劇場『すぽっと』(20/36)縦書き表示RDF


劇場『すぽっと』
作:照明係



「鐘はいつまでも鳴り響き」by豆腐


 
 まだ鳴りやまない。
 あの日の、あの音。

「ねえ、どうしてこっちなの? さっきの交差点、右折の方が近道だよ」
 そんなことは知っていた。
 おれはハンドルを握ったままで、ちらりと左に目をやる。ロングヘアの毛先をいつものように弄びながら、ただ不思議そうに、佳奈がこちらを見ている。
 おれは視線を戻した。わざと大げさに、ため息をつく。
「おまえ、それはあれか、おれの運転テクニックを試そうってか。保険料が値上がりの一途をたどる、このおれの」
「あはは、そっか、難しいか」
 けらけらと声をあげ、佳奈は笑った。思いがけず彼女の笑顔が見られたことに、おれはこっそりと幸せを感じる。
 木下佳奈。つきあって丸一年になる。好奇心に満ちた大きな目も、トラブルを気にするわりには綺麗な肌も、少し低い背丈も、無意識に毛先をいじる癖も、すべてが気に入っている。
 もちろんそんなこと、口に出していってやるほど、おれは恥ずかしい人間ではない。
くるくると指に髪を巻きつけながら、彼女は思い出したように続けた。
「それに、あっちは近いけど、開かずの踏切があるもんね。もしハマっちゃったら、逆に遅くなっちゃうかも」
「……よく知ってんなー。ガキのころちょっと住んでただけなんだろ」
 おれは素直に感心した。佳奈のいうとおり、彼女の示した道は近道ではあるが、一度閉まるとなかなか開かない踏切を通過しなくてはならない。地元では有名な、開かずの踏切だ。付け加えるなら、そこに至る路地は幅が狭く、車一台通るのがやっとだ。近道と知っていても、おれのようにわざわざ避けるやつは多い。
「ちょっとじゃないよ、何年かいたよ。よく行った駄菓子屋とかも、全部覚えてる」
「相変わらず食い意地がはってますなー」
「あ、またそういうこという」
 子供みたいに頬をふくらませる。狙っているんだか狙っていないんだか、ともかくおれは佳奈のこの顔がお気に入りなので、ときどきわざと怒らせてみたりする。
 おれたちの始まりは、笑ってしまうほどありきたりなものだ。大学で同じサークルに所属、話していくうちに、お互いの地元が同じだと判明。そこから意気投合──そこら中にごまんと溢れている出会いのドラマ。……まあそれでも、おれはそのチープなドラマに感謝しているわけだが。
 そうこうしているうちに、最寄り駅に到着した。スロープに入り、ゆっくりと停車。
「ありがと。また明日、学校でね」
「おう」
 白いスカートをふわりを揺らし、佳奈は小走りに去っていった。少し名残惜しい気持ちで見送りながら、俺はハンドルを握る。運転は得意ではないのだ。ライトをつけなくてはならなくなる前に、帰ってしまいたい。 
 ウィンカーを出し、ハンドルを切って、アクセルを踏もうとする。
 ──不意に、踏切の鐘の音が、聞こえてきた。
 おれは、どきりとした。
 駅のすぐ西側にある踏切だ。ここにいれば、聞こえてくるのはあたりまえのことなのに。
脳裏にずっと響いている、鐘の音と重なる。
 そのまま、おれの中のすべてが、止まってしまったような錯覚に陥った。
 やめてくれ。
 その音をとめてくれ。
 どうか、どうか……もし、できるのなら、おれは────
 クラクションを鳴らされ、我に返った。おれは慌てて、右足に力を込めた。


 そもそも、佳奈があんなことをいいだしたのが悪い。
 しかし、そんなことを悔やんでも、しようがなかった。
 おれは夢の中で、ひどく無邪気な少年になっていた。
 なにもかもに守られ、なにもかもを得られると信じ、怖いものなどなにひとつなかったあのころ。
 どこまでも自由だった、愚かなあのころ。
 
 カンカンカンカン──

 踏切が鳴っている。
 開かずの踏切。
 幼いおれは舌打ちした。踏切を越えた公園で、クラスの友人と野球をする約束だった。
 こんなところで、足止めを食っている場合ではない。
 おれは、右と左とに、ずっと延びる線路を、せわしなく交互に見た。
 これだけ見通しが良いのに、電車が来る気配などない。ちょっと遮断機をくぐって、一気に走り抜ければ、向こう側に行ける。たったそれだけの話だ。
 おれは意を決した。
 ひょいとしゃがんで、線路の中に入った。
「──ダメよ! 危ないわ!」
 女の人の声がした。誰もいないと思ったのに、いつの間に来たのだろう。おれは心臓を捕まれたような気になって、身を縮こまらせた。
 しかし、まさにその一瞬のためらいが、余計だった。
「走って!」
 怒鳴るような声。右側から、想像もつかないぐらいの勢いで──でもなぜか、妙にゆっくりと──電車が迫ってくるのが見えた。
 走れ、走れ──脳が命令を送る。動かない。動けない。なぜ?
 どん、と背中を押された。
 おれは突き飛ばされ、全身をしたたかに打ち付けた。足先のすぐ向こうを、恐ろしい速さで、白い箱が通っていく。
 どこからか悲鳴が聞こえた。それが誰の悲鳴なのかはわからない。もしかしたら、おれのものだったのかもしれない。
 おれはほとんど無意識に立ち上がった。
 そのまま振り返らずに走った。
 後ろで何が起こったのかなど、考えたくもなかった。
 何もかもを、事実さえも置き去りにしたくて、とにかく走った。

