「殺し屋」
そこは真昼間でも迷いそうになるほどに入り組んだ路地裏である。
もちろんわざわざ入ろう等という人間は滅多にいないほど、汚く、暗く、そしてどこか恐ろしい気配のする路地裏である。
「滅多に」というのは、この路地裏に少なからず入っていく人間がいるためである。
何故こんな場所に故意に入ろうとするのか?
それはある目的があるからである。
この話は路地裏の奥に潜む、ある仕事人達の物語である。
路地裏に一人の女性が入り込んで来た。
彼女の容姿はごく普通であり、何も変わった人間には見えない。
しかしこの路地裏に入ってくる人間には、必ずおかしい部分があるのだ。
それは顔の表情である。
彼女の表情は、正に憎悪を形相にしたように歪んでいたのだ。
彼女の顔は、一般の目から見れば、大低は美しいと思われる要素を具えていたが、その表情はもはやそれを打ち消してなお余りあった。
女性は多少なり足取りをおぼつかせていたが、確実に路地裏の終地点に向かっていた。
女性の脚が止まった。
彼女の目の前に、やけに小さな家が現れたのだ。
そしてまさしくそこは闇の路地裏の終地点だった。
[殺し屋]
「どんなことをしても殺したい人がいる人はどうぞ」
その家の前には何とも物騒な売り文句の書かれた看板が立てられている。
その通り、この路地裏の奥にある奇妙な家は
「殺し屋」の事務所なのである。
つまり、この女性も殺しの依頼をしにきた人間の一人なのである。
女性は相変わらず負に満ちた表情だったが、その家の扉の前で躊躇していた。
いざ入るとなって、やはり彼女は多少の恐怖心を抱いたのだ。
しかし憎しみが彼女の中で勝ったのか、ついに女性は
「殺し屋」の扉に手をかけた。
「キィ……」と静かな音が鳴る。
女性はさらに扉を押そうとした。
が、不意に扉の方がひとりでに開いた。
女性は一瞬ぎょっとした。
既に得体の知れない場所に踏み込んでしまったという恐怖心も相俟って、彼女はその場に凍り付いてしまった。
だが下を垣間見た瞬間、女性は扉が勝手に動いたわけではないことを理解した。
目の前に、扉に手を触れた小さな少年が、女性の影に隠れて立っていた。
ただ小さいといっても、一般的な女性の影に隠れてしまうほどである。
その身長は120cm後半に足りるだろうか。
とにかく異様な程に小さなその少年は、さらに奇怪なことに、全く体の割に合わない成人用の黒いスーツを着ていた。
もちろん異常に服袖が余っていたが、何故か脚の袖だけが短く切られていて、少年の靴は辛うじて見えていた。
靴すらも成人用で、足先は相当余ってボロボロになっている。
おまけに同じくらいにボロボロの大きな帽子を被っており、上からだと少年の目は隠されて見えなかった。
その少年は上を向き、ニンマリと女性の顔に目を向けた。
「やぁ。」
女性は一瞬返答を躊躇った。
少年のその意図を持たずに笑ったような表情と眼を見て、異質なものを感じたからだった。
少年は続けて、ニンマリとしたままで言った。
「何か用?」
しかし女性は、今度は遅れながらも用件を口に出した。
「殺して欲しい男がいるの。」
自分が客ならば、被害を被ることはないだろうと思ったのだ。
少年はやはりニンマリとしたままで、しかし今度は女性を迎えるような目で答えた。
「じゃあお客さんだね。」
少年はそう言って、家の中に女性を招いた。
女性は少し警戒しながら家の中へ足を踏み入れた。
しかし殺し屋事務所の中は、そんな警戒心など無駄だと思えるほどに、何の変哲もない様子をしていた。
ただ薄暗いだけの四角い空間がある。
当然あるように置かれた普通の観葉植物の類。
太陽光の入ってこない、一つだけの小さな窓。
そして1番目立つ、中央に置かれた事務机。
その後ろには何故か垂れ幕のような物が掛かり、閉め切られていた。
何を見てもそう変わった点のないその家の中を、女性は確かめるようにぐるりと見渡した。
少年はバタバタと分不相応な靴を鳴らしながら事務机に向かって歩いた。
そして小さな体が埋まってしまいそうな革椅子に足を伸ばして座ると、どこからか契約書のような物を取り出した。
「君の名前は?」
「……………シンシア=フェロール。」
シンシアは迷いながら小さく言った。
殺し屋に名前を教える事が、果たして自分にとって悪いことに繋がる気がしたからだった。
しかし少年はそれを察してか、ペンを走らせながらすらすら言った。
「別に偽名でも何でもいいよ。単なる記録だからね。
あ、でも今書いちゃったからもう遅いね。」
女性は呆気にとられながら少年の喋りを聞いていた。
少年は紙に書き続けながらさらにぺらぺらと喋った。
「じゃあ君の事はシンシアって呼ぶよ。僕はクロラド=テイラー。テイラーって呼んでね。」
「え…えぇ……」
その後少しの沈黙の後、テイラーはペンを置いてシンシアの顔を向いた。
「じゃ、簡単な手続きは終わったから依頼内容を話してね。誰を殺して欲しいの?」
「……。ネイロ・R=マイスターという男よ…」
その時、再びシンシアの顔は憎悪に塗れていた。
