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ファッキン・シスターズ・クライスト
作者:
酒井しのぶ
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#8
「なんだ、ずいぶんと痛い目にあったようじゃないか。大丈夫なのか?」
高橋はそう言って、助手席に転がっていたペットボトルを差し出した――おれはそれを受け取り、キャップを捻って一口飲んだ――緑茶。
この位置からだと、しのぶの部屋とマンションの入り口が一望できる。七階か八階建てくらいの賃貸マンション/賃貸にしちゃ豪華な造り――マンションの端から端まで奥行きが四、五メートルほどもある綺麗に刈られた植え込み/その植え込みの中央/タイル張りの通用路の先/マンションのエントランスホール。入り口の自動ドアの中/日中は管理人がいるのであろう管理人室らしき扉/中からカーテンがかけられた横長の小窓/ここからでは見えないが、その向かい側に集合ポストがあったのを記憶している。オートロックではないから、管理人がいない時間なら誰でも出入り自由だ。
しのぶの部屋は、こちら側から一番遠い角部屋。ほかの部屋と違い、四、五メートルもある植え込み部分の半分ほどまでウッドデッキのテラスが広がっている。バーベキューパーティーくらいなら楽にできそうなほど広い。テラスにはウッドデッキと同じ色の木製のテーブルと椅子/そのテーブルの中央/刺し込まれた深緑色のパラソル/テラスから直接この通りに出てこれるように扉がついている柵/人が一人通れるほどの幅で、植え込みを突っ切る石畳の小道が作られている。
もっとも、しのぶがベランダでバーベキューなんてやりそうもなけりゃ、自分の家に客を招いたりなんてまずしそうにない。おれはしのぶの部屋に何度も入ったことがある/あいつの部屋は何もない/女とは思えないほどに何もない/三部屋のうち使っているのは一部屋だけ/その部屋を寝室兼衣装部屋にしている/それ以外はどでかいリビング・ダイニングに生息している。
「ちょうど今、妖しい男が登場したところなんだ。おまえも見てみろよ」
高橋が指差したところ/しのぶの部屋/テラスの中――男はテラスに忍び込んで窓に耳をあてている。
「あいつがどこに住んでいるのかは、もうわかったぞ」
「なんだって?」――咥えていたタバコを口から落としそうになる高橋。
おれもタバコに火をつけた。
「もしかして、別件の調査ってのはあの男のことなのか?」
「いや違う、あいつを尾行している女のほうだ」
おれは高橋のそばに身を乗り出して、七海が張り付いている電柱を指差した――ここからじゃ見えづらいが、人影らしきものは確認できる。
「なんだおい、何がどうなってるんだ?」
おれは体をもとに戻した/タバコを深く吸い込んだ――そしてゆっくりと吐き出した。
「おれだって何がなんだかさっぱりわからんさ。おまえが紹介してくれたかね持ちの女は、おれに何も教えてくれない」
「奈津子はいつもそうなんだ。なにも言わない。そして、聞かないでいればかねは払ってくれるんだ。だが、おれのバイトにも関わっているようだから、おまえが知っていることくらいはおれにも教えろ」
おれはタバコを消して、体を横に寝かせた――狭い車の中だから足は伸ばせないが、起きているよりはずっと楽な気がした。
「門脇七海、あの女の名前だ。そいつの生年月日、血液型、親の名前、職場の部署と役職、それにプライベートの行動を調べろと言われた。それだけだ」
高橋はタバコを消して、缶コーヒーを一口飲んだ。
「なるほど、それで尾行していたらここに来たってわけか」
「そうだ。あの男の名前はまだわからんが、七海と同じマンションの四〇四号室だってことはわかった。高円寺南口から十二、三分歩いたアーバンビルド高円寺ってマンションだ」
高橋は男に視線を向けたまま話を続けた。
「それで、なんでおまえはそんなボロ雑巾みたいなんだ?」
やれやれだぜまったく――「愛莉を捕まえ損なってこうなった」
笑う高橋――「おまえ、タフガイ戦法に出たんだろ」
「違う、超タフガイ戦法だ」
大笑いする高橋――声が外に洩れたかも知れない。
「上手くいってたんだ、たぶんな。スケベ面で愛莉を口説いていた男が邪魔しやがって、気がついたらこのざまだ」
「ああ、たぶん上手くいってたんだと思うぜ。アホな男がたくさん寄ってこなきゃ上手くいってたんだろう」
まるで見ていたかのような高橋の言葉――高橋も同じ経験をしたことがあるのだろう――愛莉のことで。
「まぁとりあえず、あの店から愛莉を追い出すことには成功した。それになかなかかわいい女とも話ができたしな」
「ほう。おまえはただ突っ立ってるだけで女が寄って来るからうらやましい」
「ただ突っ立ってたわけじゃない。ボロ雑巾になって小銭を落っことしたら寄って来たんだ」
笑う高橋――「なんだかわからんが、小銭に感謝だな」
「いや、小銭を生んだハイネケンに感謝だ」
笑いながら大きなあくびをする高橋。
「で、あのストーカー野郎はどうする。捕まえるか?」
「現行犯でいけそうか?」
「どうかな。ストーカーってのは何か盗んだり、侵入したりした証拠ってのが残らないと、現行犯でも立件は難しい」
「しのぶんちのテラスはウッドデッキだ。足跡くらい残るだろうよ」
「そうかもしれんが、そうじゃないかもしれん。せめて、郵便ポストでも漁ってくれりゃいいんだがな。あそこなら明るいから写真もちゃんと撮れる。なにしろ、おれたちは警察に嫌われている。確固たる証拠がなきゃ、捕まえたって警察の嫌がらせに合うだけだ」
