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東京迷宮

死闘 東京迷宮_2016

作者:(=`ω´=)
 その日、〈スローター〉の異名を取る探索者は、迷宮内にある特殊階層に単身で潜入していた。
 まだ発見されてから日が浅いその特殊階層は、不可知領域管理公社によって探索者の身に及ぶ危険度が迷宮内の他の領域よりは高い地域と判断されており、立ちいる前に改めて同意書の提出が求められる決まりとなっている。
 少し前にある偶然によりこの特殊階層を訪れた経験がある〈スローター〉は、そうした正式な手続きを踏むことなく、自身のスキルのみでその特殊階層まで移動することも可能であったが、あえて公社の心象を損ねるような手段を選択する理由も特にあるわけではなく、通常の手続きに従う形で公社に同意書と提出してこの特殊階層まで赴いていた。

 この〈スローター〉があえて高いリスクのあるこの特殊階層に入ることを選んだことには、幾つかの理由がある。
 最近でこそ他の探索者たちとパーティを組んで迷宮に入ることも珍しくなくなったが、〈スローター〉はもともと、これまでほとんどソロで探索者としての経歴を刻んできた男であった。
 まだソロでも通用するだけの実力を保持していると自分自身に納得をさせるための、いわば力試しとしての側面がまずひとつ。
 次に、昨年末から断続的に行ってきた変異体スライム狩りが、報酬的な面であまり美味しくない仕事になってきたということ。
 いくつかの攻撃に特化したユニーク・スキルと、それにスライムを筆頭にかなり多種多様なエネミー弱体化パッシブ・スキルを持つ今の〈スローター〉によって、たとえ変異して極端に巨大化しているとはいっても、スライムを撃破することはかなり容易な仕事になっていた。
 とはいえ、そうした変異体スライム自体がかなりレアなエネミーである。
〈スローター〉が〈サーチャー〉と呼んでいる、一種の追跡転移スキルにもなかなか引っかからないほどなのだが。
 レアな存在である代わりに、変異体スライムを倒せば必ずといっていいほど膨大な希少金属のかたまりなどをポップする、かなり美味しい獲物なのであった。
 少し前までは、ということだが。
 最近では、首尾よく変異体スライムを見つけ、倒したとしても、以前ほど高価なアイテムを落とさないようになってきていた。
 最終的には〈スローター〉単体で倒すことができるにしても、変異体スライムはまず例外なく巨体を持っており、その堂々たる巨躯にふさわしい打たれ強さも持っている。
〈スローター〉が持つ攻撃力は、少なくとも〈スローター〉と同じくらいの期間、探索者として活躍した人間と比較すれば格段に大きいはずなのだが、その〈スローター〉の攻撃力を持ってしても、数日に渡って追い回し、しつこく攻撃を加え続けた末にようやく倒せるような。
 変異体スライムとは、それくらい頑丈なエネミーであった。
 エネミーを倒した時に一定の確率でドロップするアイテム群がどのような基準により選定されているのかは定かではなかったが、回数を重ねるたびに変異体エネミーが残すドロップ・アイテムは廉価なものになってきており、少なくとも〈スローター〉にとっては以前ほど美味しい獲物ではなくなってきている。
 今のところ探索者として働く以外に収入を得る道がない〈スローター〉としては、変異体スライム以外に美味しい獲物を今のうちに確保しておきたいところであった。
 前述のように、どのような基準でドロップ・アイテムが選定されているのかは定かでないわけであるが、大まかな傾向としては、強いエネミーほど高価で希少なアイテムをドロップすることが知られている。
 つまりは、危険な場所に行けば行くほど見返りの方もそれだけ期待できるわけであり、現在、探索者として一種の行き詰まりを感じている〈スローター〉としては、この特殊階層にもソロで挑戦をしてみる価値はあると、そう判断したわけであった。

