第14話「小春からの誘い」
2017年6月29日
午後6時15分
いつもの設定よりも、少しだけ熱くした湯に顔をつけた潤は、
「ふ〜っ」
と、意識して大きく息を吐く。
「もう、忘れるんだ……」
顔を湯舟に沈めた。
「聞いたら、引き返せなくなる」
聖の言葉。
その言葉と聖の瞳に対して、潤の出来た事は、
「……わかりました、聞きません」
と、答える事だけであった。
聖に質問の答えを聞いてしまえば、きっと引き返せなくなる様な事態に巻き込まれる。
血まみれの男に託された言葉は聖に伝えた。
少なくとも果たすべき責任は果たしたと思う。
個人的に聖には嫌悪感は無い。
美人であるし、聡明そうでユーモアもありそうだ。 しかし、血まみれの男が関係するような事件に巻き込まれてまで、知り合いでいたいとは思わなかったのである。
何よりも、潤は失いたくは無かった。
みんなと過ごす、これからの生活を……
「うん、私もそれがいいと思うわ、潤君……それじゃあね」
潤の言葉に聖は微笑みながら頷き、席を立つ。
「はい……聖さんも取材頑張って下さい」
俯き加減に言った潤に、聖は肩をすくめ、
「そうね、君もグループの仲間達とちゃんと仲良くやっていくのよ」
ニッコリ笑いながら、潤の肩を叩き、
「お婆ちゃ〜ん、会計だよ〜! 早くしないと行っちゃうよ〜」
と、店の奥に向かって明るい声で言ったのだった。
聖に何か見透かされたような気がした潤は黙って席を立った。
風呂から上がり、脱衣所で身体を拭いていると、電話の呼び出し音が居間の方から聞こえてくる。
父親はまだ帰ってなかったが、母親が居間の隣の台所に居る筈なので、特に気にせずにいると、
「潤、お電話よ〜、もう上がってる〜?」
母親が声を上げてきた。
「ああ、俺? 平気だよ、すぐに出る」
トランクスにTシャツ姿で頭にバスタオルをかけ、居間に歩いていく潤。
「誰?」
応答待ちになっている電話を見ながら、台所に既に戻っている母親に声をかけると、
「新田さんよ、あの元気のいい娘さんでしょ? あなたも小学生の娘さんから電話かかってくるなんて、随分、交遊が広いわね」
と、声が返ってくる。
「母さん、小春は中学生だよ……あれでも」
苦笑しながら、潤は子機を取って廊下に出た。
「おせぇ!」
潤が電話に出た開口一番の小春の言葉はこれだ。
「仕方ないだろ? 風呂に入ってたんだよ」
潤は答えながら、子機を持って、自分の部屋がある2階への階段に座る。
本土にいた時には無かった事だ。
友人からの電話等は携帯にかかって来ていた、母親は自分の友人など1人も名前すら知らなかった。
「そうなの? 風呂早いな〜、わりぃ、わりぃ」
電話の向こうで小春が苦笑して、後ろ頭を掻いている姿が容易に想像出来た。
「いや、いいんだけどな? 急ぎの用事だろ?」
潤は尋ねる。
明日の朝になれば、登校から小春とは顔を合わせるのである。
休日以外はグループの面子は欠席でもしない限りは全員顔を会わす。
電話がかかってくるのは全くでは無いが、そう頻繁では無い。
「ああ、そうそう……お前さぁ、明日の朝、早起きしないか?」
小春はいきなり切り出してくる。
「早起き? ラジオ体操でもあるのか? 俺は行っても二度寝しちゃうぜ」
潤が冗談めかして答えると、
「ち、ちげぇ! 早起きして市場に付き合え、って言ってるんだよ!」
小春は怒鳴り散らす。
「市場?」
「そう、市場わかるだろ? 港の近くの!」
「ああ……行った事はないけどな」
潤は答える。
神洋島に市場は一つしか無い。
港の近くの倉庫だ。
朝早くしかやっていないから、倉庫が市場だとは知ってはいたが、市場として動いているのは見た事が無いのだが……
「そう、そこ! 明日の朝4時半、自転車乗ってこいよ!」
返事も聞かずに言ってくる小春。
「4時半! 何だ、そりゃ? お前、寿司屋でも始めたのかよ」
「違うけど、とにかく来ればいいんだよ! ご褒美やるから!」
潤が驚くと、小春はまくし立てる。
「ご褒美って、俺はフリスビー上手くキャッチした犬じゃないんだぞ!」
眉をしかめ、潤は答えた。
4時半に市場に行くには4時には起きないといけないだろう。
徒歩ではなく、自転車なら太宰地区から港まではなだらかな下りが続き、行きは楽である。
そう考え始めている時点で朝は辛いが、小春の誘いを断るつもりは無い。
「さぁ、どうすんだよ? 来るのか? 来ないのか? ご褒美か、キャメルクラッチかの選択だかんな」
受話器から聞こえてくる小春の声。
潤は結局は付き合うが、もう少し焦らして小春の反応を楽しむのも良いかも知れないなどと意地悪な考えが浮かび始めている。
そう、明日からここ数日の何か不気味な出来事はもう忘れよう……
みんなと楽しくやっていこう。
「ご褒美の内容にもよるよな、小春が明日一日、俺の専属秘書になるとか」
潤はあまりらしくない軽口を言ってみせた。
第15話に続く
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