第63話「希望の始まり」
2017年7月3日
午前2時38分
「……ち、千島」
「フフッ」
呆然と呟く潤に月明かりに照らされ笑う千島。
「潤君、まさか要ちゃんとの密会? チー、凄い所に来ちゃった!?」
その表情はいつもの冗談の時みたいにふざけている様子に見える。
「……そ、そんな事じゃないわよ!」
赤面する要。
「本当かな? 防波堤の壁に要ちゃん背中つけちゃって……パジャマが汚れちゃうよ」
「……こ、これは」
千島に突っ込まれると要は言葉に詰まる。
脱がされたパジャマの乱れは直したが、要は潤に防波堤に押し付けられた体勢のままだ、潤も彼女の身体からは手を離しているが目の前に立っている。
「ち、千島こそ、こんな時間にどうしたんだよ?」
潤の問いに千島は、
「夜中の散歩だよ」
と、ウインクする。
「夜中に女の子1人で?」 要が眉をしかめるが、
「じゃあ、要ちゃんみたいにチーも潤君にエスコートされちゃおうかな〜、もっとも……要ちゃん、どうやって潤君をデートに誘っちゃったの?」
と、千島にニヤニヤ笑いながら言われてしまうと返す言葉が無い。
「ああ……千島、それはな……」
潤は要に助け舟を出そうとしたが、千島が引いている自分の自転車を見て、事の重大さにやっと気付いてしまう。
千島が自転車を見つけたのは歩いてきた方向からみて、先の雑木林だ。
潤が昨日の朝に自転車を停めたのは、千島に2人だけの秘密と言われた龍神のあぎとにたどり着く道の入口なのである。
千島に連れられて龍神のあぎとから帰ってきたのはみんなで海に行った時でもちろん、自転車に乗って来てはいない。
そこに潤の自転車が置いてある意味は即ち……後日、再び潤が龍神のあぎとに向かおうとした証拠を千島に見つかってしまった事になるのである。
『……どうする!?』
数瞬のうちに頭を様々な考えがよぎる。
変な事を話せば、千島は要すら疑い出すだろう……いや、既に疑っているのかも知れないが抗いは見せなければいけない。
しかし……千島に全くの嘘が通用するとも思えなかった、普段から千島は温厚でいて、鋭い所があり、ましてここ数日はそれが特化されている様な気がしてならなかった。
『……ここは様子を見る為にも真実も織り交ぜて話した方がいいな』
そう判断した潤は、
「実はな……少し前に家の前に変な男が居る、って要から電話があってさ……俺は自転車に乗って様子を見に来たんだ」
と、要の方を見ながら切り出す。
「ま、まぁね」
潤の嘘。
曲がった事の嫌いな要が話を合わせてくれるかが心配だったが、その話は杞憂で要は僅かなぎこちなさを見せたが頷いて、千島に苦笑する。
「へぇ〜、それで!? 変な男は自転車に乗った潤君と要ちゃんの家の前で一騎打ちをしたとか! 変質者対自転車の騎士潤君! 要姫を賭けた運命の闘い、要ちゃん、羨ましい」
「してない、してない! 話をちゃんと聞け」
あからさまにふざけた千島の言葉に潤は首を振りつつも、いつものグループ内での冗談とツッコミの延長の様で思わず口が緩む。
「それで……俺が自転車に乗ってやってきたら、確かに要の家の前に変な男らしき影が居るんだ、そいつは俺に気がついた様子で凄いスピードで市場の方向に走り去っちゃたんだ」
「追いかけなかったの? いくら速くても潤君、自転車だったんだよね」
千島が僅かに首を傾げて見せてくるが、
「いや……俺は警官じゃないんだぜ、まずは要が平気か確認したかったし、正直な怖さもあったんだよ」
頭を掻きながら潤は苦笑いをした。
いきなり対応した割には上出来な嘘であるが、実際、男を要の家の前で見つけた時、例え自転車に乗っていても同じ理由で追いかけはしなかっただろう。
嘘は一から十まで嘘をつけば綻びが沢山出て来るが、いくらかの真実を混ぜれば信憑性が増す、と何かで読んだ事がある、今がまさにその状態だ。
「ふぅん……でも、この潤君の自転車は要ちゃんの家からその男の逃げた市場とは反対の雑木林の入口にあったよ、そして2人は今、こっちに歩いて来てる、どうして? 何があって、さっき乗ってきた筈の潤君の自転車が雑木林に?」
千島はそう言いながら、完全に潤から視線を切り、要に見据えた。
その視線は潤に答えを求めていない、視線の先の要にそれを要求している。
要は突然の潤の嘘に調子を合わせただけだ、
『……まずい』
口を挟みたいが、それは要が千島の質問に答えられないという事を潤が告げるような物である。
『やっぱり千島は俺を疑っている』
潤は息を呑む。
「それはね……私が悪いのよ」
千島の視線に要は笑いながら肩を竦めた。
「へぇ、要ちゃんの何が悪いのかな?」
妙に棒読みで目を細める千島。
しかし、要は気にするそぶりもなく、
「男が逃げた後、私が潤に頼むからもう少し一緒に居てくれ、って頼んだのよ……男が帰ってくるかもしれなくて怖かったから……そして部屋に潤を上げて気を紛らわす様にあれこれ話をしていたら……家の前に停めた潤の自転車が無くなっていたのよ」
と、説明する。
「どういう事!?」
「私が考えるに男はまた私の家の前に戻って来て、停めてある自転車を見て腹いせに盗んで行ったのかも知れないわね……ところでその自転車は雑木林にあったのよね? チー」
そう要は腕を組みながら千島を尋ねる。
「そうだよ」
頷く千島に、
「やっぱりね……私達はもしかしたらこっちの方に乗り捨ててあるかもって探しに来たのよ、だってこの島じゃ自転車を盗んだってすぐにばれるからね、多分人気の特にない雑木林に放置したんじゃないかと思ってたのよ……」
要はそう言って、
「ほら、潤……チーが持ってきてくれたんだから御礼を言いなさいよ」
と、促してきた。
要の態度は答えたのだからこれ以上は質問無用と言う感じである。
もちろん潤もそれに乗る、何せ男の事以外は嘘であるからだ。
「ああ……そうだな、お互い夜歩きで高校生らしくはないが、ありがとな」
いきなり振られたとは思えないしっかりした要の答えに感謝しながら、千島に笑いかける潤。
「……うん」
千島は俯いた。
明るい月明かりとはいえ表情は伺えない。
「じゃあ……自転車は無事に回収出来たし、要を家に送ったら千島も送っていくか……」
「そうするといいわね」
要と頷き合い潤は自転車を引く千島に歩み寄る。
「いいよ、酒勾のウチにまた来たらでは潤君が家に帰るのが何時になるか」
俯いていた千島は驚く様に顔を上げたが、
「俺の自転車を乗り捨てた変な男がウロウロしているかも知れないからな、千島が嫌がっても俺は勝手にでも送っていくぜ」
潤は親指をビッと立てウインクをする。
千島に対する何らかの疑念が潤の中にあるのは確かだし、ただの散歩でここに現れた訳ではない事も推測出来るのだが、千島を1人でこのまま家に帰す気にはならなかった。
要の家の前にいた男に何の目的があるのかは分からないが、単なる変質者の類の可能性もある、これから要を送りきちんと戸締まりをさせてから潤は千島を家に送ると決めたのである。
「……でも」
千島は躊躇するが、
「ダメよ……チー、ちょっと耳を貸しなさい」
と、要が千島に駆け寄り潤に聞こえない様に何やら耳打ちする。
「なに? どうしたの要ちゃん……んんっ!」
千島は要の耳打ちに赤面してみせ、
「そ、そういう事ならば仕方ないね……宜しくお願いしちゃおうかな?
と、素直にペコリと頭を下げてくる。
「おい……何を言った? どんな余計な事を言っちゃったんだ?」
要に詰め寄る潤、赤面する千島に気付かれない様に要は、
「潤……疑う気持ちはわかるけど、今日は何も無しに千島を家に送ってあげなさい……いいわね?」
真面目な表情で潤に告げてくる。
「……そうだな」
数秒の間の後で潤は神妙に頷き、
「じゃあ行こうぜ、こんなナイトでよければ2人の姫を無事に家まで送ってやるよ」
と、顔を上げる。
すると頬を赤く染めたまま、
「よければ、なんて……チーは潤君は最高のナイト様だと思うよ」
千島はそう優しく微笑みかけてきたのである。
「あ、ああ……」
それに思わず赤面して相槌を打ってしまう潤。
千島の優しい微笑。
それは数ヶ月前、都会から冷めた気持ちで南洋の島にやってきた少年に希望の始まりを感じさせた微笑みであった。
第64話に続く
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