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Act.20

 ところで、これは直接参加はしていないけれど、あたしがレリックの他の団員たちや、<ピヨッと鶏まる!>の後藤店長などから聞いた、「ベルビュー荘の同窓会」の模様である。

<ピヨッと鶏まる!>は、お世辞にも広いとはいえない、また「将来のノーベル物理学賞受賞者」に相応しいような洗練された居酒屋でもなかったけれど――木造の引き戸のところに、昔の「グリコ」や「ナビスコ」のポスターが貼ってあるのを見て、ただそれだけでも小山内氏はやたら興奮していたそうだ。

 氏は相変わらずステッキを振り回しながら歩き、何かあった時のために、純銀製の鷲の頭からは、催涙スプレーがでるよう改造してあるらしく……酒のつまみが運ばれてくる前に、ここで団員の中からひとり、犠牲者がでたという。

「僕は基本的にアメリカ国内では、高級住宅街のような場所にしか住んだことがないから――まあ、治安の悪いところへはあまり行ったことがないんだけどね、一応念ためにステッキには工夫がしてあるんだ」

「工夫って、どんな工夫ですか?」

 もし、他の劇団から上月数馬がやって来なかったとしたら、デューク・サイトウ役をおそらく演じていたであろう、鈴木一明がそう聞いたらしい。よせばいいのにとは、まさにこのことだ。

「君、ちょっと試してみるかね?」

 小山内氏はそう言ってどこかデモーニッシュに笑うと(※ちなみにこの表現は、霧島さんのものである)、一明の顔目がけて催涙スプレーをかけまくったらしい。最初の一吹きの出が悪かったのが、そもそも彼の不幸だったのだろう。

「あれ?おかしいな……まあ、最近あんまり使ってなかったから」

 などと、ブツブツ呟いたのち、それそれそれとばかり、一明の顔に催涙スプレーを噴霧した結果……。

「目がぁ、うおぉぉぉ、俺の目がぁっッ!!!」

 と叫んで、一明はすぐに店の引き戸をピシャッと開けて、外へ出ていったという。

 ちなみに、他の団員たちは一明のこの行動を受け狙いの演技としか見ておらず、誰ひとり彼のことを追いかける者さえなく、みんなただひたすら笑い転げていたらしい。

 酒のつまみが運ばれ、焼き鳥やお好み焼きが焼かれ、また店長がこの日のために用意した、普段店のメニューにはない寿司がふるまわれる頃になると(ちなみに後藤店長はその昔、寿司屋で板前の修業をしていた)――ベルビュー荘のかつての住人たちの間では、昔あった色々な楽しい思い出話が花を咲かせていた。そしてカウンター席に座る小山内氏やミドリさん、大谷氏や羽柴夫妻、久臣さんや潤子さんの後ろで、レリックの団員たちは自然、その話を静かに聞くような格好になったらしい。

 小山内氏と大谷氏がミドリさんを挟んで座り、やたら陽気に笑いまくっていたせいかどうか(ちなみに、小山内氏も大谷氏も、普段お酒を一滴も飲まない人たちである)、団員の中のひとりが随分思いきった質問をしたという。

「それで僕、思うんですけど」

 実際には<それで>にかかる話は何もなかったのに、数馬が突然切りだしたらしい。

「結局、ユリ……っていうか、ミドリさんは本当は、小山内さんと大谷さんのどっちが好きだったんですか?一応、小山内さんがアメリカへ行ってしまってから、ミドリさんは大谷さんとご結婚されたんですよね?でもその後離婚されてるってことは、実はミドリさんは小山内さんと結婚されてたほうが良かったんじゃないですか?僕みたいな若造が、人生の先輩に対してこんな突っこんだこと聞くのもどうかな、とは思うんですけど」

 演劇をやってる人間というのは、わたしも普段彼らとつきあっていて思うけれど、かなりのところ厚顔無恥な連中ばかりである(というか、そうでもなければ、舞台の上に立つということすら思いつかないだろう)。それに数馬は、ミドリさんと大谷氏の間に生まれた子供が、不幸な事件によって亡くなっていることを知らなかったので、こんな聞きにくい質問をズバリすることが出来たのかもしれない。

「正解は、どっちもよ」

 普段飲みなれないビールをぐいっと一杯飲んだあとで、ミドリさんがそう答えたという。

「たぶんこれって、別に不思議なことでもなんでもないのよ。わたしは克英さんのことも、嵐さんのことも同じくらい好きだったの。当時はまだ若かったから、そういう自分の気持ちに戸惑ったりもしたけど……さっきの上月くんの言ったことじゃないけど、その論法でいくと、あたしは克英さんと結婚しても結局、離婚してたかもしれないのよ?運命って本当に、そんなふうにして誰にもわからないものなんだと思うわ。少なくともわたしは、自分がある時にした決定のことで後悔したことはないし、もしそうしていたら百八十度自分の人生が変わっていたとも思わない。でも、今日みなさんの舞台を見せてもらって、初めてこう思ったの。「ああ、そっか。わたしの人生にはこういうもうひとつの可能性もあったのかしら?」って。演劇って、本当に素晴らしいわね。実際に今自分が生きている人生だけじゃなく、他のたくさんの「あったかもしれない」可能性のことに気づかせてくれるんですもの」

