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第66話「母親との食卓」
2017年7月3日
午前7時27分



「潤……あなたも寝不足なの?」
 居間に降りてきた潤を見て母親はそう言いながら目をしばたいた。
「……まぁね、母さん達は何時に帰ってきたんだよ、気付かなかったな」
 制服の白いワイシャツ姿の潤が椅子に座りテーブルに頬杖をつくと、
「それがね……弓永さんが全然離してくれなくてね、2時を軽く回っていたわよ、帰るなりバタンキューしちゃったわ」
 母親は苦笑しながら潤の前に紅茶にトースト二枚を置いた。
 家事にあまり手を抜かない母親にしては質素な朝食、潤はテーブルに置かれたピーナッツバターを手元に引き寄せて、
「なるほどね……」
 と、呟く。



「そのかわりお弁当は豪華よ、春巻やらチャーハンとか中華なんだから」
 母親はそう言って青い包みの弁当箱をテーブルに出して胸を張るが、
「冷食でしょ? 今日はご飯も炊いてないんだろ?」「……ま、まぁ……そうなんだけども」
 と、潤の突っ込みに罰の悪そうな顔を見せた。
 突っ込みはしたが、潤は不服はない。
 むしろそんなノリを見せる母親をまだ若く可愛い所があるとも思う。
 レパートリーに困る弁当が冷食中心でも、母親は夕食は特別な用事が無ければ自分で作っているし、掃除や洗濯等はきちんとこなしてくれている。
「いや……別に冷食でもいいんだけどね、最近のは本当に美味しいし」
「でもみんなとお弁当の具を交換したりしてるんでしょ? 千島ちゃんが言っていたわよ……私が冷食ばかり食べさせてると思われるのはなんだか複雑だわ」
「…………」
 母親の何気ない言葉の中に出た少女の名前。
 潤は僅かだが、言葉に詰まってしまう。
 それをごまかすように潤はピーナッツバターを付けたトーストをかじった。



「ああ、そうそう……そういえば、明日から林間学校なのよね?」
 潤のそんな様子に気付く様子の無い母親は思い出した様に手を叩く。
「そうだよ」
 紅茶でトーストを流し込み頷く。
「楽しんでくるのよ、事故の無いようにね、母さん達も実は明日から本土に行くのよ」
 と、切り出してくる。
「……そうなんだ」
 初耳だ、わずかな緊張が走った。
「お父さんが本社に仕事の進捗状況を報告をする為に東京に帰るからね……母さんも潤が林間学校で家にいないから一緒に行く事にしたのよ、来週の火曜日くらいに帰るわ、潤は日曜に帰ってくるのよね? 火曜日までは平気よね?」
「あ……ああ、全然問題無いよ」
 俯きながら答え、少し思案する。



『……母さん達がいないのなら小春に家の盗聴器を調べてもらうには好都合なんだけど……でも日曜日に林間学校から帰ってくるとして火曜日まで1人か』



 無意識のうちに肩に手がいってしまう潤。
 昨日の朝に龍神のあぎとで怪我をした場所だ。
 どうやら医者の言った通り、応急処置の早さと正確さ、そして傷の浅さが幸いして痛みは無い。
「……痛みはない? もう朝早くから危ない事は止めなさいよ、騒ぎにならないように弓永さんがしてくれたんだからね」
「あ……ああ、傷はたいした事無いらしいし、もうしないよ……久しぶりに向こうの家に帰ってきなよ、結構バタバタでこっちに来たからね」
 傷を気遣う母親に笑い返す、推測だが昨晩、近衛に両親が会って飲んだのも自分の怪我の件が無関係ではないだろう。
「そうね、本当だったら私だけでも残りたいけど、東京の家の整理とか色々とやる事があるから」
 少し不安げな顔を見せる母親。
 しかし、
「心配ないよ! 怪我は本当にたいした事ないし、念のために林間学校でも川には入らない様にする、安心して行ってきなよ」
 潤が笑顔のまま肩を回して見せると母親も、
「そうね、わかったわ、お願いね……潤」
 そう言って笑った。
 回した肩は多少の違和感は否めないが、痛みは無く、とりあえず安心する。



「ところで父さんは? まだ寝てるとか?」
「もうとっくに起きて事務所に行ってるわよ、なにせ急の本社からの呼び出しだもの……まめで普段から書類とかはきちんとしてる父さんでも慌てるわよ、今日は帰らずに報告書をまとめるらしいわ、明日の朝早くに帰ってきて、お風呂に入って仮眠をとったら9時半の船に乗る予定よ……忙しいわね」
 トーストを食べ終わった潤が聞くと、母親は苦笑した。
 事務所というのは海岸沿いにある父親の会社の養殖場建設準備の為の事務所で、まだ地元との折衝状態である現在はただのプレハブである。
「そんなに忙しいのなら家に仕事持ってきちゃえばいいのに……」
 ため息をつく潤だが、母親は苦笑したままで、
「生真面目なのよ」
 と、答えた。
「じゃあ……父さんには帰ってくるまで顔を合わせないかもな、じゃあ母さん、忙しい時に心配かけて悪かったね、って伝えておいてくれる?」
 そう言いながら潤がテーブルから立ち上がると、
「……そうね」
 母親は頷いた。
「……こっちに来てあなたは……」
 続いて何かを言いかけた母親だが、玄関から呼び鈴が鳴り響いてくると、言葉を止め、
「はい、は〜い」
 と、声を上げ玄関に歩いていく。



「……」
 思わず無言になる潤。
 この時間に迎えに家までやってくるのは千島である事が多い。
 学校に近い酒勾地区に住んでいる千島がいちいち道を戻って朝に来てくれるなんて潤は果報者、と母親はよく言っていて、潤も全面的に同意していた……だが今はどうだろうか?
 そんな自問自答をした時に玄関から母親の声が聞こえてくる。



「潤、琴乃さんが見えてるわよ! 早く出てきなさいよ」



「琴乃先輩!?」
 意外な名前に潤は声を上げていた。





     第67話に続く


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