表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

降下する五芒星

海への供物

作者: 小倉蛇

Pentagram Falling 6.

"The Blue Offering"

「たいしたもんだなナオヤは、いつの間にか船舶免許まで取っていたとは!」

 ナツヒロが言った。大声を出さないと風でかき消されてしまいそうだ。

「なにしろ無人島の所有者ですから、船の運転ぐらいは自分でできないとね」

 キヨミツが応えた。

「ずいぶん揺れるじゃない。ミオが気持ち悪いって」

 マヤはもう一人の女子ミオの背をさすりながら言った。

「ごめん、もうすぐ着くから。ほら、見えてきた」

 クルーザーの舵を取っていたナオヤが前方を指差した。

 四人が前へ乗り出すと、小さな島影が見えた。



 クルーザーが朽ちかけた木の桟橋に接岸した。ナオヤがロープで船を舫うと一行はその島に上陸した。

 鹿島清光(かしまきよみつ)、歌本夏弘(うたもとなつひろ)、石田未央(いしだみお)、結城摩夜(ゆうきまや)、伊藤尚哉(いとうなおや)の五人は、同じ大学の《怪奇小説同好会》に所属するメンバーだった。

 同好会の活動と言っても、当初は読んだ小説の感想を述べ合うぐらいだったのだが、ある時、卒業した先輩からテーブルトークRPG『クトゥルフの呼び声』のルール・ブックを譲られたのをきっかけに、これで遊んでみたところ五人ともすっかりハマってしまっていた。中でもよくキーパーを務めたナオヤは入れ込んでいて、シナリオの自作まで手掛けていた。その大作シナリオが遂に完成したので、泊りがけでプレイしようと、彼はメンバーを自分の別荘に招待したのだった。

 ナオヤの別荘は伊豆諸島の端に位置する星島という無人島にあった。彼は子供の頃に両親を事故で亡くしていた。それ以来、親戚に引き取られ育てられてきたのだが、今年二十歳となったため、この別荘を含む財産を相続することとなったのだった。

「しかし、うらやましいのう無人島に別荘とは」

 荷物を運びながらナツヒロが言った。

「そんないいもんじゃないよ。実際使ってみたら不便なことばかりだし」

 とナオヤ。

「ねえ、星島って本当に星の形をしているの?」

 ミオが聞いた。

「うん、一応ね。まあ五芒星というより、いびつなイトマキヒトデみたいなもんだけど」

「ふうん」

「それよりミオ、船酔いだいじょうぶだった?」

「うん、もう治った」

 と、長い黒髪の頭を頷かせた。

 別荘は木造だが頑丈そうな二階建で、全体に白く塗られたペンキがあちこち剥げかけていた。

 玄関を入ったところに旧式の黒い電話機が置かれているのをキヨミツが目に止めた。「あれ、電話がある。これ通じてるの?」

「通じてるよ。海底ケーブルがあるからね」

「そういえばここ携帯は使えるのかな?」

 茶髪ショートカットのマヤが振り返って聞いた。

「使えるよ。大島のアンテナから電波が来てるから」

 一同はまず、リビングに通された。

「うわ、でかい金庫があるな」

 壁に埋め込まれた黒い金属扉を見て、ナツヒロが言った。

 中央部にはロックのためのダイアルがついていた。

「前の持ち主の時からこうなんだよね。もとは暖炉みたいになってたんだと思うけど。貴重品があったら入れといてもいいよ」

「いや、泥棒とかいないでしょ」

「泥棒というか、怖いのは海賊だな」

 とキヨミツ。

「あーわからんぞ、中国人がサンゴを密漁に来てるって言うし」

「それは小笠原だから、ずっと先の方だよ」ナオヤは言った。「ま、とりあえず二階に客室があるから、適当に各自部屋を決めて荷物置いてきて」

「ナオヤの部屋は?」

 ミオが聞いた。

「ぼくの部屋は一階にあるんだ」

 二階には部屋が四つあり、それぞれ荷物を運び込んだ。

 その間にナオヤは船へ往復して食料を持ってきた。

 五人が揃うと、庭で早めの夕食としてバーベキューの準備をした。



 食事を終えると、ナオヤは皆をリビングに集めた。

「もう、ゲーム始めるの?」

 とマヤ。

「ゲームは明日から。今日のところはちょっとした準備というかな、まあ、とにかく読んでおいて欲しいものがあるんだ」

 そう言うとナオヤは、A4サイズの紙をホチキス止めにしたものをいくつかテーブルに並べた。どれも細かい文字が印刷されている。

 メンバーはそれぞれ一部づつ手に取り、互いのものと見比べた。

 どの紙束にも共通してまず『降下する五芒星』とタイトルが書かれていた。次に各話それぞれのタイトルがあった。第一話「虚空の主」、第二話「湖底に潜むもの」、第三話「暗黒より」、第四話「遊園地の恐怖」、第五話「アクアリウムの遺産」となっていた。