 一寸先も見通すことができない、といえば誇張になる。
 しかし、周囲は、一メートル先になにがあるのかすらわからないほどの濃霧に覆われている。
 この見通しの悪さが、この特殊階層の特徴のひとつとして数えられていた。
 一部の例外はあるようだが、この特殊階層に降り立った探索者は、だいたいこの濃霧に出迎えられることになる。
〈スローター〉は視界を阻む濃霧越しに、必ずしも存在をするはずの〈エネミー〉の気配を感じ取ろうと、全身の感覚を研ぎ澄ませる。
 この階層に出没する〈エネミー〉は、単なる〈エネミー〉ではない。
 探索者と同等かそれ以上の知能を持ち、複数のスキルを持つ〈エネミー〉である。
 ヒト型、というよりは、ヒトそのもの。
 迷宮の未知の機能により、過去に迷宮内で死亡した人物をそのまま複製した、そんな悪質かつ悪趣味な〈エネミー〉であった。
 それゆえ、この特殊階層は、一部の探索者からは〈死者の階層〉などという異名も奉られている。
 この特殊階層独自のルールとして、同時に入った人数と同じ人数の死者が〈エネミー〉として出現するということ、それに、多少のブレはあるようだが、だいたいは特殊階層内に入った者よりは格上の探索者が選択的に複製されるらしい、という傾向が確認されている。
 つまりは、迷宮内の他の階層をうろつくよりは、遥かに危険なのだ。
 事実、この特殊階層内での、探索者の未帰還率は、他の階層の未帰還率の軽く十倍を超えている。
 公社がこの特殊階層に赴こうとする探索者にむかって、改めて有事の際の自己責任の同意書を提出するように義務づけているのも、決して理由がないことではないのであった。
 そんなリスキーな場所に、よりにもよってソロで行こうとするやつは、おれくらいなものだろうな。
〈スローター〉は、そんなことを考えてフェイスプレートの中で薄く笑う。
 なにが自分を駆りたてているのか、その動機の根源にあるものを、この時点では、〈スローター〉自身にもまるで自覚していない。
 客観的にみれば、一種の破滅願望に駆られていると見なされても、文句はいえないような行動を取っていることを、〈スローター〉自身も自覚はしていた。

〈スローター〉は全身の五感を研ぎ澄ましながら、小走りに駆け出す。
 相手の位置が判然としないからといって立ち竦むのは、どう考えても悪手だった。
 いつまでも同じ場所にいれば、それだけ狙われやすくなる。
 探索者としてそれなりの経験を積み、それだけ累積効果を得て身体能力が強化されている〈スローター〉の場合、小走りのつもりでも実際にはかなりの速度となった。
 不定期に進路を変えて、ジグザグに進む〈スローター〉。
 濃霧に阻まれてその全貌を見渡すことはできないが、その〈スローター〉の行く手を遮る壁面には、まだ到達していない。
 足音を立てないように注意しながら、〈スローター〉は〈察知〉のスキルを全開にして、〈エネミー〉の動向と現在地を把握しようとする。
〈スローター〉が持つ〈察知〉のスキルは、〈エネミー〉の現在地を把握するよりは危機に対してより敏感に反応するように育ってきていた。
 正直にいえば、今回のように視界が効かない場所で、見えない敵の所在地を感知するような作業は、〈スローター〉が不得手とするところである。

 疾駆していた〈スローター〉が、唐突にその場で跳躍をする。
 直前までの〈スローター〉の進路上に、次々と濃霧を切り裂いて金属片が飛来した。
 やはりな。
 と、〈スローター〉はひとり、素早く〈エネミー〉の総合能力を分析をする。
 感知系のスキルは、むこうのが、こちらよりも上。
 相手は〈投擲〉スキル持ち。
 それなりに素早いが、対応しきれないほどの反応ではない。
〈投擲〉されたモノは、おそらく迷宮では頻繁にドロップする鉄製の短剣。
 あまり重い物体でもないから、こちらよりも力が弱いのかも知れない。
 もっとも、こちらにそう思わせるための布石という可能性も否定できないから、あまり強くそう思い込まない方が身のためだが。

