先月、伯父が亡くなった。
大変信心深いご家族で、通夜から始まり何故か毎週のように、召集がかかる。
大好きな伯父だった。伯母もそして従兄弟達も、そんな彼等に会いたくて、
律儀に皆勤している。
そこで一番問題なのが、バスである。
最近私がバスに乗ったのは、巨大テーマパークのホテルとパークを結ぶシャトルバスくらいである。高校時代以降、殆どバスに乗ることは無い人生を歩んできた。
わが町では、狭い道路の為、直ぐに渋滞に見舞われ、バスの時間通りの運行は全くといってよいほど望めない。そんな訳で、バス路線は次々廃止されてしまうほどだ。
そんな私が、久々に一人でバスに乗る。
初日、私は構えて早めにバスのターミナルにいた。
バスとはいかにして乗るのかを確かめたかったのだ。
料金は?
チケットは?
整理券とかはあるのか?
何処でいつ払うのか?
バス停は?
どの路線のバスが使えるのか?
系統が違うバスの場合、バス停は何処になるのか?
事前調査は前日にPCでしっかり済ませている。
先ずはプリペイドカードを購入。
これが、かなり難解。
昼間のみのプリペイドカードや回数券等色々ある。
わからんので、普通のプリペイドカードを買う。
運賃は200円だ。
5回も来る事も無いとは思いつつ、現金で支払うのに不安があるので、1000円のプリペイドカードを購入。
いざバスに乗り込む。
案外空いている。
私はバスの中央から乗り込み、直ぐ後ろの空いている席に腰をかける。
お年寄り達が、皆さん前の方に行き、立たれている。
かなりのご高齢の方も、一番前に行き、必死で手摺や、つり革を持って堪えている感じだ。
後部座席は殆ど空席だ。
空席があるので、お席を替わりましょうか。とも云えず座っていた。
そして、ついに発車。
凄い、スピードである。
予想、以上だ。
広い道路の左から右へと大きく、そして大胆に車線を変更する。
おじいちゃん、おばあちゃんはしっかりと、手摺を抱えて、堪えている。
山道をどんどん登って行く。
降りる前には、降車ボタンを押さなければならないようだ。
もし、押してない場合は平気で次の駅まで連れて行かれる仕組みのようだ。
ボタンを押していなければ、次の駅で、乗る人がいたとしても、前の降車ドアは開かない。
中々恐ろしい世界である。
私が降りるバス停の名前は分かっているのだが、一体何番目なのかを調べるのを忘れていた。
焦る。
何処で降車ボタンを押すべきなのか。
焦る。
段々、混んでもきている。
焦る。
降りれなかったら、どうしよう。
焦る。
ハワイでバスに乗り、前で降りるのか、後ろから降りるのかも判らぬまま、宿泊ホテル前のバス停から、発車しそうになった事があった。
幼い甥と姪を連れ、大声で「Excuse me! Please stop!」と言って必死で降りた事がある。
焦る。
やはりバスは天敵か。
焦る。
仕方が無い、おじいちゃんやおばあちゃん達のように、前で張り付いていることにした。
移動した。
「バスが動いている間は、動かないでください!」
運転手さんに怒鳴られた。
流石である、移動はかなり困難を極めた。
私自身、運転中のバス内を動く事がこんなにも危険な事だとは知らなかった。
流石である、私一人が移動を始めたのを察知した、運転手殿。
お見事!
やっと降りる駅の名が呼ばれ、ボタンを押した。
一安心。
降車時。
ウっ! プリペイドカードは何処に入れるのだ?
現金を入れるところはあるが・・・。
あっ! その上に黒い箱が・・・。
おっ! プリペイドを入れられそうな細い入れ口があった。
おそるおそる、差し込んでみる。
エッ! 入っていかない。
ほっ! ゆっくりプリペイドカードが吸い込まれていく。
エッ! 出てこん。
ほっ! ゆっくり出てきた。
降りれた。
めでたしめでたし。
疲れた。
何だかだと、呼ばれて伯父の家に伺う。
毎回、立派な法要が営まれ、ご馳走が振舞われる。
お酒が大好きだった伯父。
昔、伯父は自分が死んだら、芸者をあげての提灯行列がしたいと、話していたという。
時代が変わってしまった。
昔でも、人が亡くなって、懇意の芸者が提灯行列で練り歩く話を、私は聞いた事がない。
色々豪快な伯父であった。
日々、夜の街で名を馳せていたとか。
私の知る伯父は、朝から平気で安いウイスキィーを呷っていた。
伯母も、医者である子供達も止めている様子は無かった。
そんな家族は、伯父の死後、追悼の会に励む。
そんな伯父宅へ、私は通う、バスに乗って。
今回は2度目である。
何回もバスに弄ばれるほどの素人ではない。
今回は2度目だ。
たかがバス、一往復2回の乗車経験値があれば充分であろう。
バスに乗った。
今回も、プリペイドカードをしっかりと持っている。
降車時のプリペイドカードの挿入口もわかっている。
降車前には、降車ボタンを誰か一人は押さねばならないのも、ガッテン承知だ!
