「仕事」
街から離れた一角には大きなビルがあった。
その場所は普段から近寄りがたい危険な空気が漂い、瓦礫の散乱する廃れた場所である。
ビルの警備の層は厚く、無骨な銃を携えた物騒な男達がその周囲に目を光らせている。
彼等は一目見て裏の側の人間であることがわかり、そのビルが裏の世界を動かす人間の居場所であることを物語っていた。
警備員の一人の黒人の男が煙草の煙を吐き散らしながら、何かを見つけた。
黒人の男の目線の先には、廃棄物の鉄の色に混じって三人の人影が映っていた。
その男は立ち上がり、他の四人の警備の男達に待ち侘びた来客を知らせる。
「待ち侘びた」というのは、彼等がこのビルに近付く不用心な人間から様々な収穫を得られるためである。
黒人の男を合わせて五人の悪党は、ビルに向かってやってくる三人の獲物を待ち構えた。
「あー、よかったねジェーン。いきなり五人も食べられるよ。」
目的地の目の前で待ち構えている五人組を眺めながら、テイラーはさらりと不思議な表現をした。
ジェーンはしかしそれをまたさらりと返して見せる。
「うーん…筋肉は要らないなぁ。ボクは柔らかいのが好きだから…」
その時、シンシアはちらりとジェーンの視線を感じた。
が、彼女は決してジェーンに振り向かなかった。
ビルに近づいた時、既に彼女の心拍数は興奮で高いものとなっていたが、今のそれの理由は興奮ではなかった。
先刻に
「食べる」という表現を耳にしたシンシアは、ジェーンに対してその表現から直接的に想像されることが定かである可能性を信じずにはいられなかった。
勿論彼女自身、心中ではその可能性を否定していた。
いや、否定したかったとうのが適切だろうか。
しかし今それが事実であることをシンシアは確信的に感じたのだ。
だがそれでも尚、やはり彼女の理性は未だにその事を拒んでいた。
だからシンシアはジェーンに関わろうとしなかった。
それは例えるならば、天敵を避ける小動物の行為であった。
彼女は純粋に、死の恐怖を感じていたのである。
テイラーは、そんなことを知ってか知らずか、やはり感情の無い声でシンシアに話し掛ける。
「どうしたのシンシア?今から君の望みが叶うんだよ?」
「……………」
シンシアは答えなかった。
今の彼女は、憎しみより恐怖が勝っていた。
テイラーは、しかし返事が無いことを全く気にせずに黙っていた。
やがて三人がビルの前に近付くと、待っていた男達がニヤついてユラリと立ち上がった。
自然とジェーンを先頭にし、三人は立ち止まる。
ある体の鍛えられた大きな男がジェーンの前に立ちはだかった。
が、ジェーンも体の大きさで言えば引けをとらなかったために、その様子が威圧的であるとは言いにくい。
それでも筋肉質の男は見下げるようにジェーンを見た。
「……何しにきた?」
男がそう言うと、周りの男達はヒヒ…とハイエナのような笑い声を出した。
相手が何をしにきた者であれ、彼等にとっては獲物以外の何でもなかったからである。
そんな普通ならば多少警戒なりしそうな雰囲気で、白い服のジェーンは、わらった。
「…………殺し…………」
ピッ…………と音がしただろうか。
「…………?!…」
一同が、え?と言う間もなく。
ジェーンの前にいた男の首から、紅い筋が噴き出した。
小さな音と共に首から流れ出るそれが自身のものであることに男が気付くには、そう時間はかからなかった。
「ぁ…っあぁっあ゛ぁあ゛あああ゛あぁ゛あぁ゛あぁ!!!!!!!!!!!!!」
男はただ必死に叫び、首の出血を手で押し止めようとした。
一瞬全く不可解な事が起き、後ろに笑っていた男達は何歩か後ずさった。
シンシアも、全く身動きすることのないテイラーの横でうろたえた。
やはり、このジェーンという男は
「異質」であると感覚で実感した。
ジェーンは男の血が噴き出る目の前でくるくると腕を回し、鎖の金属音を鳴らしながら白い服から手を覗かせた。
指に、薄い板のようなものを挟みながら。
ジェーンはそれをちらりと見て、再びわらった。
「あぁ……ハートの8か。よかったね、君はそのまま死ねるよ…」
目の前の男にそう語りかけるも、既に男は体内の血を殆ど流し気を失っていた。
弱いうめき声を漏らしながら、筋肉質の男は地面に倒れた。
「こ……殺しちまえ!!」
瞬間、本能的に身の危険を察知した残りの男達は一斉に手に持った銃を撃ち始めた。
