Act.12
『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』の脚本が完成すると、ほたるは早速とばかり、あたしを演出家と呼ばれる人に会わせた。
一応、舞台監督らしき人も存在するらしいのだが、その人はいわゆる<名誉>監督という人で、過去の功績からそう呼ばれているものの、今は社会人としての生活のほうが忙しく、劇の全体をとり仕切っているのは、演出家の荒川雅矢という人だった。
初めての打ち合わせの場所が焼き鳥屋で、あたしは何故かその後、この焼き鳥屋で四か月くらいバイトをするはめになった……この荒川氏、いわゆる「ユー、やっちゃいなよ!」タイプというのか、あたしが今働いてない・金に困っていると知って、「ここの焼き鳥屋で働いちゃいなヨ!」とばかり、勝手に知りあいらしい店主と話をまとめてしまったのだ。
ちなみに、荒川氏のこのスタイルは舞台の稽古でも存分に発揮されており、彼は基本的に人の話をあまり聞いていない。
そして劇団の人たちには存分に機会を与えることで知られているらしい。ちなみに舞台稽古での彼の口癖は「ユーたち素晴らしいよ!」とか「ユーたちにはまったく失望させられたよ!」とか、そんな感じ……もじゃもじゃの髪に口ひげを蓄えた彼は、とてもあたしと同じ二十八歳には見えない。ウェブデザイナーとして勤務する会社が彼にはあるらしいけど、正直、よくクビにならないなと不思議な気さえする。
「これを書いたのが初めての脚本だってほたるから聞いたわよ!ユー、実は天才なんじゃない?」
しかも、話し方がどことなくカマっぽいため、褒められても馬鹿にされてるように感じるというか、全然嬉しい気持ちがこみ上げてこない。
「それで、どうでしょう?直しを入れたり、現場の判断で多少変更があるのは仕方ないと思うんですけど……やっぱり、わたしにも譲れない一線があるので……」
「ノープロブレム!ノープロブレム!ユーの脚本はパーペキよ。全然問題ナッスィングー!」
しきりに親指を突きだす荒川氏に向かって、(むしろ問題なのは、おまえの髪型と話し方のほうだ)と言ってやりたい気もしたけど、隣でほたるが「落ち着いて」というように何度も目配せしてきたので、ぐっと堪えた。
何しろ、あたしの心に舞台への関心というか、いわゆる芸術への情熱のともるきっかけとなったのが、『ゼウスとプロメテウス』という作品だったといっていい。あの作品のラスト、人間たちがキャンプファイヤーのような炎を囲って不気味に踊り狂って終わるというシーンは、荒川氏の考えだしたものだという。最初、脚本を書いた渡邊怜治さんは(二足のわらじを履けないので退団する予定というのが彼)、人間たちが希望という名の明るい炎を囲うイメージを想定していたらしい。そして、劇団員のほぼ全員が彼の案に賛同していたのだけれど――唯一、演出家である荒川氏が「ユーたちはなんにもわかっちゃいないわ!」と言って大反対したのだという。
その他、ポスターやチケットのデザインを手がけているのも荒川氏ということで、あたしは赤と黒の二色刷りで描かれた、インパクトのあるポスターに感服していたので――正直、ほたるが「ちょっと変わった人だけど、大目に見てね」と言っているのを聞いた時も、まさかこんな「かなりの」変人を紹介されることになるとは、まったく想像していなかった。
なんにしても、つくねや手羽先をくちゃくちゃ食べながらビールを飲む荒川氏は、「脚本のほうはパーペキだから、何も話すことなんてないわ」と言い、その日の打ち合わせらしきものはもっぱら、彼の芸術論を一方的に聞く会といったような感じで終了した。
そして帰る間際、レジのところに「アルバイト募集!」の張り紙があるのを見て――何を思ったのか突然「店長を呼んでちょうだい」などと言いだしたのだ。ここの焼鳥店は昔から劇団員たちが常連として通っているらしく、店長とも顔なじみなのだという。でもまさか一言の相談もなしに、「この子、生活に困ってるから明日から雇ったげて!」などと言い出されるとは、思ってもみなかった。
