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第20話「感触」
2017年6月30日
午前9時5分


「……千島?」
 顔を伏せた千島、潤はまるで腫れ物を触るような怯えた口調で声をかけた。
「…………」
 だが、千島からの返事は沈黙である。


 隣の教室から聞こえるエスティンが何やら公式を説明する声。
 身体に感じる暑さを更に引き上げるような蝉の泣き声。
 それだけがふたりっきりの教室には聞こえていた。



 そして……数十秒が過ぎ去った時だった、
「……ごめんなさい」
 千島がポツリと口を開いて言った。
「千島……」
 潤がまた声をかける、すると千島はガバッと起き上がり小法師の様に顔を起こして、潤に満面の笑みを浮かべながら、
「アハハッ! いやね、潤君が聖さんとチェレブリタでご飯食べていたよ、って話を聞いてね、あんな大人の女の人とどういう関係なのかな? って、千島に嫉妬の炎が燃え上がっちゃってね!」
 そう言って、よく似合うショートボブカットの黒髪を左手で軽く抄く。



 明らかに浮き沈みの激しい千島の感情。
 潤は戸惑いを覚えながらも、
「ったく……そんな訳ないだろ? お前だって聞かれた事あるんじゃないのか? 知り合いだ、って言ってたぞ、例のミステリースポットの類のアレだよ! 新参の俺を頼るようじゃ、聖さんもネタが無くて本がだせないんじゃないか?」
 千島に向かって笑顔を返す。
「そうだね! 聖さんも神洋島じゃなくて他の島でも調べた方がいいのにさ、チーはこの島でミステリーな事なんて聞いた事ないんだけどな〜」
 首を傾げる千島。
「ほら、エスティン先生に言われた問題、やっとかないと怒られるぜ」
 思い出した様に潤が言うと、
「そうだった〜、急がないと、急がないと!」
 千島は慌てて、教科書をめくり始めた。



「さて、俺もやるか!」
 潤も教科書をめくりつつも、千島の様子を伺ってしまう。



『聖さんとの食事を人に聞いた?』
『誰に聞いたんだ?』
『店のあの感じのいいお婆ちゃんか?』
『いや、違う……千島は食べていたよ、って聞いたと言っていた、店のお婆ちゃんが言うなら、食べに来た、だ』
『聖さんと待ち合わせた海岸から店まで、誰にも顔見知りにはあった覚えはないし……でも、いつの間にか誰かに見られていて千島の耳に誰かがいれた可能性はあるか……神洋島では誰に名前を知られているかわからないから』
『……でも昨日の昼の事が今日の朝には千島の耳に入るのか?』
『店では偶然だろうけど、外からは見られないような奥のテーブルに座った筈だしな……本当に人伝いから聞いたのかな? どこかで千島本人に見られた?』



 潤の中で様々な自問自答がおこなわれた、当然だが手元のエスティンの出していった課題には全く手がつかない。
「……潤君、手が止まっちゃってるよ、エスティン先生に怒られると思うのだけど」
 千島の注意に、、
「ああ……いや、悪い」
 と、潤は視線を教科書に移して、シャープペンシルをカチカチしながら、問題の答えを直接、教科書に書き込んでいく。
『……ちょっと千島に対してナーバスになりすぎかな? 海岸のあの洞窟で怒鳴られたりしたからだろうな、さっきのあの言葉もよく聞き取れなかったし、聞き間違いさ、例え言っていたとしても、普段温厚な千島だって俺に話をはぐらかされて少し怒った程度、聖さんとの食事も知らない間に人に見られていた程度が本当の所さ』
 結局、そう考える事にした潤は、千島に対して、自分でも意味のわからない何かの警戒感から、聖の事を素直に話さなかった自分に苦笑した。



 数分の間、教室には2人は無言でシャープペンシルを走らせている。
 相変わらず蝉の鳴き声、そして隣の教室でエスティンが問題の答え合わせをするハキハキした声が聞こえ始めていた。



「潤君……聖さんの取材の事なんだけどね」
 教科書に目を落としたまま口を開く千島。
 問題を解くシャープペンシルを持つ手は止まっていない。
 潤もエスティンがそろそろ戻ってきそうな感じがしているので、
「ああ……なに?」
 と、問題を解きながら答える。
「潤君……あの洞窟、龍神のあぎとの事は聖さんに喋ったりしてないよね? まさか、あの洞窟までの千島の教えた秘密の道を言ったりしてないよね?」
 千島は顔を上げ、ゆっくりと潤の横顔に顔を近づけてきた。
「……千島?」
 潤は千島の方を見る事が出来ない。
「どうなの? 喋った? 喋らなかった?」



 僅かにトーンを落とした千島の声。
 先程、千島の態度の変化をたいしたことないと思い込もうとした自分に潤は後悔の念が沸き起こる。
 千島は顔は頬に息を感じる程に近づいていた。
「ち、千島だって喋るな、って言ってただろ? 喋ったりしてないよ」
「本当? 信じていい?」
 声が震えていたかも知れない潤の答えに、何の意味か、千島の返事はどこか棒読みだった。
「本当だって……」
 本当に聖には秘密の道はおろか龍神のあぎとについても話してはいないにもかかわらず、やはり潤は千島の顔が見れなかった。
「わかった、ゴメンネ、うたぐったりして……」
 今度は感情のきちんと入った様子の千島の言葉。
「わかりゃいいよ」
 潤は心の中で安堵して再び問題に目を落とし、取り掛かろうとした時である。
 右の頬を何か生暖かく湿った感触が下から上にゆっくりと走った。



「……!!」



 頬を押さえながら、千島に向かって振り返る潤。
「う〜ん、前に何かの漫画で嘘をついてる汗は味が違うとか言ってたけど、わかんないね、汗がしょっぱいだけだった」
 そこには千島が舌をペロッと出しながら笑っていた。



     第21話に続く


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