【19】
けれど、お蓮は譲らなかった。しばらく口を結んでいたお蓮だったけれど、ようやく考えがまとまったのか口を開いた。
「……うん、分かってる」
「じゃあ、自重してくれねェか。歌舞伎役者を呼ぶなり、落語家の大師匠を呼ぶなりすればそれでいいじゃねえか。それに、独演会を開けるような腕を持ってる奴なんて、この寄席場にはいねェだろ?」
けれど、お蓮はきっぱりと言った。
「でも、私、嫌なのよ。見も知らない歌舞伎役者や落語の師匠を呼ぶのは。だって、それはいつもお世話になっている先生方、師匠方を馬鹿にしているようなものだもの」
余所の大先生を呼んでそれを目玉にする、というのは、つまるところ普段演台に登っている講釈師や噺家たちを“客寄せにならない”と見做しているのに等しい。その無礼をお蓮は危惧している。
「はん、なに言ってるんでェ」と、春菊は洟をすすった。「そんなのは世の習いって奴よ。それに、俺を含め、みんな分かってる。俺達が目玉にはなり得ないことくらいよ」
網代屋の一番手である春菊すら、一般には名が知られていない。演目「関が原」で名を売った春菊は今や講釈通の中では、“若手の急先鋒”“次代を担う講釈師”と噂されているのだけれど、一時「関が原」で広まった名声は今や江戸八百八町の市井に残ってはいない。たとえ、春菊が独演会を開いたところで、(通が喜びこそすれ)一般の客が食い付くとは思えない。
己の評判というものに一番敏感である春菊は、己が目玉にならないことくらいとうの昔に理解している。そして、評判という世界で生きている講釈師にとっては理解しなければならないことだ。目玉になれない腕でしかないことを、納得するしかない。
「まあ、なんだな」
と、春菊は辺りを見渡した。そして、頬を掻いた。
「講釈師への無礼なんて、どうでもいいじゃねえか。講釈師の顔色をうかがって興行が失敗しちまったら元も子もねェよ」
その言葉を、お蓮はさえぎった。
「春菊さん」
声色が変わった、と春菊は思った。春菊は口からこぼれおちそうな言葉たちを無理矢理呑みこんだ。
「ここからは、寄席場の営業方針のお話だから、悪いんだけど席を外してくれる?」
きっぱりとした声音だった。この突き放した物言いは、昔のお蓮にはないものだった。お蓮が一人で網代屋を取り仕切るようになって早五年。その間にお蓮が身につけた、経営者としての声色だった。
もたれていた柱から身を起こし、春菊は手をへらへらと振る。
「おうよ。そもそも、口出しした俺が悪いんだ。今のは無かったことにしてくれィ」
さっと踵を返して、春菊は江戸の往来に飛び出した。後ろから、お蓮の短い呼び声が聞こえた気もしたけれど、あえて答えなかった。
そうやって飛び出したはいいものの、どこに行くという展望がまるでなかった。その日は一日ダラダラと網代屋に入り浸るつもりだったのに、ああやって人払いされてしまったのでまるで展望がない。かといって長屋に帰るのもなんだか損な気がした春菊は、結局江戸の街をあてもなく歩くことにした。
「しくったねェ」
腕を組みながら、今日の薄着を恨んだ春菊。長じゅばんに黒い着流し姿は、十二月の風には少々無防備だったということに今更ながら気づく。ああ、せめて首巻きでもあればなあ、と春菊は洟をすすりながら心の中で呟くけれど、まさに後の祭り。寒風に首を冷やしながら、春菊は街を歩く。
と……。
道を歩く春菊は、往来に見慣れた姿を見つけた。
低い頭身、その体に不似合いな上等な服。前髪が残っているにも関わらず、生意気にも大小を差している。あれは……。
春菊はその見慣れた人間に声をかけた。
「お〜い、六助さん!」
そう声をかけて、ようやく六助は道行く春菊に気づいたらしい。春菊の顔を認めるや、何の感慨もなさそうな顔を向けた。
「ああ、春菊先生」
明らかな生返事に、少し気分を悪くする春菊。
「おいおい、人の顔を拝んどいて、“ああ”はないでしょうに」
と、唇を伸ばして軽く揶揄する。すると、六助はぼーっとしている瞳に力を込め、春菊に向いた。
「すいません先生。ちょっと考え事をしていたもので」
「考え事、ですかい?」
「春菊先生には関係ないことなので」
“これ以上聞くな”ってか。その物言いにカチンときた春菊は、皮肉を吐いた。
「じゃあ、天下の往来でボケっとした顔をぶら下げて歩かないでほしいもんですねェ」
その皮肉に気づいたのだろう、六助はあからさまに顔をしかめ、刀の柄頭を撫でた。けれど、その動作は相手に対する威嚇の意味ではないようだった。己の運命を嘆くかのように、ため息をついていた。
「……刀が欲しいんです」
「刀?」春菊は上ずった声を出した。「今、差してらっしゃるじゃねえですか。それじゃ、ダメなんですかい?」
「ああ、この刀ですか」
そう呟いて、六助は帯から拵ごと刀を引き抜いた。その鞘には、見事な昇竜の彫刻がなされていた。それだけで、結構な値打物のようだった。
はは、と笑ってから、六助は続ける。
「これ、外見だけなんですよ」
「え? 中はからっぽってことですかい?」
「いえ、もちろん、中に刀は収まっています。でも」と六助は言う。「中身はナマクラです。正確には、無銘の武州物。具合が悪いわけでもないですけど、かといって、満足できるような差料ではありません」
外の拵えは値打物なのに、その中に収まっている刀はナマクラ。
六助は続ける。
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