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Act.16

 十二月二十三日の開演まで、残り一週間あまりとなったある日のこと、あたしはデューク・サイトウのモデルとなった人物、原子物理学者の小山内克英氏がわざわざ帰国してまで舞台を見にくると知り――嬉しい反面、内心ではかなりのところビビっていた。

 小山内氏の他に、アメリカからは藤堂ジュン役のモデルになったジュンコ・スドウ・マッキンリーも来ることになっている……潤子さんはアメリカで雑誌のエディターとして働いており、旦那さんのレイ・マッキンリーは同じくマンハッタンでコラムニストとして著名な人らしい。

 羽柴夫妻と大谷氏には、すでに舞台の脚本を読んでもらっているので、何も問題はないにしても……なんといっても主役のデューク・サイトウのモデルである小山内氏が『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』を見てどう思うのか、またニューヨークのブロードウェイで多くの芝居を見慣れているであろう潤子さんが失笑しないかどうか、あたしはそのことが心配でならなかった。

「あいたたた。なんだか、いつにも増して胃が痛くなってきちゃった」

 ほたるの体重はさらに落ちて五十八キロになったし――舞台の仕上がりは上場というところではあった。

 ユキは代役としてだけでなく、今では進んでプロンプターの役まで買ってくれていたけれど、主要登場人物を演じる出演者の中には、自分のセリフをうっかり忘れたり、次に何をすべきなのか失念する人物などは、まずもって出てきそうになかったといっていい。

「サクラって、ビッチな見た目のわりに意外と完璧主義で心配性だよね」

 ローカロリーのダイエットフードを食べながら、ほたるが笑った。普段の食事については、ミドリさんがカロリー計算してくれたものを食べているけれど、それ以外で小腹が空いた時に、彼女はネット通販で買った色々なダイエットフードを試しているらしい。

「まあ、克英さんのことなら心配ないわよ。あの人は基本的になんでも面白がるタイプの人だから……むしろ、若干KY気味な人だから、誰も笑ってないところでひとり大声で笑ったりとか、そんな感じの人よ。潤子にはもう何年も会ってないからなんとも言えないけど――彼女も事前に脚本なんて送っても、たぶん読まないんじゃないかしら。先に舞台のあらすじが全部わかってしまったら、これから見る楽しみがなくなるって思うタイプの人だから」

「……見てから、自分たちが舞台上の人物としてどれだけデフォルメされてるかを知って、驚かないといいんだけど」

 ところで、ミドリさんが小山内氏と潤子さんに連絡をとろうとしたのは、何も舞台に招待するためだけではなかった。ミズキくんの描いた(『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』とはまた別の)漫画が、某少年誌に掲載されることになり、それからトントン拍子に同じ雑誌で連載させてもらえることが決まったので――あらためて、『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』に登場するモデルとなった人たちに了承を得る必要性が出てきたためだ。

 今では、3号室でミズキくんが漫画を描き、2号室にはアシスタントさんがふたり詰めて、噂に聞く<修羅場>な日々を送っている。

「びっくりしたでしょうね、ミズキくんの親御さん」

 ミドリさんがミズキくんとアシスタントふたり分の昼食を作っているのを見ながら、ほたるが言った。

「うちもそうだったからわかるけど、あたしが女優になりたいって言ったら、「気でも狂ったのかね、この子は」みたいな顔、両親はふたりともしてましたもん。アマチュアの劇団に所属してるのを容認してるのは、郵便局で一応<普通に真面目に>働いてるからなんですよ。これであたしがバイトでもしながら女優を目指すなんて言ってたら、えらい剣幕で反対しただろうなって思います」

「そうねえ。でも、わたしと嵐さんが会いにいったら、意外に新さんと礼子さんは、わかってらっしゃるような態度だったわよ。ふたりとも、「漫画なんて」って馬鹿にするどころか、ほとんど読んだことないっていう人たちだったから、そのせいもあるのかもしれないけど……本当にそれがミズキくんのやりたいことだっていうんなら、二十歳を過ぎて三十になろうが四十になろうががんばれって言ってくれたんだもの。これがプロデビューしたあとの話だったら、そんなに凄いことでもないかもしれないけど、その前にあったことだから、余計にいい話に思えるのよね」

「ああ、それで、だったんですね」

 ぶどう味のこんにゃくゼリーを食べるほたるを見て、あたしも彼女から桃味のゼリーをひとつ、もらうことにした。

「あたしも、ミドリさんがなんで投稿前の原稿をミズキくんに持たせて御両親に会いにいったのかなって思ってたの。だって、ミズキくん本人もプロになれることが決まったら報告に行きたいって言ってたでしょ?やっぱり、そういうところがミドリさんは流石なのよね。やっぱり、敵わないなあ」

