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神泉の聖女  作者: サトム
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呪文と標的

 身体を洗い湯船に浸かる。柔らかな金髪がお湯に漂い、ハーブのいい匂いが鼻腔を擽った。


「はあ~」


 大きくため息を吐き、先程までの出来事を振り返って震える体を抱える。


「無事産まれて……良かった」


 ようやく戻ってきた思考で涙ぐむ。鼻の奥の痛みに慌ててお湯で顔を洗うと、今度はドゥーイの頭を撫でた光景を唐突に思い出して慌てた。


「アレはやりすぎ~」


 いくら怖かったと言っても、自分を嫌っている肉体年齢が上の青年の頭を撫でるなど言語道断である。どれだけテンパっていたんだ私、と虚ろな眼差しで白い天井を見上げた。


「気を付けないと。つい年下扱いしてる」


 教師と生徒という関係であるからヴァルターはそれ程でもないが、ドゥーイやラザフォードに至っては仕方のない後輩を見守る気分の方が大きい。それがこの非常事態にそのまま態度に出てしまったのだ。

 突飛な行動を繰り返したルーフェリアのお陰で、性格が百八十度変わったからといって訝しがる人間はいなかった。だが、十八歳のルーフェリアが二十台の青年を年下扱いすれば違和感は相当目立つ。

 しかも今日の出来事をどうやって言い訳しようか先程から考えているのだが、簡単に名案が浮かぶわけもなく。


「出産の本を読んでいた……と誤魔化すしかないだろうなぁ」


 神殿の書庫なら医療関係の本も多数揃っていた。人体の基本的構造の差を確認したことがあるので、出産の本だってどこかにあるはずだ。……あると思いたい。

 その上、出産に立ち会っている最中は無我夢中で、その後は気が抜けて何も考えられなかった。流されるままに救助され部屋へと連れてこられたが、頭が働きだした今は護衛を強化されたことによりある予測が思い浮かぶ。

 あの爆発はルーフェリアを狙ったものかもしれないと。

 風呂を出てワンピースを身に付けると濡れた髪を一つに纏めて結い上げる。鏡を覗き込んでいつもの赤と青のオッドアイを確認してから部屋を出ると、護衛と共に祭司長の元へと向かった。

 白騎士が開けたドアの先は夕日に染められ、柔らかなお茶の香りが湯気と共に漂う。室内にいた人の発する空気は刺々しかったが、半日以上緊張を強いられたルーフェリアには些末な出来事に思えて躊躇うことなく部屋へと踏み込んだ。


「お待たせして申し訳ありません」


 長風呂をしたつもりはないが待たせていたのも事実なので謝罪を口にすると、祭司長が穏やかな声で声を掛けてくる。


「いや、構わんよ。それよりも大変だったようだな」


 空いていたソファに座るとお茶を勧められ、淹れ立てのそれを口に含んで一息付くと、再びドアがノックされた。入室許可の声と共に入ってきたのは書類を手にした副祭司長とヴァルターだ。

 立ち上がって出迎えようとするとヴァルターは手のひらを下に向けて「座っていろ」と指示してきた。

 テーブルを挟んで上座の1人掛けソファに祭司長、その両脇の三人掛けのソファにラザフォードとルーフェリアが1人ずつ座っていたのだが、ヴァルターは躊躇なしにルーフェリアの隣へと座るといつものように観察してくる。


「怪我はないが……少し震えているか」


 ズバリ言い当てられ恥ずかしさに小さく笑った。


「怖かったですからね。お風呂とお茶でようやく落ち着いたところです」


 本当はここに呼ばれて良かったと思ってもいる。今1人になったら恐怖に押しつぶされそうになっていただろう。例え自分を嫌っている人物の傍だとしても、人心地が恋しい今はそれが救いだった。


「貴女に聞きたいことがあります」


 ヴァルターが先に座ったためにラザフォードの隣りに座ることになったドゥーイが、洗い立ての銀髪を耳に掛けながら質問してくる。


「私がカーマイン卿と話している間に何か見たり聞いたりしませんでしたか?」


 言われてはっきりと思い出す。ダンディな壮年貴族と護衛騎士が二人、ローブを被った小柄な付き人の他には周囲に誰もいなかったはずだ。呪文のようなものが聞こえたのも彼等が立ち去った後だ。


「いいえ。呪文を聞いたのも彼等が立ち去った後です」


「呪文を聞いたのか!?」


 半分立ち上がるように身を乗り出すドゥーイ。勢いに押されるように背筋を正せば、祭司長が穏やかな口調で続けた。


「文言を正確に思い出せるかね?」


 その場にいた全員の注目を浴びて冷や汗をかきながら、肯いて『呪文』を『言葉』に変えて口に出した。


「憎しみの果て。黒き炎と呪われし刃。地を這う蛇となりて、砕けろ」


 さして力の込めていない呟き直後、テーブルに置いたカップが大きな音を立てて割れた。驚いて身体を引くのとヴァルターが庇うように抱き寄せるのは同時だ。これ以上は心臓が持たないのではないかと思うほどの激しい鼓動に息を詰める。


「大丈夫だ。息をしろ」


 凝視していたはずの砕けたカップがいつの間にか綺麗なアメジストの目に代わり、低い鋼の声がすんなりと脳に染みこんでくる。そこでようやく自分が息を止めていたことに気が付いて細く細く息を吐き出した。


「そうだ。ゆっくり呼吸をしろ」


 ヴァルターの声の合間にカチャリカチャリとカップを片付ける音が聞こえる。再びテーブルに視線を戻そうとすると、大きな手が両頬に添えられ顔の動きを止められた。


「俺を見ろ。大丈夫だから」


 言われるままに見上げると、いつもと違う真剣な表情に目を奪われる。美形で剣も強く人格者ってどれだけ揃った男なのだろう。甘いもの好きも『可愛いギャップ』くらいにしかならないのではないかと思えた。