「何これ、小説?」

「ナオヤが書いたのか?」

「そう、ぼくが書いた小説だよ。今日のうちに読んでおいて欲しいんだ」

「素人の書いた小説読まされんのか」

 ナツヒロが嫌そうに言った。

「まあ、みっちり読まなくてもいいからさ、だいたいの雰囲気だけでも頭に入れといてよ」

「すごいねー、何か楽しそう」

 ミオは早速手にした小説に目を通し始めていた。

「ん、これ一話から順に読まなくてもいいの?」

 キヨミツが聞いた。

「あ、そうそう順番はどれからでもいいよ、登場人物はそれぞれ別だから」

「この『降下する五芒星』っていうのがシナリオのタイトルなの?」

 とマヤ。

「そう。その連作小説のタイトルでもあるけど」

「ま、そんな長いもんでもないし読んでみるよ」

 キヨミツがそう言って読み始めると、マヤとナツヒロもそれに従った。

「冷蔵庫のビールとかジュースとか勝手に飲んでいいから。あと順番に風呂も入っちゃって」そう言うとナオヤは「じゃあ、ぼくはシナリオの仕上げをするから」と部屋を出て行った。

 四人は用意されていたスナック菓子をつまみながら、しばらく黙って小説を読んでいた。

 そのうちにナツヒロが言った。「皆風呂いかんなら、おれから行くけど」

「どうぞ」

 ナツヒロは風呂に行った。風呂にしては短い時間で戻ってくるとビールを飲み始めた。

 他の三人も順に入って、全員が風呂から上がる頃には小説もだいたい読み終わっていた。

 ナツヒロだけはぱらぱらとページをめくった程度だった。

「このタイトルは、リン・カーターの『超時間の恐怖』各話のもじりなんだな。内容は関係なかったけど」

 キヨミツが言った。

「そうね、カーターの連作には、あと「赤の供物」っていうプロローグ的な短編があったけど」

 とミオ。

「でも、なんだかおかしな小説だったわね」

 とマヤは言った。

「そうかな、わりとまともだったと思うけど」

 とキヨミツ。

「うん、でも最後がさあ。みんな唐突に死んじゃうじゃん」

「ああ、最後ね。うんたしかに変な終わり方なんだよなあ。腕とか切断されて、あと臓器を一つ抜かれて」

「あの臓器って、肝・心・脾・肺・腎だったでしょ」とミオ。「これって中国医術の五臓なんだよね。ほら五臓六腑っていう、あの五臓」

「へえ、物知りだねミオ」

「でね、その五臓の体の中での配置が五芒星形ってことになってるのよ」

「ふむ、タイトルの『降下する五芒星』と関係あるのかな。そういえばさっき、この島が五芒星形とか言ってたような……」

「だいたいこの泥目遺跡とか夜光湖とか、実在の地名じゃないんだろうな?」

 ナツヒロが言った。

「あなたはビールばっかり飲んでて、ちゃんと読んでないでしょ」

 とマヤに言われる。

「いいんだよ、おれのキャラはそんな資料なんか細かく読むタイプじゃないし、言われた通り雰囲気はわかったからな」

「まあ地名は架空のものじゃない、県も指定してないし」

 とキヨミツ。

「やっぱりそうだよな。で、小説は五話まであって、それぞれ主人公は最後に手足か首の一つを切断され臓器を一つ抜かれて発見されると。ううむ、わかったぞ」

「ん、何が?」

「あのな、この五つの死体が発見された場所を線で結ぶと、それも五芒星形になってるんじゃないかってね」

「ふむ、で、五芒星形だったらどうなの?」

「まあ例えば、その中心地点に何か重要なアイテムが埋められてるとか……、いや妖術使いが怪しげな儀式をやっててもいいな」

「でもさ、犯人はなぜこの五人を狙ったの?」とミオが聞いた。「この小説の主人公たちは、まずクトゥルー神話っぽい事件に遭ってるわけじゃない。それと殺人の関係はどうなってるの。事件に遭ったから殺されたの? それともはじめから犯人にあやつられてるの?」

