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#3
 恵比寿――駅から五分/創作イタリアン料理――マエストーソ――
 黒い漆塗りの木枠と白い漆喰の壁/店の中が見えない薄暗いガラス窓――手押しのガラスドアの前/午後二時三分前。
 依頼人は時間にうるさい人物らしい――あるいは忙しくておれに使う時間があまりない/あるいはおれを試している――なんにせよ遅刻はいけないってことに変わりはない/変わりはないが――だからといって何分も前に現れて米搗きバッタのようにペコペコと愛想を振り撒くつもりもない。
 店のガラスドアを押す――店内も漆の柱と枠/漆喰の壁――右側にレジカウンター/厨房に続くであろう廊下/左側にはでかい観葉植物/その先に床が一段下がったこじんまりとしたテーブル席のフロア――正面に廊下/途中で左に曲がる廊下――全体にルクスの低い店内。
 バーテンみたいな制服を着た背の高いウェイターが近づいて来た。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか? ご予約は?」
 物静かで丁寧で落ち着いた物腰の男――インチキマジシャンのようなちょび髭を剃っちまえばなかなかな男前。
「片桐有二だ」
「伺っております、どうぞこちらへ」
 ウェイターはやわらかい笑みを浮かべたまま腰を少し曲げた。無表情のおれをチラリと見てる/おれの進むべき方向に手を向けながら歩き出す――おれはあとに続いて歩いた。
 左手にテーブル席のフロアを眺めながら進む/テーブル席が見えなくなる/右も左も壁になる/左に曲がる――観音開きのドアが左右に二つづつ/全部で四つ/右手の奥のドアの前に黒いスーツを着た男が立っている――体格が良いと言うわけではない/中肉中背/ボディーガードってわけじゃないだろう。
 ウェイターはその男の前で止まった――黒い男はドアを軽くノックした/少しだけドアを開き中に入った/すぐにまたドアが開いた/黒い男がおれを中に招き入れた。
 部屋の中――六人掛け程度の長テーブル/おれの目の前に椅子/右側にはさっきの黒い男と店の制服を着た女/左側にもう一人の黒い男――手にはセカンドバッグ/こいつのほうが背は高いが、やはりボディーガードってわけじゃなさそうだ。
 長テーブルの先に女が座っている――見たことがある/テレビ/雑誌/インターネット/この何年かこの女を目にしない日はない/話題を耳にしない日はない――カリスマメイクアップアーティスト/遠藤奈津子――歳はたしか四十くらい/世間一般的な常識で考えてもかなりな金持ち/肩につかない程度の海外モデルのような撫でつけられた黒髪/細い切れ長の目を大きく見せる化粧/鋭い鼻/痩せた頬をふっくら見せる化粧/硬そうな唇をやわらかく見せる化粧/美人じゃないとは言わないが、化粧を落とせばごく普通の顔だろう――
 奈津子はおれを吟味するように見ている――おれの脳みそが揺れそうになった/なぜだ――そうか/奈津子がめぐみに似ているからだ/顔が似ているわけじゃない/雰囲気が/かもし出すオーラが/めぐみにとてつもなく似ている/だがしかし――めぐみはこんな女じゃない/こんな売女のような風貌の生き物と一緒になんかしたくない。
 奈津子は言った――「あなたが高橋君の紹介してくれた人だという証拠はあるのかしら」
「日本の探偵には免許証がないからな」
 おれはそう言いながら、西部劇のガンホルダーのようにゴツゴツとした皮のウエストバッグに手を突っ込み、車の免許証と探偵用の名刺を取り出した――黒い男その一がそれを受け取る/奈津子に渡す/確認後に免許証だけが戻って来る。
「名刺はいただいておくわ。ちゃんと許可を得て開業しているのね」
 おれは何も答えなかった――おまえらのような薄汚いかね持ちのためだけに裏仕事をやって生きているわけじゃないんだとは言わなかった。まともな探偵業務をまともな料金で請け負ったりもしているんだとは言わなかった。
 黒い男その一がおれの目の前の椅子を引いた――おれは椅子の前に歩み出しゆっくり腰をおろした/腰をおろすタイミングに合わせて前に押される椅子。
「ワインはいかが?」
 奈津子がしゃべった――冷たい声。
「まさか、仕事中だからなんて警察のようなセリフは言わないわよね?」
 フッと鼻にかけた笑みを浮かべる奈津子/身振りも/手振りも/しゃべりも/すべてが気取っている/すべてにかねがかかっている/かねで仕立てた作りものの女。
「プロセッコを。フェラーリ・ブリュットがあればそれがいい」
 奈津子を見たまま、行儀が良いと思われないようにだらしなく椅子に座り直し、足を組む――わざとタフガイを気取る/かぶっていた黒の中折れ帽をウェイトレスに向かって差し出す――部屋の角に立っている帽子かけに中折れ帽をかけたウェイトレス/おれの注文したワインをオーダーしに出て行った。
