常若(とこわか)の地にて その2
「いらっしゃいませ、海竜亭へようこそ!」
お店に入ると元気な声が耳に届く。声の主はわたしと同じくらいの背格好をした女の子だった。
「旅の方ですか? ご注文が決まりましたら教えてくださいね」
異国にきて初めてのお店。当然、渡されたメニューに目を通して、内心どぎまぎしながら気になったものを注文する。
「おじいちゃんもどうぞ」
ほどなくして希望したものがテーブルの上に置かれる。どうやら注文はうまくいったたみたいだ。
椅子をひいて座ってもらった後、自分自身もテーブルに出されたカップに口をつける。口の中にやさしい甘みがひろがった。
「おまえさんは、ここ(ティル・ナ・ノーグ)へ来るのははじめてかい?」
「そうです」
おじいちゃんに頼んだのは海流邸特製ブレンドティー。もっとちゃんとしたものを頼めばよかったのかもしれないけど、異国初心者なのでここは大目にみてもらうことにする。
お互いに飲み物を口にしながらこれまでのいきさつを簡単に話した。父親がティル・ナ・ノーグの出身だということ、医術を学ぶために単身ここまでやってきたこと。途中で嵐にあったけど、なんとか目的地までたどり着いたこと。
「シラハナから一人ではるばるここまでやってきたんかい。親御さんにはとめられなかったかね」
「止められました」
特にお父さんに。ハリセンまで押しつけられましたまでは黙っておく。
「へーっ。シラハナから来たんだ。一人で外国に来るなんてすごいなあ。
ひとつ結びにされた赤茶色の髪がふわっとゆれる。会話の内容が聞こえていたんだろう。店員の女の子は、驚いたような声をあげた。
「私、アニータ・ライムント。よろしくね未来のお医者様」
「まだまだ先の話ですよ。それよりお店で働いてるアニータさんのほうがよっぽどすごいです」
飲み物が届くまでの間見てたけど、注文を聞いてできた料理を運んで。船着場が近いからなんだろう。昼食どきの店の中には、とりわけ年のいった大人の男の人達がいっぱいで。おそらくここは大衆食堂。中にはお酒を手に大声で笑っている人もいるし、気の小さい人ならものおじしてしまうかもしれない。そんななか、アニータさんは笑顔を崩すことなく料理をテーブルに運んでいた。
「大人の人が大勢いる場所で、がんばっている同世代の人は素直に尊敬すべきだと思います」
なにより美人だし。思ったことを素直に伝えると、店員さんの頬に赤味がさした。
「やだなあ。お世辞言っても何もでないわよ?」
「お世辞じゃないです。本当に――」
賞賛の声をあげ続けていると、アニータと彼女を呼ぶ声が聞こえた。
「こっちの品がまだ。早くしてくれ」
背の高い男の人。椅子に立てかけられた弓から推察するとハンターと呼ばれる人なんだろう。確かに彼のテーブルの上にはグラスに入ったお酒以外何も置かれていない。
ごめんなさい。すぐ用意するから待っててねとパタパタとした足音が遠ざかる一方で、ピンクベージュの前髪からのぞいた緑色の目が値踏みするようにこちらをのぞいていた。
「……なんですか?」
はじめは異国の人間が珍しいからかと思っていたけど、続けられた声に思わず眉を潜めてしまう。
「昼間からミルクとは、あんたずいぶんとお子様だな」
瞳にうつる感情は値踏みはもちろん、軽い侮蔑と警戒の色も混じっていた。当時のわたしは15歳。ひょろっとした外見だし目の前の男の人に比べれば確かに子どもなのかもしれないけれど。それにしたって初対面で言われて気分のいいものではない。
「誰が何を注文したっていいじゃないですか」
わたしが頼んだのはクルアン印のホットミルク。異国の地で一息つきたかったから頼んだのに、こんなこと言われたら心外もいいところだ。
「だったら店員に変な声をかけるな。口説く暇があるなら出されたものを食うことに集中するんだな」
変な声ってなんだ。人を褒めることのどこがいけないんだ。そもそも口説くってどういう意味だと抗議の声をあげようとすると、兄さんったらと非難めいた声がした。
「ごめんね。ここの常連なの。昔からの知り合いだから勝手に兄さんって呼んでるんだ。
気分を害しちゃったのならごめんなさい。彼には私からきつく言っておくから」