 カップの砕けた衝撃が収まり、代わりに気恥ずかしさから再び鼓動が早くなる。この体勢はまずいと認識した脳によって頬が赤く染まる前に大きく深呼吸をした。


「もう大丈夫です。ありがとうございます」


 密着した身体を離してテーブルを向くと、やはりカップは片付けられて新しいカップの中でお茶が湯気を漂わせていた。


「共通語に変えたのに……」


 魔導言語と共通語くらいの知識はあったから、聞こえた音をそのまま言葉に変換したというのに発動してしまった。カップだったから良かったものの、あの衝撃なら人の手くらいは吹き飛ばしていたかもしれないと思うとゾッとする。


「お前は特別に魔導との相性が良いからの。なんの対処もせずに頼んだ私が悪かった」


 普通は起こらないのだと祭司長に言われて更に落ち込む。魔導の詳しい成り立ちなど知識にはなかったが、共通語で魔導が成り立ってしまえば面倒な事になるのは予想できる。何気なく発した言葉で部屋が爆発していたら堪ったものじゃないからだ。


「それにしても言葉の意味だけで事象を引き起こしてしまうとなると……私も感じたとおり闇属性でしょうね」


 魔導を感知したからこそルーフェリアの背後に回って魔導壁を発動できたのだと報告する副祭司長。


「だがこれでハッキリした。今回狙われたのは聖女じゃない」


 それまで沈黙を守ってきたラザフォードがお茶を飲みながら断言する。


「聖女が呪文を聞き取れるほど近くで魔導が発動されたにも関わらず、死んだのはカーマイン卿の護衛のみ。それも爆発ダメージではなく崩れた建物による圧死なら、狙われたのはカーマイン卿だろう」


 その言葉で一度会っただけの彼等が亡くなったことを知り、身体が震えた。


「カーマイン卿襲撃時にたまたま聖女があそこにいた……と見るのが妥当だの」


 祭司長も納得した事で神殿での事態の収拾が付けられる。ここから先は政治の世界だ。誰が犯人であるにせよ、一貴族を狙いやすい場所で狙っただけ。神殿は無関係に近いとの結論に待ったを掛けたのはヴァルターだった。


「私はそうは思わない」


 カップを手に取り、男性にしては綺麗ない仕草で口に含んだ彼は厳しさを含んだアメジストの目で一同を見回した。


「理由を説明していただいても?」


 不満そうなドゥーイに促されて足を組み直しながらヴァルターは自分の考えを説明する。


「たまたま聖堂が倒れなかった『だけ』だとしたら?」


 少ない言葉に首を傾げ、逆説を想像し……ルーフェリアは鳥肌の立つ腕を抱きしめる。同じ事を察したのだろう、他の三人も険しい表情をこちらに向けてきた。


「もし聖堂が倒壊していたら、カーマイン卿以外全員が死んでいた」


 被害者が一気に容疑者に変わるのだ。


「……これは慎重に扱わねばならなくなったな」


「国王陛下へも報告を上げなければならない」


 重苦しい祭司長の声に守護騎士であるラザフォードも重い空気に包まれる。


「でも私を殺して誰が得するのでしょうか?」


 『蝕』は生き物の天敵である魔物が活発化する時期だ。理由は判っていないが、月の満ち欠けが原因だとも言われているが定かではない。

 ただ一つ言えることは、魔物は人間の手に負えないという事。操ろうなどと考えた輩は瞬く間に命を摘み取られる事になる。だからこそ各国の利害がどれだけ擦れ違おうとも、生き残るために魔力を回復させる水を湧かせる『神泉の聖女』は生きている必要があるのだ。

 そして生きていればどこでも構わないのだが。

 ヴァルターの教育の賜物で世界の常識を手に入れたルーフェリアの言葉に、珍しくドゥーイが補足の説明を入れた。


「権力を持つ人間というのは馬鹿げた夢を見ることがあります。周りのもの全てが自分の意のままに動くことを森羅万象全てに当てはめて勘違いするのです。魔物への対策が出来るなら、魔力の泉は通常量で構わない。それどころか通常量に戻った魔力の泉のせいで他国の国力が低下するなら、領土を奪う良いタイミングとなる……と考える貴族は意外に多いのですよ」


 どこの世界にも無知な権力者はいるらしい。人間の業なのか、性なのか。


「それで護衛が付いていたのですね」


 世界を崩壊させない為の保険が護衛だと思っていた。

 今この世界はとても危うい状態にある。十柱のうち現在生まれているのは五本。丸テーブルの上に世界が乗っているとすれば、右側に偏った四本と左側を支える一本とに分かれるのだが、その左側を支えている唯一の柱が神泉の聖女だ。ルーフェリアが欠ければ世界は傾き、力は暴走して生き物を死滅させる。それを防ぐために創世者たる青年は異世界から私を呼んだのだ。

 だが彼等の話からするとそんな世界の根源に近い知識を持っていないように思われた。

 今は昼間の疲れもあって正しい判断が出来るとは思えない。現在、神泉の聖女が世界を支える要であると周囲に知らせるメリットとデメリットを予測するには、まだまだ知識も常識も足りない。

 だからまだ話すことは出来ないと結論付けて隣りに座る男性の気配に顔を向ければ、見透かすような聡明さで見下ろすヴァルターがいて。誤魔化すためににっこり笑いながら、伊達に歳を食ってる訳じゃないのよと変な意地を張るルーフェリアがいたりした。

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