☆前編。
ピンポーン……
米花町にたたずむ洋館の門の前に、一人帽子を被った男が立っていた。ご機嫌宜しい様子のその男は、ひたすらその家の主が戸を開けるのをただ待った。
太陽が照って暑い中、だれ気味な様子でインターホンを受け答えた家の主とは正反対に、そこで待つ彼は元気に生き生きとした顔を浮かべていた。
「くどーっ!」
戸を開けるなり腕を広げて飛びついて来た来客に顔をしかめた新一は、自分の体全体を駆使して必死で抵抗した。性根が人懐こいせいか、普段から幾分過剰に感じるスキンシップを取る彼は、その日いつもより数倍のテンションで顔一杯に満面の笑みを浮かべていた。
「ちょ、いい加減離せよばーろ!」
自分よりも力のある相手の手を強引に振りほどく。すると、目の前にいる色黒の彼はふっとおかしそうに笑った。
「せやな、スマンスマン。小っさい工藤の頃の感覚が、まだ抜けてへんねん」
「……気色わりーな。ったく」
「そう言うなや。オレかて、同い年の男に抱きつく趣味なんかあらへんけど。何やろなぁ……オレは小っさい工藤の方が付き合い長いし、態度とか突然どう変えてええのか今一よー判らへんねん」
不機嫌にジト目で呟いた新一に、彼は苦笑いを浮かべつ肩をすくめた。
彼とて”江戸川コナン”という存在を子供と意識してみた事などないであろう。それでも、子供の外見だからこそ、まるで弟のようにスキンシップをしていた習慣は、急に直るものでもない。逆に無理して直せば、妙なぎこちなさすらも産まれてしまうだろう。
「まだ慣れてないんやろな、オレ。お前見てるとお前とちゃうみたいで緊張するわ」
「……よく言うぜ今更。ま、いーや。あがれよ、服部」
元の体を手に入れて、まだほんのひと月。完全な帰還を果たしてから、彼が平次に会ったのはまだ二度目だ。江戸川コナンの姿で会って、江戸川コナンの姿で親しくなった彼に突然態度を改めろというのも酷な話だ。
それに、今回こうして彼が大阪からわざわざ尋ねてくれたのは、新一が彼を呼んだからだ。こんなに、彼が上機嫌で居るのも、友人として本当に祝福してくれている証拠なのだ。
緊張すると言いながらも、部屋へと案内する隣で嬉しげに語る平次の姿に、感謝を覚える。
「なあ……ところでお前、彼女は?」
てっきりポニーテル姿が特徴の彼女が、後ろからひょっこりと現れると思っていた。しかし、その姿が見えない事に首を傾げた新一に、平次は一瞬目を丸くして、答えた。
「……彼女て、和葉の事か? 姉ちゃんとこ行っとるで。一緒に合流するんでもよかったんやろうけど、積もる話もあるやろってなぁ」
「そっか……そうだよな、今頃彼女も蘭と二人できゃーきゃー喜んでるのかも」
「電話受けた時もめっちゃ興奮しとったからなぁ、アイツ」
自分達以上にはしゃぐ彼女達の姿が容易に想像できて、二人は顔を見合わせ、笑った。
部屋の戸を開けるなり、遠慮なく部屋の中央に座った平次に、新一は缶コーヒーを放つ。プルタブが持ち上げられる音が二つ、部屋に響いた。
「じゃあ蘭と彼女が来るまで、適当にくつろいでればいいだろ」
「あ! それやったらオレ気になっとった事件があんねん、お前がこないだ解決したっちゅー奴なんやけど、テレビで偶然見とって……」
適当にくつろごうとすると、二人の間で事件の話が出るのは必須だった。早速嬉しそうに話を切り出した平次に、新一はあごに手を持っていく。
「こないだって言うと、あれか? 杯戸シティホテルで起きた事件」
「せやせや! お前が解いたんやろ? 大阪じゃ詳しい説明してくれへんかってん。まーた随分けったいな謎だらけやったそうやないか」
「まあな」
「結局どないな事件やったんや?」
聞かれた新一は、ほんの一週間と少し前に杯戸シティホテルで自分が解決した事件を思い起こした。
後味は悪くない事件で、ただただ随分と難解を極めた謎に、珍しく翻弄されていた。しばらくは、そんな他愛ない話で時間を過ごし、窓の外に蘭と和葉の姿が見えるなり、新一は立ち上がり、平次を背にして部屋の戸を開けた。彼はふっと口元を緩め、ドアノブを握る手を止める。
「……服部、二人きりのうちに言っとくけど。ありがとな? 引き受けてくれて」
呟き、振り向いた新一の穏やかな笑みを、平次は目を丸くして見つめていた。
「……なんや、変な気分やな。お前からそないな台詞聞くっちゅうんは」
「あんだと? 人がせっかく素直に礼言ってやってるっつーのに」
