「サングラッチェ」byしたうち
何も持っていなかった僕に、ひとつの約束をくれたあの人は、今はもうお墓になった。
真新しい白いその石には命日と名前が一つ彫ってある。あの人の名前だ。この世でただあの人だけのものであるはずの。
『僕が死ぬときは君が死ぬときだ』
ふいに、あの人の言葉が脳裏に蘇った。
『そして君が死んだとき、君は僕になり、僕は再び命を得る』
あのときあの人は、何も持っていないと、そう親の愛情でさえも、持っていないと泣く僕にそう笑いかけた。
たった今からこれを約束としてあげるから、もうそんなに嘆く必要はないと。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃの僕を優しく撫でてくれた。パパとママがするように、汚ならしいと殴ってくれたって構わなかったのに。
あのとき、あの温かい掌は汚れずに済んだだろうか。
「でも、あなたは死んでしまったよ」
僕は墓石の名前を指先でなぞった。彫らなくて良いと言ったのに、お節介な埋葬屋の店主は勝手に彫ってしまったものだった。
「もうひと月になるのに、僕はまだ信じられない。あなたがいない現実なんて現実じゃないみたいだよ」
あの約束をくれた一週間後のことだった。
流行り病にかかって、あっという間に。僕は、何も出来なった。
「あなたの口癖だってもう聞けないんだ」
ことあるごとに、あの人が口にしていたあの言葉の意味は、ついに知ることはなかった。
ただ、あの言葉を言うあの人はいつもすごく楽しそうで、嬉しそうで。それで僕も一緒に嬉しくなって、その嬉しい気持ちにもまた嬉しくなって、思わず涙が出てきそうになったことだってある。
…幸せが、現実だと信じていたから。
僕は決心して、勢いよく足を振り上げた。
そうして振り上がった足は墓石の名前を蹴りつける。でももちろん一回だけじゃ足りなくて、僕は何度も何度もあの人の名前を蹴りつけた。
蹴って蹴って蹴って、蹴り続けて。
高かった太陽が暮れ始めたころ、僕はようやく足を止めた。
白い墓石はもうぼろぼろで、名前を部分は崩れ落ち、何が書いてあったのかさえ分からなくなっていた。
代わりに、僕はポケットからコインを一枚取り出して、崩れた石のところにがりがりと違う名前を掘り込む。僕の名前だ。
『そして君が死んだとき、君は僕になり、僕は再び命を得る』
僕は足元に転がしていたリュックを背負った。時計を見る。汽車の時間まであと少ししかない。
多分、もうこの街に戻ってくることは無いと思う。
僕は最後に一度だけ墓石を見つめて、心からの笑顔であの人の口癖を叫んだ。
「サングラッチェ!」
僕はあなたとして生きていくよ。 |