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第5話「扉の鍵」
2017年6月27日
午後18時15分


「……ひじり?」
 潤は呟いた。
「そうよ、柳本聖」
 目の前の女性は少し首を傾げ、人懐っこい笑いを見せてくる。
 忘れようと思ったばかりなのに……まるで、それを許さない様に登場した目の前の女性。


「ひじりだけに……お前は正しかった……」


 昼間の血まみれの男の言った言葉。
 偶然だろうか?
 ひじりだけに……聖だけに……この人だけ、伝えるという意味なのだろうか?
「ねぇ、間宮君、私はこんな者なんだけど!」
 聖はサッと名刺を出してくる。
 そこには、
「月刊ミステリアススポット 柳本聖」
 と、書かれている。
 まったく聞いた事の無い雑誌名だった。


「……はぁ」
 対応に困ってしまう。
「知らない? まぁ、部数も出てないし……」
 苦笑する聖。
「ところでさぁ、今、私はこの雑誌の取材でこの島に滞在しているのよ、10月には各地の離島ミステリースポットを纏めた本を出すの」
「……そうですか」
 きっと潤の態度は聖には、何か変にうつるに違いないだろう。
 話など半分も聞こえていない、今は目の前にひじりと名乗る女性が現れた事に驚き、戸惑いを隠し切れないのである。


「さっき聞いたんだけどさぁ、あなた、なんでも平和な島で、駐在さん呼んじゃう様な物を見ちゃったとか?」
 聖が上半身を乗り出し、切り出して来た話はストレートだった。
「……何でそんな事知ってるんですか?」
 思わず、身構えてしまう。
「あら? この島では駐在さんが出張るような事が起きたら大事件もいいところよ、みんなの噂になっちゃってるわよ」
 聖は笑って手を振り、
「……それでさぁ、潤くん、実は本のネタが無くてさ、私もこんな離島に来てネタ無しじゃ困るのよ、概要の様な内容は聞いたんだけど、詳しい話を聞かせてくれるかな? 取材費は出すし、あなたの名前なんて書かないから」
 そう聖は笑顔を絶やさず、メモを取り出しながら言った。



 潤は正直に迷う……あの男の言ったひじりの意味が、この女性の名前の聖の意味ならば、何か開けてはいけない扉を開ける鍵穴に、キーを差す行為ではないだろうか? しかし、あの血まみれの男は何かを誰かに伝える事を自分に託したのだ。



 ……それを自分で止めてしまうかも知れない。
 あの男に義理がある訳では無い、義理ではなく、正直言えば……血まみれの男の伝言がこの自分に託された状況が心にずっと引っ掛かっていた。
 あるいは早く、この呪縛みたいな物から逃れようと思ったのかも知れない。



「……概要って、どの辺りまで知ってますか?」
 潤が口を開くと、聖は表情を緩めて、
「ええっとね、あなたが授業中に窓の外から見えた体育倉庫の影に気がついて行ってみたら……血まみれの男が倒れていた、そして……先生達を呼びに行っている間に血まみれの男は消えていた」
 と、メモを読む。
「ちょっと、違います」
 潤は答えて、
「教室からじゃなくて、外の水飲み場に行く途中でした……」
 と、訂正する。
 情報源は知らないが、伝聞違いだろう。


「授業中に水を?」
「はい……前に脱水症状で倒れた子がいるらしくて、夏場は先生が他の教室に教えに行っている時、外の水飲み場に行くのは黙認されてるんです」
 首を傾げた聖に、潤は説明した。
「なるほどね、先生が少ないのは知ってるわ」
 頷く聖。
「ハイ、後は聖さんが聞いた通りです」
 潤が言うと、
「聖さん……なんて呼んでもらえるのは、嬉しいわ」
 そう冗談めかして、聖は笑った。


「……あ、いや」
 ひじり、という名前に集中し過ぎていた、思わず潤は頭を掻き、
「す、すいません、何だか印象的な名前だったので……えっと、柳本さ……」
 と、言い直そうとするが彼女は、
「いいわ、いいわよ、聖でいいわ」
 と、手を振り、
「じゃあね……ちょっと、その人の様子を教えて貰えるとお姉さんは嬉しいんだけどな」
 と、肩をすくめ、優しくウインクした。



 潤は今だに迷っている、あの言葉をこの女性に伝えるべきなのか……
 血まみれの男の言葉が何度も反芻する。
 ひょっとしたら何も関係の無い話かも知れない。
 たまたま……ひじりと聖が重なった偶然かも知れないのだ。
 潤は千島や琴乃、小春や要、それに駐在や先生達にもこの話は伝えていない。
『……ひじりだけに』
 自分はこの言葉をいつの間にか、ひじり以外から守っていた。
 潤はゆっくり顔を上げ、聖と目を合わせる。



「聖さん、これから話す事は雑誌には書かないでくれますか?」
 真面目な表情で潤が切り出すと、聖のどこか陽気な雰囲気が変わる。
 僅かに潤に対して目を細めて、
「……いいわよ」
 と、答えた。



2017年6月27日
午後18時34分


「なるほどね」
 聖は潤の話を聞き終わると、顎に手を当て、頷いて見せた。
「ハイ、確かに血まみれの人は僕に言いました、ひじりにだけお前が正しかった……と」
 潤は聖の反応を見るが、彼女は何やら考え込んでから、
「ねぇ、間宮君……二十九日の日曜にまた、君に会いたいんだけども」
 と、言い出して来たのである。
「……え?!」
 潤は素っ頓狂な声をあげてしまう。
「ダメ? ご飯奢ってあげるから」
 聖は笑う。



 神洋島にも、外食出来るような店は一応ある、もちろん都会の経済特別区にあるような高級レストランや料理屋は無いが、地元の人間が経営する小さなレストランや定食屋は何軒かあった。



「えーっと、食事するなら、太宰地区がいいわね、こんな島でも比較的……あくまでも、比較的にだけど、拓けているからね」
 聖は、観光マップみたいな物を広げている。
「あのぉ……」
 勝手に話を進める聖、潤は戸惑う。
 すると聖は潤を見据え、
「……あのね、間宮君」
 と、真剣な眼差しを向けてから、



「本当に……伝えてくれてありがとう」



 と、笑いかけて来たのである。
 その笑顔は先程までと違い、どこかさみしげだった。



      第6話に続く


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