 素早くそんな内容を考えるのと同時に、〈スローター〉は自分の〈フクロ〉から素早く、やはり比較的ありきたりなドロップ・アイテムである〈角飾りの手斧〉を取り出し、走りながら何本か、素早く両手で〈エネミー〉がいそうな位置目がけて投げつける。
〈エネミー〉の方も一カ所にじっとしているとは思えないし、すぐに命中するとも思えないのだが、牽制の役割くらいは果たすくらいはずだ。
 そうしてなにかを〈投擲〉すれば、少なくとも〈投擲〉をした時点での自分の位置を〈エネミー〉に伝えてしまうわけだが、どのみち〈スローター〉は〈エネミー〉の察知系スキルの制度を自分のものよりは上として見積もっている。
 こちらの位置が割れることに関しては、〈エネミー〉の側が対応する前に別の場所に移動することで対応をするつもりであった。

 つまり〈スローター〉は休むことなくランダムに進路を変えて動き続けていたわけだが、そのすぐうしろを〈エネミー〉の〈投擲〉スキルによる攻撃が、かなり正確に追尾してくる。
 やはり、一撃の威力よりは手数で勝負をかけるタイプのようだな、と、〈スローター〉は判断をした。
 例によって、予断は禁物なわけだが。
 相手は女性か、ことによると自分よりも年下の、年はもいかない探索者の成れの果てかも知れない。

 徐々に〈エネミー〉の〈投擲〉攻撃は正確さを増して行き、飛来する短剣の軌跡と〈スローター〉との距離が詰まっていく。
〈スローター〉の方もそれなりに〈投擲〉により応戦しているのであるが、その頻度は〈エネミー〉には及ばない。
 走り、逃げ続けながらということもあるのだが、〈スローター〉はこれまで、
「ヤられる前にヤれ!」
 的な、攻勢に秀でたスキル構成をしており、現在のように、
「逃げつつ戦う」
 といった方法に慣れていないことが大きかった。
 いや、それよりも、相手である〈エネミー〉が〈スローター〉よりも場慣れしていて、現在も戦いの主導権を握っているという側面が強い。

〈エネミー〉は、おそらくは自分よりもよほど経験を積んだ探索者、であったのだろうな。
 と、〈スローター〉は判断する。
 とはいえ、〈スローター〉が探索者として活動を開始したのは昨年の五月からだったから、三月のこの時点でまだまる一年も経過していない。
 現在の〈スローター〉自身よりは、たいていの探索者が経験豊かになるだろう。

 いっそのこと、一度わざと〈エネミー〉の攻撃を受けてみるか。
 しばらく逃げながら〈投擲〉による攻撃を行っていた〈スローター〉は、そんなことを考えるはじめる。
 これまで長くソロでも活動してきた〈スローター〉は、これでも自分の〈ヒール〉スキルの治癒効率については自信を持っていた。
 致命傷を負わない限りは、ものの数分でたいていの傷を癒すことができる。
 まずは動き回る〈エネミー〉の姿を捕捉しなければ、〈スローター〉としても先の展望を想像できない。
 故意に相手の攻撃を受けて、相手の油断を誘うというのは、一瞬の油断が命取りとなりかねない迷宮の中のセオリーからは大きくかけ離れるわけだが。
〈スローター〉としては、やりきる自信を持っていた。
 なによりも、逃げつつ戦うという現在の状況は〈スローター〉の性分に合わないし、その分、あまり長時間同じことをしていると、神経が削られる。

 密かにそう決意をした〈スローター〉は、不自然ではない程度に走る速度を落として、右の足首に〈エネミー〉の〈投擲〉攻撃を受けることに成功した。
 その場で派手に転倒して何度か転がり、うまく衝撃を逃しながら、素早く〈ヒール〉を右足首にかける。
 最先端技術によって製造された保護服の性能のおかげで、高速度で衝突した短剣が〈右足首〉を切断することはなかったが、衝撃まで逃がしきれるものではなく、くるぶしの上当たりで骨が破損している感触があった。
 この〈エネミー〉は、年季が入った探索者としてはどちらかといえば非力な部類に入るはずであるが、それでもこれくらいの膂力は当然のように持ち合わせている。
〈スローター〉は自分の足首に〈ヒール〉をかけながら、芝居半分によろよろと立ちあがり、その場から移動しようとする。
 その〈スローター〉にむかって、矢継ぎ早に連続して短剣が〈投擲〉された。
 しかしその攻撃は、それまでの、油断することなく移動しながらのものではなく、一定方向から来る単調なものであった。

