第22話「名無し」
2017年6月30日
午後3時47分
「潤く〜ん、ちょっといいかしら〜?」
帰ろうと校門に向かって校庭を歩いていた潤に、白い半袖シャツの制服姿の琴乃が駆け寄って来た。
琴乃が走る度、頭の後ろに少し大きめな赤いリボンを付けた長い黒髪が揺れていたが、それに負けじと揺れていた部分に眼が行ってしまう思春期の男の性に、潤は少し自分が嫌になりながら立ち止まる。
「どうしたんです? 琴乃先輩」
笑みを浮かべると、琴乃は息を整えながら、
「ハァハァ……あのね、急で悪いんだけど、これから付き合ってくれる?」
と、切り出してくる。
「一体どうしたんです?」 首を傾げる潤。
「あのね……実は今日の晩御飯を一緒に食べてもらいたいのよ」
琴乃は頬を赤らめながら言った。
「晩ご飯?」
潤が声を上げると、
「うん……」
琴乃は切らした息をふくよかな胸に手を当てながら、息を整えて頷く。
そこに玄関から要が履いたばかりの靴の踵を指でいじりながら出て来る。
まだ、2人からは距離があったが、琴乃は潤に耳打ちしながら、
「今日は他のメンバーは誘ってないの……だから言わないでね、後で車を潤君の家に回すからね」
と、囁いた。
「え?……は、はい」
いきなりのデートの誘いである、潤の返事は上擦り、歩いて来た要に、なんなのよ、と眉をしかめられてしまうのだった。
同日
午後6時40分
「じゃあ行ってくる」
潤が玄関から台所の母親に告げる、母親は夕食の準備をしながら、
「ええ、良いわねぇ、きちんと弓永さんに御礼を言うのよ」
と、返事をしてきた。
出る前に汗を流す為にシャワーを浴びていて、髪は少し濡れている、潤は靴を履くと玄関に出た。
母親には普段のメンバーの集まりと告げている、琴乃に2人だけと誘われたなどと話したら何を言われるかはわからないからだ。
琴乃が潤に対して積極的なのは確かだが、今まで2人っきりで……と、いう誘いは無かった、いつもメンバーの誰かはいた。
潤も少なからず緊張している。
黒塗りの高級車が玄関の前に既に待っていた、琴乃の使っている車だ。
傍らには見覚えのある初老の運転手が笑顔を浮かべて立っている、潤が近づいて挨拶しようとすると、
「間宮様、ご苦労様です、どうぞこちらへ」
運転手は頭を下げ、後部座席のドアを開く。
「……え? は、はい」
いつも礼儀正しい運転手の丁寧な挨拶なのだが、今日は何だか更に丁寧な感じがした。
車の中は冷房が効き、シャワーでほてった潤の身体には心地良い。
しかし、後部座席に座って車が走り出すと、すぐに潤はおかしい事に気付く。
「あれ? 琴乃先輩の家はこっちじゃないんじゃ?」
潤の言葉に、
「私はお嬢様に言われた通りの場所に間宮様を連れていく様に言われただけですから……」
と、運転手は口元を緩めて見せた。
「何処に行くんです?」
「すぐに着きますよ」
潤の質問に初老の運転手は優しく答えるが、どうやら教えてはくれなさそうである。
何処に行くのかはわからなかったが、運転手の言う通り車は太宰地区を少し走ると、見覚えがある店の前で止まった。
そこは二日前に海に行った帰りに、琴乃にみんなで連れていってもらった近日オープン予定の鉄板焼きの店だったのである。
「あっ、このお店だったんですか」
潤が声を上げると、運転手は振り返り頷いて、
「ええ……琴乃お嬢様がお待ちです」
と、笑った。
店の前に立つ潤。
ふと何かに気付き、少し吹き出しそうになる。
「千島が必死に思い出そうと考えていたのはなんだったんだ」
店の小さな看板にはまだ何も書かれていない。
オープンが近いとはいえ、まだ屋号が決まっていないのだろう、千島が昼間に必死に思い出そうとしていたが思い出せる訳がない、名前なんて元々、無かったのである。
「そうだ、千島に俺は思い出せた! とか言ってクイズ出してやろう……答えの証拠を撮らないとな」
潤は今はただの時計代わりになってしまった携帯電話を取り出し、カメラモードで一枚撮っておく。
「……千島か」
携帯電話を閉じながら、ぽつりと呟く。
海に行った時に千島はすぐに潤を見つけ、日曜日に聖に会って食事したのを知っていた。
『……小春が昔、千里眼少女と言われていたらしいけど……まるで千島が千里眼少女じゃないか』
そうだとしたら、今から琴乃とこの店で食事をするのも千島にはお見通しなのだろうか?
なんとなく後ろを振り返る潤。
だが、そこには誰もいない、神洋島で一番開けている太宰地区とはいえ、やはり田舎である。
「……いる訳ないよな」
潤は息をつき、
「そうだ、琴乃先輩を待たしているんだったよ」
と、携帯電話をポケットにしまい、店のドアを開けた。
第23話に続く
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