第2話
「僕、絶対いやだよ」
口元をへの字に引き結び、不機嫌さをあらわにして裕樹はつぶやいた。
「お兄ちゃん、協力してよ。僕、絶対琴子を追い出してやるんだ」
紀子に無理やり部屋から追い出された翌朝、裕樹は直樹が家を出ると一緒について来ていた。
「……お前、もっと遅く出ても間に合うだろ」
「お兄ちゃんと話したかったし、一緒に行きたかったからいいんだ」
裕樹は、背負っているランドセルの肩ベルト部分を両手でつかむと胸をそらし、うれしそうに直樹を見上げる。
「ふーん」
直樹は裕樹に視線を向けた。
「まぁ、どうせすぐ出て行くんだし、親父と約束したからお前に協力はしないが、追い出せるよう頑張れば? 気にいらんのなら自力でなんとかしろ」
「……わかった」
裕樹は少しがっかりしたのか、うつむいて肩ベルトをつかむ手に力を込めた。
「じゃあな、気を付けて行けよ」
直樹は裕樹の頭をくしゃっとなでると、高等部へ続く道へと曲った。
◇◇◇
「なんだあれ」
学校まで来ると、疑問を口にしてしまうほど、直樹の視界には奇妙な光景が広がっていた。
実際、直樹にとって“理解しがたいこと”は、昨日から起こっているが、しかもそれに同じ人物が関わっているということは、“稀なること”――いわゆる“奇跡”というものなのだろうか。
……それとも、奇跡でも何でもなくて、“よくあること”なんだろうか……。
ぞっとする想像をしてしまい、思わず顔をしかめた直樹の前に、それは避けようもなく立ちふさがった。
「通してくれない」
直樹は『地震で家を無くした相原琴子さんに愛の手を!』と書かれたプラカードとメガホンを持ち、大声で募金を呼びかけている変なイントネーションの男――金之助に向かって口を開いた。
金之助はむっとした顔をすると直樹につっかかってきた。
「おまえなぁ、琴子は今ごっつー傷ついてんねんで。誰のせいやと思ぉてんねん。えぇ?」
「震度2の地震のせいだろ」
「そ、それはまた別やろーが!」
(……何を言っているんだコイツは)
一瞬ひるんで見せた金之助だが、自説に酔っているのか、拳を握り締め熱く語り出した。
「元はといやー、おまえが琴子にえげつないふり方したからやないか。それがきっかけで色んな災いが琴子の身にふりかかってくるんや」
「……俺が地震をひきおこしたとでも?」
「そーや」
さも当たり前だと言わんばかりにうなづく金之助。
(…………。素晴らしいね、話す気にもならん)
直樹は、これ以上は時間の無駄と財布からお金を取り出した。
「わかったよ。募金すれば文句ないんだろ」
「ばっ……ばかにしないでよ!」
直樹の手に痛みが走る。
「あ、あんたみたいな人2年間も思ってたなんて。も……もったいないことしちゃったわ! あ、あんたのお恵みなんて死んだっていらないっ!!」
真っ赤な顔をし、怒りに身体をふるわせて啖呵を切ったのは、直樹にとっての災禍の元凶、琴子だった。
すっかり琴子の存在を忘れていた直樹だが、叩かれたわずかな手の痛みに眉をひそめた。
「……ヘェ。そんなこといっていいの」
「い……いっていいに決まってるでしょ! あんたにお世話になる理由なんてなんにもないわよ!」
あそう。と直樹は琴子に背を向け、校舎に向かう。
どこに世話になるのか知ったときの、琴子の間抜けな顔が見物だと直樹は口端をあげた。
「バ……バカだからって、バカにしないでよねっ!!」
「ぷっ」
追いかけてきた琴子の台詞に、不覚にも吹き出してしまう。
(ホント、バカなやつ……)
◇◇◇
「まだかしら、まだかしら? お兄ちゃん、ちょっと外に出て琴子ちゃんたちが来てないか見に行ってくれない?」
「見ない」
そわそわと落ち着かない様子の紀子に、直樹は読んでいた本から視線を外すこともせず、本日17度目の拒絶の言葉を返す。
「さっきからウロウロウロウロと……。わざわざ見に行かなくても、望まれてなくても、来るもんは来るんだから、少しは落ち着いて待ってたら?」
「んまぁ! 望まれていないなんてっ! お兄ちゃんや裕樹がなんと言おうと、ママは望みまくりなんですからね。琴子ちゃんをいじめたら承知しないんだから」
「さぁね」
「あら? そういえばパパは?」
「さっきからずっと玄関でウロウロしてるよ」
裕樹がふてくされたように言う。
「おい、ナオ! ナオ! 相原さんが見えられたぞ。ごあいさつしなさい」
「ほら、望まれなくとも来た」
「お兄ちゃん!」
本を置いて立ち上がると、直樹は玄関へと向かう。
初めてまともに琴子の顔を見たときの、ぽかーんと口を開けた間抜けな顔を思いだした。
(さて、どんな顔してるやら)
玄関では重樹と、いかにも“江戸っ子の職人”といった風情の細身の男性が九州弁で談笑している。そしてその後ろには、“驚愕”という言葉はこういうときに使うのだと納得させられるような顔をした琴子がいた。
「長男、直樹です。よろしく」
