第25話「近衛と琴乃」
2017年6月30日
午後8時13分
「いやぁ……いい、潤君……君はいい子だね」
女性の声が聞こえる。
拍手は厨房の奥からだ、皆が注目すると、そこから30代前半か20代後半に見える一人の女性が現れたのである。
顔立ちは目つきが切れ長で、鼻が通り、肌も白い美人。
黒い髪は長く編んで背中に垂らし、Tシャツにジーンズのラフな格好、身長は160cmを少し越えるくらいでプロポーションは抜群そうにみえる。
潤は年齢からいって、楠木シェフの奥さんだと思ったが、琴乃が、
「お、お……お母様! なんでここに?」
と、声を上げたので、
「え?! 琴乃先輩のお母さんですか?」
驚いて、その女性を見つめ直してしまう。
「嫌だね、潤君! そんなに見つめて親子共々参らせるつもり?」
女性は両手で自分の頬を触りながら、キャーとふざける。
「こ……近衛おばさま、お久しぶりですっ! いつもお世話になっています」
要は驚きながら、椅子から立ち上がってペコリと頭を下げた。
「お久しぶりね〜、要ちゃん、相変わらず美人ね」
要に近衛と名前を呼ばれた琴乃の母は気さくに笑い、潤の隣に座る。
「あ……、はじめまして間宮潤と言います、いつも琴乃さんにはお世話になっています……あ、えと父も仕事で世話になってます」
頭を下げる潤。
近衛は潤に向かってもニッコリ笑い、
「いえいえ……あたしは琴乃の母で近衛といいます、花も恥じらう33歳」
と、潤にしな垂れかかってくる。
「……あ、……の」
真っ赤になる潤。
「あのね、おばさん……今、夫が長く本土に仕事ででちゃっててね……」
「お母様!」
「おばさま!」
近衛の言葉に思わず叫ぶ、琴乃と要。
「ふふっ、冗談よぉ! みんなの人気者の潤君に手を出したりはしないわよ」
近衛は潤から離れたが、大人の女性を感じさせる香水の香りが潤の鼻に残っていた。
「しかし、おばさまが何でここに?」
要が聞くと、
「いやぁ、琴乃が惚れた男がいるからと聞いて私が手作りで夕食を食べさせればイチコロだって助言したんだよね〜、でも琴乃は手の込んだ料理は無理だから、いい材料を用意して焼くだけの鉄板焼きにしな! って私がシェフに話して店を空けさせたんだけど」
素直に近衛は後ろ頭を掻き、答える。
「……そうなんですか? どうりでいきなり……」
惚れた男と言われて、更に赤面する潤。
しかし、事態は理解する、今回の事は近衛がセッティングした事なのだ。
弓永家の妻ならば、楠木シェフからすればオーナーであるから、多少の無理もきくに違いない。
「でも自分の娘が好きな男に料理を作るとなると、居てもたってもいられなくなっちゃってね……店に隠れて見させて貰っていたらさ、まさかのアクシデントで要ちゃんが来ちゃって、どうなるかと思ったけどさぁ〜! いやぁ、潤君は大人しそうなのに言う時はキチッと言うね! あたしは気にいったよ」
近衛はそう笑いながら、潤の肩を叩く。
そんな近衛にプイッと横を向きながら、
「潤はいつもはそこまでハッキリ物を言えなんてしません! 今日はたまたまです、おばさま」
と、要は言う。
「ひ、酷いな、要」
苦笑する潤。
「要ちゃんも油断ならないライバルだ、って琴乃は言っていたよ」
横を向いた要に近衛がニンマリ笑う。
「お、お母様! そんな事まで話しちゃ駄目!」
真っ赤になった琴乃は首をブンブン振り、要も唇を噛み締め赤面した。
それから、ひとしきり近衛は、やれ潤を早く婿に迎えたいだの、私は16歳で琴乃を産んでるから、琴乃はもう大丈夫だの、と喋りまくり、
「そろそろ、おばさんは家に帰るかな、琴乃……美味しい料理を二人に作ってあげるんだよ」
ウインクして席を立ち上がって、
「潤君も要ちゃんもまた今度ね、琴乃のステーキを食べてあげて」
と、ニッコリ笑い、店を出ていく。
近衛の出て行った後、
「あ、いきなりお母様がビックリさせちゃってゴメンね、すぐに料理の続きをするからね」
申し訳無さそうな複雑な笑いを浮かべ、料理を再開する琴乃。
「先輩のお母さん、凄く気さくで若いな……凄いパワフルだし」
慣れない手つきで、要に教えられた通りに肉を下拵えする琴乃を見ながら、潤が息をつく。
「そう、近衛おばさまは綺麗だし、みんなからも慕われているわ……私もすごく世話になってる」
要が答えた、琴乃は肉以外のガーリックライスや野菜類の準備をせっせと始めている。
「ああ、要は先輩の家が経営している店に漁で採った物を入れてるんだな」
「そうよ、学校も行ってる私は決して、周りの漁をしている人に比べて融通もきかないし、量も少ないのに仕入れてくれてるの」
潤の返事に要は頷いた。
「世話になってるんだな、感謝しなきゃ」
潤が笑う、その時、琴乃は何かの材料を取りに裏の厨房に下がっていく。
それを見計らった様に要は低い声で呟く。
「……赦してもらえていると、安心して良いのかしらね」
「……?」
意味が解らず潤が表情を変えるが、要は何も答えなかった。
「お待たせ〜! ステーキソースを厨房に忘れちゃってね……じゃあいよいよお肉を焼こうか」
琴乃がニコニコ顔で帰ってきた。
脂を再び鉄板に塗り、ステーキを焼き始める琴乃。 食欲をそそる肉の焼ける音が店内に響く。
それを見ながら潤は考えていた。
『……要がいるのはいわゆるイレギュラーかも知れないけど、食事が終わったらやっぱり気になっているあの事を聞いてみよう、要も知っているかもしれないしな』
鉄板の上の肉は音だけでなく、鼻腔をくすぐる匂いも出しはじめていた。
第26話に続く
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