第1部 第1章 白髪の男 その3
グロン村は段々と落ち着きを取り戻していた。人々も目を覚まさない白髪の青年に飽きてきたのか、一目見ると後は自分達の仕事の続きを始めた。
幸い外傷もなく、寒さで凍傷の可能性があっただけで、命に別状はなかった。若い男の体力は並外れたものがある。回復には時間かかるかもしれないが、明日には意識くらいはしっかりするだろう。
伝令に行ったのだから、当然城の人間が村に来る。来るまでは、誰かが看病と監視も兼ねて付いていなくてはいけない。
その役目にボズが選ばれた。もし突然目が覚めても傍に子供がいれば、身の危険を感じる状態に陥ることはないという判断だった。部屋の外には大人の見張りが付く。
ボズは大役を任されたということで舞い上がっていた。コウミや他の友達の羨ましいという視線を背中に浴びることになった。
「ボズ・気をつけてね」
昔から好意を抱いていたアリシェが心配そうに言ってきた。普段話しもないのに話しかけれられたことで、ボズはますます舞い上がった。
面白くないのはコウミである。密かにコウミもアリシェに行為を持っていた。
「ふん、起きもしない奴をただ見てるだけだろ?くだらねえ。そんな簡単な事、気をつけるもなにもねえよ」
負け惜しみを言うコウミを相手にせず、ボズは青年が寝ている空き家へ入っていった。
辺りは暗くなり始め、静寂が訪れてきた。
「そうか、お前が離れてもう9年くらいになるのか」
グロン村へ向かう道途中、ファミリストンは懐かしそうに言った。
メルク、そして部下である兵5人を付き従えてゆっくりグロン村へと馬を走らせている。日も落ちてきて、このままだと、村へ着くのはかなり夜の深い時間になるだろう。
「今では、娘が一人います」
メルクは恥ずかしそうに笑った。
「あの鬼のメルクさんが、家庭を持つなんて信じられません」
かつてメルクの下で鍛えられた兵士から見ると、その厳しさからは想像できない笑顔を見て驚いて言った。その言葉に皆の笑い声が響く。
「確かにそうかもな。私から見ても、メルクのその体型は問題だぞ」
「全く、将軍までそんなこと言わないでください」
再び笑い声が木霊した。
遠くの丘で、女が一人、グロン村を見つめていた。
薄い布を身体に巻いているだけのその格好は、明らかにゲルニア国の人間ではなかった。ゲルニアの人間ならば、寒さに耐えるため、防寒服や、もっと厚い服を着込むからだ。
女はしばらく村を見ていたが、突然手の平に涎を垂らしだした。その手をそのまま地面に向けると、呟き始めた。それは呪文のようなものだった。
呟きが終わると、立っている場所を中心とし、地面から数本の腕が女を囲むように飛び出してきた。
人の腕ではない。その腕は、ドス黒く、皮は爛れ、爪は長く鋭かった。
異形の怪物が数十体、地面から生まれた。
美貌の持ち主であるはずの女の笑顔は、醜く歪んだ。
村の空き家を使って、青年を寝台に寝かせていた。
特にすることもなく、ボズは青年の綺麗な白い髪に見とれていた。時間にしてそんなに経っていなかったが、数時間もの時が過ぎたような感覚に思えた。
美しい髪と静寂が重なって、ボズの目は静かに閉じていった。
ボズは夢を見ていた。
英雄になる夢。世界を救う夢。アリシェと結婚している夢。
人々の歓喜の声が聞こえる。コウミの悔しそうな泣き声が聞こえる。
憧れのファミリストン将軍から褒められる。セラミス王からも英雄の称号を得る。
照れ臭そうにしている父親。嬉し泣きのため顔がくしゃくしゃになっている母親。アリシェの尊敬の眼差し。
そして、今まで聞いたこともない咆哮。悲鳴。叫び声。
・・・雄叫び。
ボズが我に返ると、異様な雰囲気に村が覆われていることを感じた。
辺りから呻き声が聞こえてきた。寒気が全身を突き抜ける。同時に悲鳴と人間のものとは思えない鳴き声が沸きあがった。夢の中で聞こえた雄叫びだった。
慌てて部屋の窓から外を窺った。
ボズのその純粋な瞳に映ったのは。
異形な怪物に襲われているコウミの姿だった。
「わっ、わっ、わああああ」
泣きながら逃げるコウミに容赦なく怪物は鋭い爪を振り下ろした。
村には数十体の怪物が殺戮を繰り広げ、立ち向かおうにもその圧倒的な力に村人達はなす術もなく倒れていった。
ボズは真っ青になって止まるはずもない身体の震えを必死で抑えていた。
目の前で友達が殺された。知っている大人達が殺されている。親はどうなったのだろうか。どうしてこの村に。あの怪物はなんだ。どうしてこの村を。
色んな思考が脳裏を過ぎる。声が出ない。
雄叫びと悲鳴が近づいてきた。すぐにでもこの部屋に怪物が飛び込んでくる。ボズはもう恐怖で動けなくなっていた。
ボズは頼るしかなかった。
島に流れ着いた異国の人間に。話したこともない異国の男に。名前も知らぬ異国の者に。
「…君は誰だ。…なぜ泣いている」
そして、深い眠りから覚めた、美しい白き髪の青年に。
つづく。 |