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第1話「神洋島」
2015年 −初夏−
都内某所


 割れたドアから、生暖かい風が吹き込んで来ていた、全身が痺れるようだ。
 渡会千島わたらい ちしまはゆっくりと眼を開けた。
 ……視界が朱い。
 何でだろう?
 さっきまでお父さんとお母さんと、一緒に経済特別区に行こうとしていた時だったんだけどな……
 あそこなら今までの事をみんな忘れて暮らせると、思ったのに。
 よく見たら逆さまだし、車の前部座席なんか……潰れちゃってるよ。
 お父さん、お母さんは……大丈夫なのかな?
 そうだ! 車に乗っていたんだ、思考があべこべになってる感じ、
 えっ……まさか……わたし……死ぬんじゃ。
 そう思いながら千島は静かに眼を閉じた。



2017年 4月


「見えてきたわよ」
 必要以上に騒ぐ母親に、
「俺にも見えてるよ」
 と、間宮潤まみや じゅんは返事を返しながら、海風が変わった事を感じ取っていた。
 今まではただの海原だったのだが、ひとつの島が視界に入ったからであろう、何か違う風がフェリーの甲板を駆け抜ける。
「すまんな、父さんの仕事のせいで……」
 すまなそうに話しかけて来た父親に、
「気にする事ないよ、社命に逆らってリストラでも喰らったら、せっかく経済特別区に建てた家も無駄になって、人生お先真っ暗が待ってるんだからね」
 潤は素っ気なく、答えてから、
「まぁ、いいんじゃない、いくら東京都といっても、こんな南の島には経済特別区なんてないだろうし、しばらく南の島の住民と仲良くやるよ」
 諦めがちに首を振りながら、東京から数百km南東に位置する神洋島を馬鹿にしたような眼で見た。


 フェリーが小さな埠頭に着けると降り立ったのは、何人かの島の人間と潤と父親、母親だけである。
 埠頭近くは、いかにも寂れた漁村といった感が拭えない。
「暑いな……」
 潤の開口一番がこれであった。
 さすが南洋である、今まで住んでいた東京都とは4月とはいえ、暑さが違っている、潤は服の胸元をパタつかせた。


「少し道を聞いてくるから待っていなさい」
 両親はフェリー乗り場から漁村の方に歩いていく。
 タクシーでも、と言いかけたが、潤は周囲を見渡してため息をつく。
「……わかったよ」
 そう潤は答えて、フェリー乗り場の椅子に座り込んだ。


「親父も大変だよなぁ、こんな辺鄙な島に会社の養殖場を造る手配をしないといけないなんてな」
 潤は父親に同情する、父はある大手水産会社の社員で出世畑を歩いていたが、社内の派閥争いに敗北した派閥で重要な立場にあった為、東京本社勤務から同じ東京都ではあるが、こんな南洋の島の養殖場建設調査と地元との調整役に左遷されたのである。
 初めは単身赴任という話が出ていたが、結局は家族全員で神洋島という南洋の島に来た。
 理由は派閥争いに敗北して、精神的、肉体的に疲れ果てた父親を1人、神洋島にはやれないと母親が判断したからだった。



 しかし、潤は父親には感謝していた、今まで父の立場のお陰で、2010年代になってから指定された経済特別区という、簡単に言えば金持ち専用の政府が定めた居住区に住めていたのだからである。
 経済特別区は治安も安定し、環境も良い。
 逆に言えば、一般区と言われる地区は底無しの不況の中で犯罪が増え、失業者やホームレスで溢れかえっている。
 格差社会の表れだと野党は指摘していたが、もはや日本は90%以上の富を持つ5%程の富裕層を優遇する事で、経済的な生き残りの道を選んでいたのだ。


 しかしながら、そんな話は本土の大中都市の話であり、離島の神洋島には関係ない筈である。
 そんな事を思いながら、ボンヤリと海を眺めていたが……
「親父達遅いなぁ」
 いつまでも、フェリー乗り場の椅子に座っているのも何なので、海岸沿いを歩き始めた。



「泳げそうだな」
 予想以上に綺麗だ。
 海岸沿いの海を見ながら潤は呟く。
 都会の港沿いの海なんて、何やら沢山浮いていて海面も濁り、泳ぐなんて考えもしなかった。


