【50】完結
「しでかしたことの大きさくらい、先生にだって分かっているだろう?」と、安藤公は早口でまくしたてた。「あの講釈、幕府を愚弄していると取られても仕方がない話だ。……講釈の途中で席を立つ武士を見た。きっと、幕府の者だろう。すぐに先生を捕まえに来る。捜査の手が伸びる前に、早く」
ゆっくりと春菊は頷いた。
「すまんな」安藤公は言った。「先生のことをなんとしても庇いたい。だが、先生という例外を許してしまっては、ご政道が成り立たなくなる」
「おうよ。分かってますよ」春菊は頷いた。「アンタはアンタとして、“キリキリ舞う”んでしょ?」
「ああ」安藤公は頷いた。「私は私で、キリキリ舞おう。あまり今の仕事に向いているとは思えんが、キリキリ舞ってやろうではないか」
「うん、安藤さんが言ってた、“皇女様の降嫁”、楽しみにしてますよ。俺ァ江戸に居ねえけど、日本のどっかでご慶事の噂が届くのを楽しみにしてますよ」
「ああ」
春菊は踵を返した。そして、江戸の往来に飛び出ようとした瞬間、言いそびれたことがあったのを思い出し、振り返って六助に声をかけた。
「六助さん」
「はい?」
春菊はニヤリと笑った。
「きっと今日か明日あたり、アンタに届けものがあるからよ。悪いんだけども、下屋敷に居てくれよ」
「は?」
首をかしげる六助に、春菊は苦笑いを浮かべる。
「ま、その日になれば分かるってもんでィ。ともかく、待っててくんな」
六助の答えを聞かぬまま、春菊は往来に飛び出した。そして、いつだか振りに本気で走ってみた。どんどん後ろに流れゆく江戸の町。生まれ育った江戸の町。江戸のすべてが自分の中で思い出に変わってゆく。頬をなぜる冷たい空気を受けながら、春菊は走る。まるで一陣の風のように。後ろは振り返らなかった。
江戸は遠くになりにけり、明治の御世も末の頃、ある地方新聞にあるコラムが載った。
「安藤公支ヘタル剛毅」と題されたその長いコラムは、ある老人への聞き取りを新聞記者がまとめたという形で発表された。
その老人、元々は磐城平の武家の三男坊として生まれ部屋住の身分だったものを、剣の腕を見込まれて主君・安藤信正の警護兼小姓に成り上がったという、傍から見れば人もうらやむ出世を遂げた人であった。けれど、警護のさなかに暴漢に襲われ、右手の握力を失ってしまうほどの大けがを負ってしまったのだという。
そのコラムの中で、老人はこう語っている。
「切腹セムトモ思ヒツメ」
けれど、その老人をある人間が救った、とそのコラムは続ける。
コラムによれば、ある講釈師のある講釈が、その老人を勇気づけたのだという。内容はほとんど覚えていないとしながらも、老人はその講釈の一部を暗唱したという。
「キリキリ舞オウデハナイカ」
あの講釈のおかげで今の自分がある、という意味の言葉をその老人は述べた。
その後、その老人はしばらく安藤信正公の小姓を続けたのだという。その間に、老中であった安藤公は皇室から将軍の正室を迎えるという離れ業をやってのけた。しかし、それが尊王の心厚い憂国の士らに恨まれた。
その結果、安藤公は坂下門外で浪士たちに襲われた。井伊直弼の桜田門外の変の再来かとも思われたが、警備を厚くしていたおかげもあり大事には至らなかった。安藤公は負傷しながらもなんとか逃げおおせ、支障なく政務に携わったという。これが所謂、「坂下門外の変」である。
しかし、坂下門外の変は、老人の人生を狂わせた。この事件で、この老人は左足を負傷してしまったである。どうやら、安藤公を狙っていた鉄砲の弾が逸れ、その老人の足に当たったらしかった。
左足の傷は致命的だった。歩くたびに傷が痛み、普通の生活にも障るほどだった。
この負傷にあってもなお、老人は小姓を続けようとしたという。けれど、それは叶わなかった。坂下門外の変ののち、安藤公が失脚の憂き目にあったからだ。安藤信正公は坂下門外の変で後ろ傷を受けたのだが、それを「武士の風上にも置けぬ」と指弾する意見が幕閣内に上がった。そして、「安藤公が町人の女を囲っている」という個人的な生活態度についても批判する意見をも幕閣内に上がる。ついには、異国の外交官と通じているという讒言が飛び出るに至り、結局安藤公は老中を辞し、のちには蟄居を賜ることになってしまう。小姓役を辞した老人は、磐城平に帰った。そして彼は田舎で剣術道場を開いた。