〈スローター〉は〈フクロ〉の中からドロップ・アイテムである小ぶりな丸盾を取り出してそれらの短剣を軽く弾き、同時に、もう一方の手でやはり〈フクロ〉の中からボーラという原始的な投擲武器を取り出し、雷撃をそのボーラにまとわりつかせた状態で、立て続けに〈エネミー〉がいるはずの場所、その周辺へと〈投擲〉する。
 同時に、
「動くな!」
 という思いをこめて、
「うおおおおおおおおっ!」
 と、雄叫びをあげた。

 ボーラに電撃をまとわりつかせたのは、〈スローター〉が持つ〈いらだちの波及〉というスキルの効果であり、雄叫びをあげたのは、スキル〈威圧〉を発動し、しばらく〈エネミー〉の身動きを封じるためのものである。
 このうち前者のスキル、〈いらだちの波及〉は、今のところこの〈スローター〉しか所持していることが確認されていない、ユニーク・スキルであった。

 遠くから、悲鳴が聞こえた。
 どうやら、〈スローター〉による攻撃のどれかが、無事に〈エネミー〉に命中したらしい。
 意外にかわいらしい声だった。
〈エネミー〉の正体は女性か、さもなくば年端もいかない子ども、という〈スローター〉の予測は、どうやらあたっていたらしかった。
〈スローター〉の攻撃のが命中した今、〈エネミー〉は〈いらだちの波及〉と〈威圧〉の相乗効果により、しばらくは動けないはずである。

 今だ。
 と、〈スローター〉は思う。
 早く、次の手を打たないと。
 逃げられてしまう。
〈スローター〉は痛む右足首に〈ヒール〉をかけながら、足を引きずるようにして悲鳴があがった場所へとむかう。
 その途中で、〈スローター〉は小ぶりな円盾を、自分の全身を覆い隠すような大型のタワーシールドへと持ち変える。
 ここで油断をして、相手につけいる隙を与えるつもりはない。
 手強いな、と、〈スローター〉は思う。
 当然のことながら、〈スローター〉をはじめとする普通の探索者は、本気の対人戦を行う機会がほとんどない。
 まるでない、と断言できないのは、〈スローター〉自身が昨年末に、強盗を相手に本気の対人戦を経験していたからだ。
 あのときも一歩判断を間違えば命がない状況だったが、緊迫感でいえば今の方が断然上であった。
 あのときは強盗たちを〈スローター〉の側が翻弄し、終始こちらのペースで持っていけたが、現状はその逆で、〈スローター〉の方が相手のペースで動かされている。
 やはり、相手の〈エネミー〉の方が、場慣れしているよな、と〈スローター〉は自然にそう思う。
 だから、〈スローター〉は決して気を緩めない。

 しかし、次の瞬間には轟音が起こり、〈スローター〉の体は軽々と宙に舞っている。
 え?
 と、〈スローター〉は高々と三メートル以上も上空に吹き飛ばされながら、疑問を感じる。
 なんだ。
 いったい、なにが起こっているのか。
 耳鳴りがして、方向の感覚が消失している。
 ガン!
 と、ヘルメットが地面に激突する音と衝撃を感じたことで、〈スローター〉ははじめて自分の体がそれまで空中に存在したことを悟った。
 一度空高く吹き飛ばされ、落下したのだ。
 手にしていたはずの盾は、いつのまにか手放している。
 慌てて身を起こそうとして、それが容易にできない現状を〈スローター〉ははじめて自覚する。
 体中が痺れていて、ほとんど麻痺しているような状態だった。
 そう自覚をしてみると、体中が酷く痛い。
 ようやく首を巡らして自分の状態を確認してみると、いやはや酷いものだ。
 現在の技術で製造できる、最高にタフな素材で製造されているはずの保護服がボロ切れ同然になっていた。
 むろん、その保護服に包まれていた〈スローター〉自身の肉体も、満身創痍という表現がピッタリくるような痛々しい状態になっている。
 ほぼ反射的に自分の体中に〈ヒール〉をかけながら、〈スローター〉は、
「まいったな、これは」
 とか、思っている。
 おそらくは〈エネミー〉による攻撃の結果であるはずなのだが、いったいどんなスキルを使用すれば一瞬でここまでのダメージをこの身に負わせることができるのか、〈スローター〉にはまるで想像ができない。
 相手の〈エネミー〉はどうやら、〈スローター〉が漠然と想像していた以上に上手であり、格上の存在であるらしかった。
 だからといって、〈スローター〉の側が殊勝な態度で負けてやる義理もないわけだが。

