Act.17
さて、色々な意味で待望の十二月二十三日、記念すべきあたしにとっての初舞台監督作品、『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』が開幕となった。
千五百人が入る芸術文化センターの大ホール、真紅に金の縁取りが施されたベルベットの緞帳の前には、この舞台の登場人物のモデルとなった人たち――小山内克英氏、大谷嵐氏、ミドリさん、羽柴夫妻、潤子さんや久臣さんといった面々が中央の一番前の席にそれぞれ座を占めていた。
他に、大学の法学部を卒業したあと、例のラガーマンと結婚したR嬢こと二宮玲菜さん(旧姓沖田)にも招待状を送っておいたけれど、彼女は旦那さんの都合で十年も前に北海道へ転居しており、舞台は見たいけれど残念ながら介護の問題で来られないという通知があった。
そのかわり、楽屋へ続く廊下に並ぶ花の中でも、彼女は一等大きな目立つ花輪を贈ってきてくれていて――それが玲菜さんにとっても、ベルビュー荘がどんなに大切な青春時代の場所だったかを物語っている気がした。
まだ軽い挨拶と握手を交わしただけなので、あたしには小山内氏が本当はどんな人物なのかというのは、よくわからない。
でも、久臣さんが言っていた、例のステッキはやはり今も肌身離さず持っており、それを見ただけでやはり彼は「頭よすぎて凡人には理解できない」といった感じの人なのだろうとは思った。黒髪と白髪の混ざりあったふさふさの髪に、いかにも教授然といった気品のある横顔……あたしはその髪型のせいかどうか、彼に対して第一印象で(なんだかライオンみたい)と漠然と感じていた。
もっとも彼の場合、久臣さんの頭頂部が退化したのとは違い、髪の量に問題はなかったけれど――そのかわり、欧米型の長年の食生活が祟ったのかどうか、中性脂肪が隠しようもないほどズボンのベルトを圧迫しているようだった。
そしてジュンコ・スドウ・マッキンリーは、いかにも洗練されたニューヨーカーといった雰囲気を身に纏った女性で、会った瞬間に思わずピリッとこちらの背筋が伸びてしまうような人だった。とても素敵なショートカットの黒髪に、オスカー・デ・ラ・レンタのシンプルなモスグリーンのドレスがよく似合っている。ちなみに持っているバッグのブランドはプラダ、靴はグッチだろうとあたしは見ていた。
(あわわわ。ある意味作中の藤堂ジュンのイメージと似てるとはいえ……舞台を見たあとで、ううん、もし潤子さんが芝居の途中で突然席を立ったりしたらどうしよう……)
あたしはそのことがとても心配だったけれど、残念ながらもはやどこにも逃げ場はない。
受付のところでそわそわしながら、来てくれたお客さん一人ひとりに丁寧に挨拶し、前の舞台『ゼウスとプロメテウス』の時にも来てくれた、レンの友人たち――今回もまた彼は十分に根回しをしていってくれた――に彼がいるかどうか尋ねられるたび、あたしは何度も胸が締めつけられるように苦しくなった。
アフガニスタンから戻ってこれそうなら、必ず舞台を見にきてくれるとレンは約束してくれたけど、残念ながら開演五分前になっても、彼の姿は大ホールの前に現れなかった。レンはアフガニスタンで孤児院を運営するスタッフとして働く傍ら、孤児院の活動をブログで紹介するといった仕事もしているので、連絡をとるとしたらネットしか手段がないのだ。
奴は仕事以外では自分の携帯というものを持ち歩かないし、残念なことにあたしの携帯は国際電話対応機種ではない。
レンがネパールへ井戸掘りではなくアフガニスタンへ行ったと事務局の人に聞いてから――あたしはレンの所属するNGOのホームページで、アフガニスタン孤児院のブログを見つけるなり、早速そこに書きこみをしておくことにした。
もちろん、誰もが見るものなので、個人的な感情をぶちまけたりはしなかったけど、そのかわりとても丁寧な書き方でえらく遠回りに自分の言いたいことを伝えることにしておいた。迷惑になるとわかっていたから、そう度々書きこみをするのは控えるようにしていたけれど……とりあえず、レンのいる孤児院の場所は治安がかなりいいらしいとわかって、ほっとした。
それでも、三日前にどうしても我慢できなくなって書きこんだ、クリスマス前に帰国できるのかどうかという肝心の書きこみには、今も全然返事がないのだ。日本の事務局のほうにも、水嶋に帰国予定があるかどうかと問い合わせてみたけれど、「個人的なことですので、ご返答しかねます」と冷たくあしらわれしまっていた。
(この事務局の女、もしかしてレンのことが好きなんじゃないでしょうね!?それであたしを頭のおかしいストーカー女かなんかだと思ってるわけ?)――思わずそう勘繰ってしまったけど、もちろんそうではないと思う。
なんにしてもあたしはこの開演の十八時という瞬間、舞台の上が気になるのはもちろん、自分が座っている座席に横並びになっている元ベルビュー荘の住人たちの反応も気になるわ、当然それ以外の観客がこの舞台を好きになってくれるかどうかも気になる上、さらにはもしレンがやって来たらと後ろのドアのほうも気になって、本当に頭がどうにかなってしまいそうだった。
開演一時間前にはもう、舞台監督としてのあたしの役割はほとんど終わっていたといっていい。
あとはみんなのことを励ますために、大道具・小道具の美術の裏方含め、団員のひとりひとりに声をかけていった。
舞台出演者のうちの何人かのメイクも手伝ったし、どこか不安そうにしているヒロムには「一発抜いてきたらどう?」と冗談も言っておいた……すると彼は妙に真剣な顔のまま「ただの武者震いです」と答えたので、あたしは声にだして笑うのを堪えなくてはならなかった。
とにかく、舞台裏のことに関しては演出家のマッサー・アラカワがみんなのことを褒めたり励まし倒したりして、今ごろ魔法にかけているに違いない。「ユーもユーもユーもユーも、あんたたちは世界一の役者よ!120%自信を持って役になりきるの!わかったわね!?」――見なくてもその光景が目に浮かぶようだわ、とあたしが思っていた時、開演を知らせるブザーが鳴り響いて、幕が上がった。
千五百席のうち、埋まったのは大体千二百五十席弱といったところ。その観客全員から割れるような拍手がまずは巻き起こる。
舞台が終わった時にもお義理でない、同じくらいの喝采が欲しいと願いつつ、あたしは胃のあたりにぎゅっと力をこめて、自分の初舞台監督作品の、一観客になりきることにした。