「泳げるよ」


 不意に声がして、ハッとして潤が振り返ると、そこには1人の少女がニッコリ笑って立っていた。



 黒髪のボブカットに水色のワンピース。
 体つきはスレンダーで、身長は160cm前後だろう、顔立ちは目元がぱっちりとした明るそうな可愛い少女であった。
 雑誌やテレビで見るようなアイドル並の美少女ではないが、十分に可愛い。
「……やっぱりそうなんだ? 綺麗だから泳げると思ったよ」
 潤が答えると、少女は笑顔を崩さずに、
「まだ、早いけどね! 流石に、ここでも6月くらいからになるよ」
 少女はウインクしながら、
「6月になったら、泳ぎに来ようね、間宮くん」
 と、自分を覗き込んできたのである。


「え? 君、なんで?」
 潤が驚くと、
「ああ……この島に若い人が来るなんて珍しいから、学校では間宮潤君っていう二年生の人が来るって話題になってるんだ、それで……そうじゃないかな? とか思ってね」
 説明しながら、少女はペロと舌を出した。
「……そうか、じゃあ、君の名前を聞いてもいいかな? 君は知っていても、俺は君の名前を知らないんだよね?」
 潤が笑い返すと、
「うん、私は渡会千島、みんなにはチーって呼ばれてるんだ、宜しくね」
 千島は潤に手を差し出して来る。
「よろしく」
 潤は頷き、千島の差し出して来た手を握った。


 この時、はっきり言えば、潤は同じ年頃の少女の手を握る行為に慣れてはいなかったので、少し赤面していた。



2017年 6月27日


「潤君! 行こう」
 千島の声が聞こえると、
「今日は早いな」
 朝食のトーストを潤は慌てて口に入れた。
「みんな来てるから行ってくるよ」
 台所の母に告げ、潤は朝食のテーブルを立つ。
「弓永さんの娘さんに宜しくな、父さんは弓永さんの家のお陰で上手く仕事出来てるんだからな」
 正面のテーブルに座り、島内新聞を読み声をかけてきた父親に、
「ああ、わかったよ」
 と、答え潤は玄関に駆け出していく。


「おはよう、すっかり暑いね」
 潤が玄関を出ると、そこには夏服のセーラー服姿の千島が鞄を両手で持って立っていた。
「おはよう潤君、朝から可愛いわね」
 その横には、黒く長い髪をした少女がニコニコと上機嫌で挨拶してくる。
「おはようございます、琴乃さん、でも可愛い……って、あまり男子に誉め言葉になりませんよ」
 潤は苦笑したが、
「だって可愛いんだもん、しょうがないよ!」
 と、言いながら、琴乃と呼ばれた少女は潤を抱きしめる。
 豊満に膨らんだ柔らかい感触が潤の頬に当たる。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
 流石に慌てる潤。
 それを見ていた千島は、
「うわー、琴乃ちゃんのツープラトンプレスだよ! 朝から情欲の責め苦が潤君を刺激するぅぅぅ!」
 などと、言って止めない。


「はい、解放」
 琴乃はニコニコしながら、潤の顔を胸から離す。
「ううっ、朝からもてあそばれた……」
 赤面して、そんな事を言いつつも潤は内心は嬉しくない訳ないが、
「と、とにかくおはようございます!」
 と、挨拶をし直す。
「はい、お早う」
 琴乃は肩をすくめながら微笑んだ。


 彼女の名前は弓永琴乃。
 長い黒髪、頭の後ろに大きめの水色のリボン。
 身長は165cmと千島よりも高い。
 先程、潤も味わった通り胸は大きく、ややスレンダーな印象のある千島に比べて、調度よくふっくらした感じである。
 顔立ちは瞳がやや、たれ目で優しげ、鼻は高く、唇は薄く肌が白い。
 まさしく、都会では死に絶えた感のある純粋なお嬢様といった風情の美少女である。
 ちなみに琴乃は見かけだけではなく実際にお嬢様であり、弓永家は先祖代々、神洋島で対外防備に当たっていた海軍軍人の一族で、戦後、半世紀以上経った今でも、島で並ぶ者なき名家なのだ。


「あれ? 千島、要ちゃんと小春は?」
 潤が周囲を見渡す。
「要ちゃんは、今日は漁をしてからみたいだよ、小春ちゃんは遅刻かな?」
 千島がそう答えると、
「小春は遅刻じゃない! 今、到着したぜ〜」
 と、甲高い大声が聞こえて来る。
「小春ちゃん、間に合ってよかったね」
 千島が走り込んできた、小春と呼ばれた少女の頭を撫でる。
 150cm前後の身長にセミロング、髪の右側だけ猫の髪留めを付けている。


「へっへっへ……間にあったぞぉ〜」
 意気揚々の小春。
 かなり息を切らしている様子から、遅刻寸前ではあったのだろう。
「まったく、息切れてるじゃないか」
 潤が苦笑いすると、
「ほっとけ!」
 小春は腕を組んでむくれた。


