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Act.1

 わたしは<普通の人々>が嫌いだ。

 何も、自分が「普通」ではなく特別な存在だと自惚れているわけではなく――ただ、嫌いなのだ。

 わたしが小さな頃、隣の「普通の」家では、それこそ普通な人々によくあるように、一軒家で犬を飼っていた。

 時々、回覧板をうちにまわす時などに、その家の奥さんはその小型犬を一緒に連れてきたものだった。

 ちくわという名前のそのチワワは、「死んだフリ」をする芸が得意だったというが、ある日振りではなく本当に死んだ。

 まだ飼いはじめて四~五年のことで、生後数ヶ月から飼っていたというから、人間の年齢にして三十四、五歳といったところだろうか。だが、その死因を聞いて、わたしは慄然としたのをよく覚えている……何故ならその犬は、腹部に腫瘍が出来て、それを手術するでもなく放置していたから亡くなったという話を、飼い主である奥さんがわたしの母にしていたからだ。

「本当にとても苦しそうでね……最後は血を流しながら死んでいきました」

「それはとても……お可哀想に」

 町内の回覧板を受けとった時の母は、いかにも義理で弔辞を述べているといったような様子だった。

 そして、隣の一見どこからどう見ても善良そうにしか見えない主婦のことを、彼女がドアを閉めるなり批判しはじめたのを、わたしはよく覚えている。

「お金持ちって怖いわね。お父さんが隣の旦那さんから聞いた話によると――ちくわちゃんはとても痛がっていて、毎日お腹をなめてばかりいたそうよ。もちろん、動物病院で手術するには、結構な金額のお金がかかるでしょうけど……それにしてもねえ。『昔は犬が病気でも、動物病院なんぞありゃしなかった。まあ、自然死ですよ』ですって!信じられないわ」

 確かにこの話は、当時まだ幼かったわたしにとっても、「信じられない」話だった。

 わたしの父親は公務員で、それなりの役職と地位にある人だったが、その界隈は比較的裕福な家がずらりと並んでいるといったような一画で、隣のおじさんとおばさんは不動産業者だった。つまり、飼い犬に動物病院で手術を受けさせるくらいわけないくらいの資産を持っていたのである。

 わたしは弟と、間にきゅうりを挟んだちくわを持って、庭先に出てきたちくわによくそれをあげたものだった。

「ちくわを食べるのが好きな、ちくわという名前のチワワ犬」

「泡をくって、慌ててちくわを食べる、あわてんぼうのチワワ犬」

 わたしと弟は、ちくわにちくわをやりながら、よくそんな話をしては笑っていた。

 そしてそのちくわが死んで一ヶ月と経たないうちに――隣のおじさんは長年乗ったマークⅡからロールスロイスに車を乗り換え、その隣にはジュリエッタという名前のプードル犬が座っていた。

「あのおじさんのネーミングセンスってよくわかんないよな」と、セキュリティ付の立派な車庫からロールスロイスが出ていくのを見送りながら、弟のアキラが言った。「ちくわの次はジュリエッタだってさ。なんにしてもちくわが可哀想だよ。死んで一ヶ月も経たないうちに――死んだことさえ忘れ去られたみたいに、別の犬を飼われるだなんてさ」

「隣のおじさんにとって<犬を飼う>っていうのは、一種のステイタス・シンボルみたいなものなんじゃないの?よくわかんないけど」

「ステイタス・シンボルって何?それがあったら、何をしても許されるの?」

 四つ年の離れた弟は、意味のわからない単語がわたしの口から出てくると、いつもそんなふうに聞いてきた。

 わたしはそのたびに「わからなきゃ辞書を調べなさいよ」とか、「あんたみたいなガキには、まだわからないかもね」と言って誤魔化してきたけど――実をいうとわたしは、弟のアキラのことを(我が弟ながら、ちょっと普通じゃないわね)と思っていた。

 それは父や母にしても同じで、彼はキッズモデルになれそうなイケメン小僧であるばかりでなく、成績も優秀で、何よりスポーツがよく出来た。高校の時、当時熱中していたアイスホッケーで、プロのリーグから勧誘が来たこともあったけれど、それを蹴って大学へ進学。その後、膝を壊して選手生命を絶たれたが、(スポーツをやっている人間らしく)友人も多く、父のコネで世間でも名の通った一流企業に就職していた。

 つまり、わたしの弟は「性格が暗く友達もおらず、中学時代から引きこもっており、現在はニートをしている……そして本人がなかなか入らせない部屋には、アニメや漫画などのオタクグッズがひしめいていた。だが、それはすべて公務員をしている父親から月々お小遣いをもらって買ったものである」――といったようなこととはまるで逆の意味で、少し普通じゃなかった。

 それに引き換え姉であるわたしは、成績は中の下、容姿のほうはモデルのようだがどう見ても将来はお水系の顔立ち、実際十六の時から家出を繰り返し、ボーイフレンドの家と実家を出たり入ったりしていた。

 女友達はひとりもおらず、髪の毛を茶色く染め、派手なピアスやネックレス、指輪をするのが大好きという子だった。

 好きなブランドは、グッチやシャネル……四十万するバッグや二十万の靴をひとつ買うたびに、同居しているボーイフレンドとは別れる・出ていくの喧嘩になるという、そんな生活を繰り返していた。そしてこういう、頭カラッポそうな娘には、それに相応しい男しか寄ってこないものだ。

 わたしは最初はウェイトレス、それから友達が紹介してくれたバーで働くようになり、最後にはキャバ嬢になった。

 ここでわたしが今までどういう男とつきあってきたかとか、そうした男遍歴について長々と語るつもりはない。キャバ嬢をやっていたのは五年になるから、その間色々なことを経験したし、その中には面白いエピソードや笑えるエピソードもたくさんあったとは思う……でもわたしはあえて、自分がキャバ嬢をやめた二十八歳の夏から、この物語をはじめたいと思っている。




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