それを気にする様子もなく、テイラーはニンマリとした顔のままで言った。
「マイスターって、割と儲けてるあの三流貿易会社じゃないの?」
「よく知ってるじゃない……でも貿易なんて…とんでもない嘘よ…」
シンシアの表情はさらに歪んだ。
「あいつらは…」
「確か物品の横流しで儲けてるんだよね。」
シンシアが話し出す前に、テイラーがその真相を語った。
シンシアは少し驚いた表情を見せたが、すぐに納得したようにフッと息をついた。
「…やっぱりそういうことには詳しいのね…」
「まぁ暇な時に色々調べたりするからね。馬鹿みたいで面白いから。」
テイラーはそんなことをぺらぺらと話す。
「で、ネイロっていうのは、マイスターの後継ぎだよね。その男を殺して欲しいの?」
「えぇ…あの男…あの男を跡形もなく消してほしいのよ…!」
最後の方で声を荒げ、シンシアは唸るように言った。
「へぇ。そんなに憎いんだ?」
「あいつが…私の家族を目茶苦茶にして…消したのよ…」
シンシアは俯き、床に怨みをぶつけるように語った。
「貿易の話に騙されて…私の父の店は潰れたわ。それに付け込んで…」
「へぇ。」
「ネイロは…私を要求したのよ…そうしたら家族を助けると言って…」
「へぇ。」
「…どうせ皆助からないって解ってたのに…私はそれに縋ってあいつの物になったの。」
「へぇ。」
テイラーは興味があるのか無いのか、ただ時々相槌をうっていた。
シンシアは負の篭った声で続ける。
「…その途端にあいつは…!」
「家族を殺して。」
再び、テイラーが代弁を始める。
「終いには君も捨てられた。まぁありがちだよね。」
「……!……」
シンシアは怒りともとれるような表情を、テイラーに向けた。
しかし、テイラーは全く動じなかった。
そしてずっとニンマリとした顔を崩さないまま言った。
「まぁ事情はわかったよ。ちゃんとネイロ・R=マイスターは殺してあげるよ。」
「………」
テイラーは再びペンを動かしていた。
シンシアは自分を落ち着かせるように黙り込んだ。
が、ふと彼女は声を漏らした。
「貴方がやってくれるの?」
「ん?あぁ、殺すのはジェーンの役だよ。僕はただ仲介して彼に仕事をあげるだけだよ。」
テイラーはペンを紙に走らせたまま答えた。
「……よし終わり。別にサインとか要らないからね。」
テイラーは書いていた紙を適当に丸め、ダボダボのスーツのポケットに突っ込んだ。
シンシアは不審に思って尋ねた。
「…もし私が報酬を払わなかったらどうする気?」
「あぁ大丈夫、問題ないから。ただの記録だって言ったでしょ。」
テイラーの生返事にシンシアは納得しなかったが、証拠がなければ返って都合も良いと思い、それ以上は聞こうとしなかった。
と、テイラーはおもむろに椅子から降りると、後ろに掛かった垂れ幕に向かって言った。
「んじゃ…ジェーン?大体わかったでしょ?今度はたくさん殺せるかもしれないよ。」
すると垂れ幕の奥から、奇妙な声の返事が返ってくる。
「それはいいね…この前は一人しか食べられなかったもの。」
その声を聞いた瞬間。
シンシアは何故か全身から鳥肌が立つのを感じた。
それは会話の内容のせいもあったかもしれないが、それとは別の、何か危険なモノに自分の存在を知られたような、焦りに近い感覚だった。
ゆっくりと、垂れ幕の奥から、それがやってくる。
ゆっくりと、垂れ幕が開き、姿を現す。
「やぁ…この人かい?」
その男は、テイラーと同じ様に流暢に話した。
が、明らかにその口調に篭った感情は違っていた。
「聞いてたでしょ?この人がシンシアだよ。」
テイラーはシンシアを手で示して紹介する。
「シンシアか。いい名前だ。」
その男はその細い眼でシンシアを見た。
シンシアはその場から動けなかった。
その男に見られたというだけで、自分の命を掴まれたような気がしていた。
まさに蛇に睨まれた蛙、といったところだろうか。
白い布のような物を纏っただけの大きな体。
その姿はまるで狂った囚人を連想させ、妙に禍々しい。
両手には謎の長い鎖が垂れ下がり、危険な雰囲気を醸し出している。
全てが異様だった。
テイラーは相変わらずシンシアの様子を気にも留めずに話し掛ける。
「彼がヴァリアス・ジェーン=バッザス。ジェーンって呼んでね。」
「…よろしくね。」
ジェーンは笑っている。
シンシアにはそれが不気味で、限りなく恐ろしかった。
シンシアは辛うじて頷いて見せた。
「じゃあ行こうか。」
テイラーはバタバタと歩き出した。
「あ……そうだ。ねぇシンシア?」
「…な……何よ…?」
テイラーは不意にシンシアに振り返った。
そして、無表情な目で彼女の怯えた目を凝視した。
「本当に、どんなことをしても、殺したいんだね?」
確かめるように、テイラーは問いただした。
するとシンシアは奇妙にも少し笑って答えた。
「…当たり前でしょう。」
テイラーは、それを見てニンマリと言った。
「……確かに聞いたよ。」
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