文句を言いかけた新一だが、台詞に続くように響いたチャイムの音に遮られ、それきり何も言わぬまま階段を下りて玄関へと迎えに行った。
数秒後、部屋に残された平次は、突然賑やかになった玄関先の声をただ聞きながら、大阪にかかって来た電話を頭の中で思い返していた。
電話から届いた新一の声を、もう一度だけ自分の脳裏に反復させ、部屋の隅に置かれた写真たてに視線を送る。幸せそうに写る二人の姿に、彼は静かに目を閉じ、口端をゆっくり持ち上げた。
「まさか、工藤がなぁ」
呟いた平次は、窓から外に視線を移した。彼の目には、晴れ渡る天気がその幸せな日を祝福しているようにも映った。
***
丁度、工藤家に平次が着いたのより少しだけ前の頃だ。
蘭は、アルバムを取り出してきて暇つぶしに眺めながら、先ほど東京駅にいると連絡があった和葉の到着を待っていた。
まだ幼い頃のアルバムには、思い出がたくさん詰まっている。一枚一枚とめくるごとに、段々その光景が頭に浮かんだ。
思えば、子供の頃からずっと、自分は新一といつも一緒に居た。写真の中に写る自分の隣には、殆ど彼の姿も写っている。屈託なく笑い、泥だらけになる自分達……思い起こせば、今でもまだ頭には鮮明な記憶がよみがえる。
何よりもきらきらと輝いた、幸せな記憶だ。
「懐かしいなぁ……私たちって、本当にいつも一緒だったね。新一」
ふっと幸せで懐かしさの篭る笑みが顔いっぱいに浮かんだ。緩まった顔面の筋肉を、引き締めようともせずになるがままに目を細め、頬を染める。
いつもいつでも、一緒だった。まだ、自分が彼を”そういう対象”として認識するよりも前から。物心ついた時には、既に見える景色の中に彼が居た。
***
「らーん、早く来いよ」
「待ってよ、しんいちぃっ」
ほぼ崖というに近い急角度の斜面を、彼の後姿が楽しそうにすいすい登っていく。ロッククライミングのように、岩から岩へと、手足を伸ばしながら。その後を、必死で追いかけた自分が居た。ほぼ体の大きさは自分と同じ筈なのに、あの小さな背中が次の岩に向けてぐいっと伸びるごとに、少し大きく見える。
「ほら、もうてっぺんまで来ちまったじゃねーか」
既に頂上に到着した新一は、満面の笑みを浮かべて再び蘭を呼んだ。
思えばいつも幼い頃から探険と称しそんな小さな体に不似合いな動きばかりさせられていた。それがもしかすると、今の運動神経につながったのかも知れないと思うと、彼にも感謝しなければいけないけれど。
袖に顔をこすり付けるように、額から出てきた汗を拭う。そして、きっと真上を睨んだ彼女は叫んだ。
「もーっ、ひとりでどんどんおいてかないでよ」
「二人で登ったら逆に危険だろ? ついてくっつったのはおまえじゃねーか」
上から呼びかける新一の言葉に、蘭はむっと顔を膨らませる。
「だーって、しんいちが突然式場まで見に行こうなんていいだすんだもん!」
「父さんが呼ばれる事件だぞ! ぜってー勉強になると思ったんだからな」
「もー。推理ばかはろくな大人にならないっておとーさん言ってたよ?」
「よく言うよ。おめーのとうさんだって刑事さんじゃねーか」
むっつり頬を膨らませる蘭に、彼はイタズラめいた笑みを浮かべた。
「オレは、将来”たんてい”になって、ホームズもびっくりのかっこいい大人になんだから、もうちょっとそんけーしろよ」
「でもしんいちはしんいちだもん」
言いながら、ようやく頂上に手を伸ばす。すると、突然目前に手の平が差し出された。きょとんと見上げると、少し膝を曲げた新一が大人っぽく微笑した。
「ほら、つかまれよ。ひきあげてやっから!」
「う、うん」
自覚はないけど、たまにする彼のそんな態度には、その頃から胸を熱くしたりもした。
散々文句を言って登ったけれど、いざたどり着いてみると、自然と無邪気な気持ちになって、顔いっぱいに笑顔を見せて「ありがとう」を言ってみたり。そんな、幸せな空間が当たり前のように隣にあったのだ。
「ねえしんいち。どこ? その教会」
「ああ、そこだよ。父さんの言ってた教会! 表からじゃ刑事さんにじゃまされて入れないから、こんなたいへんな所から来たんだけど」
「うん、お父さんたちが入れてくれるわけないもんね」
二人で、手を繋いで小走りで教会に向かった。近くの木に二人で登って、そこから中を覗く。優作や小五郎、目暮、そして新郎新婦などが中で談笑していた。
「なーんだ? ずいぶん楽しそうじゃねーか」
「ねえ、しんいち。どんな事件がおこったの?」
「さ、さあ」