 ミドリさんのこの答えが、まるで最初から何度も練習されたものであるように、完璧であったため――そこにいた三十名以上もの団員からは、自然と拍手が起きたという。もちろん、わたしはその場にいたわけではないけれど……でもその話をあとからみんなに聞いて、こう思った。たぶんミドリさんは息子さんがある日思いもかけない事件で亡くなって以来、ずっとそのことを考え続けていたのではないだろうか、と。<そのこと>というのはつまり、「自分が何をどうしていたら、息子は死なずにすんだのか」ということだ。そしてたぶん――その答えと、ミドリさんがもし小山内氏と結婚していたらということは、とても似通った形のものだったに違いない。

 けれど、ひとしきり拍手が起こったそのあとで、今度は小山内氏が普段は飲まないビールをぐびぐびと飲み干し、こう宣言したという。

「ぼくは、もしノーベル物理学賞をとったとしたら、ミドリさんと結婚するぞーっ!!」

 そしてまるでマウンテンゴリラがしきりに胸を叩くように、サスペンダーを胸の上で繰り返しバインバインさせていたらしい。

「ふふん、僕ちゃんがミドリさんと結婚したら、大谷みたいに不幸にさせたりなんかしないもんね!この説教の下手な、ヘボ牧師め!!」

 日本では、牧師=神に立てられた人という意識が薄いため、彼のこの言葉は大した暴言に聞こえなかったかもしれない。でももし小山内氏がこれから、本当にノーベル物理学賞をとったとしたら――彼のこの発言というのは、欧米人にとっては実に嘆かわしいものとして受けとられたに違いない。

「いい年をして、何が僕ちゃんだ!今の自分を鏡で見てみろ」と、大谷氏もビールを一杯飲み干してから続けた。「ただの中性脂肪で凝り固まった、コテコテのデブだろうが!大体そんなことを宣言するのは、実際にノーベル賞をとるか、昔と同じくらい痩せてからにするんだな、このハゲ!!」

「なんだとぉ!?僕ちゃんは太ってるけど、禿げてはいないぞっ!ハゲっていうのは、今もベルビュー荘に住んでうだつの上がらない生活を送ってる、あいつような奴をいうんだ!!」

 そう言って、小山内氏が遠慮なく久臣さんのことを指差すと、あたりには微妙な空気が流れた。

 ちなみに久臣さんは、実際は場持ちが実にうまい人なので、この時隣の潤子さんや羽柴夫妻と「いいお酒」を飲んでいる真っ最中だったのだけれど……それを小山内氏がぶち壊してしまったのである。

「あ、こんなところにハゲがいる」

 小山内氏がそう言い、木の椅子を後ろに引くと、久臣さんのそばまでいって、彼の頭頂部を指差した。

 そしてすかさず、壁にかかっていたバンジョーを手にとり、それを爪弾きはじめる。

「♪ひとっつ、人よりハゲがある~、ふたっつ、ふたつもハゲがある~、みっつ、みなよりハゲがある~、よっつ、横にもハゲがある~、いつつ、いっつもハゲがある~、ななつ、ナナメにハゲがある~、やっつ、やっぱりハゲがある~、ここのつ、ここにもハゲがある……」

 小山内氏がたった一杯のビールで、すっかり酔ったように踊りながら歌っていると、顔を真っ赤にした久臣さんが小山内氏からバンジョーを奪いとった。

「ハゲに向かってハゲっていうな、このデブ!!」

 そう言って、小山内氏のサスペンダーをビヨーンと引っ張ると、バシッ!!と久臣さんは容赦なく元に戻した。

 その反動で、床に尻餅をつく小山内氏……見かねた団員たちが彼を起き上がらせると、ずっとアメリカにいて日本のカルチャーに疎いはずの小山内氏はこう言ったという。

「同情するなら、金をくれ!!」

 そして、親切な団員二名の手を振りほどき、再びバンジョーを爪弾きはじめる。


「♪何故かなかなか落ちない、僕ちゃんのこの贅肉~

  毎日ゼイゼイ言って走ったなら~

  この肉は落ちるのか~


  でも僕ちゃんは本当は、こう思っている~

  デブのほうが、ハゲよりはマシさ、と~

  何故といって、デブは痩せられるが~

  ハゲた頭髪は元には戻らない……


 (セリフ。何故か軽くラップ調☆)

  NASAにも無理!

  誰にも無理!