〈スローター〉は自分の全身が悲鳴をあげるのを無視して、急いで各部を点検する。
 両手を握る。
 よし、できる。
 足は、例によって感覚はないのだが、動くことは動くらしい。
 ただ、首を屈ませて確認すると、ブーツは消失して両足が剥き出しになり、血に塗れていた。
 ところどころ白いなにかが見えていた気もするのだが、それについては深く考えないようにする。
 どの道、〈スローター〉の対処法は〈ヒール〉の連発しかない。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 気にするだけ無駄だ。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 しかし、保護服だけではなく、頑丈な探索者用のブーツまでまとめて吹き飛ばすかね、と、〈スローター〉は〈エネミー〉による未知の攻撃方法とその威力に呆れる。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 どういうスキルなのかまるで見当がつかない点も気になるのだが、それ以上にこの威力はデタラメもいいところだ。
〈スローター〉は自身のかなり偏ったスキル構成を棚にあげて、そんなことを思う。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 ああ、くそ。
〈スローター〉は心の中で悪態をつく。
 痛い。
 体中、くまなく痛い。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 それでも〈スローター〉は精一杯の気力をふり絞って自分の体がどこまで動くのか点検をして、〈フクロ〉の中にある予備の保護服とブーツを呼んで、現在着用しているボロと交換をした。
 瞬間着替えは、得物を瞬間的に取り出すことと同様に、〈フクロ〉のスキル持ちが早い時期に習得する技だった。
 便利であり、必要性もそれだけ高い技能だったから、ほとんどの探索者が習得している。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 思っていたよりも、ダメージが大きいな。
 と、〈スローター〉はそんなことを思いながら、ふらつく足取りでどうにか立ちあがる。
 そして次の瞬間、腹部に重い衝撃を受けて再び地面に転がった。
 畜生!
〈スローター〉は再度、心の中で悪態をつく。
 こちらが回復するよりも、相手の〈エネミー〉が〈威圧〉と〈いらだちの波及〉の電撃から立ち直るのが早かった。
 これでこちらの勝率が限りなく低下したな、と、他人事のようにそう思い、〈スローター〉は喉からせりあがった血液を大量に吐き出す。
 内臓から出血した血液が、替えたばかりの保護服の前面を赤黒く染めた。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 ズタボロもいいところだ。
 などと思いつつ、〈スローター〉は冷静に周囲を見渡す。
 しかし、相変わらずの濃霧であり、見通しは効かない。
 ただ、足元に自分が投げたはずのボーラが転がっていた。
 どうやら相手のエネミーは、こちらの居場所を〈察知〉した上で、このボーラを〈投擲〉してきたらしい。
 やはり〈察知〉系のスキルの性能では、相手の方が断然上手だった。
 相手の〈エネミー〉はこちらの位置と動きをかなり正確に把握しているらしいが、こちらは相手の方の〈エネミー〉の現在地を把握できていない。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 ボーラは三股に別れた細い鎖の先に、分銅をつけただけの原始的な武器だった。
 持ち手を手にした上で分銅を回転させて勢いをつけてから、投げる。
 うまく獲物に命中すれば、細い鎖が獲物の手足に絡みつき、動きを封じる。
 ドロップ・アイテムでもなく、こんな原始的な武器が市販されているはずもなく、わざわざ〈スローター〉伝手のある探索者関連の製品を製造しているメーカーに発注して作らせたものだった。
 分銅の重量も使用者である〈スローター〉の累積効果込みの膂力にあわせているのでかなりの質量になり、仮に鎖が手足に絡まなかったとしても、直撃すればそれだけでかなりの打撃となる。