「え、ちょっと、荒川さん……っ!!」
「あ、でも時給八百五十円っていうのは、ちょっと安いわね。百円アップして、九百五十円ってのはどう?この子、ビッチな見かけのわりに、案外一生懸命働くわよ」
「九百五十円かあ。まあ、今うちも不景気だからな。九百円なら手を打ってもいいよ」と、人の良さが顔に滲みでている感じの後藤店長。
「いいわ、わかったわ、この交渉上手さん! じゃあ、明日からよろしくね!」
店長の後藤さんもたぶん、ただの酔っ払ったオカマの戯言としか思ってないだろうとあたしは思ったのだけれど――残念ながらそうではなく、彼はその場で<アルバイト募集>の張り紙をはがすと、「明日、夕方の五時前には来てくれ」と真顔で言った。
よくわからないけれど、何か断れない雰囲気だと思ったあたしは、次の日から紺色の作務衣みたいな制服を着て、「いらっしゃいませー!」と元気に明るく『肉工場』の片棒を担ぐことになったというわけだ。
ところで、劇団レリックに所属している団員たちは、大道具や小道具、音響の係なども含めて、総勢約四十五名ほどといったところ。
『ベルビュー荘のべらぼうに愉快な奴ら』のオーディションには、<名誉>監督の霧島幸太郎さんと演出家の荒川雅矢氏、そしてあたしの三人で当たることになったのだけれど――正直いってあたしは、男性18名、女性21名全員の演技を見ていて、荒川氏ではないけれど「ユーたちにはまったく失望させられたよ!」とでも叫びたい気持ちだった。
もちろん、決して下手というわけではない。でもなんて言ったらいいのか……いわゆるスター性のある人物が、劇団レリックにはほとんどいないのだ。いるとしたらたぶん、女性の中ではほたるが唯一光るものというか、特別な存在感を放っていたといっていいかもしれない。
(あれで太ってさえいなければ)と、あたしはメモ帳にそれぞれの演技の点数や役への適性について書きこみながら思った。(ヒロインのミドリこと、ユリの役を十分やれると思うんだけど)
やっぱり、演劇の世界ではどうしても容姿というものが一番大切になってくる。男性キャストも、主役のデューク・サイトウの役を任せられそうな人物がひとりとして存在しない。ギリで容認できるのは演技力と総合してやはり東郷氏だったけれど、あたしの中の小山内氏のイメージとは、彼はまったく合っていなかった。
(まあ結局、これが弱小劇団の実力っていうことなのよね)
劇団レリック内の雰囲気というのは、言ってみればまあ、高校か大学の演劇サークルの延長線上にあるものといった感じだった。みな和気あいあいとして仲が良く、誰かを蹴落としてでも上へ行こうとか、そうした野心とはまったく無縁だったといっていい。強みは団結力があることかもしれないけれど、そのかわり飛び抜けた才能を持った人材に乏しいのが欠点だ。
演出家の荒川氏はよく「ユーたち、お互いにライバル心ってものをもっと持ちなさいよ!」と発破をかけてるらしいけど、団員たちの間にあるぬるま湯関係にさして変化は見られていないらしい。
(演技力をもし抜きにしてただ容姿で選ぶとしたら)と、あたしは考えた。(ヒロインのユリ役は三枝友紀さんかしらね。あと、デューク・サイトウは鈴木一明くん……羽柴リョウは一応二枚目っていう設定だけど、三枚目の東郷氏がやっても違和感はない。でもこの場合、演技力的に東郷氏が鈴木くんを食っちゃう感じになるっていうのが、なんとも……)
劇団レリック内では、オーディションのあとで配役が決まると、更衣室に荒川氏が顔をだし「ユーとユーとユー、こっちへ来て!」というように呼ぶらしいが、この日のオーディションのあと、彼に名前を呼ばれた人物はとりあえず、三枝友紀とほたるのふたりだけだけだった。
もちろんこれは、霧島監督と荒川氏、それからあたしの三人で話し合って決めたあとのことだ。
「ハッキリ言って、ユキ、あんたは容姿は可愛いけど、舞台では存在感や華やかさに欠けるの。そしてほたる、あんたはでかい図体と声量のお陰で、存在感だけはあるわ……あんたたちを足して二で割ったらちょうどヒロインのユリになれるっていうのが、監督と脚本家の川上さん、そしてあたしの結論なわけ。それで、ほたる」