 親子丼を三つ大きなお盆にのせて運ぶミドリさんは、どこかうきうきとしてとても嬉しそうだった。

 これは何も、ミズキくんの読み切り漫画が好評だったことを一緒に喜んでいるというだけでなく、小山内氏が帰国するということも関係しているのではないかとあたしは睨んでいる。

 ほたるもそうだけれど、恋をしている女はどうも恋をしていない女に比べてホルモンの分泌量が最低1.5倍は増えるものらしい。

「ねえ、ほたる。あんた、数馬のことどう思ってんの?」

 あたしが今度はマスカット味のこんにゃくゼリーを食べていると、ほたるは突然、ゼリーを喉に詰まらせていた。

「……ゴッホっ。ごほごほっ」

「あたし、あんたのそんな喉詰まりの演技なんかに興味ないんだけど?」

「ごっほっ、ゴホゴホッ!!」

 どうやら演技ではなかったらしく、ほたるは体を折り曲げて、ようやくのことでこんにゃくゼリーを吐きだしていた。

 あたしもほたるの背中を叩いて援助してやったけど、ほたるは目尻に涙をにじませており、本当に九死に一生を得たといったような顔つきだった。

「あ~あ、本気で死ぬかと思った……ほんと、おそるべし、こんにゃくゼリーの威力!!っていう感じね」

「そんなことで誤魔化されないわよ、あたし」と、危うく大切な舞台のヒロインを失うところだったにも関わらず、あたしは追求の手を緩めずに言った。「大体、ほたるが数馬のことを好きなら好きで、全然いいと思ってるしね。東郷さんとどっちを選んだらいいか迷ってるんなら迷ってるで、それでいいのよ。ただ、あたしには嘘をつかないでくれると嬉しいっていう、それだけ。これは舞台監督としてじゃなく、友達としてね」

「やっぱり、サクラには恋愛のことは隠せないなあ」

 冷蔵庫からミネラルウォーターをだしてくると、ほたるはそれを飲みながら話を続けた。

「最初はね、数馬くんが気のあるようなところを見せても、たぶん何かの勘違いか役に入りこみすぎてるそのせいかなって思ってたの。大体、あたしが翼とつきあってるのは、彼も一応知ってるわけだし……でも、この間偶然ユキが数馬くんに告白してるのを聞いちゃったんだよね。そしたら彼、自分はほたるさんのことが好きだからってはっきり言ったの。それであたし、本当にびっくりしちゃって……」

「そりゃびっくりよね。一応数馬が最初に会ったのは、今の五十八キロになった体重のあんたじゃなく、八十三キロくらいある頃のあんただったんだから」

「うん……でね、あたしもその時にちょっと気づいたことがあって。あたし、もし数馬くんがデューク・サイトウの役じゃなかったら、本当にこんなに痩せられたかなって」

 はああ~っと、あたしは思わず声にならない溜息を着いた。実をいうと最近、舞台裏の様子がなんとなくおかしいと思ってはいたけれど、まさかこんなところにその原因があっただなんて。

「でも、こんなこと言うからって誤解しないでね。別に数馬くんとどうこうなりたいって思ってるってわけじゃないし、彼にしてもたぶん、舞台が終わったら「こんなデブ、なんで一瞬でも好きだと思ったんだか」っていう、そんな感じだと思うの。だから……」

「Dr.羽柴じゃないけど、まさに<二兎を追う者は一兎をも得ず>っていう図式ね、それは。ある意味、ほたるは心の中で二股かけてる分、羽柴氏より始末悪いかもよ?ようするに、東郷氏とはもう長いつきあいになるし、彼とは別れられないって思ってるんでしょ。でも数馬は結構……あいつは顔がいいってだけじゃなく、浮ついたところがなくて結構真摯なタイプの奴だから、あんたの気持ちが動くのもよくわかる。で、数馬がほたるのことを好きってはっきりわかって以来、それまで仲良しこよしだった女子団員たちが、波が引いていくようにあんたのまわりからいなくなったってわけね」

「それでね、あたし……気づいたの」じんわりとまた瞳に涙を滲ませて、ほたるは続けた。「あたしがまわりのみんなとこれまで仲良くやってこれたのって、たぶんあたしが太ってて、演技の才能はともかく、他の面では抜かれる心配がないっていう見下し感がもともとあったからなんだなあって。でも、その部分でも対等かそれ以上になったりしたら、それまで内心では馬鹿にしてた分、今度はつきあいづらくなるんだなって。ユキだけは相変わらず仲良くしてくれるけど……正直、あたしには彼女の気持ちもよくわからない。無理してそうしようとしてくれてるのか、それとも、他の女子団員たちが離れていったから、あたしのことを可哀想だと思ってくれてるのか……なんにしても、ユキはあたしが翼と別れることだけは絶対ないって思ってるんだよね。これでもしそんなことになったら、あたしもう、レリックにはいられないと思う」