「いや、そんなことおれは知らんけど」

「そうだよな。普通の探偵小説みたいな犯人がいるとは思えないんだよな」

 とキヨミツ。

「じゃあ、どんな犯人よ」

「ううん」

「あんまり先回りしちゃ悪いんじゃない」

 とマヤは言った。

「それもそうだな。そろそろ寝るかな」

 キヨミツがそう言って立ち上がったのを機に、一同は部屋に引き上げ、寝についた。



 翌朝、キヨミツはノックの音で起こされた。

 窓の外にはもう明るい陽が射していた。

 ドアは叩き起こそうという勢いでガンガン鳴っていた。

 時間を確かめるためテーブルの上に置いたはずの携帯電話を探したが、見当たらないので取りあえず眼鏡をかけてドアを開けた。

 そこに立っていたのはナツヒロの大柄な体だった。

「おお、起きたか」

「何だよ」 

「まず確かめてほしいんだが、携帯はあるか?」

「携帯? いや、今見たら無かったが……」

「しっかり確認してくれ」

 キヨミツはテーブルの下などを見まわしたが、どこにも見つからなかった。

「無いぞ、どういうことなんだ?」

「やっぱりか。おれのも、マヤとミオのスマホも無くなってるんだ」

「何だそりゃ……、で、ナオヤは?」

「まだ寝てるらしい、今、女子二人が起こしに行ってる。お前も着替えて降りてきてくれ」

 ナツヒロは戻って行った。

 キヨミツが着替えて一階のリビングへ行くと、ナツヒロ、マヤ、ミオの三人がテーブルを囲んでいた。

「ナオヤはどうしたんだ?」

「それが、部屋にいないの」

「いないって!?」

「まあ座れよ。状況を説明する」ナツヒロに言われキヨミツはソファーに腰掛けた。「今朝、最初に起きたのはおれだった。その時にはスマホが無くなっていることには気づかなかった。おれは腕時計があるので時間はそれで見るしな。それが七時過ぎのことだ。他に起きてる者もいないようだったので、おれは外に出てぼんやり海を眺めていたんだ。しばらくすると女子二人がそろってリビングに降りてきたのが見えたので、おれも中へ戻った。すると二人とも部屋からスマホが無くなってると言うんだ。で、おれも部屋を調べたらやはりおれのスマホも無くなってた。どういうことだろうと三人で話し合って、とにかくキヨミツとナオヤを起こそうということになって、今の状況というわけだ」

「なるほど」

「それから、このリビングで異変がもう一つ。この紙がテーブルの上にあったんだ」

 ナツヒロがA4サイズの紙を一枚キヨミツに差し出した。それには黒いサインペンでこんな文字が書かれていた。


  いあ! いあ! しゅぶ=にぐらす!

  あざとーす

  よぐそとーす

  にゃるらとてっぷ

  旧支配者ハ実在スル

  くとぅるふ ふたぐん!


 その文字は妙に四角張った筆跡だった。

 テーブルの上には昨夜読んだ五編の小説が散らばったままだった。

「ふむ、ロールプレイングゲームの小道具じゃないの?」

「まあ、普通の状況ならそう思うだろうがな」

「で、ナオヤがいないと?」

「そう」とマヤが言った。「はじめノックしたんだけど返事がなくて。それで、鍵がかかってなかったから、ドアを開けてみたんだけど、誰もいなくって、ベッドはきれいに整えられてたわ」

「ううむ、一応確認したいんだけど……、ぼくだけ寝坊したんで、皆でだまそうとしてるんじゃないよね」キヨミツがそう聞くと、三人は真剣な顔で否定した。「まあそうだよね。ところで、船はどうなってるの?」