右手の握力はない。左足は動かない。そんな逆境の中であっても、その老人は諦めなかった。最初は道場を開くという老人の行動を笑う者もあったらしい。それに、無謀だといさめた者もあったらしい。だが、老人は断固としてやり遂げた。
日々の修行を欠かさず、後進に指導を重ねるうち、明治の末には“磐城平にこの道場あり”とまで言われるほどの大道場にまで自分の道場を育て上げた。そして自身も、“磐城平の剣聖”と呼ばれるに至った。
新聞記者の、“安藤公の人となりについて”という質問に、老人は答えた。
「意固地ノ人ナリ」
曰く、自分の信じたこと、自分が正しいと判断したことに対しては全く妥協しなかったのだという。そして、その結果導き出される行動が如何に突飛なものであっても、物怖じすることはなかった。老人は、その安藤公の姿勢を、まさに「キリキリ舞」う典型だ、と評した。
蟄居を賜ったあとの安藤公は、しばし江戸の藩邸で陰鬱の生活を送っていた。けれど、慶応四年の戊辰戦争の折、もう一度安藤公は政治の表舞台に立つ。江戸無血開城前に江戸を脱出した安藤公は磐城平に帰り、実子に任せていた藩政を掌握、庄内や会津といった幕府寄りの意見を持つ面々と共に同盟を組む。所謂、“奥羽列藩同盟”である。その同盟の締結に、安藤公は心血を注いだ。だが、時代の流れには逆らえきれなかった。薩長土肥を中心とする新政府軍を前に、奥羽列藩同盟は瓦解する。
その当時の安藤公について、老人はこのような意味のことを言った。“あの奥羽列藩同盟は、幕府恩顧の藩の集合だった。だが、その同盟の中心であったはずの安藤公は幕府へ恩顧を感じてなかったのではないか。むしろ、自分が正しいと思ったことを貫こうとしただけではなかったか”と。
安藤公は結局、明治四年にその生涯を終える。“もしも”を論じることなど意味がないが、と前置きして、老人はこう呟いたという。「アト十年、安藤公ニ時ガ在リセバ、モウ一度キリキリ舞ツタニ違ヒナシ」。
そのコラムの最後には、老人の宝物が紹介されていた。
それは、刀だった。
前述した、老人を励ました講釈師からの贈り物だという。
「此ノ刀ガ拙者ヲ支ヘタル物」
そう、老人は笑ったという。
そのコラムの最後には、老人を取材した新聞記者による、刀に対する印象で以て締められている。ここに引用しよう。
「其ノ刀、決シテ名品ニ非ズ。虎徹、真改、之定等名品ト比ブレバ、見劣リハ詮ナキコト也。サレド、名品ニ劣ラヌ由来ヲ持ツモノ也」。
その老人を励ました講釈師の行方は、杳として知れない。
江戸時代末期の講釈の世界で十年間ほど活躍していたその講釈師は、万延二年正月の廃業公演を最後に、すべての史料からその姿を消している。
時代のうねりの向こうに、その講釈師は消えてしまった。まるで、一陣の風のようにして。けれど、きっとその講釈師は、日の本のどこかの空の下で、キリキリ舞い続けたに違いない。
ちょっと宣伝。
これから、通常短編を二個UPしたら、また歴史物長編をUPする予定です。「キリキリ〜」みたいな重いお話ではないんですが、一応歴史物ですので、よろしければそちらもよろしくお願いいたします。
なお、今作の反省(列挙)。
・安藤公の魅力に寄りかかりすぎ
・冗長
・注釈が注釈になっていない
・っていうか作者が五月蝿い
・主題が透けて見えすぎ
・作者がキャラクターたちに対して甘い(このお話の中で、六助を殺す選択肢もあった。にも拘わらず、作者は六助を生かす道を用意した)
……とまあ、不満をタラタラ書いているわけですが、きっといくら文章を書き続けても、執筆後の不満は消えないものなのかもしれません。ともかくも、こんな至らないお話ではございましたが、「キリキリ舞おうではないか」をお読み頂いた皆様、本当にありがとうございました。
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。
ついったーで読了宣言!
― お薦めレビューを書く ―
※は必須項目です。
+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。