瞳(め)に映るものは幻覚、脳に焼き尽くしものは約束
「・・・・・・」
天気は良いのに気分は最悪だ。いや、最悪になったと言うべきか。
夢から覚め、重い瞼をのろのろと開き、顔をしかめた杏はゆっくりと上半身を起こす。
額の汗に気づく余裕もない程、杏は憔悴していた。
深呼吸をしはじめたが、なかなかうまく出来ないのは夢を見たせいか、それとも・・・・・・。
杏の意思でではなく、自然と手が口を塞いだ。
そうすることで、杏はなにかを堪えているようだった。
見開かれた瞳に、何が映っているのかは本人しか知らない。
「まだ、見るんだ・・・・・・見えるんだ、まだ」
か細く、抑揚の無い声で、杏は呟く。
言葉から察するに、たった今まで見ていた夢をもう見ないと思っていたんだろう。
だが10年前の武具大会の日の出来事は、8歳の子供には重過ぎる出来事だった。
簡単に忘れることなど出来ない、どうあがいても。
最も、天秤泉での出来事まで見なかったのは杏にとって不幸中の幸いといっていい。
もし見ていたら、きっと起き上がる気力も無かっただろう。
ここ数年見ていなかっただけに、免疫力も落ちているだろうから。
「天秤泉に行くところで切れたのは、この光のおかげだな」
黒い瞳を細めながら杏は青く澄み切った空を見上げた。
まるで、10年前村で行われた武具大会当日のような空だ。
杏が言った光とは太陽のこと。
太陽の位置がほぼ真上に来ていることから考えて、正午だと推測できる。
昨夜の暗闇に光を射す月とは違う、強い光。
『眠りすぎたな』と杏は心で呟いて今度こそ村の村長の下へと足を運びだす。
昨夜は強烈に臭った血のにおいも、今となっては少しばかり薄れたようだ。
だが、未だにある死体にはカラスや小さなハエなどが群がっているのが目の端に捕らえられた。
「・・・・・・あーそか。俺が帰るまでここには立ち寄るなって言ったな、そういや」
何故、未だに死体の処理をしていないのかと思ったが、しつこいほど自分が言ったのをようやく思い出したらしい。
身体についた土をはらいながら立ち上がった杏は、村へ続く一本道を進んでいく。
村人達にも事態は飲み込めているはずだが、
自分が帰るまでにこの場所に立ち寄ればただでは済ませないと、
散々脅しておいて酷い仕打ちだと思うが『まあ大目に見てもらおう』などと考えている杏は鬼としかいえない。
「村長に服も新調させてくれと頼むかな」
苦笑交じりに朱に染まった羽織と服を見て杏は言う。―――やはり鬼だ。
しかしこれだけ破れや黒い染みがつくと流石に新調して欲しいと思ってしまう。
白夜を持っていなければ、単なる乞食と変わらない格好といっていい。
だがこの村は小さいため、そんな融通が利くとは思えない。
「ま、駄目元で言うしかねぇか」
軽く息をついて少しばかり歩を早める杏は、村へ続いている森へと足を踏み入れた。
全てを揺らす程度の風が吹く。
木々が草々が花々が気持ちよさそうに揺らされる。
その度に自然の匂いが杏の鼻孔をくすぐった。
「気持ちいいなぁ、白夜」
杏は気持ちよさそうに伸びをし、歩きながら白夜に話しかける。
声はしなくとも、杏の言葉に同意しているような感覚が襲ったのは気のせいではないだろう。
愛刀は昔からそうだった。
杏が悲しければ泣いてくれ、笑えば一緒に笑ってくれた。
いわば以心伝心。
そして良き相棒なのだ。
「なあ白夜」
なにもかもが10年前の武具大会の日を思い出させる。
場所も時代も違うのに、この澄み切った感じから周りの景色から思い出してしまう。
だから口に出てしまう。
10年間、いまだ答えをもらっていない問いが。
「何で、助けたんだ―――?」
“俺だけ、何で守られたんだ?”
“どうしてお前は、言ってくれなかったんだ?”
「俺達が、狙われてるって、俺は、気づいて、なかったんだぜ?白夜・・・・・・」
最初は語尾がかすかに震える程度だった言葉が、だんだん涙声に変わっていく。
じわりじわりと出ていた涙も、今では頬を伝って地面に落ちて吸収されていた。
上を見ても空は見えない。
深緑の葉が揺れ、音を奏でている様子も涙が邪魔をしてはっきりと見えないが、
その音は10年前を思い出させるのに十分な演奏だ。
『あの夢を見ていなければ、きっとこんなに悲しい音には聴こえてないはずなのに―――』
そう思う杏の足はいつの間にか止まり、黒い瞳がついに幻覚を映し出した。
「っ!!」
息を呑む杏。
だが、これは幻だと本能が言っている。わかりきっている。
でも。杏は動けない。
目の前に、10年前自分が殺した親友が横たわっているのだ。動けるはずが無い。
そしてなにより、血の生々しい匂いが彼女を落としていく。
「・・・・・・びゃ、くや?」
10年前、自分が殺した親友の名であり、愛刀の名前につけた人物、名を白夜。
彼は、あの時と同じように横たわっている。
目は半目で血だらけなのに、光は強い。
そして彼は言う。
“約束、な?”