 新田小春。
 彼女は中学2年生であるが、あまりにも童顔な為に小学生にも見える。
 ちなみに琴乃は高校3年生と千島、潤は高校2年生、小春は中学2年生だが、島には学校は神洋学園と神洋小学校という2校しかなく、中学生と高校生は神洋学園に通っているのである。


「じゃあ、行きましょう、潤君は私と手を繋いで行きましょうね」
「……結構です」
 先頭に立つ琴乃の冗談だか、本気だか、判別しかねる言葉を潤がかわし、琴乃、潤、千島、小春の4人は歩き出した。
 舗装道路やそうでない道を歩き、潤の家から20分程で神洋学園に着く道程である。


 神洋学園は木造平家建ての校舎。
 学園は全生徒数わずか30人程度で、特に高校生は12人と少なく、3年生が5人、2年生が2人、1年生が5人という内訳だ。
 すなわち、2年生が2人という内約は潤と千島しかいないという意味だ。
 本土ならば、一般区にもなかなか建っていないような年期の入った校舎に入り、琴乃や小春と別れる。



「お早う!」
 千島は誰もいない教室に入るのに朝の挨拶をしながら入る、毎日だ。
 気になり、前に理由を聞いてみたが、
「特にないよ、2人で教室に入って来てそのまま居るのが寂しいだけ」
 と、答えられているので潤はそのまま教室に入り、二つ並べられた机の片方に座った。
「要ちゃんは漁からまだ戻ってないね、大丈夫かな〜? 疲れてないといいけどなぁ〜」
 千島はそう言いながら、鞄から教科書を机の中に入れていく。
 席がピッタリ引っ付いているのは千島の発案で、潤の転校初日から、千島から席をつけてきたのである。


「要、市場に行ったんじゃないか? 前に言ってたろ? 新鮮なうちに売るとかなんとか……」
 潤が答えると、千島は、
「あ、そうだね、市場に行ったんだね、きっと」
 安心した様に微笑む。
「何を心配してたの?」
 潤が聞くと、
「あ……いや、そろそろ鮫がたくさん出て来るかも知れないからね」
 そう千島は俯きながら答えた。



 要というのは、高校1年生の女の子。
 本名は岸川要きしかわ かなめ
 4年前に漁に出た両親を行方不明で失ってからは、一人暮らしで海女をしながら生計をたてている。
 両親について幼い時から海女として海に出ており、腕は良いらしい。
 いつも琴乃、千島、小春達とグループを形成しており、千島を通じて潤もその仲間に入っている形になっている。


「鮫? そんなのが出る海を潜っているのかよ!」
 潤が驚くが、
「南の海に確率の違いはあれ、鮫の出ない海は無いよ、神洋島の周りはこれでも少ない方だよ、でも神洋島は本土からは遠く離れているし、もう南洋諸島の方が気候的には近いしね」
 千島は当然の様に答えてから、
「ああ、もちろん防護ネットは有るし、要ちゃんも対策はしてるよ」
 潤を安心させる様に笑って、肩を竦めた。
「う〜ん、怖いな」
「ちゃんと防護ネットの張ってある場所でいくつかの事に気をつけていれば、平気だよ、明日にでも泳ぎに行こう、って琴乃ちゃんが話していたよ」
「……ったく、いいけど、なんか怖いよ」
 潤は苦笑した。


 そこに、
「ハイハイ、授業を始めますよ」
 と、高校生全体の授業を受け持つ、エスティン先生が現われる。
 エスティン・エスティー先生は30代前半の外国人女性教師であり、学園を運営を支援する弓永家がかなりの厚遇で招いているらしいと潤は聞いていた。
 日本語は堪能であり、全く不自由はないし、性格も真面目で学園の生徒にも慕われている。


「じゃあ、一時間目は英語ですよね」
 エスティン先生はそう言いながら、教卓にしまわれた教科書を取り出して、15分程、授業をすると、
「じゃあ、27ページの問題を解いていて下さい」
 と、教室を出ていく。
 他の学年の教室を回り、再び帰ってくるのはだいたい20分後だ。
「先生がいないのはわかるけど、エスティン先生大変だなぁ」
 潤は問題を解きながら、呟いた。


 千島と相談しながら、問題を解いていき、エスティン先生を待つ。
 教室は本土特別区の学校には当然あるクーラーなどは無く、南洋の陽射しがジリジリと暑い。
「喉が渇いたから、少し水飲んでくるよ」
 潤はそう言って、席を立ち上がる。
「わかった」
 千島は頷く。
 前に暑さから授業中に脱水症状を起こした生徒がいたらしく、水を飲みに行く事は先生が他の教室に行っている間は黙認されているらしい。