「あ、船か、それは確かめてなかったな。ちょっと見てくるわ」

 ナツヒロが立ち上がって出ていった。

「ナオヤ、船にいるのかな? こんな時間に」

 とミオ。

「まあ整備とかあるからね」

「だとしてもスマホが無くなってるのはおかしいじゃない?」

 とマヤ。

「うん、単なるいたずらじゃないの?」

「でも女子が寝てる部屋に勝手に入るなんて……」

「君ら、部屋に鍵かけてた?」

 二人が頷く。

「だとすると、家主であるナオヤがマスターキーで開けたとしか考えられないか」

「ナオヤって、そんなことするタイプじゃないと思うんだけど」

 とミオ。

 ナツヒロが戻ってきた。「船が無くなってるぞ」

「じゃあ、ナオヤ、船で出て行ったってこと?」

「いないんだからそうだろう」

「買い出しにでも行ったのかも」

「それなら書置きぐらいしていくんじゃない」

「書置きの代わりに、この変な呪文みたいなのを残していったわけか」

「スマホが無くて、船も無いとなると外部と連絡が取れないことになる」

「あ、玄関に電話があったじゃない。海底ケーブルでつながってるっていう」

 マヤが言った。

 四人は玄関へ行った。キヨミツが黒い固定電話の受話器を上げた。

「ツーって音がしてるから通じてるよ」

「とりあえず非常時の連絡手段はあるわけか」

「一応どっかにかけてみようか」キヨミツは177とダイアルを廻した。「うん、かかったよ……あ、ちょっと待って」

「どうしたの?」

 マヤが聞くのを「シッ」と指を立てて黙らせる。

 受話器を置いてからキヨミツは言った。「今、天気予報を聞いたんだけど。伊豆諸島に台風が接近してるって、今日の午後には暴風圏に入るんだって」

「えっ、伊豆諸島ってことは……」

「そう、ここ直撃だよ」

「ええー、この家大丈夫かな」

「まったくナオヤはどこ行ったんだ」

「そうだ、この電話でナオヤの携帯にかけてみれば」

「よし、あ、でも番号は?」

「そうか、番号スマホに入ってるんだった」

 その時、突然電話のベルが鳴りだし皆びっくりした。旧式電話のジリリリという響きはどこか不吉な感じがあった。

 キヨミツが受話器を上げ、耳にあてた。

 相手の声を聞くと、キヨミツは驚いた様子で「えっ、あの、ちょっと」と言った。そして受話器のフックを何度かカチャカチャと押してから耳をすました。「おかしい、ツーって音がしなくなった」

「どういうこと?」

「線が切れたんだ。もう通じないってこと」

「それより誰からだったんだよ?」

「いや、それが何か低い声で……、こう言ったんだ。『ばかめ、イトウナオヤは死んだわ』って」



 四人はリビングに戻って話し合うことにした。

「本当に聞いたんだろうな、キヨミツ」

 ナツヒロが言った。

「聞いたよ。嘘言ったって仕方ないだろう」

「私も近くにいたから声は聞こえたわ」

 とミオ。

「その声って、ナオヤの声じゃなかったの?」

 マヤが聞いた。

「ううん、低く押し殺したような声だったから、まあ、ナオヤでも出せるかもしれないけど……」

「機械で変えることもできるんでしょ?」

「ああ、ボイスチェンジャーってやつね。どうかな、いきなりだったから、よくわからないな」

「ねえ、線が切れたって、誰かが海底でケーブルを切ったってこと?」

 とミオ。

「いや、海底ケーブルって言っても、島では地上に上ってるはずだから、切られたとすればそこじゃない」

「えっ、じゃあ、この島に誰かが侵入してるってこと?」

「おれはナオヤがそこらに隠れていたずらしてるんじゃないかと思うけどな」

 とナツヒロ。

「それじゃ船が無くなってるのがおかしいじゃない」

「うーん」

「じゃあ、やっぱり……」

「でもこの『ばかめ、誰それは死んだわ』って、ラヴクラフトの小説の台詞でしょ」

 とマヤ。

「ああ、「ランドルフ・カーターの陳述」だね。ラヴクラフトが見た夢をそのまま小説にしたものらしいけど」

「だとすると妙よね。外部の犯罪者がそんな台詞を持ち出すなんて」

「じゃあ、いたずらかなあ。でも電話線まで切るなんて、やりすぎでしょ」

「ナオヤのやつは空気が読めんところがあるからな。おぼっちゃん育ちというか」

「でもナオヤって、こんな別荘を相続したぐらいだから、お金持ちなんでしょう」とマヤは言った。「それで遺産を誰かに狙われてるんじゃないかしら」

「今時、遺産目当ての殺人とかあるのかな?」

「だって、保険金目当てで何人も殺しちゃうような事件だって、ちょくちょく起こってるじゃない」

「それにしては状況がわけがわからなすぎない。事故に見せかけて殺すっていうならまだしも」

「まるで本格ミステリだな。無人島で外部との連絡を絶たれて取り残されてるんだから。いっそお互い怪奇作家の名で呼び合おうか、ポーとかルルーとか」

 とナツヒロ。

「それは綾辻行人でしょ」

 マヤは言った。

「アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』だとマザーグースの歌詞どおりに殺されていくんだ。この島じゃその代わりにクトゥルー神話があるな」

