自問自答
彫刻の勉強をして、それで食っていけると思っているのか。
油絵を描いて、それで食っていけると思っているのか。
書道の道を目指して、それで食っていけると思っているのか。
小説を書いて、それで食っていけると思っているのか。
人はその道を歩もうとする私を頭から否定する。
だれかに言われた。夢など叶う人はそれを求める人の一%にも満たない。その一%におまえはいると思っているのか。才能も努力もないおまえに夢を語る資格はない。いつかだれかが突然スカウトにくるとでも思っているのか。そんな甘い考えで生きていけると思っているのか。
でも、同じ生きていくなら好きなことをして、生きていったほうがいいじゃないか。そのために生活が苦しくったって、贅沢できなくったっていいじゃないか。生活のために妥協して好きでもない会社勤めをしてなんになる。ただ生きてるだけじゃないか。生きる実感のない人生なんて意味があるのか。
でも、人は一人では生きられない。守るべき家族がある。親にも心配は掛けられない。いつまでもすねをかじってはいられない。分かっている。私もばかじゃない。最低限の常識はもっているつもりだ。
それでも夢は捨てられない。
夢は叶えるためにある。だれかのことばだ。
しかし、だれにでも叶えられるものではない。そんな簡単なものなら夢とは言わない。
夢はかなわないかもしれない。でも夢をあきらめたら、何を思って成長できるのだろう。日々健やかな時間を過ごせればそれで幸せなのか。違う。人はなにかを生み、そこに自分の生まれた存在を証しとして残すために生きているんだ。
人は子を生む。自分が生きた現実を次の世代へつなげるために遺伝子を残す。
子を持たない人も多い。その人たちのなかには芸術家として名を残す人や偉人として歴史に名を残す人もいる。その人たちはこれから生まれてくる人たちにとっても大きな影響力となり、心の成長を刺激するだろう。
人は生きているだけで意味がある。なにかをするためにこの世に生まれる。そして、なにかを成し遂げ、次の世代へつなげたとき、人はその役目を終える。
人は永遠に生きられない。だから、人は夢を持つ。自分が生きた証を残すために。
自分にとってそれが小説なら書き続けたい。
生活が苦しくなろうと、睡眠時間が奪われようと、好きだから続けていける。
それで食っていくとかの問題じゃない。夢は食べる手段ではない。生き甲斐だから。