「なるほどね」

 ずば抜けた演技力とスター性、その上美貌まで手に入れつつある女が身近にいたら、同じメスとして目障りだという、早い話がそういうことなんだろうとあたしは思った。

 キャバ嬢をしている頃は、そういうライバル心のあるのが普通だったので、あたしにとってはむしろ、なんだか懐かしい話を聞いたような、そんな気さえした。

「で、結局あんたはどうしたいの?別に劇団なんて、レリックしかないっていうわけでもないでしょ。痩せた今のあんたが次にどこかのオーディションを受けたとしたら……あたし、かなりいい線いくと思う。だからこの際レリックを切って、数馬と全然別の世界へ逃避行っていう手もあるような気がするけどね」

「できないよ、そんなこと」と、ほたるは声を震わせた。「だってあたし、みんながいたからこれまでずっと頑張ってこれたんだもん。翼だって、あたしが太ってようがなんだろうが、あたしがあたしだから好きなんだって、生まれて初めて言ってくれた人なんだよ?それなのに、ちょっと横からいい男の子が現れたからって、そのあとについていったりしたら、ろくなことにならないのは目に見えてるもん」

「う~ん。そっか。そのろくなことにならないってわかってて、フラフラっとついて行っちゃうのが若さっていう奴なんだけどねえ。ほたるはすでにちゃんと分別があるから、わざわざあたしみたいに痛い目見なくても、そのことが先にわかっちゃうわけね。でもあたし……あんたのことをそそのかすわけじゃないけど、東郷氏を振って数馬とつきあうっていうのも、ほたるにとって悪い選択じゃないと思うのよね。なんていうか、そのほうがこう……ほたるにとってもっと<上>に行けるきっかけになるんじゃないかっていうか」

「<上>って?」

「まあ、上は上よ。で、下にいるのが東郷氏とか、他の一般大衆なわけ。俗にいう凡人。あるいは凡人に毛が生えた程度の才能しかない人たち。それで彼らはほたるが自分たちを置いて<上>にひとりで行ってしまうのが、無意識のうちにも嫉ましいわけよ。つまり、それが女子団員たちがあんたから一時的に離れた原因なんだと思うわよ。数馬があんたを好きって言ったっていうのもあるかもしれないけど、むしろそれはわかりやすい口実にすぎないんじゃないかっていう気がするな。なんにしても、スターっていうのはもともとそういう孤独に耐えなきゃいけないものなんじゃない?よくわかんないけどね」

「……ほんと、サクラってあたしにとっては女神さまだよ!」

 そう言ってほたるは隣の椅子に座るあたしに抱きついてきた。

 親子丼を届けて戻ってきたミドリさんが、その光景を見てくすくすと笑う。

「ほたるちゃんは奈々美ちゃんとすごく仲が良かったから――サクラちゃんとはそこまで仲良くなれないんじゃないかなって思ってたけど、全然そんなことなかったわね」

「ミドリさん!実はあたしも最初はそう思ってたの!何しろこの人、口は悪いし顔はお水系だし、あたしと共通点なんてひとっつもなさそうに見えたから……でも最近、実はサクラみたいに「デブ!」とか「ブス!」って面と向かってはっきり言ってくれる人のほうが――そうは言わないけど、内心では哀れんでるみたいな人より、ずっといいんじゃないかっていう気がしてきたの。なんか、自分でも不思議なんだけど」

「そうね。サクラちゃんはほんと、白黒はっきりしてるものね。いわゆる竹を割ったような性格っていうか、男前ならぬ女前っていうか。ようするに、姉御肌?」

「……もう、ミドリさんまで!最近、<ピヨッと鶏まる!>でも店長にそう言われたし、最初は人のことビッチ呼ばわりしてた団員が、なんかやたら「姉御は~」とかって言うんだもん。あたし流石に極道の人とはつきあったことないから、そんなふうに言われても嬉しくもなんともないんだけど」

 そうなのだ。なんかあたしは最近、背中に桜吹雪の刺青があるような人として、周囲から扱われつつあるような気がしている。

 まあ、それがいいことなのか悪いことなのかっていうのは、あたし自身にもよくわからないのだけれど。




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