おれは体を起こした――男はまだしのぶの家のテラスにいる。今は何もせずにただ座りこんでいるだけだ。
「このまま夜を明かしそうな勢いだな」
「あれを写真に収めることはできるか?」
「できなくもないが、この距離じゃ顔がちゃんと映らんだろうな。暗いしな」
どうしたものか――
「住所はわかっているし、名前だってすぐにわかる。とっ捕まえて脅しでもかけりゃ、もうやらなくなるんじゃないか?」
「おまえは超タフガイ戦法ばっかり使うから、ボロ雑巾になっちまうんだ」
「なんにせよ、捕まえたい」
「なぜだ? ストーカーしなくなればいいんじゃないのか?」
「しのぶがそれで納得するわけないだろう」
笑う高橋――笑い終わったあとで、もう一度おれの言ったことを噛みしめてまた笑う。
「そうだった、これはしのぶちゃんの依頼だったな。あれだ、見てみろ」
おれは高橋の指差すほうを見た――しのぶの家のテラス。
「下着が干してあるのが見えるか?」
テラスの隅に下着とタオルが数枚干してある。
「あいつがあれに手を出したらとっ捕まえよう」
男はその洗濯ものを目の前で眺めてモゾモゾしている――下半身をいじっているようにしか見えない/しのぶの下着で自慰――
おれは七海がいる電柱のほうに目をやった――遠くて表情まで見えない/いったい七海は変態自慰行為野郎を尾行してどうする気なのだろうか――いくらなんでも男の野外露出オナニーを観察するのが目的ってわけじゃないと思うのだが――
「で、捕まえたらどうすんだ? 警察に突き出すのか?」
「さぁな、それはしのぶに聞かなきゃわからん」
笑う高橋。
「あいつのやることは、ときどき想像するのが無理なほどぶっ飛んでいるからな」
そう言っておれも笑った――そしてふと思った。
「ぶっ飛んでるで思いだしたんだがな」
「なんだ?」
「おまえが言っていたマリファナの話だ。あれは女子高生の間で広まっているってことじゃないのか?」
男から視線をはずさない高橋――「さぁ、そこまでは知らないがな。麻薬常用者が低年齢化しているのは今にはじまったことじゃないしな。何か心当たりがあるのか?」
「今朝、ゲームセンターでマリファナを吸っている女子高生を見た」
「なんだって!? ゲームセンターでか?」――驚く高橋。
「ああ、ゲームセンターの喫煙所でだ。しかも仲間がいた。さらにだ、栗田が巡回していたんだが、そいつらを補導しなかった」
「栗田ってのは、めぐみの後見人のあの栗田か? たしか、今は少年課にいるんだったな」
「そうだ」
「まぁ、栗田は情に厚いタイプの警官だからな。子供に優しくなってしまうのかもしれんな。それにしても朝っぱらからゲームセンターでマリファナとは、驚きだ。犯罪には犯罪の、ルールだの賭け引きだのってのがあるんだがな。その辺を理解していない、マリファナくらいは犯罪とも思っていない子供たちの間に、むやみやたらに出回っちまっているってことだろうな」
マリファナ――まどろむ香り/子供/栗田がマリファナを見逃すとはな――マリファナが二十五年前のレイプ事件を生んだと言うのに/マリファナが栗田の大好きなめぐみをボロボロにしたと言うのに。
電話が鳴る――同時に尻のポケットをまさぐるおれと高橋/鳴ったのはおれの電話だった――知らない番号/誰だこんな夜中に――
「もしもし」女の声――誰だろうか。
「誰だ」
「遠藤愛莉……」
なんだって?――「どこにいる?」
「新宿……」
「一人か?」
「うん……」
なぜ電話してきたのだろうか――
「ねぇ……」
「なんだ?」
「迎えに来れる?」
そりゃもう今すぐにぶっ飛んで行くに決まっている――合わせ技で一日四十万の片割れなんだからな。
だが――「どこに誰を迎えに行くんだ?」
わざと素っ気なく――タフガイなおれを演じる――返事が帰ってこない/やり過ぎたか――仕方ないなこんちくしょう/本当に子供相手は面倒だ。
「新宿のどこにいる?」
「東口……」
「そんなところにいたら、交番のおまわりに捕まっちまうぞ。どっかに隠れていろ、すぐに行く」
「うん、わかった……」
おれは電話を切った。
「誰だ? 女だってことだけはわかったぞ」
「愛莉だ、とっ捕まえに行ってくる。ここは任せた」
高橋はタバコに火をつけた――「おまえが捕まえるのはかわいい女。おれが捕まえるのは変態男。それでいいんだな? あの女はどうする?」
「とりあえずほうっておいていい。男の始末を先につけよう。今すぐにでも事件が解決しないとヒステリーを起こすような依頼人だからな」
噴き出して笑う高橋――しのぶがおれに向かってわめき散らしている姿が目に浮かんだのだろう。
「悪さをしたら捕まえる。しなかったら尾行を続ける。それでいいな?」
「ああ、それでいい。それじゃ頼んだぜ」
おれはスライドドアに手をかけた。
「ああ、そうだ。どうでもいいことなんだがな、しのぶちゃんに言っておけ」
「なんだ?」
「下着は外に干すな。ストーカーだけじゃなく、おれまで興奮しちまう」
おれは噴き出して笑いそうになるのを必死にこらえた――たしかに/もっともだ――一階の誰でも簡単に近づけてしまうテラスに下着を干す女ってのも、どうかと思う。
だがまぁ、それはそれでしのぶらしい――
「興奮するのはただだ。おれがいなくなったらあの男と一緒に下着の匂いでも嗅いでいろ」
おれはそう言って、車からそっとおりた――
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