バスがかなり早く走るのも経験している。
そんなバス内を運転中に移動してはいけないのも、百も承知だ。
後ろの方に乗っていては、途中で降りるのは困難である。
前のほうの普通の席は、全てといっていいほど優先座席だ。
高齢者の利用はかなり多い。
座るなということだ、それぐらいは平気である、座るものか。
しかし、のんびり立っていられる速度ではない。
大きな道を、右から左へ大きく車線変更をしながら、黄信号でしっかりと曲がるのである。
中々の迫力だ。
一番前でポールにしっかりと、おばあちゃんと一緒にしがみついていた。
喉が渇いた。
持参のペットボトルの水を飲んだ。
間髪いれず「車内でのご飲食はお止めください!」とのテープが流れた。
うっ!又、やられた。
たかがバス。
されどバス。
伯父が亡くなり、通夜そして告別式。
そして7日毎の法要があり、そして初盆の法要・・・・限りなく続くようだ。
最近の法要では、皆只の飲み会のようになってきている。
お寺の住職やその奥様、そして小坊さんとも、皆友人のようである。
笑顔が溢れ、法要中の私語が耳に障る。
今日も無事にバスで伯父宅まで辿り着いた。
法要もそしてそれに続く宴会も静かになりつつある頃を見計らって、私は伯父の家を後にした。
お酒も嫌いではないが、最近では酒の肴に、妙な伯父への不平不満が上がる。
確かに、人間的には出来た人ではなかったようだ。
私も子供の頃には、伯父の辛辣な物言いに閉口した。
よく、母の後ろで泣いていた。
悪意は全く無い。
大人たちはいつも、そんな私を見て笑っていた。
悪意の無いのは子供心に分っていたように思う。
大人になってからは、辛辣な言い様に、辛辣な言葉を返して遊んでいた。
危険な遊びだ。
この年になって、そんな伯父を今更責める気もおきない。
死者に鞭打つような会話には入りたくない。
伯母や子供達は、それぞれ心に何かしらの蟠りがあるらしく、ネチネチと酒と共に、酔いと共に漏れ出す。
皆を嗜めるほどの憤りも無い、帰るしかないのだ。
初めて、一人で帰りのバスに乗る。
帰りはいつも誰かとバスに乗るので、いつも安心である。
いとこ達はヒョイヒョイと、後ろのちょうど良い席を確保して、私を座らせ、クーラー送風口の風向もチョイチョイと良い感じに合わせてくれる。
降りる時は、皆のプリペイドカード等を何気なく確認して、持っていない人には200円を持たせる。
親戚4〜5人はサササッと料金を払い運転手に笑顔でありがとうございました!と声をかけ、軽く会釈をしておりる。
中々素敵な、ほろ酔い軍団である。
何の心配もない、後ろの方にでんと座って楽しく話しながら帰る。
バス等、何の問題も無い。
快適な空間である。
しかし、今日は一人である。
バスが来た。
帰りのバスである。
時間の制約もないので、焦る必要もない、のんびりといつものように、最後部に座った。
帰りは終点まで乗っているので、途中下車の心配は不要だ。
ほろ酔いの私を、バスはいつものように軽快なスピードで駅ターミナルに届けてくれた。
後は降りるのみ、プリペイドカードも持っている。
バスでは、只、前の人から降りるのでは無く、最初に立っている人が降り、そして次は最後部の人から降りることになっているようだ。
中々、心憎いマナーである。
私は最後部に座っていたので、立っている人が降りるのに続いて、席から立った。
私の降りる番が来た、プリペイドガードを入れた。
料金不足を指摘された。
その上、何処から乗ったのかと聞かれた。
私の後ろには、まだまだ沢山の立っている人、そして前のほうで座っている人もいる。
バス降車の人の流れが、ピタッと止まった。
私が止めたのである。
酔いが吹っ飛んだ。
何故、料金不足なんだ?????
意味の分からぬまま、
乗り込んだ、バス停の名を何とか叫んだ。
あと100円です。と言われ。
慌てふためいて、鞄から小銭入れを探し、探し、探し見つけた。
小銭入れの小さい2つの仕切りの中から100円玉を探すが無い。
50円玉1個と10円玉が1,2,3,4・・・4枚しかない。
まけてくれと言いたかったが、言葉をのんで、札入れから千円札を出した。
運転手に渡すと、両替機に入れるように促された。
どうしてこんなチッチャイ空間に、両替機が存在するのだ???