音は聴こえない。
だが、ゆっくり動いた口は確かにそう言っていた。
瞬間。
杏はいやおうなく、夢の続きを鮮明に思い出す。
彼女の心の奥深くに眠らせていた記憶が、今、眠りから覚まされた。
****
「はっ!なんだ?その攻撃は!」
天秤泉について早々、2人の遊び・・・・・・はたから見れば死闘が始まり、早3時間が過ぎた頃。
杏の蹴りを軽々とかわし、土を蹴り上げながら上へ飛んだ白夜が言い放つ。
対して杏は、そんな白夜を追うように跳躍し背中に背負った朝陽に手をかけたが
「遅いっ!」
そんな白夜の声と共に、上から振り落とされた足技によって朝陽を取り出すことはおろか、
そのまま地面に身体を叩きつけてしまう。
が、『痛い』と思う暇も無く、白夜が夕陽を取り出す気配を感じ取る杏。
瞬時に飛び起き、まだ痛む右手で朝陽を取り出した瞬間。
刀と刀がぶつかった時の『ガキン!』という音と、強い衝撃が杏を苦しめる。
『ここで気を緩めれば、確実に自分は負ける』と、本能が告げた。
自分と白夜の力には差があることは重々承知している。
だからこそ一瞬の隙もつくってはいけない。
「こ、ここで気をぬく、わけには・・・・・・?!」
歯軋りする杏を前にした白夜は、ニッと笑いながら杏の視界から突然消えた。
同時に力までなくなったので思わず前のめりに倒れる杏。
刹那。
目の前に刀が現れ、杏は真っ二つにぶった切られた・・・・・・というのは冗談だが、
黄泉の世界に足を入れそうになったのは事実だった。
「押し合いだけが戦術じゃねーんだぜ?杏」
「う、五月蝿いっ!」
白夜は自ら屈みこみ、夕陽を横に振ったのだ。
辛うじて朝陽でガードできたのは、杏にとって奇跡に近い。
それでもやはりほんの一瞬ばかりおそかったようだ。
杏の服は腹の辺りに横一線をひかれていた。
朝陽で防御するタイミングがずれた証拠だ。
前のめりの体制でガードしているので反撃するにも出来ないのが杏は悔しくてたまらない。
まだ、手もしびれている。
『負ける』
その言葉が脳裏をかすめた瞬間、夕陽が朝陽を杏の手から空高く舞い上げた。
そして同時に
ドスッ
鈍い音をたてて杏のみぞおちに白夜の拳がクリーンヒット。
そのまま後ろに立っていた樹木に、杏は身体を預けたまま動けなくなってしまうが白夜の夕陽が勢いよく真横に振られ―――
杏のポニーテールが容赦なく切り落とされた。
流石の杏もこれには寿命を縮めたのか、まるで瞳に光がなくなっている。
光を失った瞳は白夜を見ているのか、それとも探しているのか、はたまた何も見えていないのかわからない。
放心した杏を見た白夜は、ポリポリと頬をかくと容赦なく杏の頭にチョップを食らわせる。
「?!ぉわっ!」
「おー戻ってきたな」
汗と共に瞳に光が戻った杏は、恨めしそうに頭をさすりながら目の前にいる白夜を見るが
当の本人は、いたって涼しい顔をして「気、抜きすぎ」と言いながらデコピンを食らわせ、
「朝陽を持ってきてやる」と言い残し、杏の前から姿を消した。
杏は膨れっ面をしながらその場に座り込み、近くに落ちた漆黒の髪の束をツンツンと触った。
結構気に入っていただけに、ものすごく白夜が憎たらしい。
「白夜の人でなしぃぃ・・・・・・」
杏は白夜が戻ってくるのを確認してから声に出した。
小さな声だが、森が静かなせいでどんな音も響くのだ。
白夜は笑いながら「お前が未熟だからだろ」と返して朝陽を差し出す。
最もな返事なので、杏は朝陽を無言で受け取るが白夜は朝陽から手を離さない。
「白夜?」
「杏、勝負しようぜ?」
2人の言葉はほぼ同時だったが、杏は素っ頓狂な声をあげ目をパチパチと瞬きをした。
意味が分からない。
『勝負なら毎日やっているのに、何故今頃?というか、なんで真剣な顔をしているんだろ・・・・・』と
様々な疑問が頭の中を駆け巡ったが、それより早く白夜の口が開いた。
「俺と、お前のどちらかが―――!?杏っ!」
白夜の怒鳴り声と、この場に似合わない無数の銃声が天秤泉の森に響き渡る。
しかし杏は目の前の状況が理解できなかった。
突然であまりにも一瞬のことだからなのか、はたまた本能で理解したくないと感じたからなのか杏には分からない。
今の杏は疑問ばかりに捕らわれていた。
“どうしてアタシは地面の上に転がっているの?”
アタシは樹木に寄りかかっていたのに。
“どうして白夜の身体が自分の上にあるの?”
アタシとの距離は確かにあったのに。
“どうして白夜から生ぬるいものが流れているのか・・・・・・この赤く生ぬるい液体は何・・・・・・?”
アタシは攻撃をしてない。ましてや朝陽をちゃんと返してもらったわけでもないのに。
なんで、白夜から血が流れているの? |