 水飲み場は教室から、少し外に出た場所だ。
「朝から暑いな、これだけは中々我慢出来ないよ」
 上履きから靴に履き替えて、潤は外に出ていく。
 やっぱり気候的に慣れていないせいか、潤は暑くなって来た6月に入って、何度か授業中に水を飲みに出ている。
「やっぱり都会っ子っていう奴かな?」
 潤は頭を掻きながら、水飲み場に歩いて行くが、ふと何かに気付いて足を止めた。
 校庭の隅に建つ体育倉庫の陰、何かが動いたのが目に入ったのである。


「……」
 校庭で体育は行われていなく、生徒の姿はない。
 だいたい体育はエスティン先生の管理が行き届く様、学園全体で行われている為に現在、校庭に出ている生徒はいない筈だ。
「何かの動物か?」
 興味本位で潤は、体育倉庫に歩いていく。
 そして、その陰を覗き込んだ潤は思わず、息を呑んだ。



 そこには、血だらけの男が倒れていたのである。



「……な、な、な」
 いきなりの事に潤の頭が混乱した。
 しかし、先ずは大人を呼ぼうと思い付き、踵を返そうとすると、
「ま……待って……くれっ……頼む」
 血だらけの男は、絶え絶えの声で潤を呼び止めた。
「な、なんですか? い、今から人を呼びますから待っていて下さい!」
 潤が焦りながら声を上げると、男は血だらけの手を伸ばして来て、
「頼む……ひじり……ひじりだけに……お前は……正しかったと伝えて……」
 と、焦点の定まらない瞳で、呻く様に言った。
 ひじり? ひじりだけにって何だ?
 潤はいきなりの事で混乱する意識の中でも、その単語を反芻するが、思い付く事はない。
「ひじりだけに……ひじりだけに……」
 そう繰り返す男。
 血はまるで全身から出ている様だ。
 一体、どんな目にあったのだろうか?



「と……とにかく、待っていて下さい!」
 潤は慌てて、校舎に駆け戻り、靴のまま廊下を走って教室を窓から見て行き、三年生の教室にエスティンがいるのを見つけると、入口を開いて中に飛び込む。
「潤君、一体、どうしたんですか?」
 余程、普通でない表情をしていたのだろう、エスティンは真顔で聞いてくる、三年の教室にいた琴乃も潤の乱入にビックリした様子だ。
「そ、それが、体育倉庫の裏に血だらけの人が倒れています!」
 潤が叫びに近い答えを返すと、
「なんですって?」
 エスティンは声を上げてから、
「弓永さん、みんなを集めて職員室の校長先生の所へ行ってください! 私は様子を見てきます」
 と、琴乃に告げ、用具入れからモップを持って教室を出ていく。



「みんな集まって!」
 琴乃は廊下に出て叫ぶ。
「ナニ? 何があった? 寝てたけど勉強中だぞ!」
 小春を始めとする中学生が廊下に出て来て、
「潤君、何かあった?」
 千島も教室から出て来る。
「とにかく緊急事態、職員室に避難するわよ〜」
 それらに対し、琴乃はまるで引率の先生の様に手招きをした。


 学園には、中学生を教える女性の老教師と、同じ位の歳の老校長がおり、緊張した面持ちで職員室に生徒達を避難させ、エスティンがモップを片手に体育倉庫に近づいて行くのを見守る。
「潤、本当なんだろうな? かついでんだったら、タダじゃ置かないぞ!」
 固唾を飲んでエスティンを見守りながら、小春が潤に話しかけてくる。
「んな事ないよ、本当にいたんだから……」
 潤は言い返す。


 職員室から校庭を挟んで、皆が体育倉庫に視線を送っている。
 距離にして、50メートル位であろう。
 モップを槍の様に構えたエスティンが体育倉庫の陰を覗き込む……あの位置なら、血だらけの男が視界に入る筈だ。
 しかし、エスティンのとった態度は意外な物であった。
 その場で首を傾げると、モップを構えながら、体育倉庫の裏手に回って行き、帰ってくる。
 そして、再び慎重な足取りで、体育倉庫の回りを2周ばかり回って、テクテクと校庭を横切り、職員室の外に立つと、
「あの……間宮君、何もないのだけど……」
 と、苦笑したのである。


「……なっ!」
 唖然とした潤に、
「てめぇ!」
 と、怒鳴りながらの小春のボディーブロー。
「うぐっ!」
 冗談でなく、潤は肺の中の空気が全て出ていくような感覚にとらわれたのだった。



      第2話に続く


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