直樹は「ザマーミロ」と内心舌を出しながら、にこやかに相原親子に挨拶をする。
「あなたが琴子ちゃん!? まあまあ。まあまあ。かわいらしいお嬢さん。うれしいわっ」
紀子は頬を上気させ、うっとりとした顔で琴子に話しかける。
「お兄ちゃんとはクラス違うの? 学校では知り合いだったの?」
紀子の質問にぐっとつまり、真っ赤になった琴子の代わりに直樹が答える。
「クラスはずい分離れてるけど……だけど最近知り合ってね」
直樹はふっと笑いをもらすと、皮肉を込めて、しかし周囲には紳士的にうつる微笑を浮かべて琴子を見すえた。
「ねえ、琴子さん」
赤い顔をさらに赤くして、必死に直樹をにらみつける琴子の視線を、涼やかに受け流す。
「まあまあそれはよかったわ。あーこれから毎日楽しくなるわねぇ。琴子ちゃんとショッピングして、琴子ちゃんとケーキ焼いて……あら、裕樹来たの。ほら琴子おねえちゃんよ。ごあいさつなさい」
夢見心地に希望を並べ立てていた紀子は、のろのろとリビングから出てきて、じっと二人の様子を見ていた裕樹にやっと気がついた。
追い出してやると豪語していた裕樹が、素直に挨拶するはずもなく、しかし無視するという単純な方法で、出て行ってくれるのおとなしく待っているようなヤツじゃないなと、直樹は裕樹を見つめた。
「裕樹、ごあいさつは?」
紀子のイライラが通じたのか、裕樹はムスッとした表情を崩すことなく口を開いた。
「はじめまして、ぼく入江裕樹小学三年生です」
「よ……よろしくね。裕樹くん」
子供だから安心したのか、琴子は裕樹に目線を合わせるようにかがんで、ひきつっていた顔に笑顔を浮かべた。
裕樹は、琴子に邪気のない笑顔を向けると、ずっと持っていたノートを差し出した。
「琴子おねえさん、ぼく今宿題してるんだけど、この漢字の読み方教えてもらえませんか」
一瞬ひるんだ琴子だったが、所詮小学生の宿題と思ったのか、自信たっぷりに答えた。
「いいわよ」
(バカめ……)
じっと二人の様子を見ていた直樹は、先が読めて笑いがこみ上げて来ていた。
裕樹にノートを見せられて、たっぷり60秒は固まってから、琴子は自信なさげにつぶやいた。
「こ……これは、なっ……なべうし。かな……」
心底あきれた顔をして、裕樹は琴子を睨みつける。
「ばっかじゃないの。これはかたつむりって読むんだよ。17才でこんなのも読めないなんて」
「これ。なんてこというの、裕樹。おねえさんに謝りなさい」
紀子がたしなめるも、こうなっては止まらない。部屋も母親も取られてしまった裕樹は、「おまえなんかきらいだ!」と、吐き捨てると階段を駆け上がって行った。
「ごめんなさいね、あの子ったら」
紀子と重樹が必死に取り繕っているが、そんなのは耳に入らないほど呆然と立ち尽くしている琴子を見て、『兄弟共に振られた』とかなんとか考えているんだろうなと、直樹はふきだした。
「さっ、琴子ちゃんお部屋に案内するわ。ふふ。おばさんはりきっちゃったのよ」
立ち直りの早い紀子は、直樹に荷物を運ぶよう促すと、もう我慢できないとばかりに琴子を二階の部屋に連れて行き、琴子の反応を期待こもった目で見つめた。
「ここよ。どお?気に入ってもらえたかしら?」
「は、はい。か、かわいいです」
琴子は、ピンクやフリルで飾り付けられた部屋に目を丸くしながらも、うれしそうに部屋を見回していた。
「もーわたし、女の子が欲しくて欲しくて。あこがれてたのよ。フリフリのお部屋やぬいぐるみや……」
「その部屋。裕樹の部屋だったんだよな」
「え」
直樹は、赤くなったり青くなったりしながらも、どこか間延びしている、何も考えていなさそうな琴子にイラついてきていた。
さっきまで青くなっていたのに、もう笑顔か。いつまでヘラヘラしていられるかを、試してみようか……泣かせてみるのも悪くないという暗い思いが頭をよぎる。
「おかげでおれの部屋に子供机が運ばれてきて狭いのなんのって」
「お兄ちゃん、余計なこと言わなくていーのよ。気にしないで琴子ちゃん」
紀子は直樹の言葉を遮ると、荷物整理を手伝うように言いおいて、キッチンへと向かった。
「あ……」
迷い子のような心細い顔をして、琴子は紀子の居た場所を見つめていた。
「さてと、何から手伝いましょうか」
直樹は琴子の荷物を置くと、意地悪そうに口端をあげて微笑んだ。
「い……いーですっ。一人で出来るわっ」
琴子は幾分青ざめ、ひきつった顔を直樹に向ける。それは先ほどまでの、紀子に向けていた、親を求める子のような瞳ではなく、明らかな拒絶が混じっているものだった。
「ああ、そうだったなー。おれがあんたに世話する理由は何にもないもんな。あんたがいてもいなくても俺には関係ないから。俺の生活のじゃまはしないでくれ」
直樹は、立ち尽くす琴子に冷たく言い放つと、部屋を出て行った。
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