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第15話「市場の小春」
2017年6月30日
午前4時8分


 空は少しずつ明るくなり始めていた。
「よっと!」
 潤は庭の片隅に止めてある自転車のビニールカバーを取り、チェーンロックを外す。
 要に言わせると、
「まぁ、用心に越した事はないけど……この島ではチェーンロックをかけるより、自転車にはビニールカバーをきちんとかける人の方がはるかに多い」
 との事。



 それは平和な神洋島では、自転車を誰かに盗まれるよりも、海風にフレームがやられてしまう方が心配という意味だ。
 潤は軽く助走をつけると、一気にペダルを漕ぎ出す、太宰地区から港までは自転車なら行きは緩い下りだ。
 朝焼けの照らす道を自転車は勢いよく、走り出して行った。



 市場にはすでに人だかりが出来ている。
「お〜い、こっち! ここに止めな!」
 小春は駐輪場で自転車を止めて待っていた。
「お早う小春、よく遅れなかったな」
「私から誘っといて遅れる訳ないだろ!」
 自転車を止めながら、潤が茶化すと、小春は膨れた。
「ははっ、それもそうだな、でも思ったより結構人がいるんだな……」
 素直に驚く。
 もちろん、本土の築地市場などの活気と人出には敵わないが、小さいながらの賑わいを見せている。



「朝市かぁ〜、そう言えば要はいないのかな?」
 潤がバスケットコート三面分ほどの倉庫を見渡して言うと、
「こんな時間にはいないかもな、朝ならもう少し遅いし、多分、今日は夕方じゃないかな?」
「えっ? 市場は朝だけじゃないの?」
 小春の答えに驚く潤。
 市場は朝だけの物だと思っていたのだ。
「ああ、朝よりは規模を小さくしてやってるよ、でも相変わらず要が好きなんだな……」
 目を細める小春。
「な、何言ってるんだよ! ただ要は朝には市場に採った魚を出してないかな? と思っただけだ、同じ買うなら知り合いから買いたいだろ?」
 突然の振りに、慌てふためく潤に小春はニタニタとした笑いを浮かべ、
「そうかぁ? でも残念だなぁ、最近は琴乃姉の家の関連の店に直接卸す事が増えたらしいから、愛しの要は市場には何日かに一回くらいしか来ないらしいよ、残念だな〜」
 と、答える。



「コラッ、いい加減にしろよ小春! 俺は要の事なんか別にな……」
 潤が赤面しながら言いかけた時、
「別に何よ?」
 と、背後から潤は非常に今のタイミングでは聞きたくない声を聞いた。
 もちろん、小春はしてやったりといった表情で笑っている。
「え?」
 振り返ると、そこには短めのツインテールをした見知った少女が普段から少しきつめの目つきを更にきつくして立っていた。
「要……お前、何をしに来たの?」
「海女が市場に来たらおかしい? それよりもあなたこそ何よ、こんな陽が出たばかりから私の悪口を言ってくれてる訳?」
 潤の間抜けな質問に、要はため息をついた。



「別に……わ、悪口なんか言ってないだろ? 何ともって言っただけで」
 潤が答えると、
「ええ、そうね、そうよね、別に何とも思ってない、って言ってただけだものね! だったら私だって潤なんか別に何とも思ってないんだからね!」
 要は潤に顔を近づけた。
「ハイ、ハイ、止め、止めだよ、潤は今日はあたしの荷物持ちだ」
 そこに小春が苦笑して割って入る。
「荷物持ち?……ああ、あれの手伝いね」
 怪訝な表情を見せた後、何かを思い出した様に声を上げる要。
「そう、あれ」
 小春は頷いた。



 その後、要は卸し業者の人に用事があるらしく、また学校で、今度悪口を言ってたら承知しないわよ、と潤に釘を刺してから別れていく。
「さぁ、掘り出し物探しだ、ついて来いよ!」
 要に手を振った後、小春は猫の髪留めを付けたセミロングの髪をなびかせて、颯爽と市場を歩き出す。



 それからは、潤の役目は小春の荷物持ちである。
 エネルギッシュに市場を駆け回る小春は、倉庫内の鮮魚を主に扱う場所や、倉庫の外に増設されている野菜などを扱う場所を駆け回っていく。
「それ、それは安くしてよ、そんな値段じゃ夕方まで残って魚が泣くよ!」
「その白菜は少し小さいからこれくらいで!」
「網目で傷がついてるな〜、私が3割引きで引き取って上げるよ」
 と、魚、野菜等を様々な交渉術、話術を使い、買っていく。
 相手は本格的な卸し業者だったり、採った物を直接売りに来ている生産者だったり、潤にはよく仕組みがわからなかったが、様々だった。



 しかし、狭い島での事であるから皆が知り合いの様で、多少、強引とも思える値引きを敢行する小春にも好意的で世間話を交えたり、中には小春とのやり取りは愉しいと、おまけを付けてくれる人も少なくない。
 そして、6時近い頃には小春も潤も両手一杯に買い物袋を持っている状態になっていたのである。
 しかし、用事はこれからだった、小春は魚を保冷剤と一緒に発泡スチロールにいれると、自転車の後ろにロープで固定した。
 潤の自転車も同じ様子であり、更に2人はビニール袋に入った野菜なども用意したリュックに背負ったりしている。
「よし! 気合いを入れていくぞ」
 小春が150cm足らずの小さな身体で、自転車のペダルを漕ぎ出すと、
「俺もいくか!」
 潤もそれに続いていく。



 目指すは小春の家のある酒勾地区。
 神洋島では、秘境で殆ど人の住まなくなり、危険な為、立入禁止区域が多くある鎮守地区程ではないが、山沿いの場所だ。
 大量の買い物はもちろん1人暮らしの小春の物ではなかった。
 実は小春は一週間に一回程だが、自分の家の周辺に住む徒歩で一時間程度かかってしまう海沿いの市場に行くのが辛い一人暮らしの老人達に、こうやって買い物を代わりにかって出ているのである。
 今まではずっと1人でやっていたのだが、今回はたまたま頼んでくる老人と買い物の量が多く重なり、困り果てた結果、潤に電話をかけて来たらしい。



 今まで小春がそんな事をしていた事など潤は知らなかったので、聞いた時は潤は驚いたが、手伝いを頼まれると、断るつもりなど全く起きず、二つ返事で了解したのだ。
 あまりにも潤があっさり引き受けたので、小春は少し意外そうだったが、嬉しそうに礼を素直に言ったのである。
 女の子として、琴乃や千島、要に比べて粗暴とも言える小春だが、根は優しく面倒見の良い少女だ。
 仲間内の女の子のそんな一面を見せられて、早起きは辛いなどと言える程に潤は薄情ではなかった。



「ほら、早くしないと新鮮な魚が腐るぜ!」




 潤は緩やかだが、上りの酒勾地区までの道に向けて自転車のペダルを立ち漕ぎして、小春の自転車を追い抜く。
「なっ! 負けるかよ」
 予想通り小春も立ち漕ぎを敢行して、潤に並びかけてくる。
「勝負だ、小春」
 すっかり明るく照らす太陽、2人は汗をかきながらも笑顔で自転車を漕ぎ続けた。



     第16話に続く


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