 今、腹部に直撃したばかりの〈スローター〉自身が悶絶しているように。
 世話ないな。
 ヘルメットの中で脂汗を流しながら、〈スローター〉はそんなことを思う。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 ズタボロの上に、断然不利。
 さて、この不利をひっくり返す手だては。
 ほんの少し考えたこと末、〈スローター〉はすぐに決断をくだした。
 ここで長考したところで、状況が改善する目はない。
 だとすれば、打てるだけの手を打っていくしかないじゃないか。
 そう決意をした〈スローター〉は、〈フクロ〉の中から得物を取り出し、片っ端から全周囲に投げつけはじめた。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 おれがやけくそになっていると、そう思ってくれるといいな、と、祈りながら。
 実際には、所在地が判然としない〈エネミー〉の居場所を再び炙り出すためであった。
〈いらだちの波及〉の電撃をまとった短剣が、〈角飾りの手斧〉が、ボーラが、派手にばら撒かれる。
 移動しながらそんな真似ができるほどには、まだ体も体力も回復していなかったので、その場に座り込みみながらの〈投擲〉であった。
 相手の〈エネミー〉からの反撃があった場合は、〈察知〉でそれを感知して避けるつもりで、周囲への警戒も怠らない。
 そんな回避方法が果たして成功するのかどうかは、実際に試してみないことにはわからなかった。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 小さな押し殺した悲鳴を、〈スローター〉の聴覚は感知した。
 その次の瞬間、〈スローター〉はその声の発生源へと瞬間移動している。
 迷宮内の移動方法として一般的な〈フラグ〉のスキルによるものではない。
 この階層は、〈スローター〉が単身で侵入した時点で通常の〈フラグ〉スキルにロックがかかり、それはこの階層の〈エネミー〉が全滅するまで解除されないルールとなっている。
 つまりこの階層では、現在、〈フラグ〉は使用できない。
 では、〈スローター〉はいかなる手段を用いて瞬間移動したのか?
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
〈チェイサー〉というスキルによって、だ。
〈チェイサー〉というスキルは、〈フラグ〉と同じく迷宮内で移動するときに使用するスキルである。
〈フラグ〉が階層や場所などを特定して移動するスキルであるのと比較して、〈チェイサー〉は移動する場所の設定はスキルの使用者が想定した特定の〈エネミー〉ないしは人物が居る場所になる。
 ただし成功率はあまり高くなく、追跡する対象のイメージが具体的であればあるほど、成功率はあがる。
 姿形も見えず、かろうじて悲鳴を聞いたことがあるだけのその〈エネミー〉のところまで実際に飛べるかどうかは、〈スローター〉の賭けであった。
 かなり分の悪い賭けであったが、どの道今の〈スローター〉はこれ以上に失うものもないほどジリ貧の状態なのである。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
〈エネミー〉の肢体が予想外に至近距離にあった。
 予想していた通り、〈スローター〉自身よりもかなり小柄だった。
 そして、未帰還になってから日が浅いのか、昨年のモデルの保護服を着用している。
 瞬時にそれだけの情報を見てとった〈スローター〉は、そのまま上体を倒し切ってその〈エネミー〉に対して渾身の頭突きをかました。
〈スローター〉突如現れたことにも、その〈スローター〉まさかそんな攻撃をしてくることも予想していなかったのだろう。
 その〈エネミー〉は反応をする暇もなくまともに頭突きを受け止める。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 攻撃を受けた側のエネミーはともかく、攻撃をしかけた〈スローター〉の側はこうなることを予期していた。
 だから、〈エネミー〉が倒れる前に、〈フクロ〉から出して手にしていた鉄の鎖を操って、〈エネミー〉の体に巻きつける。
 もちろん、〈いらだちの波及〉スキルの電撃をまとった鎖だった。