  でもそんなこと言っちゃいけないぜ、Oh,No,No,

  何故ってあいつはしがない会社員

  俺とはそもそもサラリーが全然違う……」



 他の団員たちは、小山内氏が繰りだす即興の歌が面白すぎるあまり、当の久臣さんのハゲ頭のことはあまり念頭になかったようだ。それで誰もが大声で笑い転げていたという。

「なんか、変な方向に話がいって悪かったな、久臣」と、大谷氏。

「いや、あいつが自分のことを<僕ちゃん>っていうようになったら、それはすでに酔ってるってことだからな……ほんと、あいつはいい意味でも悪い意味でも、昔と全然変わらんな」

「あんなのでノーベル物理学賞がとれるとしたら、物理学の世界的水準が下がってるとしか思えないわね」と、潤子さん。

「舞台のセリフにもあったけど、天才と馬鹿はなんとかっていう、典型的な例よねえ」と、晴美さん。

「まあ、俺たちもほんと、あいつのあの性格によく四年もつきあったよな」と、羽柴氏。

「でも、きっと大学でもあんなふうに、学生さんたちに囲まれて楽しくやってるんでしょうね」

 ミドリさんが尊敬と憧れをこめて小山内氏のことを見つめると、かつてのベルビュー荘の住人たちは、一斉に彼女のことを振り返り、その中のうち少なくとも数人はこう思ったらしい。

(お互い、外見が年老いたというだけで、あのミドリ(さん)の小山内を見る目は変わりがないみたい(ようだ))

 そんなこんなで、劇団レリックの団員たちはすっかり@小山内ワールドの虜となり、彼を囲んでアメリカの政治や経済や文化のことなどを熱心に話しこむようになっていた。潤子さんは藤堂ジュン役の神崎薫や荒川氏と宝塚歌劇団のことで花を咲かせ、久臣さんと羽柴夫妻、大谷氏とミドリさんは再び、今日の舞台のことや昔の懐かしい思い出について語りあっていたという。

 そして時刻が零時近くになり、羽柴氏が「明日、ゴルフへ行く予定があるから」とのことで、夫人とともに席を立とうとすると……。

 小山内氏が再び、敵意に燃える目をギラギラさせ、バンジョーを片手に歌を歌いはじめた。



「♪ゴルフ!ゴルフ!!明日はゴルフ!!!

  俺は人が死んでもゴルフをするぜ~

  アメリカから友人が来てても関係ないぜ~

  俺は根っからのゴルフ好き

  女の体にホールインワンするには

  隣の女房が邪魔な存在……

  だからせっせと棒を振るのさ~


 (セリフ。軽くラップ調☆)

 「お父さん、またゴルフなの?」

 「せっかくの日曜なのにね」

 「お母さん、ゴルフがブルジョワのスポーツだって本当?」

 「しっ、お父さんは共産党員だって言ったでしょ」



 ……これは、あとから久臣さんから聞いたことなのだけれど、小山内氏は羽柴氏の帰る理由がゴルフ以外のものだったら、バンジョー片手に絡むこともなかっただろう、とのことだった。

 つまり、小山内氏の前ではいくつか禁句となっているワードがあって、その中には「ゴルフ」、「共産主義」、「ナチズム」、「高利貸し」、「白人至上主義」、「赤狩り」、その他色々な言葉があるということだった。 

 まあ、羽柴夫人がもともと、ゴルフ如きのためにこの場から離れたくないと思っていたせいか、小山内氏の失礼かつ際どい歌を聞いても、彼女は笑いこそすれ、怒った素振りなど微塵も見せなかったという。

「ああ、そうだったのね。この人、昔から暇さえあればゴルフゴルフっていう人だったから、そのクソゴルフのために離婚しようかと思ったこともあったのよ。でもまあ、愛人を作るかわりに棒を振ってるんなら、これからは考え方を変えることにするわ」

 晴美さんのその言葉を受けるように、再び小山内氏が陽気にバンジョーを爪弾きはじめる。



「♪俺の女房、メチャいい女房

  最高にイケてるぜ、イェイ、イェイ

  それに引きかえ旦那はショボい

  ヤブな内科で診察してる


  俺のワイフに手をだす奴は

  精神科医が相手をするぜ

  水虫できたらみんなでかかろう

  精神病院

  マジであいつら狂ってる 


 (セリフ。軽くラップ調☆)

「僕、最近雪男に抱かれたんです……」

「え!?わたしなんかグレイ星人ですよ」

「レイプされたんですか?」

「ええ、それなりに良かったです……」



 団員たちがみんな笑い転げていると、羽柴氏も同じように笑いだし、彼は明日のゴルフは諦めた様子だった。

 そして結局、夜明け近くまでみんなで飲み明かし、わたしやレンとはまた別の意味で「べらぼうに愉快な時間」を彼らは<ピヨッと鶏まる!>で過ごしたらしい。

 ちなみに、後藤店長は後日、「あんなに面白くて愉快な人には初めて会った」とあたしに言っていたけれど、確かにそうだろうと思う……うん、間違いなくこれはかなり。




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