「クトゥルーって言えば、この呪文みたいなのもあるけど」

 とキヨミツはテーブルから〈いあ! いあ! しゅぶ=にぐらす!〉ではじまる呪文のようなものが書かれた紙を摘み上げた。

「ちょっと貸して」マヤがそれを横から取った。「これもおかしいのよ」

「おかしいって?」

「この最後の行、“くとぅるふ ふたぐん”ってなってるでしょ。でもナオヤは大抵“クトゥルー”って言ってたじゃない」

「そういやそうだけど、それが?」

「だから、他の人が書いたのかもしれないじゃない。筆跡がわからないように角ばった文字にしてるし」

「いや、自殺した人の遺書が普段と違う言い回しを使ってたら、それは別人の書いたものだから他殺の疑いがある、っていうのはわかるけど……、こんなゲームの小道具みたいなものじゃなあ。あれじゃない、“ふたぐん”につなげるんだったら“ふ”で終わった方が語呂がいいとか」

「あと、“よぐそとーす”って表記も、「遊園地の恐怖」の中では“ヨグ”と“ソトース”の間に二重ハイフンが入って“ヨグ=ソトース”になってるんだけど、これは違ってる」

「ああ、それね。パソコンのキーで打つ場合はハイフンというかイコールを使うしかないんだよね。“しゅぶ=にぐらす”には入ってるな」

「どれ」ナツヒロが紙を取った。「ふうむ、なるほど“しゅぶ”イコール“にぐらす”か。どこかにまだ暗号文があるんじゃないかな?」

「暗号文?」

「そう、その中の“しゅぶ”を“にぐらす”に置き換えると解読できるんだ。まぎらわしくないように“よぐそとーす”からはイコールを外したんだよ」

「それだったら“み=ご”の方が使い勝手がよくない?」

「うーん、こりゃまるで脱出ゲームだな。暗号を解いたら、そう、そこの金庫を開けるナンバーがわかって次のステージに進めるとか」

「ああ、その金庫に私たちのスマホが入ってるのかも」

「いや、ダンジョンへの入り口かもしれんぞ」

「たしかにその金庫は気になるなあ。存在感がありすぎる」とキヨミツ。「中にナオヤが入ってたりして」

 金庫は体を丸めれば人ひとりぐらいじゅうぶん入れる大きさだった。

「窒息するだろ」

「だから死体でさ」

「ちょっと、怖いこと言わないでよ。ミオだって怖がってるじゃない」

 そう言えばミオは先ほどから黙り込んでいた。顔を見ると心なしか青ざめているようだった。

「ごめん、だいじょうぶミオ?」

「うん」ミオは小声で返事をした。皆が黙ってしまうと、彼女はさらに言った。「私……夜中にナオヤを見たんだ」

「えっ、見たって?」

 マヤが聞き返した。

「夢だと思ってたから今まで言わなかったんだけど……思い出してみると現実だったような気も……」

「とにかく話してみたら」

「うん……昨日、夜遅くに急に目が覚めちゃって、なんとなく窓から外を眺めてみたんだけど、そうしたら下を誰かが歩いていて、海の方に向かって、後ろ姿しか見えなかったんだけど、私はすぐそれがナオヤだと思ったの。それで「ナオヤ」って呼んだら、その人がこっちへ振り向いて……、顔を見たらナオヤじゃなかった。大きな丸い目と大きな口で、まるでカエルみたいな……」