確かに、それは存在した。
チッチャイ両替機だ。
チッチャくて、そしてトロイ。
千円札を入れてから、しばらくしてからチャラチャラチャラチャラチャラ・・・・とのんびりと100円玉が出て来た。
100円を運転手に差し出すと、料金入れに入れるように促された。
運転手は聖人か?・・・運転席は聖域かなのか?
手を入れることも、手を触れる事も叶わないのだ。
背後からの、それはそれは冷たく重い視線をずっしりとおぶってバスを降りた。
降りてからプリペイドカードの自販機の所へ直行した。
プリペイドカード1000円を買うと、1100円分使えるのだそうだ。
そして、私は今日、伯父の家に来たのは3度目である。
そうだ、行きも乗れば、帰りも乗っている、バスに。
片道200円で往復400円。
3往復すると400×3=1200
確かに1200円の所を1100円では通れない。
今日の帰りに乗ったバスは、いつものバスとは違ってもっと長い距離を走っている路線のバスなので、バスを乗る際に整理券なるものを貰わなければならなかったようだが、未確認。
そういえば整理券の発行機みたいなものがあったような?無かったような?
いやいやあったに違いないのです。
あ〜バスを粋に乗りこなせる日は来るのか。
今日は初盆の法要があった。
もう、これっきりにしようと、勝手に思っている。
親戚の参加も、どんどん減ってきている。
しかし初盆は又特殊なものみたいだ。
きちんとした案内状が届いた。
宴会、いや会食と言うべきのようだ。その会食も伯父宅ではなく、近くの料理屋が指定された。
告別式以来の、改まった形の法事であった。
皆は、いつものように全ての法事の終了後に伯父宅に向かったが、私は会食終了後に失礼した。
最近の伯父宅での、飲酒後の会話は毒を孕む。
やはり皆、伯父の血を引いているのか、辛辣である。
言葉の棘を楽しむ感がある。
言葉の遊びだ。
嫌いではないが、方向性が違う。
時の経過と共に、更に妙な「妙」が生じる。
それが「粋」であれば匠の旨味を味わえるのだが。
ここの「妙」には獪のエグ味しかない。
今の私の口には合わない。
疲れているときには、やはり甘味だ。
意味の無い甘言で癒されそして、虚脱感を得る。
最近は仕事が忙しくて、エグ味を味わう舌は持てない。
以前なら喜んで率先して参戦をしていたように思う。
私にも伯父の血が流れているのだ。
しかし、今日でもう、伯父宅の法事への日参は止める。
私なりの、伯父へ偲び、そして弔いは一時の完結を得たのだ。
背後に漂う暗雲を振り払い、帰宅の途についた。
バスである。
気合を入れてバスに乗り込む。
有終の美を望む私。
もう、流石にもうゆとりである。
何の、思いも無く「無の境地」で風のようにバスに一人、乗り込む。
ホッホッホッ・・・チッチャイ整理券発券機から、気配を消した白い整理券が舌のようにでていた。さりげなくその舌を抜き取り、最後部に座る。
座ったとたんに、クーラーの送風向をちょんちょんと私の好みに合わせる。
今は、未だ汗が噴き出しているので、2つの送風口を両方ともしっかりと、私の身体全体を包むように調整した。
お盆という事もあって、かなり空いている。
小さな送風口ではあるが、しっかりとした冷風が全身を心地よく冷やしてくれた。
そこで、送風口を少し閉じ気味にして風の量を調整して、方向も少し身体から外した。
中々快適である。
そうこうしている間に、終点に近づいてきた。
早くバスを出たかったので、終点少しまえのバス停での停車の際を見計らって、前に移動して一番前に座った。
停車中の移動には、運転手からの注意は受けない。
中々、快適である。
次の、次が終点である。
一つ前の停車中に立ち上がり、運転手横のポールにしがみついた。
プリペードカードはもう無い。
アラアラ大変、100円玉も無かった。
千円札を、料金箱下の小さくて可愛い両替機に入れる。
優雅に静かに上品に100円玉が流れてくる。
それを受け取った所で、終点の大きなバスターミナルに到着。
バスの前のドアが開く。
開いてから、整理券と200円を、小さなベルトコンベアが入っている料金箱に入れる。
ベルトコンベアが流れる間に運転手が料金等を確認する。
運転手に笑顔でありがとうございました!と爽やかにお礼を述べて、会釈と共にバスを降りた。
完璧である。
フト前を見て、驚いた。
ココは何処????
降りて驚く筈である、今までにきたことも、見たことも無い、いつも降り立つバスターミナルとは全く反対側のバスターミナルに到着していたのだ。
急いで振り向くと、バスの前面上に掲げられた、行き先には「**駅東口駅行き」とあった。
確かに普段のバスには「**駅行き」としか無かった。
バスには完敗である。
完膚無きまでの完敗である。
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