言われてみると少しだけ似ている、かもしれない。髪とか瞳の色とか。もっともアニータさんが鮮やかな緑なら目の前の男の人は青みがかった緑だけど。彼女が兄さんって呼んでるくらいだから悪い人ではないのかもしれない。わたしには敵意まるだしだったけど。
「私、ここで働いてるから。また来ることがあったらいつでもよってね」
鮮やかな緑の瞳を細めた後、アニータさんはそう言って仕事にもどっていった。一方で、さっきまで文句をつけていた男の人はこちらの視線を気にすることなく黙々と食事をしていて。それからは会話をすることもなく、わたしとおじいちゃんは残りの飲み物を空にすることに専念した。
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「すみません。こんなところまでつきあってもらっちゃって」
叔母さん夫婦の家にお邪魔するにも手土産がない。手ぶらで訪問するわけにもいかず迷っていると、いいところがあるとおじいちゃんが手招きしてくれた。
「そう言えば、名前も聞いてませんでしたね。わたしは宮本伊織。こっちの発音だとイオリ・ミヤモトです」
「わしゃジャガジャット。近所のもんには『ジャジャ爺』と呼ばれておるの」
銀色の髪に瞳は灰色がかった青緑。小柄な体でわたしの隣で杖をついて歩く姿はなんだか可愛らしくさえ思えてくる。
「わしもちょうど立ち寄るところだったんじゃ。一人で買っても二人で買いに行っても同じ事じゃて」
おじいちゃんと――ジャジャじいちゃんと二人、たわいもない話をしながら歩いて行く。ほどなくしてたどり着いたのは一軒のお店だった。
「アフェール?」
お店の看板にはそう書かれてあった。まだ店の中に入ってないにもかかわらず甘酸っぱいにおいが鼻腔をくすぐる。
「わしの行きつけの店の一つじゃよ」
そういって扉をあける。カララン、とベルの音とともに視界にあらわれたのは硝子のカウンターごしに見えるお菓子の数々。パイ、タルト、クッキーと食指をそそられるものばかり。さっき胃に入れたのは飲み物だけだったから視界に入っただけでくうぅとお腹の音がなった。
「リンゴのお菓子ばかりなんですね」
確かにみんな美味しそうではあるんだけど。ほとんどがリンゴを使ったものばかり。それともそういう主旨のお店なのかしらと考えていると。
「ここの名産といえばリンゴだからね。ここは林檎菓子専門店ってわけ」
威勢のいい声と共に店の中から店員が姿をあらわした。 わたしより頭一つ分くらい小さくて、隣にいるおじいちゃんと同じくらいの背格好の女の子。焦げ茶色の髪を高めの位置でひとくくりに結び、快活そうな水色の瞳がわたしとジャジャ爺ちゃんの方に向けられている。
「ジャジャ爺のお孫さん?」
「違います。わたしは――」
「ここへ来る途中で知り合ったんじゃよ。シラハナから医術を学びにやってきたそうじゃ」
わたしの言葉を引き継いでジャジャじいちゃんが説明してくれる。医術を学ぶために父親のつてをたどって東の国からやってきたこと。途中でおじいちゃんと知り合いお土産を買うためにここまでやってきたこと。
「それであたしの店を紹介してくれたってわけか」
得心がいったようにうなずくと、ショーケースの中から焼き菓子を取り出す。大きな皿にのせられたアップルパイ。よく見ると生地にまで細かくしたリンゴが混ざっていた。
「リンゴづくしなんですね」
「それはそうさ。店の数だけ林檎の料理があると言ってもいいくらいだから」
ここでわたしは店員さんから林檎にまつわる由来を聞いた。ここ、ティル・ナ・ノーグの名産が黄金林檎であること、交易がさかんであるため観光や加工業、ひいては食文化も栄えていること。そういえば、さっき立ち寄った海龍亭でもリンゴのメニューがあった。
「それで、何を買ってくれるの?」
促されて改めてショーケースの中身に視線を移す。アップルパイも美味しそうだけどクッキーも捨てがたい。ちなみにジャジャじいちゃんはクッキーの詰め合わせを購入済み。そもそもがここの常連さんらしい。
わたしの国も加工業はさかんだけど、ほとんどが美術品や工芸品だからやっぱり違う。国が違えば文化も違うって本当なんだなあと感慨にふけっていると、ふいに右手を差し出された。
「自己紹介がまだだったね。あたしはクレイア。よろしく」
「イオリ・ミヤモトです。こちらこそよろしくお願いします」