「カエルって! それあれだろ「インスマスの影」の」

「《深きもの》だね」

「じゃあ、やっぱり夢だったんじゃない?」

「うん、そう思うけど……、その後記憶が途切れてて、気がついたらベッドで寝てたから。でも今思い返すと、その時の印象が夢と思えないくらい生々しくて」

 それきり皆黙り込んでしまった。

 しばらくしてナツヒロが言った。「座ってても仕方ない。島を一通り回って来るか」



 四人揃って家を出た。

 さほど大きな島でもなく二十分ほどで一周できた。

 人が隠れていられるような場所はすべて確認したが誰もいなかった。それと電話線のある場所を探したのだが、地下から直接屋内に通じているらしく見つけられなかった。

 一行は別荘の裏口近くへ来た。

 マヤが何かを見つけて地面へ目を向けていた。「ねえ、これ足跡じゃない」

 土の柔らかいところにいくつか足跡らしいものがあった。別荘に背を向けて海の方向へ歩いて行ったようだ。

「人間の足じゃないみたいだ。ヒレがついてる」

 とキヨミツ。

「ダイビング用の足ヒレじゃないか」

 ナツヒロは言った。

「だとしてもダイバーがこんなところを歩いてるのはおかしいな」

「うーむ」

「ねえ、あそこミオの部屋でしょ」

 マヤが別荘の二階の窓を指差した。

「そう……夢でナオヤが立ってたの、ちょうどこの辺だわ……」

 とミオ。

「ふん、ナオヤはやっぱりディープ・ワンズだったのか」

 ナツヒロが茶化すように言った。

「鳥かもしれないな」とキヨミツ。「海鳥なら水掻きがついてるし」

「それにしちゃ大きいだろ」

「アホウドリなら結構大きいよ」

 それから四人は船着場へ行って、しばらく海を眺めていた。

 空はまだ晴れていた。だが、船が戻ってくる気配はなく、風が強くなってきた。



 かれらはキッチンにあったコーヒーとトーストで遅めの朝食を摂った。

「それじゃ、今まで出た説をまとめてみるか」ナツヒロが言った。「おれは結局のところ、すべてはナオヤのいたずらだったっていうのが一番ありそうな説だと思うがな。そのうちひょっこり帰ってくるんだろう」

「電話線まで切ってか?」

 とキヨミツ。

「あれは単なる故障だよ。たまたまタイミングが良すぎて変な雰囲気になっただけで」

「まあ、そう言われればそうかなって気もするけど……。マヤは遺産を狙った殺人って説だよね?」

 マヤは何か気になることがあるのか、先ほどからナオヤの小説を次々にめくっていた。

「うん、それより、今気づいたことがあるんだけど」

「おっ、女ホームズ先生、何かな?」

 ナツヒロが聞いた。

「このナオヤの小説の主人公の名前なんだけど、アナグラムになってる」

「アナグラムって、文字を並べ替えると別の言葉になるってやつだろ」

「そう、それで私たちの名前になってるのよ」

「えっ、名前が?」

「例えば、「虚空の主」の主人公、君島克与(きみしまかつよ)は鹿島清光(しかまきよみつ)の並べ替えでしょ」

「おお、なるほど」

 キヨミツは感心して言った。

「待てよ、見せてみろ」ナツヒロは「湖底に潜むもの」を手に取った。「わかりやすいように最初にカッコにひらがなで書いてあるな。これの主人公は雛友達郎(ひなともたつろう)、ということは、ん……歌本夏弘(うたもとなつひろ)、おれの名だ」

 ミオは「暗黒より」を見て言った。「この主人公は潮見大(しおみだい)だから、私の名前、石田未央(いしだみお)だ」

「で、「遊園地の恐怖」の真木悠也(まきゆうや)が君、結城摩耶(ゆうきまや)だね」

 とキヨミツ。

「そう、そして「アクアリウムの遺産」の矢内宇音(やないうおと)が伊藤尚哉(いとうなおや)よ」

「でも、これにどんな意味が……?」

 とミオ。

「それは、ナツヒロがさっきここにはマザーグースの代わりにクトゥルー神話があるって言ってたでしょ。そしてこれらの小説は最後に唐突に主人公が殺される。それぞれ違った部分を切断されて」

「ふむ、つまりおれたちがこの小説通りに殺されるってことか」

「でもこれ、ナオヤが書いたんだろ。ナオヤも被害者になるのか?」

「いや、矢内宇音は首を切断されて殺されるんだ。体型さえ似てれば他人と入れ替わっていてもわからんだろう。死体が発見されるまでに時間がかかれば指紋の確認もできなくなってるだろうし。つまりナオヤはおれたち全員を殺して、自分も死んだように見せかけて逃走する気なんじゃないか」