ぴっちぴちのレオタード姿のほたるは、正直いって笑わないでいるのが困難としか言いようがないけれど、本人がそれをネタにしているので、まあ問題はないのだろう。逆に小柄なユキさんは、リスのような可愛らしい顔をして、隣の大きな熊を気遣うような目で見ている。たぶん、仲良しこよしの熊に、何か残酷な決定が告げられなければいいけれどと、そんなふうに思っていたのかもしれない。
「あんた、今体重いくつよ?女小錦みたいに、ブリブリ太っちゃって!あたし、いつもあんたに言ってるわよね?痩せればプロの女優にだってなれるかもしれないのに、あんたは自分から機会を逃してるんだって……そこで、監督と川上さんと話しあって決めたんだけど、ヒロインの笹谷ユリ役は、ユキとほたるのダブルキャストでいくわ。ほたるがもし、開演予定の四か月後までに痩せられればよし、もし痩せられなければ、主役はユキにやってもらう。いいわね?」
「そんな……」
ほたるが何に抗議したいのかは、彼女の性格を知っているあたしにも霧島監督にも荒川氏にも、よくわかっていた。
それはもし仮に自分が痩せられたとしたら、必死に主役のセリフを覚えたユキは一体どうなるのかということだ。
「あんた、人の心配なんかしてる暇ないわよ、ほたる。ユキには主役のユリとユリに同性愛的な気持ちを持ってる、藤堂ジュンの役をふたつ同時にやってもらうわ。万一、あんたが痩せられた場合、ジュンの役はユキに任せる。そしてほたるが痩せられなかった場合のことを考えて、ジュンの役は薫にも稽古でやってもらうことにするわ。つまり、最終的に誰かが役からあぶれるっていうことね……わかった?」
はい、という暗い返事がふたつ返ってくるのを見て、霧島監督の顔が明るく輝くのを、あたしは見逃さなかった。
大手の商社に勤めているという彼と、あたしが会うのは今日が初めてだったけれど――ほたるから聞いた話によれば、彼は人の不幸が大好きなスパルタ・サドだという話だった。
いつでも、誰かが幸せな結婚をしたとかいう話より、女に騙されて三十万損をしたとか、そういう話に喜びを覚えるタイプの人らしい。本人は当時劇団で一番の美人と評判だった女性とちゃっかり結婚したらしいけど、そんな自分のことはともかくとして、人の不幸話にはよだれを垂らして飛びつく人だという話だった。
「さてと、ヒロインのユリはこれでいいとして」
カルティエの時計に目をやりながら、霧島さんは言った。
彼はおしゃれというものに相当気を使う人らしく、わたしの見たところ、ネイビーブルーのシャツと黒のズボンはそれぞれ、カルバン・クラインだった。あと、ベルトと靴のブランドはグッチだ。
「他に一番重要なのはデューク・サイトウの役を誰にするかっていうことだな。うちの劇団の中じゃあ、一番適任なのはIt’s me、オ・レといったところだが、残念ながら俺は仕事を休んでまで演劇には打ちこめない。でもまあ、他の劇団の知ってる連中の中に、心当たりの奴がいるよ。べつに性格が劇中のサイトウに似てるってわけじゃないんだが、ルックスがある程度イケてて役のイメージにもあっており、演技力もズバ抜けているっていったら、俺の中ではあいつしかいない。だから、デューク・サイトウについては任せておいてくれ」
じゃあ、そろそろ娘が眠る時間だからと言い残し、霧島さんはスーツの上着とカバンを手にして去っていった。
ちなみに、劇団レリックは今は使われなくなった小学校の体育館を借りて、いつも舞台の稽古をしている。他にもこの体育館は、社会人のアマチュアサークルがそれぞれ曜日を決めて利用しており、レリックが使用できるのは火曜と木曜と土曜日の週三回となっている。
まあ、そんなわけでデューク・サイトウの配役については霧島監督に一任することにし――あたしは他の劇団員と話をしがてら、モップで体育館を掃除してからほたると一緒に帰ってきたというわけだ。