「呼び捨てでいいよ。見たところ同じくらいだろうし堅苦しいのは嫌いなんだ」
あたしもイオリって呼ばせてもらうから。笑いながらお菓子を持ち帰りように包む。一軒華奢な外見とは異なるはきはきとしたものいい。さっきのアニータさんといい目の前のクレイアさん――クレイアといい、同じ年頃なのにしっかり地に足をつけて自分のお仕事をがんばっている。お土産は、迷いに迷って結果的に林檎のケーキを購入した。クッキーだと数が足りなくなるかもしれないし、そのぶんケーキだと叔母さん夫婦に食べてもらうにはちょうどいい大きさだったから。
「クレイアはお店を一人で経営しているの?」
さっそく名前で呼ばせてもらうとまさかと返答された。元々ご両親が経営されてるお店を手伝っていて、最近は親がいない間は仕事を任されることが多くなったとのこと。でも材料の仕入れや簡単なお菓子は作れるし、品物によってはお店の商品としてショーケースに並ぶこともあるとか。
「すごいなあ。そんなことができるなんて」
「イオリだって医術を学ぶために遠くシラハナからここまで来たんでしょ? 怖くはなかったの?」
「怖くないって言ったら嘘になるけど。お父さんの生まれ育った場所を見てみたかったし自分のやれることを試してみたかったから」
シラハナに医師がいないわけじゃない。だけど、せっかくなら本格的な場所で学びたかった。そう思ったらいてもたってもいられなくて家を飛び出した。このあたりはもしかしなくても父親ゆずりなのかもしれない。
「……あたしにとっては、そっちの方がすごいよ」
「え?」
こっちの話だからと笑われたけど、同時に少しだけ瞳を伏せられたような気がした。このときはその表情の意味するものがわからなくて、だからといって問いかけるのもためらわれ続く言葉がなかった。
「林檎のお菓子ならどこにも負けないから。またいつでも買いにきなよ」
笑顔で見送られ、わたしとジャジャじいちゃんは店を後にした。
「わるいのぉ。こんなところまで着いてきてもらって」
アフェールから出て、今度はジャジャじいちゃんの行きつけの場所へつきあうことになった。
「いいんです。わたしもお土産選んでもらったし」
ティル・ナ・ノーグの地図は新しく購入済み。家族からの手紙で叔母さん夫婦の場所もわかってるからそんなに急ぐ必要はないし。
「どこへ行くんですか?」
お土産を片手に問いかけると、こっちも行きつけの一つじゃよと返された。次いで、今のわたしにとってためになる場所だとも。『わたしにとってためになる場所』一体どんなところなんだろう。そんなことを考えながら歩いていると、大きな屋敷に到着した。
本当に大きい。家じゃなくて屋敷って呼んだほうがいいのかも。行きつけってことは知り合いがいるのかな。
「あれ? ジャジャ爺じゃん」
若い男の人の声。そこには短く刈り込んだ赤毛の男の人がいた。
「今日は診察の日だっけ?」
男の人というよりお兄さんって呼んだ方がいいのかもしれない。薄い緑の瞳がわたしとジャジャじーちゃんを交互に見て首をかしげる。
「お孫さん? ……にしては、目と髪の色が違うか」
クレイアと同じことを言われて苦笑する。さっきのアニータさんと男の人なら兄弟に見えないこともないかもしれないけど、わたしとおじいちゃんじゃ違いすぎる。それとも髪と瞳の色が同じだったらしっくりくるのかな。
「こっちの若いのは荷物をここまでもってきてくれたんじゃ。すまんが出してくれんかの」
促されて包みを開けるとさっき買ってきたばかりの林檎のクッキーが姿をあらわした。
「うっわー。美味しそう。これってアフェールの?」
「お土産探しのついでに買ってきたんじゃよ。ここには世話になってるからの」
「じゃあ遠慮なく……」
受け取ろうとして、お兄さんの視線がこちらに注がれる。上から下までじっくり見られて、と言うより見つめられて。わたし何かしたかな。もしかして、こっちの言葉の発音がうまく聞き取れなかったとか。
「あの……?」
じっと見つめられて一言。
「いい体してるよね」
わけがわからなかった。
アニータ・ライムント(タチバナナツメ様、つちのこ様)
ジャガジャット(ごんたろう様)
クレイア・イーズナル(桐谷瑞香様、宗像竜子様)
からお借りしました。他の方々は正式に名前が明かされた時点で公表させてもらいます。