「見た目とは違ってワインには詳しいのね」
 おれの見た目――ボサボサ頭は中途半端な長さのすず色がかった黒髪/スカイブルーに薄っすら光る度入りのサングラス/紺のタンクトップと白地に紺の花柄の開襟シャツ/ブーツカットのジーンズ/水牛をあしらったどでかい銀のバックルがついたベルト/蛇革のポインデットトゥ/首と指にはシルバーのアクセサリー――言われた通り/行儀の悪い姿勢が似合う/チンピラみたいな格好――しのぶに言わせると朝帰りの三流ホストにありがちなファッションらしい。
 ドアがノックされ、さっきのウェイトレスとソムリエらしき男が入って来た。ソムリエはおれの脇に立ち、ソムリエらしい立ち振る舞いと話し方でフェラーリ・ブリュットをおれのグラスに注いだ。
 役目を終えたソムリエは、ワイン・クーラーにフェラーリ・ブリュットを突っ込んで、部屋から出て行った――ドアが完全に閉まる。
 奈津子は話し出した――「高橋君から、あなたはとても優秀だと聞いてます」
「それはどうも」
 おれはグラスを手に取り、ワインの作法など無視して一口飲んだ。おれの素行の悪い態度は気にも留めていない様子の奈津子。
「探偵に依頼をするのはこれがはじめてなの。何をどう話せばいいのかわからないわ」
 奈津子は細くて長いタバコに火をつけた。
「まず、おれが何をすればいいのか言えばいい。おれが依頼を受けると言ったらかねの話をして、最後に依頼の詳細を話せばオーケーだ」
 口からゆっくりと煙を吐く奈津子。
「ある人間の素行調査のようなことをしてもらいたいの」
 フェラーリ・ブリュットを飲むおれ。
「一般的な調査でいいなら、おれじゃなく普通の探偵に頼んだほうがいい」
「私は高橋君に、絶対に私の名前が外部に洩れない方法で調査をしてくれる探偵を紹介してほしいと頼んだの。最近は法律で仕事の内容が書面に残るんでしょ? もしもその書面が外部の人間に渡るようなことになったら困るの」
 タバコに火をつけるおれ――黒い男その一が灰皿をおれの前に置いた。
「なぜ困る?」
「単純に立場の問題よ」
 灰皿に灰を落とすおれ。
「法律の外でするほどの仕事と思える事実を何か教えてもらえなければ、引き受けられん。おれはあんたのために、ほんのちょっとかもしれないし、あるいはかなり大胆にかもしれないが、法を犯すことになるわけだからな」
「おかねならそれ相応に払うわ。引き受けてもらえるのなら、調査の相手を教えます。でも調査をお願いする理由は言えません。私が想像するに、それほど危険な仕事だとは思わないけどね」
 おれは奈津子の目をずっと見ていた――詳細を話してくれるとは思えない目――おれの口からは溜め息しか出ない。
「契約金は百万、一日の仕事料は三十万、経費は別に請求する。それが嫌なら普通の探偵に頼んで、理由を洗いざらい話してから書面にサインを残すんだな」
 金額をふっかける――眉毛一つ動かさない奈津子。
「それでいいわ、契約します。私に結びつく証拠は何一つ残したくないの。支払いはすべて現金にさせてもらうわ」
 黒い男その二/手に持っていたセカンドバッグ――封筒と写真を取り出しておれの前に置いた。
「二百万入っているわ。当面はそれでお願い。依頼が長引いて足りなくなったら、秘書に持って行かせます」
 おれは封筒の中身をあらためた――百万単位でくくられた札束が二つ/封筒に戻す/写真を手に取る――遠くから望遠で取ったようなスナップ写真/女/長い黒髪/メガネフェチが喜びそうな赤縁メガネ/美人とはいえないが魅力的な笑顔/凛々しい眉毛/おしゃべりじゃなさそうな横に長い口/鋭い鼻/薄い化粧/紺かそれに近い暗い色のスーツ姿/黒の片がけバッグ/そのバッグの肩紐を握る手――色の暗いスーツに栄える金色のブレスレッドだか腕時計だかが光っている/こんな荒い写真でもそれが高級品であることがわかる輝き――望遠のスナップ写真なせいで目の雰囲気は良くわからない/二十代後半くらいに見えるが凛々しさのせいかもしれない――実際には二十代前半くらいか。
「株式会社フリージアの企画部の社員だと思うわ。性はたぶん門脇、名前はたぶんななみ、七つの海で七海。右手の甲に一円玉より小さな痣があるの。その女性の生年月日、血液型、ご両親の名前、それに普段何をしているのかを調べてほしいの」
 フリージア/たしか――一部上場の化粧品会社だ。
 写真をもう一度見る――金色のブレスレッドだか腕時計だかをしている右手の甲/痣のようなもの/見える気がする――かすかに/ごくわずかに――
「この写真を撮ったときに、尾行もしたんだろう? おれに頼まなくっても住んでいる場所くらいわかるんじゃないのか?」