 それと同時に、これまで使う機会がなかったスキル〈憤怒の防壁〉を発動する。
 この〈憤怒の防壁〉は〈スローター〉自身の間近に二千度以上の高熱を発するというスキルであった。
〈エネミー〉は突如発生した高熱と電撃に撃たれて、その場に崩れる。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 ここに至っても、〈スローター〉は油断しなかった。
 自分がそうであったように、相手の〈エネミー〉もなんらかの奥の手を持っている可能性がある。
〈スローター〉は間髪いれずに手持ちの中で最大の攻撃力を誇る得物〈猪突の牙鉾〉を〈フクロ〉の中から取り出して、それを無造作に振りおろした。
 すんでのところで倒れていた〈エネミー〉が身をよじってそれを避けようとしたため、〈猪突の牙鉾〉の魁偉な矛先は〈エネミー〉の右肩を圧し潰すだけに終わる。
〈猪突の牙鉾〉は三メートル近くはある長い柄の先に、獣の牙状の形をした物体がいくつも寄り集まったような矛先がついているドロップ・アイテムである。
 その攻撃力はもとより、その矛先の重量だけでも、柔な人間の体など簡単に圧殺することが可能であった。
 そのとき、視界に端に蠢くものを察知した〈スローター〉は、やはり無造作に〈猪突の牙鉾〉を振り抜いてその動いているものを攻撃している。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 まだ無事であった〈エネミー〉の右手首が、その一撃であっさりと斬り飛ばされた。
「降参だ」
 はじめて、その〈エネミー〉がまともな言葉を口にする。
「君は、強い。
 まだかなり荒削りだけど」
〈スローター〉はなにも答えない。
 正直、すでに死んでいるはずの人間とまともに言葉を交わすのが怖かった。
「だけど、孤独だ。
 君、ソロだろ?」
「ああ、ソロだ」
 短くそれだけ答えると、〈スローター〉は〈猪突の牙鉾〉の矛先をその〈エネミー〉の頭部に振りおろす。
〈猪突の牙鉾〉は、ヘルメットごと〈エネミー〉の頭部を粉砕した。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 そうさ。
 と、〈スローター〉は思う。
 スキル構成や戦い方を見てみれば、その探索者が普段どのような戦い方をしているのか、おおよその見当がつく。
 その〈エネミー〉も自分も、極端に用心深く、回復に重きをおき、他者から支援されることを前提とした戦い方をしていなかった。
 途中で、お互いに相手が単身で迷宮に入ることが多い冒険者であることは、悟っていたはずなのだ。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 いつの間にか、濃霧が晴れていて、〈エネミー〉の死骸も消えていた。
 かわりに、〈エネミー〉がいた場所にレアメタルのインゴットが何本かおかれている。
 これが、今回のドロップか。
 意外に渋いな、と、〈スローター〉は思う。
 苦戦し、苦労した割りには、変異体スライムよりは戦利品がショボい。
 それでも、あたりに散らばっていた得物といっしょに回収して、そのドロップも〈フクロ〉の中に収める。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 少し離れた場所に、探索者のIDカードと古ぼけたノートが何冊か散らばっていた。
 IDカードはともかく、ノートの方はこの場にはふさわしくない代物だ。
 ひょっとすると、あの〈エネミー〉はこれを自分に託そうとしていたのかも知れないな、と、〈スローター〉は思う。
 その動きをなんらかの攻撃の予備動作と判断して、自分は手首ごと斬り飛ばしてしまったわけだが。
〈スローター〉は特に深く考えることもなく、そのノートとIDカードも〈フクロ〉の中に収める。
 中身を確認したりするのは、あと回しだ。
 とにかく今は、疲れすぎている。
 なにも考えられないほどに、精神的な余裕がない。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 そこまで片づけてから、はじめて〈スローター〉は〈フクロ〉の中からポリタンクと〈走狗の剣〉を取り出す。
 そしてポリタンクを頭上に掲げ、〈走狗の剣〉で中央部分から真っ二つに両断した。
