第3話
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――エンゼルライン学園高等学校二棟屋上にて。
六時限目の授業が氣術訓練だったので、寺島隆也は授業をサボって屋上に来ていた。授業をサボるとき、隆也はいつも屋上に足を運んでいた。もっとも、それは屋上=サボりという定番に合わせているわけではなく、ただ単に、隆也が遠くを眺めることが好きということだけが、屋上に足を運んでいる理由だった。そもそも、隆也は意味もなく授業をサボるような不良ではなく、サボる授業も今第二体育館で行われているであろう氣術訓練だけだ。
氣術訓練とは、その名の通り、氣術のスキルをあげるための実践的な授業だ。まあ、実践的といっても、一年生のうちは氣を併用させるという点を除けば、内容は普通の体育の授業となんら変わることはない。が、隆也は日ごろからあえてこの授業だけには出ないようにしていた。
氣とは、誰もが体のうちに持っている秘められたエネルギーのことだ。はるか昔、人はこの氣の力を超能力だとか、超常現象だとか呼んで珍しがっていたらしいが、ある日を境に、人はその力を扱えるようになり、今では氣を扱えることは常識として世界中に広まっていた。
隆也は落下防止用のフェンス越しから、遠くの景色を眺めた。連なる高層ビルに、自動車の行き交う高速道路。目に映るものは、人の手によって創られたものだけだ。それ以外のほとんどは人の手によって蝕まれている。だから、隆也の目はいつも自然にそこから、上へと這い上がっていく。そこには、いつ見ても変らず果てない青空が広がっている。
――そう。あの時もちょうど、こんな青空が広がっていた。
屋上に備え付けられたベンチに仰向けに寝転んで、隆也は果てなく広がる青空をぼんやりと眺めていた。何も考えずにそうしていても、意識の端っこでは常にあのときの光景が鮮明に浮かび上がってくる。でも、それを消そうとしてしまえば、今度はその罪悪感に押しつぶされる。が、それも仕方のないことだ。すべては自分が悪いのだから。
どれぐらい、そうしていただろう。目をつぶったまま、居心地の悪い、どすぐらい罪悪感の中に浸っていると、屋上の扉の開く音がどこからともなく流れてきた。その扉を開けた人物は、迷うことなく隆也の下へと近づいてくる。隆也はその気配を感じながら、自分のもとに近づいてくる足音が誰であるかを考えてみた。
今サボっている授業の担当教師。とは思えない。自ら授業を受けることを放棄した不真面目な生徒のために、他の真面目な三十九人の生徒をほうっておくような真似はいくらなんでもしないだろう。かといって、クラスの学級委員とも思えない。隆也を授業に連れ戻しに行くことを、クラスメイト全員は自殺行為だと思っているはずだからだ。しかし、授業のない教員が暇つぶしに見回りをしている可能性は、前に挙げた二つよりよっぽど低いだろう。そうなると、足音の主は、隆也の予想できる範囲の外側にいる人間、つまり分かりやすく言い換えるなら、見ず知らずの他人、ということになるのだが、どっちにしろ、どれをとってみても可能性は等しく低いことは間違いなかった。
やがて、足音は隆也のそばまで来るとピタリと止んだ。
「なんだ。先客がいるなんて、珍しいな」
隆也は聞き覚えのない声を聞いてから、ゆっくり目を開けた。
「誰だ?」
「うおお!」
隆也がゆっくりと身を起こすと、声の主は大げさに驚いて声を上げた。
「起きてんなら、起きてるって言えよ! びっくりすんだろが!」
「ああ、スマン」
「いや、まあ、謝らなくてもいいけどよ」
そう言って、ぽりぽりと頭をかく見慣れない男子生徒に、隆也はじっと目を留めた。銀色をした鮮やかに艶めいた短髪の髪が一番に目に入る。少しつりあがった目は意志の強そうな印象を与え、高く上がった鼻や、きれいにかたどられた輪郭は、まるで作り物の人形めいた美しさを連想させた。が、その銀髪の生徒はその美しさとは反対に位置する性格の持ち主らしく、じっと自分のことを見てくる隆也に、その銀髪の生徒は眉をひそめて「なにじろじろ見てんだよ。気持ちわりーな」と声を出した。
「言っとくけど、俺はそっちの趣味はねーぞ」
「俺もだ」
「そうか。そりゃなによりだ。――で?」
「なんだ?」
「いや、名前だよ名前。あんた誰?」
「寺島。寺島隆也。1―Dだ」
「1―Dって、タメかよ、おい!」
「そうなのか?」
「そうだよ。つーか、でけえな、お前。身長何センチだよ、それ」
そう言って、銀髪の生徒は隆也の隣に腰を下ろした。
「192だ」
「192?」
「ああ」
「おかしいな。噂の殺人マシーンってのは、体長二メートル五十センチの筋肉ゴリラって聞いたんだけどな」
「お前、俺のこと知ってたのか」
「いや、知らねえよ。ってか、名前聞いてる時点で初めましてだろ」
「そうじゃなくて、俺の噂のことだ」
「噂? ああ。知ってるけど、だからってお前のこと知ってるってことにはなんねえだろ?」
「……」
「だから、じろじろ見んなって気持ちわりー」
「変ってるな、お前」
「お前に言われたくねーよ」
「そうか」