「おっと。」
「っっっ!!!」
寸前にテイラーはジェーンの後ろに隠れ、シンシアは身を屈めた。
凄まじく鳴り響く幾つもの連続的な銃声。
その場にいた人間達はただ自然とそれが鳴り止むまで何も考えなかった。
「っふっ……!ふぅ…!!」
目の前に立つ男の白い服が段々と赤黒く染まるのを黙認し、それぞれが理性を取り戻し引き金から指を離した。
シンシアは震えながらふと顔を上げ、倒れているはずのあの男の姿を見ようとした。
「……っ………え…?」
が。
白い服をきていた、確実に血まみれの男は未だ立っていた。
先程から数歩と動かないまま。
「………痛い……痛いよ………ぁあ…ぁ……」
ジェーンは体中から間違いなく血を流していた。
はっきりと額に弾痕の穴すらあった。
彼は苦しそうに声を出した。
「痛い………君達にも……わかる……?」
「…な……ぁ……っ…」
銃を構えた男達は、身動きをしなかった。
彼等の脳が動く命令を出す以前に、今起きていることが全てを支配していた。
彼等は口を聞けずにいた。
そんな男達を血の滴る顔でジェーンは見据え、また、片手で薄いトランプを持ち上げた。
「……スペードの、J……」
そう呟き。
再びわらう。
先程より、狂気的に。
「君達も………痛いよ…」
ジェーンがそう呟くのと、彼の腕から垂れる鎖が男達を連ね捕えたのは同時だった。
想像できないほどの瞬間的な速さで、彼の両の手の鎖は男達に巻き付いていた。
「ぉ゛…っ!!…!!!!!!」
肺や喉を締め付けられ、喘ぐその姿を見てすら、ジェーンの表情には愉しみの気が浮かぶ。
シンシアは目を疑っていた。
そしてその明らかに
「人」ではないジェーンから目を離すことが出来ずにいた。
彼女は男達が無惨な肉塊になろうとする様を視線に焼き付けるしかなかった。
悲鳴や断末魔すら上がることはなかった。
ジェーンから生えた鎖が、四人の人間をそれぞれに絞めちぎった。
まるで鎖が彼の補食のための触手であるかのようだった。
「………痛かった……?」
ボトボトと地に落ちる液体や固体。
彼はそれを満足気に見た。
「やぁ、痛かったと思うよ。ちぎれたあともしばらく生きてるもの。」
テイラーは自然な口調でジェーンに話した。
「そうかぁ……じゃ、あいつもまだ生きてるかな?」
ジェーンの指差した先には、胴体から半分に体を絞め分けられた男がいた。
男は必死に何かを言おうとして口を震わせていた。
「あぁ、生きてるね。食べるの?」
二人はその紅い海に落ちた上半身を見下ろした。
ジェーンはその下方から出たものを、液体的な音をさせながら手にとった。
「そうだね…これなら柔らかい……」
彼は、おもむろにそれを自身に取り込もうとする。
「うぇぅっ……っ!!」
その時二人の後方から、さらに液体的な音がした。
シンシアは本能から、無理矢理目の前の景色から逃げていた。
同時にそれが現実であることを排除するかのように、嘔吐していた。
「っ…ごほっ…っ……」
「どうしたのシンシア?」
またもや、テイラーはシンシアに問い掛ける。
シンシアは彼に振り向こうとしなかった。
振り向けなかった。
振り向けば彼の横にいるモノが、見えてしまう。
しかしテイラーは笑うこともなく、ただ問い掛けた。
「君が殺しても足りない程憎い人も、こうしてやりたいんでしょ?」
その言葉は、シンシアの脳を再び思考させた。
彼女の脳裏に、再び果てしない憎悪が甦って来た。
何を迷うことがあったろうか、恐れることがあるのか。
私を殺すより深く殺したあの男を。
さらに深く。酷く。醜く。
――――てやる。
そうだ。
そのために私はきた。
あの怪物にあの男を喰わせてやる。
それは
「負」の完全体。
それが今、彼女を支配した。
彼女の中で、人としての何かが途切れた。
彼女の心から恐怖は消えた。
むしろ慶びが彼女にはあった。
「―――…そう……」
シンシアは激しい精神の活動に息をきらせながら低い声を出した。
この上ない
「負」の篭った声は、その外見の女性からでるものとは思えなかった。
「あいつを………――――やるのよ………」
その表情に、愉しみが垣間見えた時。
赤い物体をくわえた紅い色に染まった男は、彼女に振り向き。
静かにわらった。
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