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第67話「立つ少女」
2017年7月3日
午前7時37分



「琴乃先輩か……そういえば千島が来るにははやいかもな」
 潤は居間の時計を見上げた、呼び鈴に千島が来たと判断したが、よく考えてみれば毎日ではないが、千島が迎えに来た場合のやってくる時間より早い。
 玄関からは琴乃に敬語で丁寧に挨拶をする母親の声が聞こえてくる。
 やはり弓永家の一人娘、気さくな母親も琴乃には気を使っているのだろう。
 潤が玄関に歩いて行き、母親に笑顔で挨拶をする琴乃に、
「おはようございます、先輩が朝に来るなんて珍しいですね」
 と、声をかける。
「おはよう、潤君」
 潤が来るのを待っていた様に琴乃は優しく微笑みを見せた。
 丁寧に朝の手入れをしている事が容易に想像出来る長い黒髪に頭の後ろの赤いリボン。
 おっとりさを思わせる少しだけ垂れ目の瞳、綺麗にとおった鼻筋に薄い唇は本土では完全に滅びている一昔前の良家の美少女お嬢様そのものだろう。



「今日は一緒に学校に行きましょう……車を用意させるから」
 潤が何かを言う前に琴乃は口を開いた。
 もちろん表情は笑顔のままだし、口調には強制的な部分は何も感じなかった筈なのに潤にはそれが断りを赦さない命令の様に聞こえてしまったのである。
 そんな琴乃に感じた覚えの無い感情。
 だがそれを間違いだと押し殺して潤は、
「俺達だけ車で行くんですか? 小春達が黙ってませんよ、あいつの膝が解禁されたらキツイな……でも車のクーラーは魅力的かもしれない」
 そう苦笑を浮かべながら、スニーカーを履いて玄関を出た。



 潤の家の前に停まっていたのは琴乃を送り迎えしているいつもの高級車だ。
「今日は特別だから……はい、どうぞ」
 笑顔の琴乃はそう言いながらドアを開ける。
「ありがとうございます、琴乃先輩」
 車内に乗り込み、まるで車の座席とは思えない程の高級感のある座席に身を沈めて、心地よいクーラーの冷気を全身に感じる。
「おはようございます、それじゃあ……宜しくお願いします……え!?」
 少し上機嫌に運転手に挨拶をした潤……だが思わず声に詰まる。
 潤に軽く会釈を返してきた運転手はいつもの初老の運転手とは明らかに違う風体だったのだ。
 年齢は40代半ばだろう短めに切った短髪、口周りの不精髭、そして目元を隠す黒いサングラス。
 そして、黒ネクタイに黒スーツ。
『明らかに……普通の人じゃない』
 緊張が身体を走った瞬間に、
「潤君、行こうね!」
 と、琴乃が明るい顔で隣に座り腕を取ってくる。
 背中に当たるソファーよりも遥かに上等な琴乃の胸の感触を腕に感じる潤だが、サングラス越しに男の視線が自分に向けられた感じを覚え、とても胸の感触に浸る気にはなれなかった。



 車が走り出す、島では弓永家しか所有していないような高級車、走るエンジン音が車内に響き渡るような事は無く、静かなスタートである。
「あっ、松山さん……いつもの運転手さんは今日はちょっと都合がつかなかったから……」
 潤の緊張の視線に気がついた琴乃の言葉に、
「奥宮といいます」
 と、男は運転しながら自己紹介をしてきた。
 低く威圧感が自然と付いてくる声質だ。
「こちらこそ……」
 潤も頭を下げて自己紹介をしようとしたが、
「結構です、お嬢様からよくよく聞いています」
 奥宮に返答を阻む様に答えられると潤は何も言う事が出来なかったのである。