「そうかって、お前なあ……。ま、いいけど。しっかし、究極にからみづらいな、お前」
「よく言われる」
「だったら、直す努力しろよ」
「こういう性分なんだ」
「あーそうかい。ま、いいさ。俺も他人に言われて自分の性分直す気ねーからな」
「そうか」
ちぇ。そう舌打ちすると、銀髪の男子生徒はつまらなそうにぼりぼりと頭をかいた。隆也は、そんな銀髪の男子生徒の様子を、横目でうかがった。
なぜか、隆也は妙に馴れ馴れしいこの銀髪の男子生徒のことを、嫌うことができなかった。まだ、名前も知らないこの人間に対する、言葉にできないシンパシー。隆也は、言葉に変えられない何かを、まだ初めて口を利いて五分も経たない人間に感じていた。
「なあ。お前、氣術訓練でクラスメイト半殺しにしたっての、ほんとか?」
「ああ」
「んで、もう氣術訓練の授業には出ないのか」
「ああ」
銀髪の男子生徒は「ふうん」とつまらなそうに返事をすると、横目で隆也を見ながら、声を出した。
「なんつーか、あれだな。人ってのは、力がねえと欲しがるくせに、力があると、捨てたがんだよな」
「……何の話だ?」
「別に。ただ、望んでもねーのに力がありすぎるってのも問題だよなって話さ」
「そうか」
「そうかって……。ったく、暗いなあ、お前」
「そういう――」
「性分、ってか?」
「そうだ」
「ったく、ほんとにからみづらい奴だな。友達いないだろ、お前」
「そうだな」
「いや、笑うとこじゃねーよ」
銀髪の男子生徒は呆れたような声を出してから、今度は眠そうにあくびをした。
「つーか、授業サボって屋上まで来て、何で俺は野郎とだべってんだよ。俺は昼寝しに来たのによ」
「そうか。そいつは悪かったな」
「いや、別にお前が俺に謝る必要はねえよ。屋上はみんなのものだからな」
それから、銀髪の男子生徒はベンチの上に仰向けに転がった。隆也は、ベンチから腰を上げて、手すりに体を預け、空を仰いだ。
「一つ、聞いてもいいか」
「ん? なんだよ」
「お前、俺が怖くないのか?」
「は? なんだよ、急に」
「よく、そう見られる」
二メートルにも及ぼうかという巨漢に、類まれな氣の力。それだけで隆也は今まで他人から恐怖の対象として疎まれてきた。もちろん、今まで出会ってきた人間すべてが見た目だけで隆也を判断する人間だったわけではない。だが、類まれな氣の力は、人を傷つけるものでしかない。本人にその意思がないにしても。
そして、隆也の周りに残った人間は、誰もいなくなった。
「くだらねえ質問すんなよな」
銀髪の男子生徒は、隆也を見もせずに、目を瞑ったまま声を出した。
「俺には怖いものなんか何にもねえよ。俺を誰だと思ってんだよ」
隆也は少しポカンとしながら、銀髪の男子生徒に目を向けた。口元が少し緩んだのは、意識してのものではなかった。
「いや、知らない」
隆也の言葉を聞いて、銀髪の男子生徒はゆっくり身を起こした。
「そういや、俺だけまだ自己紹介してなかったな」
「ああ」
「悪い、悪い。俺は鳴瀬川幸也。1―Aだ。ま、覚えなくてもいいけどな」
「いや、覚えておく」
「そりゃ、どーも」
そして、幸也はベンチに仰向けに転がった。
「ほんとに、変わった奴だな」
隆也は幸也の寝顔をチラッと見てから、声を出した。
顔を上げるのを止めて、隆也はグラウンドの方へ視線をずらした。
昔のことを懐かしむなんて、なんだか老人みたいだな。そう思い、一人で小さく笑ってみる。まあ、昔、と言ってもつい二ヵ月ほど前のことだが。
「鳴瀬川幸也……か」
結局、あれから一度も会うことはなくなったのだが、隆也の頭から幸也のことが消え去ることはなかった。
あの時感じた、言葉にできないシンパシー。
できれば、もう一度会ってみたいな、と思う。別に、友達になりたいとかいうわけではないが、不思議と幸也と話しているとき、隆也はいつも他人に作る壁を取っ払っていたように思う。幸也の自然体な接し方が、隆也の作る壁を壊してくれたのだ。
「……なんだ?」
何気なくグラウンドに目を向けていた隆也は、その光景にすぐに違和感を覚えて、声を出した。
グラウンドでは、確か一年E組とG組が体育の授業を行っているはずだった。そして、現にグラウンドには生徒たちの姿があるにはあるのだが……。
グラウンドに立つ生徒全員が、ボーと突っ立って動いていないのだ。それは、遠目から見ても、奇妙な光景に他ならなかった。
しばらく、その奇妙な光景に目を留めていると、どこからか女の子の叫び声が聞こえてきた。その声を追って視線をずらすと、校舎側の階段付近のところに、女子生徒が二人いるのが目に入ってきた。
一人はぐったりと倒れこんで動く気配を見せない。そして、もう一人の女子生徒が、必死にその女子生徒に何かを叫んでいた。
やがて、女子生徒は叫ぶのを止めると、少しの間呆然とその場に立ち尽くしてから、すごい勢いでその場から立ち去ってしまった。
ただならぬ気配を察した隆也は、はじけるように屋上のドアを抜け、グラウンド目指して校舎を駆け下りた。
言い知れない、嫌な予感が隆也の中をよぎっていた。
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