「何でそんなことするんだよ?」

「さあな、ダゴン秘密教団の信者だったのかもしれんし」

「マヤはどう思う?」

「わからないわ。この小説が見立て殺人の題材として書かれたんじゃないかってことは思ったけど、ナオヤが本当にそんなことを計画してるなんて信じられないし」

「そうだよね」

「ナオヤ、早く帰ってこないかな……」

 ミオがぽつりと呟いた。

 その時、キヨミツは窓の外で何かが動いたような気がして目を向けた。そこからは波が打ち寄せる岩場が見えた。だいぶ風が強くなってきていた。黒い水草がからみあったものが岩に引っかかって揺れていた。まるで手招きでもしているように。



「「アクアリウムの遺産」は別荘を相続したってところから始まるしナオヤ自身をモデルにしてるのかな。最後は自分が《深きもの》じゃないかって悩んでるところで終わるわけだけど。で、ミオは、ナオヤは《深きもの》になって海に還ったって説?」

「説っていうか、そういう夢を見ただけ」

「いやこういう場合、夢のお告げが一番真相を突いてるってこともあるからなあ」

「んなことあるかい。そう言うキヨミツはなんか新説はないのかよ?」

「ま、一応考えたけど」

「じゃ、披露してもらおうか」

「うん、あくまでこれも可能性の一つとして聞いて欲しいんだけど……ナオヤ、自殺したんじゃないかなって」

「自殺う、遺産相続してウハウハなのにか?」

「金持ちだって自殺することはあるさ。まあ、聞いてくれよ。ぼくの説は言わばこれまでの三つの説の複合でもあるんだ」

「複合?」

「そう、つまりこれは、いたずらであり、犯罪であり、《深きもの》とも関係がある」

「《深きもの》まで出てきちゃうのか?」

「ナオヤは、ある時から自分の正体が《深きもの》であることに気づいた。しかしそれを受け入れることができずに悩んでいたんだ。自殺してしまいたいほどにね。だが、ただ自殺したのでは結局自分が怪物であることを認めたのと同じになってしまう。そこでナオヤは考えたんだ、自分が人間であることを証明する方法をね」

「人間であることの証明……何だそりゃ?」

「それが完全犯罪さ。孤島で、謎めいたお膳立てをして自分を消失させる。誰も彼がどこに消えたのか解明できない。言わば反世界への逃走だな。そのことで自分が《深きもの》だったという真相は完全に隠蔽される」

「ううん、とんだアンチ・ミステリってところだな。だとしても、《深きもの》の実在を前提にしてる時点でトンデモだしなあ」

「いや、実を言うと《深きもの》である必要はないんだ。アウトサイダーでもいい、ってこれはコリン・ウィルスンの方で、つまり社会になじめないっていう違和感みたいなものを抱えこんだ人ってことだけど。そういう人が自殺しちゃうってことはままあるわけだから。でも、さらに言うと、本当に自殺してなくてもいいんだ。象徴的な自殺っていうのもあるからね。『金枝篇』に載ってるいろんな儀式みたいなものでさ、魂を再生させる効果はあるはずなんだ。完全犯罪を演出することで象徴的に自殺する……それがナオヤの計画したことだったんじゃないかってね」

「じゃあ、ほんとに自殺したわけじゃないってこと?」

 マヤが聞いた。

「そ、結局のところいたずら説と同じで、そのうち帰ってくるんじゃないかと思うんだけど」

 まだ昼前だったが、外の景色はいつの間にか夕暮れ時のように薄暗くなっていた。

「まったくナオヤのやつ何をやってるんだろうな」

「みんなを驚かすつもりで島を離れたけど事故に遭って帰れなくなってるのかも」

「ああ、エンジントラブルで漂流とかな」

「台風が迫ってるのに……」

 ミオはぼんやりとして黙りこんでいた。

 マヤとナツヒロがあらためて議論し始めたのを聞き流して、キヨミツはまた窓の外を眺めた。

 岩場の黒い水草の塊が大きくなっていて、こちらに近づいてきているように見えた。

 あれは本当に水草なのだろうか。なんだか触手を揺らめかせている巨大イソギンチャクのようにも見える。

 しかし、そんな馬鹿な……、いや、だが、あれは、あれは一体!?

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