になるし、さっきの千島の冷たい態度は何故それを察知出来たかは解らないが千島が琴乃に何らかの感情を抱いた現れだろう。
だが潤は琴乃が自分に何を聞きたかったかは解らないが琴乃を敬遠しようとは思わなかったのである。
だが千島は解らない。
視線を後ろ姿の千島に向ける。
すると、当の千島は数秒の間を置いて、
「そうだね〜、歩いていくならいいよ、3人は久々だよね、潤君の腕を2人でとっちゃおうか!? そのまま学校に行ったら要ちゃん怒るよ〜!」
と、笑顔を見せながら振り返ったのである。
「……千島」
強い拒絶も予想していただけに意外な千島の反応の変わり身に潤は口元を緩めた。
その時。
不意に遠くから島で一台だけのパトカーのサイレン音が鳴り響く。
それを聞いた千島の瞳に鋭い光が差したのを潤は見逃さなかった。
第69話に続く
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