 それから、あの鐘の音は、止んだことがない。

 
「ねえ、聞いてるの?」
 大きな瞳がおれを見上げていた。
 おれははっとした。
 あれから毎晩見る夢が、とうとう白昼夢となって現れたのかと思った。
「──えと……ああ、うん」
 自分でもバカみたいだと思いながら、適当に相づちを打つ。机の上の資料を見て、ゆっくりと状況を思い出した。ゼミのレポートを、佳奈と二人、仕上げているところだったのだ。
「もう、私、帰る」
頬をふくらませ、立ち上がる佳奈の姿に、おれは完全に寝起きのテンションで、駆け引きも忘れて焦ってしまった。
「え、や、悪い! 違うんだ、ちょっと調子悪くて……」
「ほら、聞いてなかった。だから、そろそろ帰んなくちゃいけないから、駅まで送ってってば」
 やられた──おれは頭を抱えた。このままでは、主導権を持って行かれてしまう。
 断る理由もなく家を出ると、ガレージに車の姿がなかった。滅多に乗らない親が乗っていってしまったらしい。
「あー、しまった。自分の車欲しいなあ、やっぱ」
「いいじゃん、近いんだし。歩こうよ」
 佳奈が嬉しそうに右手を差し出す。──どこで知り合いが見ているかわからないのに、つなげって?
 おれはむっつりとしながらも、その手を握った。
 抱き合うより、キスをするより、こういう方が恥ずかしい。
「近いっつっても、歩くと二十分はかかるぞ」
 自分でも照れ隠しだということがバレバレな悪態が口をつく。佳奈はくすくすと笑った。
「いいよ、懐かしいし、お散歩がてら。私の好きな道、通っていい?」
 佳奈は本当に記憶力が良いようだった。
 今も尚営業中の、おれも昔は世話になった昭和感溢れる駄菓子屋の横を通り、いまではスーパーになってしまった過去の空き地の前を通り──ぎりぎりで学区が違うので、幼いころはお互いの存在など知らなかったが、それでも記憶を共有しているというのは、妙な気分だった。
 おれは恐らく、舞い上がっていたのだろう。
 嬉しそうに思い出を語る佳奈と手をつないだまま、いつもよりもゆっくり歩く。いま自分がどこを歩いているのかなど、意識していなかった。
「ここ、よくお母さんと行ったんだ。あ、このパン屋も。懐かしいなあ」
 大きな瞳をくるくると動かして、佳奈が思い出を語る。
 幼い佳奈と、若くして亡くなったのだという、見たこともない母親の姿が、目の前にあるような気になった。
 こうやって、何十年先も、思い出を──そのときは、正真正銘共有している思い出を──語り合えるといいと、ふと思う。
 おれは幸せだった。
 だから、たぶん──ばちがあたったのだ。

 カンカンカンカン──

 踏切の鐘の音。
 いつの間にか、開かずの踏切の前にいた。
 遮断機が、ゆっくりと降りていく。
「あーあ、引っかかっちゃった。長いのにね」
 佳奈が頬をふくらませる。つないでいた右手を離し、毛先をいじり始める。
 急に寡黙になったおれには気づかず、佳奈は一歩前へ出ると、左右を注意深く見た。
「ね、通っちゃおうよ。まだ来ないみたいだし」
 無邪気な光をその瞳に宿して、にんまりと笑う。
「お、おい──それは」
 声がうわずった。
 かまわずに、佳奈は遮断機をくぐる。
 
 記憶と、今とが、頭の中で入り交じる。
 右の方から、電車がやってくる。
 よせばいいのに、おれは叫んでいた。

「危ない、走れ──!」
 
 佳奈はひどくゆっくりと振り返り、微笑んだ。
 まるであたりまえのように、ふわりと両手を広げる。
 おいで、と。
 おれは走った。力任せに佳奈を突き飛ばした。
 すぐ近くに、白い箱が迫っている。
 ああ、どうか、彼女だけでも無事に──

 遠いあの日の悲鳴が、聞こえた気がした。
 幼いおれが、今度こそ振り返り、背後で起こった事実をしっかりと見ていた。
 人形のように跳ぶ身体。
 走り抜ける白い箱。
 その向こうで、悲鳴を上げる、おれと同じぐらいの幼い少女──

「母さん──!」
 
 少女の目は大きく、好奇心に満ちていて、背は決して高くはなく──

 そう、それはまるで




 真っ暗になった。
 それでもまだ、鐘は鳴りやまない。
 暗闇の中で、なぜか、佳奈の満面の笑みが見えた気がした。
 
 ああ、良かった──君が幸せに笑うのなら、それで。








おひねりはこちらへ*感想用掲示板*
ネット小説ランキング>短編集部門>「劇場『すぽっと』」に投票





ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう