第59話「迫る影」
2017年7月3日
午前1時10分
「明日は木曜日か……いや、明日じゃなくてもう今日の話ね」
岸川要は居間のちゃぶ台に頬杖をつき、何枚かの伝票と納入帳簿に視線を落とした。
普段は短めのツインテールにしている髪型だが、つい先程まで入浴をし帳簿をつけ終えたら寝てしまうつもりなので今は髪を降ろしてのセミロングだ。
「……集中出来ないわね」 舌打ちする。
出来る筈はない。
潤と小春に打ち明けられた事を思い出す。
「この島にまた何かが起こっている」
ポツリと呟く。
「……」
ふと周りを見回してしまう要。
小さい台所付きの居間と寝室、そして一階のガレージとトイレと浴室。
それが要に許されたプライベートな空間。
前は違った。
大きな家、広い部屋には本土から送られてきた玩具、食べたい時に好きな高級菓子をつまみ食い。
何不自由無く過ごし、そして何よりも大好きな両親がいた。
「お父さん……お母さん」 思わず呟く。
思い出さない様にしているのに……それなのに思い出さずにいられずに涙声になってしまう。
帳簿に書かれたボールペンの文字が滲んでいく。
「もう……寝よう」
首を振りちゃぶ台に手をついて立ち上がった時である、何かの気配を感じて要はピクリと動きを止めた。
『家の前に誰かいる?』
自分が居るのは二階である、はっきりとした確証がある訳ではない、しかし気配のような物がしたのだ。 海岸沿いに立つ要の家は元々、まだ両親が健在の時に倉庫がわりに使われていた建物で周囲の家とは少し離れている。
一階のガレージのシャッター、その横にある二階にへの階段に通じるドアにも鍵は閉めている。
二階の部屋のドアも勿論だ。
緊張した沈黙が数十秒続くが別段、何か音がたつ訳では無く、はっきりとした気配が続いている訳でも無かった。
「……気のせい?」
そうは思い始める。
しかし、不意にある不安が付きまとい、要は道路側のガラス窓に畳の上を這いながら近づいていく。
「違うかもしれないわ、もしかしたら……」
それは四年前からずっと彼女を脅かし続けていた恐れだ。
『私の両親は誰かに殺されたのかも知れない』
あくまで噂に過ぎない、しかし、要という女の子は普段は強気だが、普通の女の子が抱くレベルの不安は当たり前に抱える少女なのである。
『両親を殺した犯人が神洋島にまだいるかも知れない、そいつが今度は私を』
そんな不安を心の奥底に沈澱させながら要は四年を生きてきた、そして沈澱物は潤と小春から打ち明けられた話で撹拌され浮上をしてきていたのである。
窓ガラスによりそっと道路側に耳を澄ます。
「……」
特に何も聞こえなかった、海の波の音すら聞こえるような静けさだ。
『……やっぱり寝よう、気にしすぎなのよ』
そう息をついた、次の瞬間……
「誰だっ!? 待てっ!」
と、聞き覚えのある少年の声が外から響き渡り、思わず要は立ち上がって窓ガラスをおもいっきり開け放っていた。
2017年7月3日
午前1時14分
「潤!」
明かりのついた二階から要が見下ろし叫んでくる。「要、大丈夫かっ!」
潤は舗装道路を一目散に駆けていく影を睨んでから要に視線を移す。
「あれは!?」
口元に手を当てて恐怖の声を上げる要。
影は全力疾走をして、瞬く間に海岸沿いの道を遠く離れていく。
薄い月明かり、そして少ないながらに点在する街灯に晒されるが、影は既に遠く何者かは判別が全くつかない。
「わからない! 要は平気か? あいつに何もされてないのか?」
「何もないわ! 何か気配がしたかと思ったら、潤の声がして……」
そう答えると要は窓ガラスを閉め、ドアを開けて外に出て来たのである。
「おい、いくらアイツが行ったとはいえ危ないから出て来ちゃダメだ!」
慌てて要に駆け寄る潤。 影はすでに見えない、おそらくどこか横道に逸れてしまったのだろう。
「潤こそ何よ! ……とにかく来て!」
要は潤の手を取り、強く引いた。
「か、要……とりあえず落ち着け、大丈夫だから」
手を引かれ居間まで上げられた潤は要になるべく優しく話す。
強く握られたままの右手から要の震えが僅かだが伝わってくる。
「私は冷静よ! 何であなたが此処にいるのよ!」
グイッと顔を近づけて怒鳴ってくる要。
その額には南洋の熱帯夜の影響だけではないであろう汗が浮かぶ。
「うん、要と別れてすぐに小春を家に送った後にちょっとした事に気がついてここを通ったんだ……そうしたら要の家のシャッター辺りに何か影がしゃがみ込んでたから……」
「ちょっとした事って何なのよ?」
口を尖らせる要、高いレベルで顔立ちの整ったグループの仲間の中でも潤の母親に言わせれば1番美人になるらしい要にはあまりさせたくない表情だ。
「いや……今日の朝に龍神のあぎとを調べに行った時に要の家からもう少し行った雑木林に自転車を置いたままだったんだよ、それを小春を送った後に気がついて、どうせなら今、取りに行っちゃえって思っちゃってさ」
潤は頭を掻きながら告げるが、要は眉をしかめて、「何よ、それ」
と、呟いた。
「とにかく様子を見た方が良いかもな……俺でよければ少し居てやるよ」
窓ガラスから外をうかがいながら潤が言うと、
「……そうね、本来ならこんな時間に外出しているあなたを叱りたいけど、非常事態よ、少しの間だけお願いするわ」
と、腕を組む要。
「じゃあ、外を見張ってるよ、また現れる様なら駐在さんに電話しよう」
潤は窓ガラスから外を窺うと、要は緊張した表情で頷いた。
2017年7月3日
午前1時45分
30分程の間、窓の外を2人で警戒しながら様子を見ていたが、何者も現れる様子は無かった。
他愛もない会話をポツリポツリと交わしていたが、会話が数十秒途切れた時に要はふと呟く。
「潤の嘘つき」
「えっ!?」
「嘘つき」
驚く潤に要はもう一度同じ言葉を繰り返し、
「あなた自転車をとるついでに此処を通ったとか言ったけどね、こんな夜中に酒勾から海までなんて来る馬鹿が何処にいるのよ」
そう言ってため息をついてみせる。
「やっぱり変だよな……でも自転車が気にかかったのは本当だぞ、ただ、それよりも要の方が気になっただけであって……少し話したい事があった」
素直に潤は白状する。
「ば……バカッ、普通は寝てる時間でしょ? そんな時に一人暮らしの女の子を尋ねるなんて不謹慎よ」
赤面して言い放つ要。
「まぁ……それはそうなんだけどな、どうせ夜中に家に帰るなら酔って帰った両親が完全に寝入った頃に帰りたいとか、要がもしかしたらまだ起きてないかな? とも思ったし……」
潤は的を得ない返答をしてしまう。
小春を送った後での帰り道で自宅のある太宰地区を通過して海沿いに向かっている自分がいた。
小春から要の両親の事やその後の要の苦労を聞いたせいかも知れない。
自転車や両親云々は確かに考えたが要の様子をみたいという理由づけに過ぎないのは自覚している。
「……でも来て良かった、まさかあんな奴が要の家の前にいるなんてな、月明かりだけじゃ顔は判らなかったけど、要の家の前にいたアイツは男だった気がする、体つきの影だけでハッキリ要とは違うと判ったんだ、なんかそういう覚えあるか? 例えば誰かにしつこく付き纏われているとか……いわゆるストーカーみたいな」
潤が聞くと、要は両腕を震えるような仕草で組みながら、
「覚えが無いわよ」
と、僅かに顔を引き攣らせた。
嘘をついているというよりも恐怖を現わす女の子らしい態度だ。
もし潤が要の様子を見に来ていなかったら男らしい人影は要の家に侵入を計ったかも知れない、周りの家とは離れた場所だ。
そう考えると潤でさえゾッとするのだ、当人の要は言うまでもない。
「でも、とにかく潤……ありがとう、来てくれなかったら、どうなっていたかわからなかった」
そう言うと要は潤の左手を右手で握り、
「私に話したい事があるんでしょ? 今ならたいていの事を聞いてあげる、話して」
と、赤面した顔で潤を見据えてくる。
そんな表情の要が抗しがたいくらい可愛く思えてしまい、
「あ、ああ……」
と、頷きながら潤も顔を蒸気させてしまっていた。
第60話に続く
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