「私の部下には、あなたのようなプロはいないの」
 つまり――尾行は失敗しているってことか。
「普段というのは、仕事中か? それとも」
「プライベートよ。仕事に関しては部署と役職と、できれば待遇も調べて」
 フェラーリ・ブリュットを飲み干す/タバコを消す。
「あんたとこの女の関係は?」
「言えません。言えるならあなたに依頼なんてしていません」
 きっちり/きっぱり/キリッと――おそらくこのセリフだけはおれに会う前から用意していたのだろう。 
「わかった。さっそくこれから調べにかかる」
「何かわかってもわからなくても、毎日連絡してちょうだい」
 黒い男その二/おれに名刺を差し出す――立川千鶴/携帯電話の番号――黒い男その二じゃないだろう/千鶴なんて美しい名前が似合う顔じゃない――女と思える名前/ここにはいない別の人間か。
「ここに連絡すればいいのか?」
「そうよ」
 おれは立ちあがってドアのほうを向いた――そのドアからノックの音/黒い男その一がドアを少しだけ開ける/廊下に顔を出す黒い男その一――ドアが大きく開けられる/女が一人中に入って来る。
 女はおれを見て軽く会釈してから、奈津子のもとへ――耳打ち/ヒソヒソ話。
「まったく、何をやってるのあなたたちは!」
 声を荒げる奈津子――頭をさげて謝る女/アドレナリンを放出するために溜め息をつく奈津子――何か思案している顔/おれには関係ないだろう――中折れ棒を手に取ってドアに向かう。
「待って、あなたにもう一つ依頼したいことができたわ。娘の監視よ」
 は?――なんだって?――「監視ってのが探偵の仕事だと思える理由を詳しく話せ。でなきゃ、やるともやらないとも言えん」
 タバコに火をつけるおれ/奈津子に向き直る。
「娘の名前はあいり、愛情の愛、草冠に利益の利で愛莉、十七歳。悪い友達とばかり交際しているの」
 さっきまでは無表情と言っていいくらいに平静だった奈津子――今は顔を真っ赤にして怒っている。
「つまり、スキャンダルに巻き込まれやすいってことだな。そして、スキャンダルはあんたの立場を脅かす」
 おれはキザな男がやるようにニヤリ顔で右手をクルリとまわして二本指で奈津子を指差した――眉間にしわが寄る奈津子。
「その通りよ。監視して面倒なことに巻き込まれそうだったら捕まえて。捕まえられないなら、面倒を揉み消して」
 おれはテーブルに近寄り、タバコの灰を灰皿に落とした。
「断る。おれは探偵で、ベビーシッターじゃない。それに探偵がやるのは調査で、揉み消しじゃない。さらに言えば、おれがそれを引き受けたら、その女が失業するんじゃないのか?」
 奈津子のそばで小さくなっている女――怒られ慣れているのだろう/オドオドとはしていない。
「四六時中監視しろとは言わないわ。普段はこちらで監視します。愛莉は私が相手をしてあげられないから、やけになっているところがあるの。あてつけでわざと悪い友人と付き合っているのよ。私が用意した目付け役たちの言うことは聞かないの。それに、私が用意した人間が、愛莉を無理やり連れ出そうとしたり、問題ごとを揉み消したりして騒ぎが起これば、私の仕業だってことがすぐにわかってしまう」
 本気で困った顔をしている奈津子/やれやれだ――そんなことまでしなきゃならないとは。
「日当を四十万にしてもらうことになるな。それに揉み消しにはかねがかかる。経費はかなりの額を請求することになるかもしれん」
 タバコを灰皿に擦りつけて消す。
「わかったわ。でも、揉み消しは最終手段です。問題を起こさないことを最優先にすること。愛莉が監視されているとか、軟禁されているような疑いをまわりの人間に与えないようにすること。あの子はあくまでも、親孝行な普通の娘で、私に迷惑がかかるようなことはしない、そう誘導していくのが、あなたの仕事よ。あなたの事務所まで送らせるから、詳しいことは車の中で聞いてちょうだい」
 冷静な顔に戻る奈津子。
「で、今日はこれからどっちに手を出せばいいんだ?」
 細くて長いタバコに火をつける奈津子。
「愛莉の行方は、今のところわからないわ」
「それじゃ、予定通りフリージアに行く。せいぜい娘が悪さしないようにお祈りでもしてるんだな」
 急に硬い顔を崩した奈津子。
「仕事で私にそんな口の聞き方をした男なんて、この何年かの間であなただけだわ」
 おれは小粋にウインクしてみせた――ポール・ニューマンを意識して。
「あんたはおれみたいな人間がいるってことを知らない狭い世界で息を吸っているってだけさ」
 フッと微笑む奈津子――そうかもね――って顔。
 おれは奈津子に背中を向け、自分でドアを押して部屋を出た――女がおれのあとについて来た。


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