眉を寄せて、首を傾げた彼を横目で見つめる。考え込むようにあごを手に乗せて、じっと教会の中を覗く彼の横顔に、暫く見とれていた。
「うーん……たまにまじめな顔で話してるんだけどなー」
「そうかなぁ? んー、こっからじゃよくわかんないね」
「た、確かにな」
少しむくれ顔で、彼は呟きをもらした。教会のすぐ傍には、子供が登れるような木がなかった。その為、十メートルほど離れた木に登った、はいいのだが、角度的に窓から全てが見えないようだ。
「ねえ、やっぱりむりだよ。お話してる声もきこえないよ?」
「あー、くそっ。そういや、のぞこうとしてもムダって言ってたよな〜父さん」
「え? そうなの?」
顔をしかめて、頭をかきむしる彼に聞き返す。彼は苦虫を噛み潰したような顔で、窓を見たまま言った。
「ああ、今日は大事な人によばれたから、絶対はずせないんだって言ってたよ。でも新郎さんが子供ぎらいらしくって、今日だけはつれていけないよって」
「ふぅん、じゃあけっきょくここで眺めてるだけなんだ」
「う……まあ、そうするしかねーのかな?」
新一は小さく吸い込んだ息を、大仰に吐き出した。よほど悔しかったのか、頭を項垂れた彼の口はとがっている。そんな彼の様子に、微笑み一つ。
「でも、いいなぁ……あの花嫁さん」
「え?」
「私も、いつかあんな風にふわふわのドレス着るのかなぁ」
綺麗にウエディングドレスを着飾って、顔を一層栄えさせる化粧をつけた花嫁の笑顔に、心が躍った。そして、その花嫁の肩を抱く新郎の姿にも。
見とれながら、ふっと横をちら見する。隣に居た彼は、何故か教会の方ではなく、蘭をじっと見つめていた。微かに口を開け、頬を染めながら。
「あれ? どうしたの、顔赤いよ、しんいち?」
「そ、そのっ……じゃあ、オレが……おれ、がその」
急に、挙動不審にしどろもどろと、不規則な手の動きを見せる新一に、首をかしげる。声まで裏返るほどの同様ぶりは、彼には珍しい。
「おれが、どうするの?」
「だ、だから、おれが……っ、お前に、ふわふわの……」
聞き返すと、彼は更に視線を左右に動かしていた。その意味がわからず、真っ赤になった彼に、体を寄せた。
「ねえ、どうしたのしんいち? はっきり言ってくれなきゃわかんないよ」
「ば、ばかっ。こんな細い枝にこんなにくっついてまたがったら!」
「え?」
慌てて離れようとした新一を追いかけようとした途端、股の下から枝がなる音が聞こえた。そして、一気に体が急落する感覚。目に映る景色が縦にぶれて、思わず鼓動が跳ね上がり、短い悲鳴を上げた。
「らん!」
耳に届いた悲鳴と共に、暖かい感触が体を包んだ。直後に、どすっとした振動が体に響いたが、どこも痛くなかった。その後と言ったら……。
***
ぶっ……、と堪えきれずに吹き出し、先ほどまで見ていたアルバムに顔を突っ伏した。一通り笑い転げた後で、彼女は目にたまった涙を拭いながら、空いている手でアルバムを静かに閉じる。
「懐かしいね、ホント。自覚したのはずっと後だけど、多分私あの頃から、それよりもっと前からずっと、新一の事が……」
そっと目を閉じる。胸の中、頭の中に、次々と浮かんでくる。彼との、彼と過ごした大切な日々の思い出が。笑いあった日々も、泣いたり、励まされたりした日々も。そして、彼が居なくなっていた、あのとても長く感じた悲しい日々も。
自然と、過去の記憶に引きずられ、口元には緩やかな曲線が浮かんだ。
「大好きだよ、新一」
小さな呟きと共に、彼女の頬はほのかなピンクを映した。もう少しでと思うと、鼓動が数回か早まった。
閉じたアルバムを両手で抱き込むように握り締めた彼女は、ゆっくりを時計を見上げた。一歩一歩時計の針が刻み進まれていくのを眺めながら、蘭は再び目を細め、微笑した。
玄関から鳴り響いたチャイムの音に、彼女はすぐに立ち上がった。小走りでドアの前までゆき、少し大きめの声で応答する。
「蘭ちゃん、アタシや! お待たせ!」
「和葉ちゃん!」
勢いよく戸を開けた蘭に、和葉は破顔し飛びついた。
「おめでとう、蘭ちゃん! ホンマに……連絡もろた時めっちゃ嬉しかったよ!」
抱きしめる力の強さから、和葉の気持ちが伝わる。急に抱きつかれて一瞬戸惑った蘭もまた、負けない位の力で和葉を抱きしめ返した。
「ありがとう、和葉ちゃん」
幸せいっぱいに抱きしめあう女二人の斜め後ろで、時計の針は、刻々と時間を刻んだ。とまる事なく、その訪れる幸せもまた、少しずつ彼女達の元へ近づいていた。
|