 歩いて20分もあれば学校の近くまではつける道程だ、車に乗れば5分もかからない。



「潤君……」
 横に座った琴乃は潤の腕を取ったまま、黙って見つめてくる。
「どうしたんです?」
「何だか最近の潤君……悩んでいるような気がするんだ」
 そう言うと琴乃は身体を寄せてきた。
「……せ、先輩」
 少し身を引いてしまう、悩みが無い訳は無く図星であるし、バックミラー越しに運転席から奥宮に見られていると思ったからだ。
「……私に隠して……みんなで何かやってない?」
「……!!」
 琴乃の言葉に思わず息が詰まる潤。
 一瞬、琴乃に小春や要と一緒にこの島で起こっている事を調べようとしている事を話してしまおうとも考えるが、それは2人に相談しないと出来ないし、要が承諾するとは考えにくかった。



 要の両親の事故が偶然でないと考えるならば、一番怪しいのは弓永家なのである、琴乃個人を疑う気持ちは無くても琴乃に打ち明けるのはここでは決を下せない。
「あのね……奥宮は気にしないで、秘密はきちんと護れる人だから」
 答えに躊躇している原因を運転席の奥宮にあると考えたのか、琴乃は真面目な顔で潤の耳元で呟いた。
 だが潤は首を振り、
「いや……そういう問題じゃなくて……本当に先輩に相談するような話は何も無いんです」
 と、苦笑いを浮かべる。 琴乃には現時点では打ち明けられない、そう潤は判断した。




「そうなんだ」




 低い声でポツリと一言、呟く琴乃。
「先輩!?」
 あまり見せない様子に潤は眉をしかめる。
 だが、琴乃は何も答えずバックミラーの奥宮に静かに頷いた。
 いきなり車の挙動が大きく動く、そして左折。
 明らかに通学路とは外れた道に入る。
「……え!? こ、これじゃあ学校に行く道程じゃないですよ!」
 慌てて声を上げるが、
「少しくらいの遅刻は何とでも出来るわ……今はそれよりも潤君にハッキリして欲しい事があるの……それを聞くまでは帰してあげられないかも」
 琴乃は僅かに俯き加減になりながら言った。
『な……何だ!? まさか……これは』
 潤は声も発する事も出来ない、何か抵抗したりしたら運転席から運転しながらでもお前をどうにか出来るぞ、とでも言いたげな奥宮の視線が突き刺さっている様に感じてならなかったからである。



 車はあまり広くない道をゆっくりと太宰地区の外れの場所に向かっている。
 立ち入った事は無いが、この先は確か弓永土建か建設かの資材置場になっている筈だ。
 前にグループで遊んでいる時に立ち寄った覚えのある、使わない重機や廃材があり人気は無い場所だ。
『まさか……あそこで尋問されるんじゃ……』
 そう考えた潤の背筋に思わず冷たい震えが走った時である、
「……何だ?」
 奥宮が声を上げてブレーキを踏んだ。



「きゃっ!」
 スピードを落としていたとはいえ、急ブレーキに振られた琴乃の身体を潤は反射的に抱えて庇った。
「イテッ……だ、大丈夫ですか? 先輩」
 潤はしこたま前部座席に身体を打ちながらも琴乃に声をかけると、
「ご、ごめんなさい! 潤君! 潤君こそ平気!? 大丈夫!? 怪我はしていない?」
 焦った様子で潤を覗き込み、
「奥宮!」
 と、運転席に叱咤の混じった声を上げた。
 奥宮は何も返事をしない、ただ車の進行方向である正面を見据えるだけだ。
「奥宮!?」
 声のトーンが変わる琴乃は身体を起こす……潤も琴乃を離して、身体を起こし正面を見た。
「……」
「……」
 そして、2人とも息が止まるように声が詰まる。





 狭い一本道の舗装もされていない道路の中央に1人の少女が立っていた。
 スレンダーな身体を包む白いセーラー服姿。
 ショートボブカットの黒髪。
 何も持たずにそこに立つ少女は見間違う事は無い……渡会千島だ。
 しかし、その瞳はいつもの彼女の物では無い……それは鋭く冷たく、こちらを真っ直ぐに捉えていたのである。



『チー……なぜ!?』



 琴乃が唖然とした声を上げると、
「……」
 奥宮は黙ったまま運転席から外に降りて行った。





     第68話に続く


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