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第38話「転落」
2017年7月2日
午前5時58分



「やっぱり船でも中に入っていけそうだな」
 目の前に立ち洞窟の入口を見上げる。
 これは初めて、この洞窟を見た時に覚えた印象でもあった。
 海水が流れ込み、大きな船は無理だが、数人乗り程度の漁船ならば中に入っていけそうだ。
 高さは3〜4メートル程、幅は7〜8メートルといった所である。
「……」
 光の届く所まで中を覗き込む。
 先までは分からない、中央付近は海水が流れ込んで水路の様になっているが、盛り上がった両脇は十分に歩けそうだ。



『随分、奥に続いているんだな』
 息を飲み、背中に背負った小さなリュックから懐中電灯を取り出して左手に持った。
 家の居間にかかっていた物で、電池も今朝新品に換えてきている。
 スイッチを入れ、明かりを足元に照らしながら洞窟の中に足を踏み入れた。



『足元が良くないな、足を滑らせて真ん中に流れている水路に落ちたら……嫌だな』
 潤は眉をしかめる、この洞窟は名前を龍神のあぎとと言って、鮫の巣だと千島から聞いている、落ちたら鮫の餌であろう。
 真ん中の水路になっている部分を懐中電灯で照らしてみようとも思ったが、好奇心を恐怖心が上回る事は無く止めておく。
 20メートル位は入ったのだろうか、既に入口からの光は届かない、懐中電灯が無ければ進めない暗闇で、いやがおうでも恐怖心が増してくる。



『イヤ、ダメだ、ダメだ! 何か俺も調べないといけないんだ』
 引き返したくなる気持ちを無理矢理押さえ込む。
 千島の話通りならば、龍神のあぎとは戦争中の慰霊の場所らしく、小さな慰霊碑でもあるだけの洞窟かもしれない。
 でも、今はこの龍神のあぎとを調べたかった。
「……小さな祭壇しかなかったらそれでもいい、それはそれで千島が俺に嘘をつかなかった証拠になるんだから」
 独り言を呟く潤。
 何か最近の千島を疑っている?……違う! 信じたいからこそ、俺はここに来たんだじゃないか!
 自問自答し、進行方向に懐中電灯の明かりを向けた時である。


「うわぁぁぁぁぁぁっ!」


 ふと何か、風を切るよう音が耳に聞こえてきたかと思うと、左肩にまるでいきなり焼き火箸を付けられたような強烈な痛みを覚え、潤は自分でも意味の解らないようなうめき声を洞窟内に響かせた。
 強い吐き気と友に身体の平衡感覚が消失し、ふらつきが襲ってくる。
 左手から懐中電灯を落としてしまい、周囲を再び暗闇が支配する。
 あまりにも突然の事態に混乱する間もなく、後頭部に強い衝撃を覚え、再び声にならない声を上げながら水路に落ちた所で、潤の意識は途切れた。





−同日 午前7時3分


 朝市からの帰り、海岸沿い道を楠木謙太郎は軽トラで走っていた。
 彼は33歳の青年で、今度オープンする鉄板焼き店の店主である。
 オーナーは神洋島一の実力者と言っても良い弓永家、店はこじんまりとしているが料理人修業から弓永家には世話になり、雇われ店主だが、その分だけ変な経営の気苦労は少ない。
 今日もオープンに向けての試作だが、いくつかの高級食材を仕入れている、弓永家がバックについているから出来る贅沢だ。



「さてと帰ったら早速、試したいソースと……」
 ハンドルを握りながら呟いた時である、
「おわっ!」
 飛び出してきた影に楠木はブレーキを踏む。
 幸いあまりスピードが出ていなかったので、軽トラはすぐに止まった。
「……な、なにやって……あ、君は!?」
 目の前に飛び出してきた影を見て楠木は驚きの声を上げた。
 相手も車が楠木だとは知らなかった様子だ、少々つり目がちな瞳を一瞬、見開いた。
「えっと……要ちゃんだっけ? 飛び出しちゃ危ないよ」
 運転席の窓ガラスを開け、優しく苦笑いを浮かべた楠木。
 だが、要は荒々しい剣幕で運転席のドアを開けて叫んだ。



「潤が……! 潤が……大変なの! 助けてっ」



 泣きだしそうな要。
 楠木はただ事ではないと瞬時に感じとった。




     第39話に続く


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