 ポリタンクの中身、なんの変哲もない水が〈スローター〉の頭上から降りかかり、〈憤怒の防壁〉の効果によって加熱されていた保護服から盛大に水蒸気が発生する。
〈憤怒の防壁〉は、間近にいるエネミー相手にはかなり頼りになるスキルなのであるが、同時にその効果は使用者である〈スローター〉本人にも及ぶ。
 このスキルを使っているときの感想を、〈スローター〉自身は最近仲間になった者たちにこう説明していた。
「煮えたぎった油のシャワーを浴び続けているようなものだよ」
 と。
 保護服の断熱耐熱性能と、それに〈スローター〉自身が〈ヒール〉スキルを併用することによって、どうにかようやく使用できるような、剣呑なスキルなのだ。
〈スローター〉は一ダース以上のポリタンクの水をかぶって自身の体の冷却に務め、ようやくその場に腰をおろす。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
「疲れた」
〈スローター〉は嗄れた、疲労がにじむ声で呟いた。
「ひもじい」
 ヘルメットを脱いで〈フクロ〉からビニールパックに包まれた羊羹を取り出し、歯で乱暴に包装を破って食べはじめる。
 何種類かの携帯口糧を試して見た結果、今回のように疲労の極限にあるときは、この素朴な和菓子が一番いという結論に〈スローター〉は達している。
 消化吸収が早いし、ないより糖分と植物性たんぱく質のかたまりだ。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 今までで一番といっていいほどの苦戦であり、激戦だったな、と、〈スローター〉さっきまでの戦闘について思いを馳せる。
 こんなしんどい戦闘、もう二度としたくない。
 いやそれよりも、これから公社への報告が残っているんだよな。
 まあいいや。
 体もまだ回復しきっていないし、もう少し休んでから娑婆に戻ろう。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 一般に〈ヒール〉として知られている回復系スキルにも、細かくいえば何種類かに分類される。
 一番一般的で、ほとんどの探索者が所持している〈ヒール〉は、生体を活性化させることによって肉体の破損部分を再生する機能を持つ。
 しかし、〈スローター〉をはじめとしてごく一部の、少数の探索者しか所持していない種類の〈ヒール〉というものが、別に存在する。
 表面的な機能により、同じ名で呼ばれているだけだ。
 もっとも、他ならぬ〈スローター〉 自身からして、自分の〈ヒール〉が、他の、一般的な〈ヒール〉とは別種のものだということに、ごく最近まで気づいていなかったのだが。
〈スローター〉ら、少数派が所持する〈ヒール〉の機能は、生体時間の遡行であるといわれている。
 具体的に違いを説明するならば、一般的な〈ヒール〉だけでは、複雑骨折などには対応できない。
 やみくもに生体を活性化しても、医師の診断を伴わなければ、骨格が間違った風に治ってしまいかねないからだ。
 対して、整体時間遡行性のヒールは、ほとんどの外傷は単独で治せるものとされている。
 もちろん、実際には完全に治癒するのに時間がかかる、スキル所持者の意識が明瞭でなければ効果が発揮できない、などの制約が存在し、決して万能ではないのだが。
(〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉! 〈ヒール〉!)
 こまごまとした雑用が済んだら、ノートの中身を確認して、あの〈エネミー〉の、いや、あの探索者の遺族に渡すのもいいかな、と、〈スローター〉はぼんやりと考える。
 IDカードを調べれば、あの探索者の身元を割り出すのは難しくはないはずだ。
 公社がそうした個人情報を〈スローター〉にまで公開してくれるのかどうか。
 これは、実際に試して見なければわからない。
 仮に公社が非協力的であったとしても、調べる方法は別にいくらでもあるはずだった。
 なんとなく、自分と同じように孤独であったであろうあの探索者のために、〈スローター〉なにかしらの手間をかけたいような気分になっていた。

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